第30話
「……」
花火大会が終わり、家路についた僕はずっと黙っていた。
数分前に起こった出来事に対して、全く実感がわかなかったからだ。
「どうしたの?さっきから黙っちゃって」
「え?ううん、何でもないよ!?」
隣に並んで歩く唯が、ずっと黙っている僕を心配そうに見ていた。
何を話せば良いのか分からない僕に対し、彼女はいつもと変わらないように見える。
「何でも無くはないでしょ?黙り込んじゃって」
「……その……初めてだったから……」
僕の唇には、唯の唇の感触が残っているような気がした。
ほんの数秒の出来事だったが、僕にとっては世界が変わったようだった。
「ああ、そういう事?それで黙っちゃってるの?」
「誰だって初めてだったらこうなるでしょ?唯は違ったの?」
微塵の余裕も無い僕に対して、唯は普段と変わらないように見える。
それはきっと、唯はこれが初めてでは無いからだろう。
そう思うと、なんだか悔しいような悲しいような複雑な気分だった。
「あたしは違うわよ?いつも通りでしょ?」
「……それは唯は……経験あるんだろうけどさ……」
黙っては居られなかった。僕は思っていたことを言ってしまった。
唯にそんな相手が居たとしても、そんなの掘り返すべきでは無いと分かっていた。
でも、僕の中のダムでせき止められた感情がわずかに漏れた。
「何言ってんの?あたしもさっきが初めてよ?」
「男はって事?」
唯は男も女も区別無く好きになれる人だ。
だから、女の子とは口づけをした事はあるのかも知れないと思った。
「いいえ、初めてよ?」
「本当に?」
にわかには信じられなかった。
それは唯がまるで経験者のように、平然としすぎていたからだ。
「あたしが嘘吐いた事なんて、あったかしら?」
「……無い」
僕は、唯が嘘を吐かない人だと誰よりも知っている。
子供の頃からずっと彼女は僕に嘘なんて、言ったことが無い。
その唯が、僕がファーストキスの相手だと言ったのだ。
「ね?」
「そう……だったんだ……フフッ」
それを聞いた僕は、思わず頬が緩んでしまった。
唯の初めてのキスの相手は、どんなヤツだろうと思っていたら自分だったのだ。
それがこんなに嬉しいなんて、知らなかったのだ。
「何よ、ニヤニヤ笑っちゃって?気持ち悪いわね?」
「ゴメン。なんだか嬉しくって」
唯に叱られて、僕は必死に表情筋を引き締めようとした。
しかしほんの一瞬はしまりを取り戻した顔も、すぐに緩んでしまった。
「あんまりニヤついてると、蹴るわよ?」
「……フフッ……」
結局、その後で僕は本当に唯にふくらはぎを蹴られてしまった。
家に帰り着いたのは八時ちょっと前だった。
「唯、僕に渡したい物って何?」
「コレよ。コ・レ!」
家に帰り着いた僕は、唯からキャリーケースから出した一冊のノートを渡された。
そのノートには見覚えがあった。春からずっと探してた物だ。
「これは、僕のノート?」
「一応、あんたは約束を果たしてくれたからね」
そのノートは、僕が恵麻に対する想いを綴ったノートだった。
冬に唯の手で盗み出され、僕を脅す道具になっていたノートだ。
「……燃やしちゃおう」
「燃やす?返して欲しかったんじゃ無いの?」
唯は、意外そうな顔をしていた。
このノートがあったから、唯は僕にあれこれと命令できたからだ。
「うん。もう、要らないから」
「変わったわね。あんた」
僕は唯からノートを受け取ると、庭に出てキャンプ用のコンロにノートを乗せた。
そして、ノートの端に着火ライターで火をつけた。
「本当に良かったの?」
「良いんだよ、コレで」
僕の初恋は、瞬く間に焼け焦げた燃えかすとなって行った。
「そうじゃなくって、庭でこんな事して良いのかって訊いてるのよ?」
「……ちょっとマズかったね?」
燃え尽きてしまった燃えかすを片付けながら、僕はあることを考えていた。
それは、僕と唯のために自ら悪者を買って出た恵麻のことだ。
「……僕、一回ちゃんと恵麻と話したい」
「そうね。このまま恵麻さんと離ればなれってのも後味が悪いわ」
唯は、僕の考えを否定せずに賛同してくれた。
恵麻だって、僕たちにとって大切な人だから同じ事を考えていたのだろう。
「会って何を言えば良いのかな?」
「普通に、自分たちが付き合うことにしたって言えば良いんじゃ無いかしら?」
恵麻は唯を振ってから、僕たちの前に一度も姿を現さない。
彼女は自らの意思で僕たちを避けているのだ。
「でも、恵麻は嫌な気持ちにならないかな?」
「そうねぇ……恵麻さんの気持ちを考えるとね?」
恵麻は仕方なかったとは言え、唯を傷つけてしまった。
しかも唯が言うには、恵麻は僕を意識していたらしい。
「やっぱり、そっとして置いた方が良いかな?」
「あたしはそうは思わないわね。恵麻さんと向き合うべきだと思うわ」
僕が恵麻の立場だったら、好きだった人が付き合ってるところなんて見たくない。
いっそのこと、縁を切って仕舞いたいくらいだろう。
「どうして?唯だって、好きだった人が付き合ってる様なんて見たくないでしょ?」
「恵麻さんが何のために身を引いたのか、分かってる?」
唯に指摘されて、僕はハッとした。
恵麻が辛い立ち場に居るのは、他でもない唯のためだ。
「恵麻さんだって、あたしとあんたがどうなったか気になると思わない?」
「……そうだった」
恵麻が僕と唯をくっつける為に身を引いたなら、その結果が気になるはずだ。
僕たちは、彼女に報告しなくてはいけないはずだ。
「確かに恵麻さんの気持ちは複雑でしょうけど、何も知らされないのも辛いでしょ?」
「僕、恵麻はもう会いたくないんだろうって……」
僕は恵麻が僕たちを避けていると考えていたが、本当はどうだったのだろうか?
ひょっとしたら、無意識のうちに恵麻と距離を置きたかったのかも知れない。
「あたしもどんな顔して会えば良いか分からないけど、このままじゃダメでしょ?」
「……今度、恵麻に会いに行こっか?」
僕たちがこの夏にすべきことは、宿題だけでは無かった。
宿題なんかよりももっと大切なやるべき事があるのだ。
花火大会があった翌日、私は冷房の効いた部屋で目が覚めた。
駆っちと唯っちは、昨日の夏祭りに行っただろうか?
「……さてと、起きますか」
私は身体を起こすと、机の上からスマートフォンを取った。
時刻は午前六時くらいだ。昨日は早めに寝たから、こんなものだろう。
「夏休みも残り半分かぁ……」
壁掛けカレンダーに書かれた『始業式』の文字が、一日一日と近づいていた。
私は残り日数を数えると、少し憂鬱な気分になった。
「新学期からどうしよっかなぁ?」
私が憂鬱なのは、新学期が始まれば従弟妹と会うかも知れないからだ。
特に唯っちには、少しキツい言い方をしたからなおさら会いにくい。
「そもそも、二人は上手くいってるのかなぁ?」
唯っちの気持ちを傷つけた関係上、私は二人と距離を置くことにした。
駆っちが唯っちを支え、二人の仲が進展するのを祈るしか無いのだ。
「……でも、駆っち結構奥手だからなぁ……」
私は、壁に向かって自問自答を繰り返していた。
唯っちは、自分の気持ちを相手に伝えるのをためらったりしない。
対して、中学で痛い目を見た駆っちは少し受け身になった印象だ。
あまり自分から発言したり、行動する事が無くなった気がする。
「今、二人はどうしてるんだろう?」
考えてみるが、答えなんて出るわけが無かった。
私はパジャマから普段着へと着替えると、カーテンを開けた。
「今日も一段と天気が良いねぇ」
私は快晴の空へ嫌みを言うと、部屋から出た。
天気がどんなに晴れてても、私の気分は少しも晴れたりしない。
「今日は何をしよっかな?」
部屋の外は、既にちょっとムッとなるような熱気がこもっていた。
まとわりつくような暑さが、私をより不快な気分にさせてくれた。
「……うわぁ……」
私はたまらず自室に戻りたくなったが、仕方なしに洗面所を目指した。
洗面所に行かなくては、ブラシで髪をとかすことも出来ないのだ。
「ん?」
そんな時、私の手に持ったスマホが「レイン!」と鳴った。
通知を見ると、駆っちから連絡が来ていた。
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