2章 その4

 午後の授業もあっさりと終わりを迎え、あっという間に放課後となった。

 荷物をまとめて教室から出ると、ドアのところに美月が立っていた。

「待たせたか?」

「そんな待ってないよ、それより早くいこ!」

 機嫌よく俺の前を歩き出した美月、よほど楽しみなのかと思いつつ、やれやれと言った感じで隣に並ぶ。

「なんだかこうして部室目指すの久しぶりだね」

「中学の頃は毎回一緒に行ってたからな」

 美月の言う通り、こうして並んで部室へ向かうのは引退して以来なかった。

 何より高校でもまた隣を歩いて部室へ行くだなんて諦めていたことでもあった。

「私は引退してからもたまに部活に顔出してたけど、海翔は1回も来なかったもんね」

「美月が行けば喜ばれるけど、俺が行っても邪魔になるだけだからな」

「そんなことないと思うけど」

「それに俺は美月と違って後輩に好かれていなかったからな」

 流れのままそう口にするとその後の美月の反応がない、どうしたかと顔を覗くと表情を曇らせていた。

「でも、美月は結構好かれてたよな」

 失言したと思い、咄嗟にそう口にしたのだが、美月の顔が晴れることは無く。

「うん、そうだったね」

 さらには辛そうな声音でそう零した。

「……ごめんな」

 自分の失言にいたたまれなくなり、頭を掻きながら美月に謝罪する。

「どうして海翔が謝るのさ」

 微笑みながらそう返した美月だったが、その雲はいまだ晴れずに顔を覆っている。

 これに関しては美月は本当に悪くない、あれは俺が欲をかいたから起こったことだ。

 部活内で嫌われていた俺が、人気物の美月と絡むのを良しとしない奴が出てくるのは当たり前だった。

 そんな簡単なことも理解していなかった俺が悪いのであって、美月に非がある訳ない。

 美月と直接この話題を話し合ったわけではない、お互いわかったうえで敢えて口にしないのだ。

 俺と美月の間に気まずい雰囲気が流れる。

 そんな雰囲気を振り払うように、いつの間にか晴れていた顔で美月が話題を変えてくれた。

「そういえば、部長さんの名前聞いてなかったよね」

「そういえば俺も言ってなかったな」

「ねえねえ、どんな人?」

 そう聞かれ顎に手を当てながら神室先輩の名前と特徴を美月に話す。

「名前は神室先輩、背が小さくてぬいぐるみみたいな人かな」

「かむろ先輩……、もしかして女の人?」

「そうだけど」

 そう答えると横で神室先輩の名前を反芻し、隣を歩いていたはずの美月と距離がどんどん空いていく。

 振り返って見ると朝の時と同じように立ち止まっていた。

 ただ表情の怖さだけが同じではないが。

「つまり海翔は女の先輩のいる部活に入ったってこと?」

「まて、他の部にも女の先輩はいるだろう、だから関係ない」

「でもその部活にはかむろ先輩しかいないんでしょ?」

「まあそうだけど」

「つまり海翔はその先輩目的で入ったわけ?」

 美月に核心を突かれてしまい咄嗟に顔を逸らす、否定の言葉を出そうとしたが俺の行動を肯定と取った美月がこちらに近寄る。

 そして俺の目の前で止まったので美月の方を向くと、その目にハイライトは見えずただこちらを睨みつけていた。

「その先輩に会うの楽しみだよ」

 頼むからのその表情のまま笑顔を作らないでくれ、怖くて神室先輩泣いちゃうから。

 この感情が俺に向けられている事実は無視する。

「まあ冗談だからさ、早く行こうよ」

 表情を一気に変え、いつもの天真爛漫な笑顔になりほっとした半面、その裏側にある感情を読み取れず俺の中の恐怖は消えることは無かった。

 そんなこんな適当に話しているうちに、いつの間にか部室のある最上階まで登っていた。

「部室は何処?」

「こっちだよ」

 美月の前を歩き出し、部室まで先導する。

 端にある階段から上り、二つ教室を通り過ぎたところにゲーム部の部室がある。

 扉の前で立ち止まり開けようと手をかける、しかし昨日はするっと開いた扉が今日は開かずに詰まってしまう。

「鍵がかかってるな」

「まだ来てないみたいだね」

 顔を見合わせてからドアから離れ、壁に寄りかかりながら先輩が来るのを待つことにした。

 待っている間昼休みに見ていた動画の続きを美月と二人で見ていた。

 その後すぐに階段から誰かが上って来る音が聞こえてくる、恐らく神室先輩だろうと思い美月に渡していたイヤホンを回収する。

 階段に目を向けると上がって来る人影が見え、姿を見るとやはり神室先輩だった。

「あれもう来てたんだってその子だれ?」

「こんにちは神室先輩、こっちは部活の見学者で俺の幼馴染の」

 美月の方を見ると何やら固まって動こうとしなかった。

「おいどうかしたか?」

 顔の前で手を振り、肩も軽く揺らしたが反応がない。

 神室先輩も不思議に思い近づいていく。俺と同じように大丈夫かと顔を覗くと美月の肩がビクッと跳ねたのが見えた。

「大丈夫?」

 そう声をかけられた美月が肩を震わせた衝撃が全身に伝播していくように小刻みに震えだし、いきなり両腕をがばっと広げた。

 その直後勢いよく美月が神室先輩の事を抱き寄せた。

「本物の神室さんだ!!!」

「ちょっと、え?」

「おい美月何してるんだ!?」

 大興奮の美月に抱かれている神室先輩が俺に助けを求めて手を伸ばす、そんなもみくちゃにされる先輩を少しの間眺めてしまった。

 その後、先輩の目が少しばかり涙目になり始めたので何とか美月を引きはがそうとする。

 だが美月はなかなか離れようとしなかった。

 結局無理だと判断した俺は神室先輩から部室のカギを受け取り、扉を開けてから二人を部室の中へと入れてゆっくりと美月を落ちつかせた。


「それで落ち着いたか?」

「はい、申し訳ございませんでした」

 現在部室内ではソファーの上で正座をさせた美月、腕を組んで上から見下ろす俺、それをオロオロと手持ち無沙汰で困る神室先輩という構図が出来上がっていた。

 あの後なかなか興奮が冷めやまない美月をあの手この手で収め現実へと引き戻し、自分のした事への懺悔をさせていた。

「何で神室先輩にあんなことしたんだ?」

「目の前に憧れの人がいたもので、感情を抑えきれず……」

 美月が憧れている人?そんな話聞いたことないが。

「憧れ?私が?」

 先輩自身も美月の回答にキョトンとし何のことかわからない声音で答えてるし。

 それに誰彼構わずに凄いと言う美月がこんなになる程1人に固執するなんて。

 一応先輩にも確認してみるか。

「どうですか?」

「忘れてたら悪いけど、今日が初対面のはずだよ」

 期待を裏切らない回答で安心しました。

 先輩からの事実確認が済んだので再び美月に問いただす。

「だそうだが?」

「うん、私もこうして会うのは初めてだよ」

 そして美月の口から出た言葉に俺の目は丸くなってしまった。

「なんせ私が一方的に知っているだけだからね」

 後頭部を手で押さえながら気恥ずかしそうに照れている美月、俺は呆気に取られ固まってしまった。

 一方的に知ってるって、神室先輩いったい何者なんだよ。

 そんな考えをしている俺の横を神室先輩が横切っていく、そして正座をする美月の横に腰を下ろした。

「ねえ美月さんは何処で私を知ったの?」

 柔和な笑みで話しかける先輩、その態度に美月のガチっとしていた姿勢が緩くなっていくのがわかる。

「それはもちろん、吹奏楽ですよ!」

 神室先輩も吹奏楽をやっていたのか、中学の時は美月以外に興味なかったから知らないが、ここまで執着するくらい凄い人だったのか。

 そんな先輩は美月のその言葉に眉がピクリと動かし。

「……そっか、美月さんは知ってるんだね」

 どこか含みがありそうな感じで答えた。

 あまり触れてほしくなさそうな雰囲気を出している先輩、そんな様子にいまだ興奮気味の美月は気づいておらずに話を続ける。

「もちろんですよ!あの神室先輩を知らない吹奏楽部員何て海翔を除いていないくらいですから」

「おい、何故そこで俺の名前が出る」

「実際知らなかったんでしょ」

「まあ先輩が吹奏楽やってたのは今知ったけど」

「ほらね」

 自分の事のようにドヤ顔をする美月を今は置いておくとしよう。

 そんな事よりも先輩の方が気になるな、これ以上吹奏楽の話題はやめにしておいた方がいいんじゃないか。

「おい美月、それ以上は」

「あれ、でも海翔が入るのってゲーム部だよね?と言うことは……」

 美月はそこでやっと先輩の表情が暗くなっていることに気づいたみたいだな。

「うん、私もう吹奏楽はやってないんだ」

 誰が見ても無理しているとわかる笑みに、流石の美月も興奮が冷めて自分が何を言ったのかを自覚した。

「すっすみません、私勝手に盛り上がってしまって」

「ううん、大丈夫だよ。気にしてないから」

 首を横に振り、失言をして俯いた美月を先輩がなだめた。

 大きく頼りがいのありそうな先輩だと感じていたが、俺たちと同じく何かを抱えていて、そして吹奏楽のないこの学校に来たのかもな。

「ごめんね、なんだか暗い雰囲気にしちゃって」

 そういって笑顔を作りながらソファから立ち上がる先輩、自分の机へと歩いていくその背中は何処か寂しさを感じてしまう。

「大丈夫ですよ、もとはと言えば美月が悪いので」

 そんな背中を先輩にはしてほしくない。昨日会ったばかりの俺が言うのも変だけど、本能がそういっているのだからしょうがないだろう。

 先輩は悪くないとそう直接言えたらいいのだが、言えない俺は不器用にもこんな励まししかできなかった。

「そうですよ、私が無神経だったから……」

 美月と俺の言葉に先輩の足が止まり、こちらへゆっくりと振り返り。

「ありがとう」

 そう明るい笑みをしながら言った。

 美月は俺と顔を合わせるとお礼のような笑顔を見せ、先輩の近くに駆け寄っていった。

 2人の笑顔を見て心が温かくなるのを感じ、俺も二人の近くに行った。

「それじゃあ、気持ちを切り替えると言うことで、美月さんには自己紹介でもしてもらおうかな」

 椅子を先輩の目の前に俺と美月が座るように準備し、改めて美月を紹介することに。

「では改めて紹介しますね、俺の幼馴染で一年の」

「天野美月って言います、今日はよろしくお願いします!」

「うん、今日は楽しんで見学してね」

 立ち上がり綺麗な礼をする美月、それを歓迎するかのように優しい声音と拍手で迎えた。

「それにしても先輩、よく美月を受け入れましたね」

「本人の前でそれ聞くの?」

「まあ私も知らない人なら断るかもだけど、海翔君の知り合いならいいかなって」

「神室先輩」

「自分たち昨日会ったばかりですよね」

「まあそう固いことは言わずにね」

 出会い方は最悪だったけど、こうして信用してもらえてるのなら悪い気はしないな。

 あと横で目を輝かせている美月がうるさい。

「とりあえず、最初に打田君の入部届でも貰おうかな」

「わかりました」

 そういって椅子の横にあるカバンから入部届を取り出し先輩に渡す。

 それに目を通し、不備がないことを確認した先輩は入部届を机の上に置いた。

「うん大丈夫そうだね、部活終わりに私が渡してくるよ」

「ありがとうございます」

 軽く頭も下げようとしたのだが、先輩がそこまでしなくていいと言った風に手で止めたので、頭の位置を戻す。

「それじゃあ次に美月さん」

 次に美月の方を向いた先輩、名前を呼ばれた美月は元気よく返事をした。

 その小学生みたいな元気のいい返事、恥ずかしいのでやめていただきたい。先輩もなんか和やかに微笑んでるから。

「とりあえず今日は見学でいいのかな?」

「はい!そのつもりです」

「うん、ならいっぱい見ててね。それでぜひともうちの部活に」

「あっすみません、実は海翔が入る部活が気になって見学に来まして、実際にはすい、別の部活に入ろうかと考えてました」

 勢いよく頭を下げながら性懲りもなく直球過ぎる回答をする美月に対し頭を抱えてしまった。

 流石に先輩もここまで直球に言われたら傷つくだろう、そう思い先輩を見ると。

「そ、そかぁ」

 脇に置いていたぬいぐるみを抱え、あからさまに落ち込んでいた。

「ああ、すみません!変に期待させるのも悪いと思ったので」

 手をわちゃわちゃさせながら弁明を図ろうとするがこれ以上何を言っても美月ならただの火に油を注ぐだけだ。

「美月、これ以上しゃべらないほうがいいぞ」

「はい、そうします」

 流石に本日二回目となると美月も露骨にへこんでしまったみたいだ。

 そんな様子に先輩の肩が小さく上下しているのが横目に入る。

「先輩大丈夫ですか?」

 そういい近くに行こうとしたとき、先輩はぬいぐるみから勢いよく顔を上げた。

 その顔に満面の笑みを携えて。

「あはは!ごめん冗談だよ」

「「へ?」」

 先輩の行動に俺たちは二人して驚きを隠せず目を見合わせてしまった。

「ちょっとした意地悪だよ、もともと部員の数は気にしてないからさ安心してよ。最初に言ってくれてありがとうね」

 目じりをこすり笑いながら全てを許すと言った、その言動に先輩の慈愛が溢れているのを感じてしまった。

「え?ママ?」

「お前の母親はちゃんといるだろ」

 同じことを感じ取り、阿保みたいなことを口にした美月につい突っ込んでしまう。

 とりあえずこんなやり取りをしていたら一生話が進まないから話題をぶった切るとするか。

「とりあえずゲームをやりましょうよ」

 俺のからの提案に今度は先輩が目を輝かせ、顔が目の前まで来た。

 先輩その不意打ちはずるいですよ。

 危うく椅子から崩れ落ちそうになるのを何とかこらえ準備を始める。

「見るだけだったらつまらないし、美月さんもやろうよ」

「いいんですか!」

「難しいぞ」

「動画で見せてもらったから知ってます」

 俺の警告に対して生意気な感じで返す美月が癇に障ったが、自分自身もそれ以上を言えるほどの実力ではないので口を紡ぐことにする。

「それじゃあせっかくだし、三人フルパーティーでやろっか」

 先輩の提案に賛成した俺たち、その後美月に操作を教えるのと俺のおさらいと言うことで再び神室先輩のチュートリアルを始めた。


 チュートリアルが終わった俺たちはさっそくマッチに潜ったのだが、本当に昨日まで俺がやっていたゲームと同じなのか疑ってしまった。

 と言うより神室先輩の実力に脱帽した。

 昨日先輩のプレイを少し見ていたから知ったつもりになっていたのだが、こうして仲間で一緒にやると物凄い頼りになる人だった。

「二人とも物資ある?ほしいのあったら言ってね」

「こっち2人倒したからあと二人、二人なら勝てるよ!」

「こっちに行けば敵を挟み撃ちできるから」

 恐らくはたから見ればとても初心者二人を連れているとは思えないだろう。そう感じ取ってしまい味方でよかったと安堵していた。

 しかしそんな先輩の力があったとしてもチャンピオンを取ることはけして容易なものではなかった。

「すみませんまた私が負けちゃって」

「美月さんは今日始めたばかりだから仕方がないよ、ね元気だそ」

 コントローラーを太ももに置きうなだれる美月を神室先輩が何度もなだめていた。

 最終局面での度重なる俺と美月のミス。

 俺ですらきついと感じ少しメンタルに来るほどだ、今日始めたばかりで責任感の強い美月がこうなるのも当たり前か。

 昨日何度も励ましてくれた先輩だったが、勝たせてあげられないという気持ちからかこれ以上どうしようかと悩んでいた。

「ねえ海翔君」

 そして不意に先輩は俺の近くにより耳元で話しかけてきた。

 先輩の息を耳元で感じとってしまった俺は反射的に耳を手で覆いながら先輩の方を見る。

 そこにはどうすればいいかと顔に書いてるほど困った顔が目の前にあった。

 先輩って距離感どうなってるんだ、危うく心臓が口から出るところだったぞ。

「美月さんどうすればいいのかな」

「ああ、それなら任せてください」

 とりあえず今は目の前にある先輩の顔から離れよう、でないとどうにかなってしまう。

 椅子を引いてから美月の方を見る、そんな俺を心配そうな顔で見つめる先輩だったが、次に俺の口から出た言葉によってその顔が驚きへと変わった。

「美月、もう終わるのか」

 挑発するようにそう発言した。

「ちょっと海翔君、そんな言い方駄目でしょう!」

 俺の言い方がまずいと思った先輩が昨日みたいに俺を叱ろうとしてきた。

「大丈夫ですよこれくらいは」

 少しだけ先輩のお叱りを考えてしまったがそんな煩悩は直ぐに捨て去り、これが美月の正しい対処法だと教える。

「美月は昔から負けず嫌いなんですよ、だからこう言ってやれば」

「……終わらない」

 ほらこんな風にかかってくれる。

「なんだって?」

「終わらないって言ったの!絶対チャンピオン取る!」

 そういっておいていたコントローラーを力強く手に取り、先ほどまでの落ち込んでいた美月は何処へやらと言った感じになった。

「こういうやつなんですよ、美月って」

 まるで自慢するように先輩に立ち直ったところを見せた。

「なんか、すごいね」

「俺もそう思います」

「ほら海翔も神室先輩も早く次に行きましょう!」

 調子を取り戻した美月の姿に先輩と顔を見合わせて笑い、三人で今度こそチャンピオンを取ると意気込み再び戦場へと赴く。

 そんな俺たちがチャンピオンを取ることができたときにはもう外は暗くなり下校時間となっていた。

 

「ああ楽しかった」

 美月との帰り道、横で大きく体を伸ばしながらそんな言葉を零した。

「楽しんでもらえたのなら何よりだよ」

「うん、ゲームなんて久しぶりだったし敵も強くて操作も大変だったけど、何より面白かった」

「そうか、まあ美月は感覚掴むの早いからな、直ぐになれると思ってたよ」

「それ海翔が言うんだね」

 街頭や家の光に照らされながら美月と二人で歩く部活帰り、もうできないと勝手に思っていたな。

 まあそれも今日限りだと思うとちょっとあれだけど」。

 美月はゲーム部には入らない、部室を離れる前に先輩に入るか聞かれた美月は答えを保留した。きっと入るつもりはないのだろうな。

「なあ美月、神室先輩の知ってること教えてくれないか」

「どうしたの急に」

「元吹奏楽をやってと聞いた時から実は気になっていてな、これからお世話になる部活の先輩の事を少しでも知っておこうと思って」

「ふーん、うんいいよ知ってることは少ないけどね」

 美月は自分の中で感じた遠くから見ていた神室先輩の事を話してくれた。

「本当に話したことは無くてね、神室先輩の出す音だけしか聞いたことなかったの」

 聞くところによると先輩は美月と同じサックスをやっていたらしく、たまたま会場で聞いたソロが最初で最後だったと言う。

「あの人の音を聞いたときね、全身があったかく包まれる感覚があったの、それでいてどこまでも広く大きく感じたの」

 美月の話すその印象は俺が初めて神室先輩と会った時と同じ感覚だった。

「何よりも、誰よりも雄弁に語るその音を聞いたときから私は神室先輩を憧れるようになったの。いつか私もそんな音を出したくて」

「それで出せるようになったか」

「それを聞くなんて意地悪だなぁ」

 遠くを見るように笑う美月が俺の質問の答えだと言っているような気がした。

「私はずっと出したい音があるのに、それはいつも私じゃない人が持ってる」

「先輩の音以外にあるのか」

「あるよ、ずっと昔からね」

 たまに見せる美月の真剣な表情、昔から見せるその表情はいつもどこを見ているのか。俺はその答えをいまだに知らない。

 知ろうとしていない。

「そういえばなんで最初で最後だったんだ?」

 美月なら俺を引っ張って連れていきそうだが。

「それはね、聞いたのが神室先輩が三年の時で最後のコンクールだったから」

「……地区落ちだったのか」

「うん、地区落ちして当たり前な演奏だった」

「そんな言い方、美月にしては珍しいな」

 俺の言葉を聞いた美月が立ち止まり、夜空を見上げその時の演奏を思い返すように目を瞑った。

「あれは、ソロ、だったよ」

 寂しそうに語り、胸に手を当てる。何かに祈るようにしているその姿に俺はそれ以上何も聞けなかった。

「それじゃあ明日ね」

「近くまで送るぞ」

「全然いいよ」

 分かれ道で俺の提案を断り離れる美月。少し歩いたところで立ち止まったので俺は首を傾けた。

「ねえ、海翔はなんでゲーム部に入ろうとしたの」

 こちらを向かないまま背中で話を始める美月。

 その質問は朝に聞かれた内容と同じものだった。

「……話す必要が、あるか」

 はぐらかすつもりはない、美月にはこの言葉で充分伝わると思ったからこの言葉にした。

「……そっか」

 ただその一言だけを返し美月は再び歩き始める。

 そんな背中に、今度は俺から質問投げる。

「ゲーム部に入らないのか」

「今日一日考えるよ」

 手を振りこちらへ振り返ることなく別れを済ませて遠ざかっていった。

 その背中を最後まで見ることなく俺も家路につくため再び歩き出した。

「どうせ答え何て決まってるくせに」

 翌日、分かれ道まで歩いたところで美月が待っており入部届を突きつけられる。

 そこに書かれていた文字には、吹奏楽ではなくゲーム部と書かれていた。

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Ardito Step 斉藤 火花 @chikuwa_nerimono

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