2.怪物の娘

 大きな血溜まりと散乱する死体。

 そんな凄惨な景色の中、少女と僕は向かい合っていた。


「ですから、何かの間違いでは……」


「いや、間違ってない。オマエはエイネだろう」


「確かに僕の名前はエイネですけど、あなたと会ったことは無いです」


「フーン。なるほど。わかったわかった」


「忘れんぼめ」


「違いますって!」


 僕と面識があると主張する少女と、否定する僕。


 先ほどからずっとこの調子である。


 大量殺人の現場でするにしては似つかわしくない会話だが、少女が一向に僕の回答に納得してくれないこともあり、長々と続いていた。


 困ったものだ。

 暴力とか追い返すとかなんてもってのほかだし、そもそも僕、目もまともに合わせられてない。


 でも何とか彼女と別れて、僕が行くべきところに行かないと……。


 にっちもさっちもいかない状況に、僕は頭を抱える。


 と。


「まあいい。アタシは許すぞ。アタシは心が広い。そしてオマエが好きだからな」


 少女の口からとんでもない言葉が飛び出した。


「は……え??」


「好きなものにはカンヨウだ!」


「い、いやいや、ちょっと待ってください!!」


 当たり前のように話を続ける彼女に、僕は待ったをかける。


 それはそうだ。

 誰だって、いきなり好きだなんて言われたら驚くし、困惑するだろう。


 しかもよりによって、他でもないこの少女に、だ。

 冷静でいろという方がおかしい。


「なんで僕が……その……好き? なんですか?」


「理由は大事じゃない。アタシがオマエを好きなのが大事だ。違うか?」


「ええ……?」


 まるで高熱にうなされている時のような心地だ。

 僕はふらりと仰け反る。


「とにかくめでたい! 今日は良い日だ! 待っていろ、オマエにゴチソウを用意してやる」


 少女はくるりと後ろを向き、とことこと歩き出した。

 向かう先は転がっている死体たちの方。


 僕はその意図を察し、急いで彼女の傍に駆け寄る。


「あの、ちょっと! 僕、人間は食べませんよ!?」


「ん? そうか。じゃあやめにしよう」


 意外にも、彼女は素直に足を止めた。


 そのにこにことした純粋な笑顔に、僕は思わずぎくりとする。

 血管が縮むような感じがした。


「あ……というか、その……あなたは何なんですか? どうして、この人たちを……」


 僕は動揺を隠すついでに、気になっていたことを尋ねる。


 そう、最大の謎はそこだ。

 この少女はいったい誰で、どこから来て、何のために盗賊たちのみならず御者まで殺したのか。


 気に障らないことを祈りながら僕が答えを待っていると、彼女はあっけらかんと言った。


「食べようと思ったからだ。ははうえは人間を食べなかったが、アタシは食べる。時々だがな。あんまり食べると腹がもたれる」


「母上……?」


「ははうえはアタシたちを生んだ者だ。名前はジグジギザリアーという」


「え!? ジ、ジグジギザリアー!?」


 僕はつい、声を出してしまう。


 だってあの、ジグジギザリアーだ。

 国中の誰もが知っている恐るべき怪物。

 14年前に老衰で死んだ、奇妙極まる生き物。


 驚く僕を見て、少女は少し嬉しそうな顔をした。


「知っているか?」


「し、知ってるも何も……!」


「良いことだな。記憶されるのは良いことだ。アタシもオマエのことを記憶しているぞ」


 うんうんと頷いて少女は言う。


 しかし残念ながら、僕は彼女のことは本当に知らない。

 ……はずだ。

 少なくとも、覚えている範囲では。


「その……ジグジギザリアーに子どもがいたって、聞いたことがないんですけど……。あの……ひと? にも、つが、じゃなくて、恋人がいたんですね」


「? いないぞ」


「え? じゃあどうやって?」


「ははうえが死んだとき、毛皮と影と牙が抜け落ちた。毛皮と影が上のきょうだいたちになった。そして牙がアタシになった。この通り、立派に育ったぞ」


「??? そ、そうなんですか」


 僕は曖昧に返事をする。


 牙が人間の形に成長するなど、常識的に考えれば有り得ない事象だ。

 が、怪物・ジグジギザリアーならそういうこともある……かもしれない。


 それから彼女の言い方からして、他にも子どもが2人居るようだ。

 なんだかちょっと、心穏やかではいられない。


「あ!」


 少女は不意に、ぽんと手を打った。


「そうだ、名前が必要だな。今まではひとりだったから必要なかったが、これからはずっと、オマエと一緒なわけだからな!」


「一緒!? これからずっと!?!?」


 今日一番の大声が出たかもしれない。


 困惑と驚愕の連続だが、ここに来てまた物凄い話が出てきてしまった。


「何にしようか。エイネ、オマエが決めていいぞ」


「い、いいんですか……?」


 そんなラフな感じで大丈夫なんだろうか?

 いや、彼女が僕のことが、……好きだと考えると、「好きな人に名を付けてもらう」ってことになるから、まあ妥当とも言える。


「では……ジグジギザリアーの、3番目? の子どもだから……ジグ、ジギ、と来てザリアー……いえ、サリア。で、どうでしょうか」


「サリア。サ、リ、ア。ああ、気に入った! ありがとうエイネ!」


 よかった、お気に召したらしい。


 僕は胸を撫で下ろした。


「よし、祝うことが増えたな! オマエが人間を食べないなら、人間の町で人間のものを食べよう。行くぞ!」


「ま、町に行くんですか……?」


「ん? 別のところに行きたいか? どこでもいいぞ。アタシはオマエが好きだからな。オマエのことを考える」


「僕は……」


 言いかけて、口を閉じる。


 僕には行かなければならない場所がある。

 御者が死んでしまった今、運ばれるはずだったそこに、自分で向かわなくてはならない。


 でも。


 正直に、本当のことを言ってしまうと――。


「……やっぱり、町で、いいです」


「そうか!」


 少女、改めサリアは笑う。


 僕は彼女に、ぎこちない笑顔を返した。

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