4.奇跡と悲劇



 時は戻って、白梅が14歳になった頃。


「白梅、早く行こう!」

「紗代、ちょっと待って……!」


 白梅は、歳の近い紗代と仲が良かった。

 村人の中で、白梅と紗代のふたりだけが、齢10代の女の子だった。


 紗代の性格は、活発で元気がよく、恥ずかしがり屋の白梅の手助けをしてくれることも多かった。

 ふたりはいつも一緒に遊んでいた。



***


「梅の花がもう咲いたらしい」


 その年は、珍しく速い時期に梅の花が咲いたという噂が流れていた。


「梅の花……」

「私達、見たことないね」


 白梅と紗代は、今まで梅の花を見たことがないことに思い至った。

 ふたりはあまり村から遠くへ離れたことがなく、梅の花は近所に咲いていなかったためだ。


 白梅と紗代のふたりは、梅の花を見に行くことに決めた。

 毎年梅の花が咲くと、各地から大勢の人間が来て、花の周辺が混んでしまうと聞いていたので、混む前に行くことにした。

 しかしその花は、早少女村から行く場合、少し危険な場所を通る必要があるため、注意深く進むことにした。



 晴天の下、きらきらと輝く川辺に、梅の花は咲いていた。

 白梅と紗代は、初めて見るその花の美しさに心を奪われた。


(綺麗……!)


 少し恥じらうように咲き綻び始めた花達を見て、白梅はなぜか親近感のようなものが沸いていた。

 鮮やかな色と香りに包まれたその場所は、まるで夢の中にいるような光景だった。



 だが、帰り道で事件が起こった。


「きゃあ!」


 下に続く崖に近い場所を通った瞬間、白梅の前を歩いていた紗代が悲鳴を上げた。

 そして、紗代の体が傾くと、近くの崖に向かって滑り落ちかけた。


 季節は冬の終わりの頃であり、森の中の岩や木は、まだ凍っている場所がいくつもあった。


 ふたりは十分に注意しながら歩いていたが、紗代が足を置いた葉の下には凍った岩があり、足を滑らせて運悪く崖から落ちかけたのだ。


「紗代……!」


 紗代が崖から落下するぎりぎりのところで、白梅が咄嗟に気付いて、手を差し伸べる。

 そしてなんとか手を繋ぎ止めたが、手が離れて落ちた場合、命に関わる高さだった。


「しっかり握って!」


 ふたりは必死に手を繋いでいたが、人ひとりの重さを支えるには、白梅の腕は細すぎた。


 その白い腕の付け根と指先は、既に痛みを感じていた。

 しかし、崖下の深い闇を目前にして、絶対にこの手を離すわけにはいかない。


 白梅は、紗代をなんとか持ち上げようと、顔を真っ赤にして全身に力を入れていた。

 白梅の汗と涙が紗代の顔に当たった。


「白梅、私はもういいから、手を離して……」

「絶対に、離さない……!」


 紗代の手が、汗で少しずつ、ずれ落ちていくのを感じた。

 紗代の体が重みで一段下がった瞬間に、白梅は血の気がひいた。

 そして、慌てて強く祈った。


(神様、どうか紗代を助けて……!)


 その瞬間、ふたりの体が光に包まれ、紗代の体がふわりと持ち上がると、白梅の横に着地した。


 白梅の頭の中に、優しくどこか懐かしい女性の声が鳴り響いた。


『それがあなたの願いね。あと残りは七回よ』


 ふたりは驚いて、その場で立ちすくみ、息を整えていた。

 紗代は唖然と白梅の方を見ており、白梅もぱちくりとその金色の瞳を瞬かせた。



 しかし、この状況下で、さらに危機は迫っていた。


 ふいに、ふたりは周囲から低い唸り声のような音が聞こえることに気が付いた。


(野生の獣……!?)


 なんと、白梅たちが落ちかけている隙を襲おうと、三匹の肉食猛獣達が狙っていたのだ。

 猛獣は、鋭い牙と爪を持ち、赤い瞳でふたりに狙いを定めている。


 そして、白梅と目が合うなりすぐに飛びかかってきた。


 丸腰の白梅達は、一瞬その場に立ちすくんだ。

 さらに、紗代は荒い息をついており、先ほどの恐怖から立ち直りきれておらず、震えている。


(紗代だけでも、ここから逃がさないと……!)


「紗代、私が引きつけるから、すぐにこの場から逃げて」

「白梅……!」

 

 白梅は、紗代を守るために前に立ち、猛獣達を見据えて、左足を後ろに下げ、助走をつけた。

 そして息を吸って、強く祈りながら駆け出した。


(どうか私に、この場を切り開く力をください……!)


 白梅が祈ったその瞬間、体が光に包まれ、妖力が漲る感覚があった。

 そして、白梅の前にいた猛獣達は、強い突風を受けたように四方に飛んでいってしまった。


 猛獣達がいなくなると、先ほどまでの不穏な様子は跡形もなく、周囲は静寂に包まれた。


(本当に、助けてくれた……!)


『仕方のない子ね。あと残りは六回よ』


 そう聞こえた声に、白梅は深く感謝した。

 しかし、その声が数える回数は、先ほど聞いた時から、一つ減っていることに気づいた。


 この声は、どうやら本当に自分が困った時に助けてくれるようで、その回数は有限のようだ。


「白梅、ありがとう……!」

「早く村に戻ろう」


 白梅達は、十分に気をつけながら、その場から急いで村に帰った。



***

 

 その翌朝は、村の様子がいつもと異なっていた。


 原因不明の高熱や体調不良を訴える人が絶えず、村全体が珍しく混乱していた。


 村長の家にはひっきりなしに村人がやってきて、白梅は看病をしたり、薬を作った。


(どうして、今日はこんなに沢山の人が……?)


 このような事態は普通ではないので、誰もが原因を究明したがったが、まずは病人の看病を優先した。


 しかし、あまりにも多くの人が一度に同じ症状で村長の家へやってきたため、夕方には薬草が足りなくなってしまった。

 白梅は急いで補充するために、村から少し離れた場所へ薬草を摘みに行った。


 足りなくなった薬草を見分けられるのは、村人の中では、村長と白梅のふたりだけだった。

 その上、看病の人手が足りなかったため、薬草摘みには白梅がひとりで向かった。


(早く摘んで戻らないと……)


 既に夜に差し掛かった時間だった。

 白梅は、薬草が生えている場所を探すと、急いでなるべく沢山の草を摘んだ。

 そして、走りながら村に戻ろうとした。



 しかし帰り道で、村が見える場所に差し掛かると、何か様子がおかしいと感じる。


(……?)


 もう夜に近い頃合いだというのに、村には明かりが一切灯っていなかったのだ。

 村は、異様な静寂に包まれていた。



 白梅が急いで村の中に入ると、そこには目を疑うような凄惨な光景が広がっていた。


(一体、どうして……)


 数人の村人たちが、矢や槍のようなものに深々と刺され、血を流しながら地面に倒れている。

 そして、地面には沢山の足跡があり、家や建物が崩れていた。


 村中が血の臭いで満ちていた。


 白梅の目からは涙が溢れた。

 呼吸が乱れ、腹の底から何かが溢れ出しそうな感覚があったが、叫ぶことさえできなかった。


 白梅は、目の前の光景が信じられず、呆然と村長のもとへ急いだ。



 家に戻ると、先ほどまで白梅が看病していた人達が、何者かに深く刺されて、無惨にも死を遂げていた。

 その中には、よく見覚えのある、小さな女の子の体も蹲っている。

 苦痛を浮かべたその顔と体は、どんなに目を凝らしても、ぴくりとも動かなかった。


(紗代、みんな……!)


 白梅は、鮮血が散ったその場に力なく倒れ込んだ。

 涙が止まらず、頭と視界は天地がひっくり返ったような混乱を起こし、その場で吐きそうだった。



「しら、め……」


 その声を聞いて、白梅は弾かれたように体を起こし、家中を探してまわった。

 呼吸が苦しい。眩暈がする。


 村長は家の奥で、腹を深く刺されて倒れていた。

 かろうじて息をしている様子で、その目には、今にも絶えそうな光が宿っている。


「みんな……ころされた……」


 その声を聞くと、白梅は膝から崩れそうになり、這いつくばって村長に近づいた。

 そして、村長の体を慌てて抱え、上半身を膝に乗せながら抱き締めた。

 涙で前が見えなかった。


 村長は、白梅をゆっくりと見上げ、力のない声で「逃げろ」と呟いた。

 そして、白梅の腕の中で最後の息を吐き、事切れた。


 腕の中の体が、徐々に重くなり冷たくなっていくのを、朦朧とした頭が認識した瞬間、全身の血の気が引いていった。


(一体、どうしてこんなことに……)


 白梅は、村長の体をゆっくりと地面に下ろした。


 それからの記憶はあまりなかった。


 途中に何人かの人間に襲われた気がするが、何かに突き動かされるようにがむしゃらに走ったことと、前が見えず、体が動かず、息が苦しかったことしか分からなかった。


 白梅の頭の中に、悲しげな声が静かに響いた。

 

『あと五回……』


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