5.朔夜



(記憶が戻った……のかな……)


 白梅は、自分のことを少し思い出していた。

 早少女村の人達に育てられ、そして早少女村がなくなってしまったことも思い出した。


 しかし、その後に起きたことは未だ思い出せず、なぜ今は意識だけの状態になっているのか分からなかった。


 白梅は気分が落ち込んでしまった。

 何もしたくなくなり、その場で脱力して、思考することをやめた。


 すると、自分の意識が、どこかとある場所へ行こうと、駆られていることに気付いた。

 あまりにも微細で気づかなかったが、この感覚は確か、目覚めてからずっとあったものだ。


(この感覚を辿ったら、私の体がある場所まで行けるのかも)


 白梅は、そう直感した。



***


 白梅は茫然と感覚を辿り、とある岩山の洞窟の入り口に辿り着いた。

 自分の身体がすぐ近くにあることを感じる。


(どうしてこんなところに……)



 洞窟の中に入ると、さらにいくつかの分かれ道があり、中は非常に入り組んでいた。


 そして、洞窟を歩いている最中に、地面に焚き火の跡や、布が置いてあるのを見かけた。


(ここには誰かが住んでいるのかも……)



 進むたびに強くなる感覚を辿りながら、随分奥まで来たところで、透き通った透明感のある、黒曜石のような角柱状の大きな物体が現れた。


 その角柱の石の中をよく見ると、なんとそこには、白梅の身体が入っていた。


 ふわふわとした白銀色の髪の毛と大きな猫耳、閉じられた瞼からは長いまつ毛が生えている。

 そして白い衣を纏った身体は、白梅の記憶にある自分の姿に近く、劣化等は見当たらない。


 一つ、記憶と違った点は、その首に、見知らぬ玉の首飾りをつけていることだった。

 虹色に輝く玉が胸元で輝いていた。


(綺麗な首飾り……記憶を取り戻せば、これも思い出せるのかな)


 角柱の石からは、他者の妖力を感じとれたので、誰かがこの中に自分を保管したのかもしれないと思った。


 白梅は、意識を角柱の中の身体に潜りこませた。


(あれ、体が動かない……)


 身体に入ることはできたが、自由に動かすことはおろか、全く言うことをきかず、ほんの少しだけ薄目を開けられただけだった。


 仕方がないので、身体が馴染むまでの間、周囲を観察することにした。



***


 しばらくして、ひとりの人影が現れた。


 その者は、女性と見紛うほどの繊細なかんばせであったが、背格好は男性のそれである。

 背丈はすらりと高く、衣の上からでも悪くない体格であることが、見てとれた。


 肌は抜けるように白く、その容貌は、凛として洗練された美しさの中に、ほんのりと色気が足されたような、絶世の美青年だった。 


(綺麗……)


 白梅は思わず、男をまじまじと観察しはじめた。


 その身は、質素ではあるが光沢のある生地で作られた、白い衣を纏っている。

 衣の左腕の上腕部には、イヌ族の紋章があり、左手には蕾の混ざった咲きかけの梅の花の枝があった。


(あ、あの紋章……)


 白梅は、自分の左腕にも同じイヌ族の紋章があることを思い出した。


 男の見た目は、イヌ族の特徴であるふわふわの尻尾は無く、人間にとても近い容姿だった。

 そのため、彼の衣は恐らく、血縁ではない近しい誰か……例えば友人や伴侶などの衣を着ているのだろうと推測した。


 男は、白梅の入った角柱の前で立ち止まり、左手に持っていた花の枝を、土が入った窪みに丁寧に生けた。

 花を生け終わると、一歩後ろに下がり、虹色の瞳でぼんやりと角柱を見つめた。


 しばらく経った後、男は意を決したようにゆっくりと片膝をついた。

 そして、その場に跪いて、静かに首を垂れた。


 深く首を垂れるその姿は、祈りを捧げているかのようだった。


(この人は誰なの……)


 白梅は、この状況に全く心当たりがなく、頭がついていけなくなり、目を閉じて男が去るのを待った。


 しばらくして男が去ったので、白梅は周囲の観察を再開したが、段々と退屈になっていた。



***


 数刻後、また同じ男がやってきて、白梅の前で跪き、深く首を垂れた。


 白梅には、今が何時なのかが分からなかったが、男の様子から恐らく日付が変わったのだと思った。


 白梅は、昨日よりほんの少しだけ大きく、薄目を開けることができるようになっていた。


(このひとは、多分悪いひとではなさそう……)


 ただただ跪いて去るだけの男を観察しながら、白梅はそう結論付けた。



***


 さらに数刻後も、同様に男が現れた。


 しかしその日は、彼の様子が今までとは異なり、顔に僅かな失望のような色を浮かべて跪いた。


 そして、白梅の体感として半日以上もその場から身動きせず、飲食物等も一切取らずに、ひたすら深く跪いたままだった。


(一体、どうしてそんなに……?)


 白梅は、無性にこの男に話しかけてみたくなったが、やはり身体が動かず、昨日よりも少しだけ目を大きく開けるので精一杯だった。


 その時、長いあいだ同じ姿勢で跪いていた男が、静かに顔をあげて、焦点の定まらない瞳で角柱をぼんやりと見上げた。


 白梅は、この機会を逃すものかと、渾身の力で一生懸命に目を開いてみた。


(どうか気付いて……!)


 白梅の努力は虚しく、実際にはあまり開いていなかったが、彼は僅かな変化を見逃さなかったようで、ニ回ほど瞬きをした。


 男は立ち上がって角柱に近寄り、何かを確かめるように白梅の瞳を覗き込んだ。


 白梅の頭の位置は、男よりもはるかに高い位置にあるため距離があったが、金と虹は、しっかりと視線を交わした。


 男は角柱に添えていた左手に力を込めると、その瞬間、先ほどまで硬かった黒曜石が、まるで柔らかい膜に変化したようにいとも簡単に弾けて消えた。


 中にいた白梅は、突然石の支えを失い、悲鳴を上げる間もなく重力に従って落下する。


(お、落ちてる……!)


 白梅は、地面に当たる衝撃に備えて目を閉じ、反射的に身を硬くした。


 しかし、想像していた衝撃は訪れず、代わりに、ふわりと腕の中に受け止められる感触があった。

 白梅が恐る恐る顔を上げると、その身体を抱き止めている男と目が合う。


 ふいに、繊細な花が混ざったような涼やかな香りが、白梅の鼻腔をくすぐった。


(この香り……どこかで嗅いだことがある気が……)


 白梅を見つめる彼の表情は無表情に近かったが、先ほどまでの失望の影は消え、穏やかさが混ざっていた。


 ふたりは見つめ合う。


 白梅は、自分の鼓動が相手に聞こえてしまいそうで、恥ずかしくなった。

 

「あ、あなたは誰?」


 白梅が、鈴を転がすような小さい声で尋ねると、男は何かに耐えるように目を閉じて静かに息を吐き、白梅を降ろしながら答えた。


「私の名は、朔夜という」


 その声は、低く深く、艶のある声だった。


 白梅の記憶にその名前は無かったが、なぜか分からないが馴染みがあった。


 白梅が考え込むと、その様子を見て朔夜は言った。


「やはり、記憶が欠けている」

「私のことを知っているの?」


 朔夜は頷いた。


 恐らくこの朔夜という男は、もともと白梅の知り合いで、今は思い出せていないだけなのだろう。


「どうしたらあなたのことを思い出せるの?」

「分からない」


 朔夜がそう答えると、白梅は少し残念に思った。

 しかし、朔夜が言葉を続ける。


「心当たりなら、ある」

「教えて……!」


 白梅は、彼の言葉を聞いて顔を輝かせ、すぐさまお願いした。



 数刻後、ふたりは洞窟を後にした。


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