5.天より舞い降りるは

 ひやりと冷たい石の床に、天井の窓から注ぎ込む光が落ちる。


 ここは国の中心部にある神殿、その小さな一室。

 憲兵に自ら進んで捕らわれた僕は、馬車に乗せられこの場所へと連れて来られていた。


「それで? 盗賊に襲われて御者が死んだのを良いことに、逃げ出して姿をくらましていたと?」


 椅子も無く、腕を縛られたまま床に座る僕の正面に立つのは、国一番の大司祭。

 立派な衣を纏った初老の男性だ。


 彼はひややかな目で僕を見降ろしている。

 隣にはもう少し位の低い人が控えていて、こちらは若干ましな視線だ。


「はい」


 僕は躊躇わず答えた。

 サリアのことは、絶対に言わない。


「……贄よ。お前は自分の役割をちゃんと理解しているのか?」


 苛立たしげに深く溜め息を吐き、司祭は続ける。


「もしお前がいなければ、儀式が成立しなければ。この国がどうなるか。わからないわけはないだろう」


「…………」


 僕は返答を拒む。

 もうこれ以上、話すべきことはないし、話したいとも思わない。


 だが司祭はそんな僕の態度が気に入らなかったようで、その上等な靴で僕の腹に蹴りを入れた。


「あぐっ!」


 鈍い痛み。

 受け身をとれず、僕は床に転がった。


「贄だから丁重に扱われると思ったか? 身勝手な真似をしても、戻って来さえすれば許されると!」


 声を荒げて、司祭は2度3度と僕を蹴り続ける。


 申し開きのしようもない。

 何を言ったところで、事態は解決しないし、彼の機嫌も直らないだろう。


 気が済むまで好きにさせるほかないと、僕は大人しく暴力に耐える。


 ふと、サリアだったら無意味に獲物を痛めつけたりしないのにな、という思考が浮かんだ。

 詮無いことだけれども。


「猊下、その辺りで……」


 司祭があまりに遠慮なく暴力を振るうからだろうか、ほどなくして部下がやんわりと制止した。


 第三者からの声で我に返ったのか、司祭はハッとして動きを止める。

 そして足を引っ込めると、何事もなかったかのように姿勢を正した。


「『準備』を始めろ。急ぎでな」


「はっ」


 僕を置いて、司祭と部下は部屋から出て行く。

 代わりに鎧を着た兵士が3人入って来て、扉の前を陣取った。


 ガチャ、と扉の鍵がかけられる音がする。

 それきり、部屋は静まり返った。


 兵士たちの顔は被り物で隠れている。

 彼らは僕のことを、どんな目で見ているのだろう。


 すっかり手持ち無沙汰になった僕は、ずきずきと痛む体を壁に預け、窓を見上げた。


 あの日――サリアと出会った日のことを思い出す。


 朝早くのことだった。

 村に豪華な馬車が来て、綺麗な服を着た聖職者が僕を呼んだ。

 今度の祭りの生贄に選ばれたのだと。


 名誉なことだ、おめでとう、と彼は言っていた。

 彼について来ていた人たちが僕の腕に印を焼き入れ、やはり同じように、おめでとうと言った。


 彼らは帰り、2日後の夕方頃に迎えの馬車がやって来た。


 どうやら元々手配していた馬車とその御者が山で殺されていたらしく、急いで代わりを寄越したのだという。

 僕を乗せた馬車は件の現場を避け、本来とはやや異なるルートで神殿へと向かった。


 だが結局、御者は殺され、僕は逃げ出した。


 あの時の光景が脳裏に浮かび、口元が緩む。


 あれほど気持ちが高揚したことは無かった。

 そして今後も、もう無いのだろう。


「サリア……」


 俯き、兵士たちには聞こえないくらいの声で、僕は呟く。


 と、その時。


「こんなところにいたのか、エイネ」


 声が聞こえた。

 はっきりと。


 僕は反射的に上を見る。


 同時に、ガシャン! とけたたましい音が鳴り響いた。

 ガラスの……窓の割れる音だ。


 兵士たちは一斉に剣を抜く。


 砕け散ったガラスの破片と共に、誰かが部屋に舞い降りて来る。


 それは他でもない、白い服をひらめかせた、サリアだった。


 ――開いた口が塞がらない。

 彼女は、彼女はいったい、どこまで。


 呆気にとられる僕の目の前に、サリアは軽やかに着地し、僕に振り向く。

 逆光が照らすその姿は、まるで天使のようだった。


「エイネ! 待ちきれなくて来たぞ!」


 サリアはしゃがみ込み、僕と視線を合わせる。

 その後ろでは兵士たちが剣先を彼女に向け、威嚇していた。


「貴様、何者だ!」


「ちょっと黙っていろ。アタシがエイネと喋るからな」


 声高に問う兵士を、サリアは一蹴する。


「全く、エイネ。仕方のない奴め。さては迷子だろう。わかるぞ。さ、アタシがちゃんと連れて帰ってやるからな」


 そう言って立ち上がり、僕に手を差し伸べる彼女。


 けれども僕は、それに応えることができなかった。

 動かしかけた手を固く握り、ふい、とサリアから目を逸らす。


 逃避はもう終わったのだ。

 それに、彼女との関わりも。


「エイネ? なぜ立たない? 具合が悪いか?」


 反応を拒む僕に、サリアは怪訝な顔をする。


 まだ間に合う。

 彼女には帰ってもらわなくてはならない。


 駄目押しに言葉でも拒絶を――と僕が口を開きかけた瞬間、サリアはくるりと回れ右をした。


 兵士たちがびくりと肩を撥ねさせる。

 ぴり、と空気に緊張が走った。


「……わかったぞ」


 地を這うような声。


 表情は見えなかったが、近付く者を射殺さんばかりの怒りが彼女からほとばしっている。


「オマエらは悪い奴だ。エイネに悪いことをしたのだ」


「ひっ……」


 ドス黒い気迫に、兵士たちが小さく悲鳴を上げた。


 マズい。

 このままではサリアが、彼らを殺してしまう。


 直感的にそう思い、僕は咄嗟に彼女の手を掴んだ。


「待ってください、サリア!」


 すると、サリアはぴくりと身じろぎをして、僕の方を見る。

 彼女の目に、僕が映った。


 そのまま数秒ほど僕を見つめた彼女は、また兵士たちの方を向く。

 怒気はいくらか収まっていた。


「本当なら殺すところだが、殺さないでいてやるぞ。エイネに感謝しろ」


 最悪の事態は回避できたようだ。


 僕は胸を撫で下ろす。

 が、直後、ぐいと引っ張られる感覚と、束の間の浮遊感が僕に到来した。


 反転する視界。

 「あ」と察してまばたきひとつ、僕を抱えたサリアは器用に壁を駆け上る。


「ま、待て!!」


 叫ぶ兵士の声も虚しく、彼女は先ほど割った天井の窓から、軽々と外へ飛び出した。


 爽やかな風が僕の頬を撫でる。


 サリアは町の家々の屋根を足場に、ぐんぐん進んで行く。

 やがて町を出、道を渡り、林の中へと飛び込んだ。


 さわさわと葉を揺らす木々の間で、彼女は僕を地面に下ろす。


「さあエイネ、もう大丈夫だ。楽しい散歩の続きといこう」


 ニコ、とサリアは僕に笑いかけた。


 しかし僕は何も言わず、踵を返す。


「エイネ?」


「ごめんなさい。僕は、あっちに戻ります」


「なぜだ」


 彼女の顔を見たくない。

 僕は背を向けたまま、言葉を絞り出す。


「サリア。サリアは、お祭り、楽しみですか?」


「ああ」


「だったら、お祭りはちゃんと開催された方が良いですよね」


「そうだな」


「なら、僕は行かなくてはなりません」


「?? なぜだ。わからない」


「……僕がお祭りに必要な、生贄だからです」


 サリアの返事が止まる。


 恐らく、生贄という言葉の意味がわからないのだろう。

 僕は続けて話す。


「来週のお祭りは、実はこの国の災害を鎮めるためのものなんです。それには儀式をしなくてはならなくて、儀式には神様に捧げる生贄が要るんです」


「それがオマエか?」


「はい」


 ざざ、と足元の草が揺れる。

 風が少し強くなってきた。


「生贄になるとどうなる。どれくらいで帰って来られる?」


「帰れません。生贄は祭壇で殺されます」


 また、サリアは黙る。

 鳥が何羽か、慌ただしく飛び立っていった。


「……村に迎えが来た時、村の人たちはみんな喜んでいました。光栄なことだって。僕の父さんと母さんも、良かったねって」


 あの時のみんなの顔は、鮮明に思い出せる。

 純粋に、僕を祝い、喜ぶ顔だった。


「これは僕にとっても嬉しいことなんです。生贄の役割を果たせば、みんな助かるし、幸せなんですよ。あなたも、災害で住む場所がめちゃくちゃになるのは嫌でしょう?」


「うん。その通りだ。地面が揺れるのとか、水があふれるのとかは、困るからな。仕方がないことだが」


「儀式が上手くいって、平穏に暮らせるほうが良いですよね?」


「ああ」


「僕が嬉しいと、あなたも嬉しく思ってくれますよね?」


「嬉しいぞ」


「だから、あなたとはここでお別れです」


「なるほどな。嫌だ」


「え」


 刹那、肩を掴まれ、ぐるりと後ろを向かされる。


 サリアの目と、僕の目が合った。

 視線が囚われる。


 ギザギザの歯を見せて、サリアは笑っていた。


「アタシはカミサマとかいうのに、オマエをあげたくない。オマエはアタシの好きな人だ。誰にもあげない!」

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