7.希望
暖かな光と共に、白梅の中に新たな記憶が浮かび上がってきた。
***
その晩、白梅は早少女村を離れ、近くの大きな村を当てもなく歩いていた。
心は空っぽの抜け殻になり、なぜ今自分が生き延びて、彷徨い歩いているのかも分からなかった。
「早少女村が、どうやら黒龍に襲われたらしい」
「そうなのか?」
「奴が村にいるのを見た人がいるって噂だ」
「それじゃあ、そろそろこの村にも来ている頃なんじゃないか?」
「しかも、もうすぐ成体になるかもしれないって噂だ」
「早く仕留めないと、大変なことになるぞ」
頭痛と眩暈がしながら、白梅はあまり深く考えずにその噂話を聞き流していた。
(…………)
白梅は、大好きだった早少女村なくしては、この先どうしたらよいのか全く分からなかった。
悲しい、悔しい、疲れた、辛い、眠い、お腹が空いた、寒い、悲しい……
大きな村を出てすぐの場所で、白梅は足に力が入らなくなり、そのまま身体を地面に横たえた。
目の前に、見るからに毒々しい色をした草が生えているのが見える。
白梅は、自分の命も何もかもを投げ出したくなり、泣きながらそれを食んだ。
その草は、酷く苦かったが、弱々しい力で咀嚼して、なんとか飲み込んだ。
白梅は、自分の身体の中から徐々に、妖力が枯渇していくのを感じた。
そして、身体がどんどん小さくなっていき、どうやら獣化をしていると気付いた。
妖獣は、妖力を利用することで、種族の元となる獣の体になることができる。
その変化のことは、獣化と呼ばれている。
獣化すると、通常よりも強い力を操ることができるが、獣化が始まり完了するまでの時間は、隙が生まれ無防備になる。
そして、獣化が完了して獣体になったとしても、その体を維持するだけで妖力を大量に消耗する。
白梅は全てがどうでもよくなっていたので、獣化で妖力を消耗することも構わず、小さな猫の姿で丸くなり、そのまま動かずにいた。
その夜はとても冷えて、全身の血液が凍えそうだった。
このまま、数刻ここにいるだけで、自分は死ぬのだと直感した。
***
しばらく経つと、背後に何者かの気配を感じた。
その者は、白梅に近付き、背中に手を当てて、息があることを確かめた後に、こう呟いた。
「この草は、体内に取り込むとすぐに獣化が始まり、しばらくは元に戻れなくなる」
その声は、少し掠れた中性的な声だった。
白梅が僅かに顔を上げると、目元に薄手の布を巻き、頭を厚手の布で覆った人物が、白梅を見下ろしていた。
黒い衣を纏ったその者は、容姿のほとんどが隠されており、すらりと背が高かったので、白梅は
(怪しい男性だな)
と、ぼんやりと思った。
男は、白梅の体を抱き上げて、両腕の中に収めると、そのまま歩き出した。
「あなたは死にたいようだ」
男は抑揚のない声で、静かに呟いた。
「私には、分かる」
白梅は何も言わなかったが、どうしてこの男に分かるのだろう、と思った。
男は、木の影に腰を下ろし、白梅を自身の膝に乗せた。
「死にたいのならば止めはしない」
男の暖かな手が、白梅の背中に触れた。
その手は少し躊躇いがちに、背中を撫でて、小さな体を温めようとした。
「でも、恐らくあなたは、あなたひとりの力だけで生まれて、今日まで生きてきた訳ではないはず」
男の手つきが、徐々に穏やかな優しいものへと変わっていった。
「後悔しないように、よく考えて」
その手は、白梅の頭をゆっくりと撫でた。
白梅は、ただ淡々と告げるその声を聞きながら、雪が溶けるように思考が巡りはじめるのを感じた。
そうだ、自分はまだ生きている。
自分だけが生き残ってしまった。
その事実は、どんなに後悔して悲しんでも変わらない。
唯一生き残った者として、自分はこのまま本当に命を絶ってしまっていいのだろうか。
白梅はふと、村の皆は、まだ誰にも弔われずに待っているのだろうかと、気掛かりになった。
自分はまだ、皆に育ててもらった御礼を言えていない。
きっと村で白梅のことを待っているはずだ。
自分が弔わなければ、一体誰が弔ってくれるのか。
今まで自分を拾って育ててくれた村長の記憶は、誰が覚えていてくれるのだろうか。
紗代や皆のことを、白梅以外に誰が思い出してくれるのだろうか。
優しかった村人達を、世界が時と共に忘れていってしまうかもしれないことに、白梅は耐えられそうになかった。
それに、いまここで無駄死にをしてしまったら。
今朝、村で食べた畑の野菜や、鳥のピーちゃん、そして今まで自分に命を与えてくれた存在達にも、顔向けができないと思った。
『白梅』
先ほどから、自分にだけ語りかけているこの声は、自分を守ってくれる存在のような気がした。
白梅は、自分にはまだやることがあって、自分はまだひとりではないのかもしれないと思い至った。
そう思えると、ひどく安心して、微睡の中で意識を手放した。
(みんなが……村で待ってる……)
ここ数日間は、凍えるほど寒かったのに、今夜は珍しく、それほど寒くない気がした。
***
朝起きると、男は既に立ち去っていた。
白梅の体には厚手の布がかけられており、隣には木の実と水の入った木椀が置かれていた。
白梅は、自分を助け、声をかけてくれたあのひとに、いつか恩返しをしたいと思った。
一つ目的が見つかると、生きる勇気が湧いてきたような気がした。
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