4.潮時

 それから僕たちは、各地を転々としながら働くという生活を続けた。


 贅沢なんてできるはずもないし、木の根を枕にして寝ることがほとんどだが、食べるにはギリギリ困らない。

 質を問わなければわりといろんな食べ物を買えるし、時々サリアが動物を狩って来てくれるからだ。


 仕事を探して、働いて、食べて、寝て、起きたらまた仕事を探す。


 こんな具合の毎日が過ぎ、気付けばサリアと出会ったあの日から2ヵ月が経とうとしていた。


「エイネ、アタシは気付いたぞ。オマエは生ぬるい」


 早朝、硬い干し肉をかじりながら、サリアは言った。


「アタシたちはこれまでで17回も騙された。フツーに考えて、アタシたちに嘘を吐いた奴らは殺すべきだ。だがオマエはいつもそうしない。しかもアタシを止める」


「まあ……はい。そうですね」


 僕も同様に、干し肉を食べながら答える。


 今日は天気が良く、風も柔らかい。

 爽やかな空の下、僕たちは移動の足を止めて木陰で食事を摂っていた。


「なぜだ? 殺してもいいだろう」


「駄目です! 人殺しはしないと、最初に約束したでしょう?」


「む……。しかし、嘘吐きは駄目だろう。悪いヤツだ。人間は悪いヤツでも殺してはいけないのか」


「確かに、悪い人は罰として殺されることがあります。でもそれをするのは処刑人であって、僕たちみたいな普通の人は、相手が悪い人でも勝手に殺してはいけないんですよ」


「う、む……。わか、った。これもオマエと一緒にいるためだからな。我慢しよう」


 この2ヵ月で、サリアは少し丸くなった。


 嫌なことがあってもすぐには手を出さなくなったし、僕が注意すればすぐに止まってくれる。

 まだ社会の価値観に馴染めないところはあるが、この分なら時間の問題だろう。


 なにせ、彼女は根本的には優しい性格をしている。

 生まれた経緯や育った環境が違うから価値観も違うだけで、「敵」や「獲物」以外には比較的穏やかだ。


 その最たる例が僕……というのは、ちょっと居心地が悪いけれど。


「よし、腹は満ちた。行くぞエイネ」


「はい」


 僕たちは木陰を離れ、平原を貫く道を歩き出す。


 今からだと、昼になる前には次の町に着けるだろう。

 そしたらまた雇ってくれるところを探して、見つからなければもうひとつ先の町へ移動しよう。


 なんて考えながら進んで行くと、向かいから1台の馬車がやって来た。

 馬車は2輪のもので、後ろに中年の女性が2人座っている。


「――楽しみねえ、来週の――」


「そうそう――で――のお祭り――」


 女性たちは友人なのだろうか、親しげに談笑していた。


 お祭り……そっか、そう言えばもうすぐだ。


 僕は暗い気持ちになりながら、すれ違う馬車を横目で見送る。


 が、しかし。


「オマツリとは何だ。楽しいものなのか」


 サリアはおもむろに、女性たちに話しかけた。


 彼女らは一瞬、驚いた顔をしたが、すぐさま御者に「ちょっと止めて」と言い、にこやかな笑顔をサリアに向ける。


「ええ、楽しいものよ」


「あなたは外国から来た子? この国ではね、4年に1度、大きなお祭りがあるの。それが来週にあるのよ」


 良かった、不審がられずに済んだみたいだ。

 見たところ彼女らは裕福そうだし、憲兵でも呼ばれたらどうしよう……と思ったが杞憂だったな。


「何をするんだ?」


 興味津々、といったふうにサリアは重ねて訊く。


 お喋り好きなのか、あるいは自国の文化に関心を持ってもらえて嬉しいのか、女性たちは意気揚々と答えた。


「国中で神様に祈りを捧げるのよ。次の4年も、災い無く栄えある時を過ごせますようにって」


「そもそもお祭りの起源はね、ずっと昔に災害が続いた時があって、それをどうにかしてもらうために当時の人たちが神様にい――」


「もう、子ども相手に長々と語らないの。ごめんなさいね、この人こういう話が大好きで」


「やだあ、いいじゃないの。まあ2人とも、お祭り楽しんでいってね。中心は王都だけど、お祝いはどこの町でもやってるから」


「最近、災害続きだけど当日くらいは何も無いといいわねえ」


 最後にそう言い残し、女性たちは馬車を出発させ去って行った。


「ふむ、いい話を聞いた。エイネ、アタシは決めたぞ。オマエと一緒に、ライシュウのオマツリを楽しむとな。オマエも楽しめ。それがいい」


 サリアは上機嫌だ。

 僕の手を握り、ぶんぶんと振る。


 僕は、まだ遠くに小さく見える馬車を眺めた。


 もう潮時かもしれない。


 最近、町中で憲兵をよく目にするようになった。

 祭りの日も近い。

 ここらが限界だろう。


「……サリア」


「なんだ?」


「今日は仕事を探さずに、散歩をしませんか?」


 それとなく、僕は提案する。

 途端にサリアは目を輝かせ、花のように笑った。


「おお! それはいい考えだ! アタシは散歩が好きだぞ。オマエとならもっとだ」


 無邪気な彼女を見ていると、どうしても胸が締め付けられる。


 ああ、やっぱり、会わなければよかった。


「どこに行く?」


「あそこの、山の中にしましょう」


「わかった!」


 僕たちは町の傍らに鎮座する小高い山へと、進路を変更した。


 山はいくつか連なっており、その中のひとつの裾が町に接している形だ。

 とても丁度良い。


 嬉しそうなサリアの顔をちらちらと窺いつつ、僕は足を動かす。


 あまり頭は働かせたくなかった。

 早く山に着きたいという気持ちと、ずっと着きたくないという気持ちがあって、考えれば考えるほどわけがわからなくなるだからだ。


 やがて僕たちは山のふもとに到着し、山頂に向かって獣道を歩き始めた。

 サリアが半歩先を行き、僕が後をついて行く。


「ふん、ふん。エイネ、ここの地面はちょっとゆるいぞ。次に大雨が降ったらくずれるかもな。気を付けておけ」


 少し眉をひそめて、サリアは周囲を見回した。

 自然の中で生きて来た彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。


 僕は大雨で土砂崩れが起き、町が壊される様子を思い描いてみる。

 嫌な気持ちになった。

 避けられるなら、避けたいことだ。


「…………」


「? どうかしましたか」


 僕はふと、サリアがこちらをじっと見ていることに気付いた。

 何でもないように尋ねてみれば、彼女はさらに僕の顔を覗き込む。


「元気がないな、エイネ。元気の出ることをしてやろう」


「え――うわあっ!?」


 ぐん、と体が引っ張られた。


 まばたきひとつ、周りの景色が急速に流れ出す。


 サリアが僕を抱え、山の中を走っているのだと、遅れてようやく認識した。


「どうだ! 気持ちが良いだろう! 嬉しいか?」


「は、はい……!」


「何よりだ! 良いことだ! ははは!」


 地面を蹴り、跳び上がり、木の枝を掴んで、空中をも機敏に動き回る。


 僕は肝が冷える心地がした。

 尋常でない動きに怖気づいているというのもそうだが、改めてサリアの身体能力を目の当たりにして、果たして自分は上手くやれるのだろうか、という点に関してだ。


 そこはもう、この2ヵ月で僅かでも育ってくれたであろう、彼女の社会性に賭けるしかない。


 心臓がドクドク鳴るのを抑えるように、僕は胸の前で拳を握った。


 サリアは思う存分山中を駆け巡ったのち、少し開けた場所で止まって僕を下ろした。

 気付けば太陽は頭の上を通り過ぎ、下り坂に差し掛かっている。


「そうだ、昼の食事はどうする。せっかくだから、鹿でも獲ってやろうか」


 岩の上に座り、サリアは言った。


 僕はその台詞に思わず、ピクリと肩を跳ねさせる。


 チャンスだ。

 今しかない。


 あくまで自然体を装って、僕は返事をするべく口を開いた。


「いえ、大丈夫です。僕が町で何か買って来ますよ」


「アタシもついて行くぞ」


「サリアはここで待っていてください。見張りをお願いしたいんです」


「む、そうか。じゃあ、ここはアタシに任せろ! 食事を買うのは、オマエに任せる!」


 サリアは僕の言葉を疑いもせず、ニコニコと笑っている。


 そんな彼女の顔を、もう見ていたくなくて、僕は逃げるように山を下りた。


 ようやくだ。

 ようやく、僕はサリアから離れられる。


 足を滑らせかけながらも獣道を行き、山のふもとに出て、急いで町の中に入る。


 町は一見、平常時の一般的なそれと変わらない様子だったが、よくよく見ると憲兵が何人か歩き回っていた。

 それも、ただの見回りではなく、明らかに何かを探しているふうに。


 僕はできるだけ人気の無い場所に移動し、その近くを通りかかった憲兵に話しかけた。


「あの……」


「ん? 悪いが今は――」


 憲兵が振り向くのと同時に、服の裾をまくって右腕を露出させる。


 言いかけていた言葉を止め、憲兵は僕の腕に刻まれた印に目を奪われた。

 次いで懐から何やら紙を取り出し、その紙と僕とを見比べる。


 恐らく紙には、僕の年齢とか髪の色とか、そういう特徴が書いてあるのだろう。

 予想の範囲内の反応に、僕は胸を撫で下ろす。


 やがて憲兵は紙を持つ手を下ろし、信じられない、というふうに声を絞り出した。


「まさか……!」


「はい。そうです。……今まで逃げていてごめんなさい」


 僕は謝る。

 村に居るであろう家族や、僕を馬車で迎えに来た――けれども、サリアに殺された――あの人の顔が思い浮かんだ。


 ちょっとだけ、腹の底が気持ち悪くなる感じがする。


「おい、誰か! 来てくれ!」


 憲兵は慌てふためき、僕の腕を掴んで大声を出した。


「祭礼の贄が見つかったぞ!!」

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