1.闇夜の出会い

 三日月が昇っていた。


 薄い雲のゆっくりと流れる夜更け、空の下に広がる森。

 その中を走る小道に、1台の馬車があった。


 屋根付きの大きな荷台を曳く馬車だ。

 しかし動いてはいない。


 御者は居る。

 車輪はしっかりと付いている。

 道が悪いわけでもない。


 では、馬車を立ち往生させている原因は何か?


 答えはこうだ。


「オラ、死にたくなきゃあ荷物全部おいてけ!」


「まさかこの数を相手に、逃げられるなんて思ってねえだろうなあ?」


「ぎゃはは! 恨むなら自分の運の無さを恨むんだな!」


 馬車を取り囲む10と少しの盗賊たちが、各々武器を手にして御者を脅していた。


 至ってシンプルな、強盗行為である。


「に、荷物と言いましても……金目のものはありません……!」


 御者は青い顔で、せめて馬が暴れないよう宥めながら言う。


「んなわけあるかよ! 食いモンでも何でも、乗せてるから走ってたんだろ?!」


「それによお、こんな夜中に運んでたってことは……よっぽど急いで届けなきゃいけない、大事なもんなんじゃねえのかあ?」


 盗賊たちは、御者の言い分をまるで信じていない。

 下卑た笑みを浮かべ、じりじりと詰め寄る。


「ですから、本当に……!」


「じゃあ荷台の中身を見せてみろよ」


「そ、れは……」


「ケッ、嫌ならいーぜ別に。――野郎共、やっちまおうぜ!」


 怯えながらも横暴を拒む御者に、盗賊たちは痺れを切らした。

 彼らは馬車に、御者に、襲い掛かる。


「悪く思うなよ! 俺らもこの間の豪雨で色々流されちまってんだ!」


 こうなってしまっては最早、御者に生き残る術は無いだろう。

 哀れにも荷物を奪われ、殺されてしまうだけだ。


 盗賊たちの剣や槍や斧なんかが、月光を反射してギラリと輝く。


 己の運命を悟ったように、御者はかたく目を瞑った。


 と、その時である。


「ぎゃああっ!!」


 突然、悲鳴が上がった。


 御者のではない。

 盗賊の1人のものだ。


 予想外のところから、予想外の声。

 盗賊たちは思わず手を止めて、そちらを見た。


 するとどうだろう。

 悲鳴を上げたと思しき1人が、首から血を流して倒れているではないか。


「なっ、何だ! どうした!?」


 倒れた1人は答えない。

 既に死んでいた。


「野郎共、周りを警戒しろ! 誰かいる!」


 盗賊たちは慌てて周囲を見回す。


 しかし、月が出ているとはいえ今は夜だ。

 道はそれなりに視認できるが、左右に広がる森の中は真っ暗で何も見えない。


「ちくしょう、熊か!? 狼か!?」


「うわあああ!!」


 襲撃者の正体を見定めようと目を凝らす間にも、また悲鳴が上がる。


 見ればやはり、襲われた者は息絶えており、襲った者の姿は無い。


「おいおい、これちょっとヤベエんじゃ――ギャアッ!!」


「し、しっかりしろ! 森の方に背中を向けるな――ぐあああ!!」


「ぐぎゃッ!!」


「ひいいい!!!」


 盗賊たちは1人、また1人と断末魔を上げて倒れていく。


 御者はもう何が何だかわからず、眼前の惨状にガタガタ震えるのみだ。

 馬たちも本能的に危機を感じているのか、鼻息を荒くし落ち着かない様子である。


「や、野郎共……! クソッ、誰だ! 出て来い!! 俺が相手してや――ぐげッ!」


 そうして遂に、最後の1人がやられた。


 馬車の周りには血の海ができ、てらてらと不気味に光っている。


「あ……あのう……」


 恐る恐る、御者は声を出した。


 もしかしたら、襲撃者は盗賊を退治してくれたのかもしれない。

 いや、そうでなくとも、人間であれば会話ができるかもしれない。


 意図としては、そんなところだろうか。

 僅かな希望に縋るように、暗闇を見つめる。


 数秒、沈黙が訪れた。


 御者は息を呑む。


 ――がさり。


 木の枝が揺れる。

 先ほどまでとは違い、容易に視認できる動きだ。


 すとん、と何かが木の上から降りて、道の真ん中までゆっくりと出て来た。


 月明りに照らされたそれは、1人の少女であった。


「……!」


 認識した瞬間、御者は目を丸くする。


 少女は亜麻色の髪を、膝近くまで無造作に伸ばしていた。

 衣服は着用しているがとても粗末で、しかも上と下で柄がちぐはぐだ。


 鋭い吊り目はおぞましい猟奇性を帯びており、口から覗くギザギザの歯は見るからに攻撃的。


 何より、彼女の手の、尖った爪。

 そこには赤黒い血が、べったりと付着していた。


「あ、ああ……神様……!」


 御者は絶望の声を漏らす。

 この先、起こることが何であるか、深く考えるまでもない。


 夜道に、静かな風が吹き抜ける。


 少女は足を踏み出した。

 直後、御者はパッと鮮血を散らし、物言わぬ骸となった。


「フーン……」


 血を拭うこともせず、少女は馬に近付く。

 いまだ恐怖に震え続ける馬を、じろじろと眺めた。


「ははうえが好きそう」


 彼女はそう呟き、ふいと踵を返す。

 どうやら殺す気にはならなかったらしい。


 馬から離れた少女は、うろうろとその場を歩き回る。

 黒い瞳をキョロキョロと動かして、忙しなく視線を移しながら。


「んー……。ん?」


 やがておもむろに、荷台の方へと回り込む。

 と、何かに気付いたように目を見開き、布製の屋根を爪で引き裂いた。


「ひえっ!」


 さらけ出された荷台から、


 ――僕は「荷物」だ。


 荷台に乗せられて、輸送されていた。

 いろいろあって故郷の村から連れ出されたのち、誰の目にも触れぬようにと厳しく言われ、荷台の奥で布にくるまっていたのだ。


 この居場所を利用し、隠れて隙間から様子を窺っていたのだが……思ったより早く、見つかってしまった。


「まだいた」


 少女はニンマリと笑い、僕に手を伸ばす。


 ああ、このまま生きながらえるのかと思ったけれど。

 僕も盗賊たちや御者と同じ末路を辿るのだろう。


 少女に目を奪われながら、僕は身を強張らせた。


 が。


「……ん?」


 彼女の爪が僕の首に届く前に、少女はピタリと動きを止めた。


「ん? んん??」


 眉をひそめて、僕の顔をまじまじと見る少女。


 僕は自分の心臓がどくどくとうるさく脈打っているのを感じつつ、じっとする。

 いったい、何なのだろう。


 緊張と共に見つめていれば、彼女は「なんだ」とまた笑った。


「こんなところにいたのか、エイネ!」

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