第27話

 僕はお母さんに言われて、冷やし中華に箸をつけた。

 これを食べ終わったら、今度は服を買いに行こう。

「ごちそうさま!」

「あんた、またどこかに出掛けるの?」

 洗い物を終えた僕は、再びナップサックに財布を入れると出掛けるそぶりを見せた。

 そんな僕を見て、唯が何やら不審そうに尋ねてきた。

「……うん。ちょっと服を買いに……」

「ちょっと待ちなさい。あたしも行ってあげるから」

 なぜか僕には唯が焦っているように見えた。

 彼女は髪をブラシでとかしたり、バタバタと出掛ける準備を始めた。

「一人で大丈夫だよ」

「あんた、服の買い方なんて知らないでしょ!?三十分待って!!」

 唯は少し怒ったように怒鳴ると、大急ぎで身支度を整えている。

 たかがシャツとズボンを買うだけなのに、何をそんなに慌ててるのだろうか?

「あんたはアニメでも見て待ってなさい!!」

「……うん」

 すごい剣幕の唯に気圧されて、僕はダイニングの椅子に座ってスマホをいじった。

 三十分も時間かけて準備してるところ悪いが、買い物なんてすぐに終わる筈だ。

「……なるほど……そういう事か」

「お母さん、何か言った?」

 僕たちのやりとりを見ていたお母さんが、何やら一人で納得している。

 僕には何が何やらサッパリなので、訊いてみた。

「駆、いくら思春期でもあんまり暗いところに行っちゃダメだからね?」

「は?何の事?」

 僕にはお母さんが何を言っているのか、全く理解不能だった。

 暗いところに行くって何の事?お母さんは何の心配をしてるの?

「八時までには帰ってきなさいって事」

「……うん。八時だね?」

 完全に意味不明だったが、門限を設定されたことだけは分かった。

 あんまり遅い時間になると、トラブルに巻き込まれるからだろう。

「叔母さん!変な事、言わないで下さい!!」

「唯には分かるの?」

 僕は後で唯に訊いてみたが、彼女は答えてはくれなかった。

 ただ顔を真っ赤にして、そっぽを向いているだけだった。


「それで?どんな服が欲しいの?」

「……おしゃれな服?」

 僕はブティックに連れて行かれ、そこで唯に希望を訊かれた。

 しかし、僕には欲しい服の具体的なイメージがなかったのだ。

「何で語尾疑問形なの?その髪型に合うような服が良いって事?」

「まあ、そうかな?」

 唯には申し訳ないが、僕はブティックに行けば何かあるだろうと考えていた。

 しかし所狭しと並んだ服を見た瞬間、僕は考える事を止めてしまった。

「要するに、特に考えもなく勢いで行動したって事よね?」

「……うん。そう」

「……ハァ~~」

 僕の返事を聞いた唯は、大きなため息を一つ吐いた。

 買い物に付いてきたのに、何を買いたいか分からないと言われたのだ。

 ため息の一つくらい出て当然だ。

「あたしのセンスで勝手に選ぶわよ?良いわね?」

「あ!ちょっと待ってよ!?」

 唯は、ずんずんと店の奥へと分け入ってしまった。

 僕は一瞬遅れて、彼女の後へ続いて店の奥へと進んだ。

「あんた、これ併せて見せなさいな」

「これ?」

 僕は、唯が無造作に渡したオレンジ色のシャツを自分の身体に合わせてみた。

 それを数秒間見た唯は、顎に手を当ててつぶやいた。

「ちょっと肩幅が小さいわね?」

「これを買う気だったの?」

 唯が寄越したシャツは、正直僕の趣味じゃない。

 オレンジを基調に、おなかの辺りにギザギザ模様が入っていて少し格好悪かった。

「違うわよ。サイズの確認がしたかっただけ」

「……良かったぁ~」

 いくら唯の薦めでも、あんなデザインのはちょっと抵抗があった。

 僕としては、赤系統色はあまり好きではないのだ。

「さ、さっさと次に行くわよ?」

「一人でドンドン行かないで!!」

 その後も、唯は僕にあれこれと服を渡し僕はそれを併せて見せた。

 その度に彼女は、アレじゃないコレじゃないと頭をひねっていた。


「……それでこんなに時間がかかったの?」

 服を買って帰った僕たちから理由を聞いて、お母さんは驚いたような顔をしていた。

 帰り着く頃には午後の三時になっており、夏祭りまであまり時間はなかった。

「そうなんです。この人、自分の買い物なのに何を買うか考えてないんです」

「いや、行けば何かあるだろうって思ったんだ」

 僕は、まさかこんなに服を選ぶのに時間がかかるとは思っていなかった。

 勝手な考えだが、三十分もあれば帰れると踏んでいたのだ。

「行けばって……あの真っ黒なシャツの事?」

「黒いシャツ……変?」

 僕が最初に選んだのは、無地の黒いシャツだ。

 それを引っ張り出した瞬間、唯にすごい勢いで止められてしまったのだ。

「真っ黒なシャツなんて、よっぽどの着こなしが出来る人以外はダサいだけよ?」

「何も考えなくても良いと思ったんだけどなぁ……」

 黒はシックなイメージで、引き締まった印象になると思ったから好きだ。

 良くテレビとか雑誌とかで見かける格好良い男の人も、黒が基調色だ。

「それからあの無駄にポケットの多いズボン!」

「え~、便利だと思ったんだけど……」

 ポケットが多かったら、広い用途に使えると思ったんだけどな……

 僕が選んだ黒っぽいズボンも、あえなく却下されてしまった。

「あんた、どこに履いていくためのズボンを選んでたの!?」

「……ズボンって、どこに履いていくかで決めるの?」

 ズボンなんて、季節で使い分ければ良いんじゃないの?

 流石に、冬場に半ズボンは履けないし……

「当たり前でしょ!!?じゃあ、あんたは何時、何処で、誰に会うとか考えないの?」

「……考えてるよ?」

 例えば今回だったら、夏にプライベート用に履くズボンでしょ?

 だからデートで履くための新しいズボンを買いに行ったわけだし……

「全然、考えが足りないわよ!!危うく全身黒ずくめになるところだったのよ!?」

「……う~ん」

 僕は唯に恥をかかせないように、身なりを整えるつもりだった。

 しかし、僕にはおしゃれに関する基礎的な知識が欠如しているらしい。

「これは重傷だね?」

「……ですね」

 そんな僕を見て、お母さんも唯もあきれ果てている様子だった。


 六時まで時間が出来たので、僕は宿題をしようと思った。

 しかし唯に選んでもらった英語の本は、全然読み進められなかった。

 英語で書かれた絵本の英文が難しいからではない。

「……唯は何処に行ったんだろう?」

 僕のファッションセンスをあれこれとダメ出しした後、彼女は姿を消した。

 姿が見えないどころか、唯の気配そのものを感じないのだ。

「お母さん、唯はどこに居るの?」

「……唯ちゃん、おうちに帰っちゃったの……」

 お母さんは不自然なくらいに沈んだ表情で、僕にそう答えた。

 え?何?その表情は?唯に何かあったの?

「どうして急に家に帰ったの?」

「……それはね……駆が」

 お母さんは妙に言いにくそうにして、目を泳がせている。

 何なんだろう?お母さんがあんな表情した事って、滅多にないよね?

「どうしたの?なんか変だよ?僕がどうかしたの?」

「……駆が『パイスー』好きだからよ……」

 は?パイスー?パイロットスーツの事?何言ってるの、この人?

 って言うかそれって……

「お母さん!僕が隠してた本を見たでしょ!!?」

「だって枕の下に敷いてあったんだもん」

 お母さんが言っているのは、僕が隠し持っている『お宝』の話だ。

 女の子がボディラインを強調するようなパイロットスーツを着ている本だ。

「アレを唯に見せたの!!?何でそんな事、したのさ!!!?」

「……なんつって!!」

 僕が問い詰めると、お母さんは急に顔を崩しておどけて見せた。

 今の顔、どうやったの?この人は表情筋、どうなってるの?

「唯ちゃんは家に取りに行く物があるから帰ってるだけだよ」

「取りに帰る物?何だろう?」

 僕の中の唯は、完璧とも言うべき女の子だ。

 その唯が忘れ物なんて、珍しいを通り越して初めてのケースだ。

「駆の方こそ、準備は出来てるの?」

「忘れ物って、財布くらいしか持ち物ないんじゃ?」

 僕のその回頭を聞いて、お母さんは安心したような呆れたような顔をした。

 今、お母さん「大丈夫だ。まだガキだ」って言ったような気が……

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