6.善は巡る
駄目だ。
僕の頭の中で警鐘が鳴る。
「いいか、アタシはオマエが好きだ。オマエが嬉しいのはアタシも嬉しいが、オマエが死ぬのは、オマエが嬉しくてもアタシは嬉しくない。だいたい、オマエ、死ぬのは別に嬉しくないだろう?」
違う。
嬉しい、嬉しいんだ。
だって人のために死ねるのだから。
嬉しくなくてはいけない。
そうでなくては、おかしい。
「アタシはわかっているぞ。カミサマが悪さをして、オマエや人間たちを騙しているのだ。アタシはこれまでで17回も騙されたからな、もう騙されないぞ!」
そんなつもりじゃなかった。
サリアに仕事をすることを教えたのは、彼女が人間の社会でも生きて行けるようにと思ったからで。
得た知恵や経験は、彼女自身を守るために使ってくれさえすれば良かったのに。
「なあ、好きだぞエイネ。オマエはみんなが嬉しいと幸せだと言ったが、その中にアタシは入っているか? オマエはアタシが好きか?」
サリアが僕を見ている。
真っ黒な瞳が僕だけに向けられている。
冗談じゃない。
好きだなんて。
人間も獣の簡単に殺せるこの強靭な少女に、好きだなんて言われたら。
僕なんてひと捻りで殺してしまえる彼女が、僕に好意を向けているなんて突き付けられたら。
たまったものではない。
逃げ場なんか無くて、僕は捕まった獲物同然で、心拍数ばかりが上がっていく。
本音を覆っていた幕が、サリアによってお構いなしに引き裂かれる。
「僕は……」
言いたくない、という思考すらも溶けていく。
サリアという怪物の娘を前にして、僕は何を守ることもできない。
もう、駄目だ。
「――っ、僕だって、好きですよ!!」
せっかく、2ヶ月間も隠していた本音なのに。
僕は丸ごと、吐き出してしまった。
頭の中で何かが切れる感じがして、考える前に次の言葉が口をついて飛び出す。
「ひと目見た時から、凄く素敵なひとだと思ってました! 髪の毛は長くて綺麗だし、目も刃物みたいな感じがしてドキドキします! 歯も爪も鋭くて可愛いし、笑う時の口を大きく開けて目を細める仕草も、魅力的で胸が苦しいくらいです!!」
その次の言葉も、そのまた次も。
思っていたことが堰を切って溢れ出した。
「動くたびに揺れる髪がしなやかでカッコよくて、でもちょっとハネてるところがあるのが可愛くて……! 動物を狩る時の身のこなし、特に爪で獲物を仕留める俊敏で無駄の無い動きにいつも見惚れています! 殺されるなら絶対、あなたにされたいです! あと、あと、あなたに抱えられた時とか、僕を持つ腕の力強さにもう、ときめいてたまりませんでした!!」
心と口が繋がってしまったかのごとく、何から何までさらけ出される。
サリアのことが好きだという気持ちを、言葉で明確に肯定してしまったからだろう。
山間の激流もかくやという勢いで、全部の気持ちが流れ出た。
「何より、あなたの……ちょっと荒っぽいけど、優しくて、僕に寄り添ってくれるところが……大好きです」
そこまで言って、ようやく僕の口は閉じる。
同時に、正気と現実が頭の中に帰って来た。
恥ずかしさと、自分の置かれた状況と、苦しさと、これからのことが、一緒くたになる。
途端に饒舌だった口が吐き出す言葉を失い、代わりに目から温かいものが零れ落ちた。
「エイネ。なぜ泣く? どこか痛むか?」
サリアが問う。
僕は「大丈夫」「何でもない」と答えるべきだ。
けれども一度裂かれた幕は、一度氾濫した河は、そう簡単には戻らない。
混濁する頭と震える声で、僕は言った。
「僕、は……本当は、生贄になんてなりなくない……! 逃げたい、死にたくない……。でも……逃げても、きっと捕まってしまう」
村にやって来た聖職者は、僕と他の人たちに「災害を鎮めるための生贄」の存在と、その意義を説明した。
それと共に、かつて逃亡を試みた生贄の話も語って聞かせた。
曰く、30年ほど前に選ばれたその生贄は、神殿に着く前に逃げ出したものの、国中の憲兵を総動員した捜索により発見された。
捕らえられた生贄は、国を害する極悪人として、儀式の際に通常よりも残酷な殺され方を――生きたまま切り刻まれる、といった殺され方をしたのだという。
脅しだったのだろう。
けれども現に、憲兵が僕を探していたし、司祭たちの態度からして、全くの嘘ではないだろう。
「国のために死ぬなんて嫌だ。村の人たちのために死ぬなんて嫌だ。僕は、みんな嫌いなんだ。いつも僕を殴ったり、首を絞めたり、腐った鼠の肉を食べさせたりしてくる人たちなんか……!」
そう。
サリアの前では人畜無害な振りをしておいて、僕の心はとても汚い。
辛いことがあるたび、辛いことを起こす人たちに、嫌なことがありますようにと、いつも願っていた。
小屋の隅で寒さに震えては声も出せずに涙を流し、胃の中のものを吐き出しては心がすり減って行くのを感じた。
ついこの間までのことだから、よく覚えている。
サリアに出会うまで、人を好いものだと思ったことは一度も無かった。
もし、僕がこの国を愛していて、家族や村の人たちを大事に思えていたら。
僕は少なくとも、生贄の役割から逃げはしなかっただろう。
「でも、嫌だけど、国からなんて逃げ切れるはずがない。あなたのことも巻き込めない。大好きだから、巻き込みたくない。あなたには幸せでていてほしいんです。けど僕は、あなたと一緒に居たいと思ってしまっている」
なんてわがまま。
なんて幼稚で、感情的。
これでは村の人や司祭たちを責められやしない。
しかし、どうしようもなく本音だ。
サリアと生きたいのも、サリアを巻き込みたくないのも。
そして……例えサリアの力を借りたとて、死に物狂いで追ってくるであろう司祭たちからは逃げられない。
これが現実だ。
「僕は、僕はどうしたらいいのか、もう……」
涙でぐしゃぐしゃになった視界は、何もかもを曖昧に映す。
昼間なのに、全部が真っ暗に感じられた。
「なんだ、エイネ。簡単なことだぞ」
は、と僕は顔を上げる。
ぼやけた景色の中でも、サリアが笑っているのがわかった。
ギザギザの歯を見せ、口を大きく開けて、彼女は朗らかに言う。
「困っているなら、アタシに『助けて』と言えば良いのだ!」
自信満々に語るサリアは、僕の頬を両手で包み込んだ。
彼女の手が僕の涙で濡れる。
彼女の爪が僕の肌に擦れる。
ふっと、心が軽くなった気がした。
「オマエはそれができるだろう。昔のアタシと違って、言葉を使えるのだからな」
「……!」
明滅するランプの火のごとく、僕の記憶がにわかに蘇る。
そう言えば。
僕は、誰かに話したことがある。
言葉について。
助けについて。
サリアの声と僕の記憶が重なって、徐々に、かつての出来事が鮮明に思い出されていく。
「まさか、サリア……あの時の……?」
あれは確か、僕が10歳くらいの時だった。
まだ明るい時間のことだ。
村の隅で暴力に怯え、縮こまっていた僕は、近くから騒がしい声がするのに気付いた。
そっと覗いて見れば、村の子どもたちが何かを蹴ったり、棒で叩いたりしていた。
「何か」の正体は、硬い甲羅みたいな鱗みたいなものに覆われた生き物。
尖った部分もあり、よく見ると足のようなものもあるそれは、しかしウゴウゴとするだけで子どもたちに反撃はしていなかった。
僕はなんだか嫌な気持ちになって、子どもたちの前に飛び出してやめるように言った。
まあ、結果は単純だ。
彼らの標的は僕に移り、僕は抵抗もできずに叩きのめされた。
それから僕は、謎の生き物を茂みの奥に運んで逃がした。
しかし、以降度々、その生き物は子どもたちに捕まっては理不尽な暴力を受け、僕がまたそれを止めに入り……という一連の流れが生じた。
何回目のことだったか。
僕はなんとなく、生き物に話しかけてみた。
――君が言葉を喋れたらなあ。
――『助けて』って叫んでくれたら、すぐに駆け付けられるのに。
毎度毎度、僕が気付いて止めに行く頃には、謎の生き物は随分とボロボロになっていた。
だから、せめてそうなる前に止められたら、と思ったのだ。
しかしその生き物と会ったのは、それが最後だった。
村の大人が、気味が悪いから河に捨てたのだと言っていた。
それきりだ。
それきりだと、思っていたのだけれど。
「あの、甲羅みたいな……鱗みたいなのがある、白っぽい生き物が……あなただったんですか……?」
常識的に考えれば有り得ない。
でもサリアはジグジギザリアーの娘だ。
摩訶不思議な成長を遂げていても、一応納得はできる。
しかしやはり、信じ難い話でもある。
半信半疑で問いかける僕に、サリアは元気よく頷いた。
「ああ! そうだ! 忘れんぼめ、ようやく思い出したか!」
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