第28話
「……まだ、暑いなぁ……」
時刻を見ると、午後の六時をちょっと過ぎていた。
それなのに外の気温は高く、立っているだけでも汗ばむくらいだった。
「唯はまだ来ないのかなぁ?」
お母さんは忘れ物を取りに帰ったと言っていたが、もう予定の時刻になっている。
こんなに時間をかけて、何を探しているのだろうか?
「お待たせ!」
「ん?ああ、ゆ……」
僕は声の方向へと振り向いたが、それと同時に言葉を失った。
なぜなら、そこには青を基調色にした浴衣姿の唯が立っていたからだ。
「浴衣なんて久しぶりに着るから、手間取っちゃった」
「……」
残念ながら、この時点で僕の脳は完全にオーバーロードを起こしていた。
目から入る情報が脳を埋め尽くし、何も考えられない状態だったのだ。
「どうしたの?間抜けな顔して」
「……え?」
唯に尋ねられて、僕の脳がようやく正常に動き出した。
いきなり恋人の浴衣姿なんて見せられたら、誰だって思考停止するでしょ?
「え、じゃないわよ。人の話、聞いてたの?」
「あ~、え~っと……何だったっけ?」
僕は素直に、何も聞いていなかったと白状した。
唯には下手な言い訳をしても、理路整然と問い詰められるだけだ。
「……ハァ~、久しぶりの浴衣だから手こずったって言ったのよ」
「もしかして、忘れ物ってその浴衣のことだったの?」
唯は忘れ物を取りに家に帰ったと話していた。
そして彼女は浴衣を着るために家に帰ったと言っている。それはつまり……
「そうよ。わざわざコレを取りに帰ったのよ?あんたのために」
「そんな怒らないでよ」
唯は僕が話を聞いていなかったことを、とても怒っている。
しかしそれは、僕が彼女の浴衣姿に目を奪われたからに他ならないのだ。
「あんまりボーッとしてると、はぐれるわよ?」
「あっ!待ってよ!!」
唯は僕を置いてズカズカと歩き出してしまった。
僕はそれに続くように、急いでついて行った。
僕の家から夏祭りの会場になっている神社まで、徒歩で二十分くらいだ。
道路には神社へ向かう車が混雑し、ぼったくり駐車場の料金が目に入った。
「……毎年、ここの夏祭りは人が多いわよねぇ?」
「夏祭りもそうだけど、初詣の時なんかもっとすごくない?」
地元民の僕たちには、皆がなぜこんな所へ集まるのかピンと来ない。
夏祭りなんて日本全国、何処ででもあってそうなイメージがあるが?
「やっぱり、あの桜のせいじゃないかしら?」
「まだ、全然小さいのにね?」
僕たちが言っている桜の木とは、神社の境内に植わっている小さな木だ。
この木は、国民的に有名なアイドルが植えたらしくそれ目当てで人が集まる。
「あとはアレじゃないかしら?輝きの道」
「でもアレって、今の時期じゃないよね?」
唯が言っている輝きの道とは、いわゆる撮影スポットのことだ。
沈む夕日が一条の光となって、道路を照らすのだ。
「そうなんだけど、なぜか皆一年中集まるわよ?」
「……唯ってあの神社、結構行くの?」
やけに唯、あの神社について詳しいけど何で?
もしかしてあの神社の事、実は好きなのかな?
「受験の時に願掛けしてたのよ」
「もしかして、お百度参りって事?」
神社に一回や二回行ったくらいでは、こんなに詳しくない。
何度も行く願掛けと言えば、お百度参りが代表的だ。
「本当に百回も行ったかどうかは忘れたけどね」
「そこまでして今の高校に行きたかったんだ」
僕はかなりの無理をして、今の高校へと入学した。
しかしそれは、唯もあまり大きくは違わなかったらしい。
「あたしもあの人たちと同じ高校には、行きたくなかったのよ」
「やっぱり唯もあの人たちの事、嫌い?」
あの人たちとは、中学時代の同級生のことで間違いないだろう。
あいつらの為に、僕たちは灰色の中学時代を送る羽目になった。
「嫌いじゃなくって、大っ嫌いよ」
「僕も大嫌いかな」
そんな話をしながら歩いていたら、人混みが見えてきた。
僕は唯と離ればなれにならないように、彼女の手を取った。
「あら?珍しいこともあるのね?」
「……僕も唯に引っ張って貰うだけじゃ嫌だから」
普段は、唯の方から僕の手を取り引っ張って歩く。
しかし僕はこれからはそうじゃなくて、彼女と並んで歩きたいと思っている。
「はぐれないように、ちゃんと握っておきなさいよ?」
「うん、もうはぐれたりしないよ」
僕は、自分の心臓が異常なくらいに早く脈打っているのが分かった。
そして、それが手を通して彼女に伝わってはいないかとちょっと心配だった。
でも、僕は意地でも手を放したくなかった。
「相変わらず露天の数がすごいわねぇ?」
「この人たちって、一体何処から来るんだろうね?」
神社へと続く道には、所狭しと露天商が並んでいた。
トウモロコシや串焼きが焼ける良い匂いが、辺りから漂ってきた。
「一年中、どこかの催しに顔を出すのかしら?」
「……流浪人って事?」
流浪人とは根無し草、つまり一つの場所にとどまらない人たちのことだ。
もしそうなら、住民票とかはどうしてるのだろうか?
「そんな事より、あそこにヨーヨー屋があるわよ」
「ヨーヨー釣りなんて、子供の時に何回かしただけだね」
地元民の僕たちにとって、夏祭りなんて珍しい物ではない。
だからヨーヨー釣りの屋台に入った経験も、何回かある。
「折角だから、久しぶりに入ってみない?」
「今の僕に出来るかな?」
子供の頃の僕は、妙にヨーヨー釣りが上手かった。
他の輪投げとか射的はサッパリだったが、これだけは名人だったのだ。
「良いじゃない?下手になってても」
「……それもそうだね?やってみなくちゃね?」
正直、失敗して恥をかきたくないが挑戦しないと成功しない。
それに案外、上手くいくかも知れないし。
「おじさん!一人一回ずつね?」
「ほいさ!じゃあ、一人百円ね?」
「よぉぉぉおおおし!」
僕たちはおじさんから針金の付いた糸を受け取ると、水に浮かぶヨーヨーを見た。
カラフルなヨーヨーを真剣に見ていたら、なんとなくあの頃に戻った気分だった。
「……あんちゃん、上手だねぇ?」
「この人、昔から得意なんです」
ヨーヨー釣りの結果、僕は三つも釣り上げる事に成功した。
しかし残念ながら、もらえるのはこの中から一つだけだ。
「この青いのを下さい」
「はいよ!」
僕は一つを残して、後の二つを水槽に戻した。
自分では、あの頃の自分と今では別人だと思っていたがそうでもなかったらしい。
「じゃあ、次はおねえちゃんね?」
「唯、頑張ってね?」
「ちょっと、袖を持ってて」
僕は唯に言われて、彼女の浴衣の袖を水に浸からないように持った。
Tシャツの僕とは違って、彼女は色々と動きにくそうな格好なのだ。
「……」
唯は真剣な目で、水槽の中のヨーヨーを見つめている。
その真剣な横顔を見て、僕は思い出した。彼女にも苦手な事があったことに。
「そこっ!」
唯はヨーヨー釣りの糸を水中で動かすと、適当なヨーヨーを釣り上げようとした。
しかし水に長時間浸された糸はあっさり千切れ、ヨーヨーは水槽に戻ってしまった。
「残念だったね?どれか一つ、好きなのを持ってって良いよ?」
「……くっそぉ」
唯は悔しそうな声を漏らすと、黄色いヨーヨーを受け取った。
彼女は子供の頃から、ヨーヨー釣りが苦手で成功したためしがなかった。
「唯って昔からヨーヨー釣り、苦手だったよね?」
「迷ってたら、糸がふやけちゃうのよ」
唯は一点集中の僕とは違い、アレもコレもと目移りするタイプらしい。
欲張りな彼女らしい欠点だなと思ったら、思わず笑ってしまった。
「ふふっ……」
「何よ!?ヨーヨー釣りで勝ったくらいで良い気になるんじゃないわよ!!?」
僕はふくらはぎを唯に蹴られてしまった。
ちょっと痛かったが、別に大したものではない。
「別にそんなつもりで笑ったんじゃないよ」
「何よそのの余裕の態度!ムカつくわね!!」
そう言いながらも、唯は僕の手を放さなかった。
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