2章 その2
それから一週間後の月曜日、俺は外の喧騒により渋々目を覚ました。
「流石に起きないと遅刻する」
三度のアラームを無視して布団に籠っていた体に鞭を打ち体を起こす。
頭はもやがかかった様で瞼も鉛のように重たかった。
先週はまともな睡眠時間を確保していなかったのが付けとなって今日まわってきたみたいだ。
眠気を覚ますため顔を洗ったが効果はない、食事を取る時間も取る気もないので今日もまたエナジーバーとゼリーを胃に入れて制服に着替える。
「これも飽きてきたな」
まともな食事など先週の月曜に取ったのが最後のはず、よく今日までこれだけで持ったと自分の体を誉めてあげたい。
頭が覚めない中のんびりと着替えていると呼び鈴が鳴った。いったい誰かと考えたが、そう言えば美月が一緒に行くと言っていたようなことを思い出した。
いつ約束したか覚えていないがとりあえずは着替えをさっさと済ませ玄関を出る。
「おはよう海翔」
「おうおはよう、随分眠そうだな」
「海翔だってそうじゃん」
美月の顔を見るとくっきりと目の下にクマができていた。それ以前に天真爛漫を体現した美月に元気が全く見えない。
俺も美月もここ一週間神室先輩の基礎連を文字通り死ぬ気でやっていたから仕方がないが……。
「かわいい顔がもったいないな」
「海翔今すぐ戻って寝た方がいいよ」
「ん? 俺なんか言ったか?」
「だめだこの人」
美月が何を言っているのかわからないが、今は学校へ行くとしよう。
気持ちいい風にあおられ何度も意識が飛びそうになるが、そのたび横にいる美月にわき腹を突かれ意識を取り戻す。
そんなことを繰り返しながら歩き登校途中の唯一のコンビニが目に入る。
「ああ美月、コンビによっていいか?」
「うんいいよ、私も欲しいものあるし」
「それってエナドリか? なら一緒に買ってくるが」
「本当に、それならお願いしようかな」
「わかった、ちょっと待っていてくれ」
美月をコンビニの前で待ってもらい中に入った。
『確か美月はこの味だったよな』
棚から普通の味と甘めの味をそれぞれ手に取る、ついでに昼食代わりのエナジーバーも手に取り支払いをする。
「待たせたな、ほらいつもの」
「ありがとうね、これが無かったら今日が乗り切れないよね」
立派なカフェイン中毒者の様な台詞を放ちながら、俺の手にあった普通味のエナドリを受け取った。
勢いよくカシュッと音を立て開けるとまるで風呂上がりの牛乳のように腰に手を当て飲み始めた。
豪快な飲みっぷりを横目で見ながら俺もカフェインを摂取した。
「ぷはっ! 生き返った」
「それは良かった」
俺も頭を覚ますことができたことだし再び通学路へと戻る。
飲み終わるころには通学路にそこそこ生徒の数が増えていた。俺と美月はそれらと同じ流れに乗り話し込んでいた。
「神室先輩が出した期日って今日だよね、コーチ来てくれるかな」
「どうだろうな、ただ言えるのはこの一週間でできる限りの事はできたとは思うぞ」
さわやかな風と共に俺たちの行った基礎連が思い出される。
平日学校にいる間は隙間時間に動画を見て座学をし、放課後は神室先輩からのしごきを受け、帰ってからも美月と共に基礎連を行い続けた。
休日はほとんど通しで美月と通話を繋ぎ基礎連をした、たまに先輩が来てくれて一緒に戦ったりした。
はっきり言ってかなりきつかった、吹部の練習で一切音を上げなかった美月でさえ嘆くほどに。
「確かに、日曜にやったときは安定した優勝を何回もできたもんね」
「だからあとは結果を待つだけだよ」
「まあその待つことが一番つらいけどね」
「美月は昔からそうだよな」
それもそっかと言って微笑む美月を横目に俺の頬も緩んだ。
それはそうとこの一週間俺は神室先輩が自主練をしているところを見たことがなかった。
先輩のあのプレイは才能だけのものじゃない、それを維持するだけでも底知れない努力があるはずなのに。
『いつ練習してるんだろうか』
この問いを堂々巡りし、結局はどこかの機会に直接聞く方が早いと結論付ける。
ふと顔を上げるとすでに見慣れた校舎が見えてきた。
今日の授業はたぶん頭に残らないだろうな。だから早く放課後が来ることを切に願うよ。
おかしい、なんで今日に限って全然時間が進まないのか。
現在四時間目の終わり際、担当の先生の声が心地よくクラスメイトの半数は上の空。
かくいう俺も授業の内容など一切頭に入っておらず、襲い掛かる睡眠欲に抗いながら空腹に耐えていた。
時計の針があと何回か動けば授業が終わるはずなのに、故障したのではと疑うほどに針はなかなか動かない。
『実は今本当に時が止まっているのかもな』
もしそうであるのなら今ではなく練習時に止まってほしいものだ、そうすれば今よりもっと早く上達するのに。
でもそうなれば動けるのは俺だけなのか、どうせなら美月も誘って共に練習できればいいのに。
そういえば、結局美月と高校も一緒の部活に入ってるな。あの時の俺の誓いは何だったのか。
まあそれ程の誓いだったことかもな。
だんだんと意識が落ちていく感覚になり、もう少しでまどろみに落ちると言うタイミングで頭に響くチャイムが鳴り目を覚ます。
先生は挨拶はしなくていいと告げて教室から出ていった。
クラスの面々は直ぐに動くことは無く、固まった体をほぐす様に伸ばし声を出してからそれぞれ行動を始めた。
俺もそれに習って体を伸ばすと喉からうめき声の様な音が鳴った。
その俺の声と共鳴したかのようにスマホが震えた。
『誰からだ?』
学校では滅多に来ることのない通知を確認する。
宛先は美月から、内容としては屋上の扉に来てほしいとのこと。
部活に入ってからこういう呼び出しはたまにあった、たぶん今日もゲームの事を聞きたいのだろうな。
鞄から今朝買ったご飯を手に持ち、待たせないよう足早に教室から出た。
生徒の往来が激しい廊下を抜け階段を上り、四階へと上がる。
先ほどまでいた場所とは真逆で、俺の歩く音がよく響いた。
屋上までは三階登ればつく、美月の教室の方が階段から近いので恐らく先についてるだろう。
そう考えていると下から急いでいる足音が聞こえた。恐らく部室に用事がある生徒だろうな。
「海翔待って!」
突如後ろから名前を呼ばれ反射的に振り返ると軽く息の上がった美月がいた。
「美月。先についてると思ってた」
「ちょっと準備してたからね」
手持っている弁当と言うには少し大きめな袋を見せながら隣にやって来る。
「それ、何入ってるんだ?」
「ないしょ!」
「なんで内緒なんだよ」
「いいじゃん別に」
まあお菓子か何かが入ってるんだろうな。あとで貰お。
「海翔のそれは今朝買ったやつ?」
「ああ、エネルギーバー二本」
「それ足りなくない?」
「ここ一週間はこれだぞ」
「それ絶対体壊すよ」
「覚悟はしてる」
「家では作り置きあるからそれ食べなよ」
流石に今日の夜はまともなご飯を食べるか。
守るかわからない決断をしたところで屋上への扉の前に着く。
俺は壁に寄りかかってはするすると落ちていき胡坐をかいて座る。
美月は俺の横にすとんと座ると、手に持っていた袋から気になっていた中身を取り出した。
出てきたのはライトグリーンのいつもの弁当箱にそれより大きなタッパーが一つだった。
「美月、いくらお腹空くからって弁当二つは食べすぎだぞ」
「海翔の中でいつから私が大食いキャラになったの」
「うーん、高校デビューとか」
「適当言わないの」
ジト目で言ってから手に持っていたタッパーを俺に差し出した。
「俺に?」
「お母さんに言って作ってもらったの、これ食べて今日からまた頑張りなさい」
タッパーを受け取り中身を見ると肉巻きに卵焼き、和え物が入っていた。
どれも俺が好きのものが入っており自然と目が輝いてしまう。
「おばさんの料理久しぶりだ」
「それじゃあさっそく食べよっか」
手を合わせお互いにいただきますをして食べ始める。
中学の頃などたまにおばさんの料理のお世話になっていたけど、高校で一人暮らしになってからは食べる機会なんてないと思っていた。
だからは久しぶりに食べると美味いと思うのと同時に懐かしさも感じてくる。
まるで幼い子供のようにどんどんと食べていき、程なくして弁当の中身がなくなってしまった。
「ごちそうさまでした」
「うん、伝えておくね」
美月は久しぶりに腹が満たされる幸福感の俺からタッパーを受け取り、自分の弁当と共に袋にしまってから壁に寄りかかった。
「おばさんにありがとうって伝えておいてくれ」
「うん分かった」
「それと美月もありがとうな、卵焼き美味かったぞ」
俺がお礼に美月は目を丸くしてしまった。いったい何に驚いているのかわからないので徐にスマホを取り出した。
「海翔気づいてたの?」
「ん? 一口食べてすぐわかったぞ」
「そ、そっか」
歯切れの悪い返事をし顔をうずめてしまった。
何をいまさら照れているのか、もう何度も美月の料理を食べたんだからおばさんとの違いくらいすぐ分かるものだ。
「ほら美月顔上げろよ、時間まで動画でも見ようぜ」
「……みる」
その後チャイムが鳴るまでの間俺と美月のおすすめを交互に見て時間を過ごした。
昼にちゃんとした物を食べたからか、その後の授業は瞬く間に過ぎていった。
なお授業の内容が入っているかは別物とする。
そうして皆が待ちに待った放課後となり、クラスの皆は相変わらず歓喜しながら教室から出てそれぞれの部室へと向かった。
前までその気持ちになれなかった俺も、今ではその気持ちの一端を持つことができてる。
俺もクラスを出るのだが気づかぬ内に浮足立っていたようで、途中で合流した美月に指摘されて初めて自覚した。
「海翔がそんなテンションなんて初めて見たかも」
「たぶんあれだ、深夜テンションみたいなものだ」
一年の上り階段の手前で合流してから、美月のスピードに合わせるように部室を目指す。
階段を上っているのと同じ感じでテンションが上がっていくのと反比例するように頭はボーッとしてくる。
そのせいか隣で話している美月の内容が授業と同じように頭に入ってこない。
それでも部活ぐらいなら何とかなるだろうな、今日も基礎を鍛えることになるだろうが。
「それで実際問題さ私たちあとどれくらい強くなれば良いんだろうね」
「ん? どうしたんだいきなり」
「海翔が聞いてないだけでいきなりの話題じゃないんだけど」
ため息を吐きながら呆れ気味に美月は答えた。
「それはすまん」
「もう、しっかり聞いててよね」
目を見ることができず、ただ首に手を当てて行いを反省した。
そんなバツの悪そうな俺に対し美月は可笑しいと言った様子で笑う。
「話帰るけど先輩の知り合いのコーチってどんな人なんだろう?」
「まだ来ると決まったわけじゃないからいくら考えても仕方ないだろう」
「海翔って昔からそうだったけど、私は気になるの」
「そういうものか」
吹奏楽の時に来てくれた外部講師はいたが、俺は興味がなく美月はわくわくしていた。
だって仕方がないだろう、関係がない講師に興味を持てと言う方が難しい話だ。
まあそれを抜きにしたとしても興味は出ないけどな。
「いいからさ、海翔も考えてよ。私は先輩みたいに優しい人だと思うな」
「いや優しい人ならあんな条件出さないだろう」
「それもそっか、じゃあ海翔は?」
どんなコーチか、あんな条件を出すくらいだから優しくはないだろうな。
後はそうだな……。
「自分にも他人にも厳しい人かな」
「その心は?」
「なんかあの条件を出しそうな人の性格ってそんな感じがする」
「適当なこと言ってないよね」
「頭働いてないからたぶん言ってる」
七割くらい直感でそう答えたが、残りの三割は真面目に言ってる。
先輩から少し聞いた話では、どうやらゲーム部の頭脳と呼ばれていた人だ。
無名のゲーム部を勝利に導いた頭脳だ、きっと厳しい人だろう。
そしてそんな人は中途半端が嫌いな人の印象が強い。
つまりは俺の一番苦手とするタイプの人間だ。
「会うのが怖くなってきた」
「自分で来ないってたのに、怖がっても仕方ないでしょ」
頭が下がる俺に美月は背中を優しくたたく。その音が鮮明に聞こえ、気づけば部室のある最上階にたどり着いていた。
相変わらず静かな廊下を俺達の足音だけを響かせ部室の前に立つ。
ここまでだいたい半々の確率で先輩が先に来ていたが、果たして今日はどうなのか。
扉に手をかけ力を入れると止まることなく少し開いた。
いるみたいだなと美月を顔を合わせてから残りを勢いよく開けた。
「先輩こんにちは!」
元気よく挨拶した美月だが教室の中にいた人物は先輩とは真逆と言っていい雰囲気を出していた。
はっきり言うと中にいたのは神室先輩ではない。
全てにおいて真逆、身長も髪も雰囲気も、性別すら逆だった。
多数と仲良くすることを嫌い、自分の信じた人としか一緒にいたくない。
一目見て厳格な人と言う印象を持った。
「はぁ、アイツみたいな元気なのがまたいるんだな」
俺の椅子に座る男は額に手を当てる、メガネの反射により目は見えないが煩わしいと思ったことだけは伝わってくる。
「ええっと……」
『この人は誰だ?』
「お前たちここの部員だな」
インテリ眼鏡と鋭い目つきに俺達はまるで蛇に睨まれた蛙のように動くことができなかった。
「二人ともどうかしたの?」
いきなり背後から声をかけられたことに驚き、反射的に振り返るとキョトンとした顔をした神室先輩が立っていた。
「先輩!」
「実は中に知らない人がいて」
「知らない人?」
「おい千輪、俺のことは説明したんじゃないのか」
「あっ! 晴翔さん!」
先輩はその男の名前を読んでから教室の中へと入っていった。
無邪気に近づく先輩にやれやれと悩ましく額に手を当てた。
晴翔と言う名前は確か先輩が話していたコーチの名前だったはず。
つまり目の前のこの男が俺達のコーチなのか……。
受け入れがたい事実を目の間にして、俺はその後起こるだろうと思われる展開に人知れずぞっとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます