第9話勝っても負けても終わり

そして、数日後。

ひとけのない裏庭で、アサは覚悟を決めた。


「っぁ」

……バタン


ひとりで歩いていたヨルが、小さな困惑の声を発して、唐突に昏倒した。


「やった、やったぞ!」


大喜びの王太子が小道へと躍り出る。


「成功だ、アサ!」

「ええ、さすがですわ、わたしの王子様」


ヨルを昏倒させた魔法は、魔力を練りコントロールしたのはアサだが、出所は王太子だ。おかげで魔力消費を抑えられたので、アサは王太子に、ありがとうと心から告げた。


「さて、それでは入れ替わりの呪を唱えます。お静かになさってね」


アサは目を閉じて、複雑極まる呪文を唱える。

長い詠唱が続き、そして。


「ーーーぅ」


呪の完成とともに、アサも地面へバタンと倒れた。

術に干渉するといけないからと、黙って離れて見ているように言われていた王太子は、ドクドクと速い鼓動を刻む心臓を押さえながら、必死に息を殺して、ただ見ていた。


永遠にも感じる時間の後で、ゆっくりとが起き上がった。


「わたしのおうじさま?首尾はいかが?」


にっこりと明るい笑みを浮かべるのはだが、その表情はのものだ。


「アサ!いや、ヨル、大成功だよ!」

「ふふっ、よかった!」


寝転んだままのアサの体を二人で見下ろし、は王太子ににっこりと問いかける。


「さぁ王子様、あそこに池があります。どうします?」

「どうとは?突き落とすのだろう?」


幼い子に謎かけをするような口調のに、入れ替わると口調まで似るのだなぁと感心しながら、なぜそんなのことを尋ねるのだろうと王太子は首を傾げた。


「アサは水が苦手だから、その体に染みついた記憶がある限り水は苦手で、パニックになるだろうと。事故にみせかけるのでは?」

「ええ、それもよろしゅうございますが……王子様、『私』の体に未練はございませんこと?」

「え?」


思いがけない問いかけに、王太子は言葉の意味を理解できず、返事が遅れた。それを見ながら、がさも楽しそうに、甘い声で告げる。


だけ『殺して』、は手に入れることも可能ですわよ?」

「なんだと!?」


あまりに衝撃的な囁きに、王太子は目を輝かせ、唾を飛ばしながらの両腕を掴んだ。


「強い恐怖で魂を滅し、代わりに無機物かなにかの魂を入れます。そうすれば、体に宿った記憶が魂を形成し、人格を宿す」

「つまりアサが二人できるってことか!」

「そうですわ」


まるで御伽話のようなありえない禁術でも、今目の前で魂の入れ替わりという離れ業を目にした直後だ。王太子はなんだって可能な気がしてしまった。


「さぁ、いかがなさいます?」

「やる!やるぞ!」


にっこりと悪魔のような誘いをしてくるアサに、王太子は興奮して頷いた。


「さて、それでは。…おうじさま、こちらにたくさんの水がございます。操作できますかしら?」

「おお、もちろんだ。どうすればよい?」

「ひとは溺れる時、肺に水が入り苦しむのです。ですから…肺に水を移して差し上げて下さる?『私』が溺れた時のように、体に強い恐怖を与えて下さいませ」

「ははっ、恐ろしい女だな!自分が死にかけた時の手段で自分を殺せとは」


そう言いながらも、繊細な操作を要求される魔法を自分に頼ってきたことに自尊心をくすぐられ、王太子は二つ返事で了承した。

に手を添えられて、水魔法を出す。繊細に繊細に。次第に、目の前で意識のないはずのアサが、もがきはじめる。


「う、ぐぅ、ぅあ、ごほっ、ぐぅう」

「……ア、」

「集中して」


自分の手で、人を死に追いやるだけの魔法を行使しているのだという恐怖に、王太子の魔力がぶれる。しかし、に手を添えられて、王太子はハッと振り返った。


「大丈夫、私はここにおりますわ」

「……アサ」


優しい瞳で宥めるように囁くの姿に気を引き締め直し、王太子は二人ののために、頑張った。


「ぅ……ぁ……ぐ」


体は土の上で濡れていないのに、ピクピクと痙攣する体はまるで溺れて窒息しているかのようだ。


ほんの数十秒ほどだったはずだ。

けれど、愛した人の体が死の恐怖に歪み助けを求め暴れるのを見るのは、王太子にとって永遠にも近く感じられた。


ぱたん


空に向かって伸ばされた手が、誰にも取られることなく地面に落ちる。


「やめて」


王太子に魔法の中止を指示して、静かにの体へ近寄ったは倒れた体に息があることを確認して、額に手を翳した。


「魂は無事にこの体から落ちました。代わりの魂を入れますわね」


そう囁くと適当な石をアサの体の上でギュッと握りつぶし、粉々に砕く。

石の粉はアサの体をゆるゆると取り囲み、そして一度だけキラリと光ってから吸着した。


「……できましたわ」


そう言って立ち上がるとは。


「ふふ、ふふふふふ、あはははははははっ!愚かな!こんな、自分で自分を殺すような真似をして!が昏倒した瞬間に、さっさと首を落とせば良かったのに!アナタって本当に詰めが甘いのね!」

「え?アサ?」


狂ったかのような高笑いをして、心底可笑しそうに涙まで流しているに、王太子は双眼に恐怖を浮かべながら後退った。


「お前は、誰だ?」


短いながらも核心をつく問いかけに、はにっこりと笑って首を傾げた。


「あら殿下、私はですわ。見ての通り、ヨルの体をした。入れ替わりは失敗していたのですよ」

「なんだと!?じゃ、じゃあ、アサは!?」

「アサの魂と体に根付いた水への恐怖で、もうあの子の心はここにはありませんわ」

「そんな……」


絶望に顔色を失った王太子ががくりと地面に膝をつくのと同時に、むくり、との体が起き上がる。


「あぁ、。気分はどう?」

「ええ、最高よ。私が二人なんて、愉快すぎるじゃないの」

「どういうことだ?」


意味のわからない現状に、完全な恐慌状態に陥っている王太子に、ヨルが笑いかける。そして、残酷な説明をした。


「アサの魂を殺し、私の魂を千切って魔力で練り上げた魂のようなモノ、要は私の魂の分身をアサの体に植え付けたのです。つまり……」


にやり、と悍ましい笑みを浮かべて、ヨルはハッキリと告げた。


「私が、アサの体を私が乗っ取ったのよ」


残酷な真実を。

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