第25話
「……さてと、そろそろ夕飯の支度しないとね?」
「そう言えば僕、おなか空いてきちゃった」
太陽は西に傾き、半分くらい地平線に沈んでいる。
時間的には、もうすぐ夕飯の時間のはずだ。
「私、手伝います」
「おお~、唯ちゃんが居ると頼もしいね?」
「……」
それじゃまるで、僕が役立たずみたいじゃないか?
確かに、包丁を握った事なんて家庭科の授業くらいだが……
「豚肉を買ってきたので、冷しゃぶにしませんか?」
「そうだね。冷しゃぶくらいだったらすぐに出来るしね」
そう言えば、唯と買い物に行ったとき精肉コーナーでそんなの買ってたっけ?
こんな事まで見越して用意するなんて、彼女が大人になったらどうなるんだろう?
「ええ。それに包丁も使わないですし……」
「何で僕を見るのさ」
唯は意味ありげに、僕を横目で見ている。
今の流れからすると、彼女が言いたいのはおそらく……
「あんたにも手伝ってもらうわよ?」
「ですよねー」
唯は、僕がほとんど料理なんて出来ない事を知って冷しゃぶの準備をしたのだ。
しかし、これは考えようによっては僕が輪に入るチャンスでもある。
「やっぱり唯ちゃんは頼りになるなぁ」
「何で二回も言ったのさ?」
僕たちのやりとりを見ていたお母さんが、しみじみと言った。
お母さんと唯があんまり仲良くなって結託し出したら、僕の肩身が狭くなりそうだ。
「さあ、あんたには色々と仕込んであげるから覚悟なさい」
「マジですか」
もしかしたら、僕は告白する相手を間違えたかも知れない。
このまま行ったら、唯の尻に敷かれっぱなしになるかも知れないと思った。
「ちゃんとお肉は広げてから入れなさい!!」
「はいっ!」
僕はその後、台所で唯からしこたま怒られながら肉を茹で続けた。
お母さんも、機嫌良さそうにその様子を見ているだけだった。
こんなのが、夏休み中続くのだろうか?
「ごちそうさま」
冷しゃぶなんて、食べるのはあっという間だ。
僕が豚肉を茹でるのに使ったお湯は、唯がスープにしてそれも食べた。
「洗い物は私がしますね?」
「……僕も手伝うよ」
僕は半分自発的に、半分強制的に食器洗いを買って出た。
なぜなら、ここでそう言わないと後が怖いからだ。
「おお~、普段だったらソファに寝転がってスマホ見てるのに……」
「へえ、そうなんですか?普段は随分と楽してるんですね?」
お母さん、頼むから唯に余計な事を言わないでくれるかな?
唯が満面の笑みを浮かべて、僕を見てるんです。
「そうなのよ。この間なんて……」
「そんな事よりも洗い物をするんでしょ!?」
これ以上、お母さんに変な事を教えられたら困る。
僕は大急ぎで話を遮ると、唯の肩を押して台所へと向かった。
「頑張ってね~」
お母さんはひらひらと手を振って、僕たちを眺めている。
間違いなくあの人はわざと唯にさっきの話をしたのだ。
唯なら、だらけた僕の私生活を矯正できると考えているのだろう。
「あんた、お母さんに甘えすぎじゃない?」
「これでも気づいたときには、色々とやってるんだよ?」
腕組みをした唯に、僕は必死で弁明した。
被告僕。弁護人僕。検察唯。裁判長唯の不利な裁判が始まった。
「気づいた時ねぇ……」
「本当だよ!他にも力仕事は僕がしてるよ!?」
お父さんが留守にしがちなこの家は、僕とお母さんしか普段は居ない。
そんな家での力仕事は、基本的に僕がこなす事になっている。
「そこまで言うなら、これ以上追求するのは止めておいてあげる」
「……そう」
必死の弁明の甲斐もあって、一応執行猶予は勝ち取れたようだ。
「これからは、その『気がついた時』って言うのを増やしてあげるから」
「……はい」
しかし、僕には厳しい監視の目が付くことになってしまった。
青い猫型ロボットだったら、もっと甘い措置で済むのに。
僕の夏休みは、僕が当初予定していた物とは大きく異なった。
毎日、規則正しい生活を送り計画的に課題をこなす日々だ。
そして何より一番違ったのは。
「今日はここまでやれば上出来ね」
「……終わった~」
クーラーの効いた部屋で、僕たちは今日の分の宿題を片付けていた。
唯が来る前から自分でも勉強はしていた筈なのに、勉強量が増えた気がする。
「あんた、これ位で音を上げるなんて普段はどれくらい勉強してたの?」
「別にサボってた訳じゃないよ?自分なりにはやってたよ?」
僕が通っている高校は、勉強のレベルが地域でも高めだ。
そこに気合いで入学した僕には、ついて行くだけでも一苦労だった。
「って事は、その自分なりじゃ足りないって事よ」
「……」
唯の指摘は厳しいが、同時に正しいと僕は痛感している。
期末テストで補習になりかけたのは、その何よりの証拠だ。
「お疲れ様~~」
「叔母さん、ありがとうございます」
「お母さん、ありがとう」
僕たちは、お母さんが差し入れてくれた冷たいカルプスを喉に流し込んだ。
甘酸っぱい液体が、脳をリフレッシュさせてくれるような気がした。
「二人は今日、何か予定ある?」
「予定?特にないけど?」
僕は何の気も無しにそう答えた。本当に、何の予定も無いからだ。
しかし、そう答えた後でその応対はマズかったかも知れないと思った。
「……何か用事?」
「そんな警戒しなくても、用事を言いつけに来たんじゃ無いよ」
お母さんは、カラフルな広告をテーブルの上に置いて見せた。
そこには夏の夜空に咲く、打ち上げ花火がデカデカと描かれていた。
「今日、羽々斬神社で花火大会があるらしいの」
「……それって……つまり……」
お母さんは、いつものニヤニヤ笑いになって僕たちに提案した。
「カップルの夏の思い出と言えば夏祭りでしょ?」
「……まあ……そうだね?」
僕の生活で一番変わったのは、僕に生まれて初めて彼女が出来たことだ。
「……夏祭りかぁ……」
僕はスマホの画面をスクロールしながら、そんな事を考えていた。
画面には昨日放送されたアニメの感想が、次々と投稿されていた。
しかし、僕の目から入る情報は脳に届いていなかった。
「唯はどんな服を着るのかなぁ?」
僕の頭の中を埋め尽くしていたのは、夏祭りに唯がどんな格好で来るかと言う事だ。
アニメでは夏祭りの定番と言えば浴衣だが、彼女は浴衣を着るのだろうか?
「でも、最近は浴衣着ない人も増えてるからね」
僕は浴衣を着た事が無いから、着付けにどれくらい手間がかかるか知らない。
しかし浴衣の着付けが出来る人は、年々減っているらしい。
「……あんまり、期待しない方が良いかなぁ?」
本音を言えば、唯の浴衣姿に興味はある。見たいかと言われれば見たい。
しかし、それを無理強いしたり頼んだりするのは気が引けた。
僕一人の欲望のために、彼女を困らせたくないからだ。
「そんな事より、僕はどんな格好して行こうかな?」
僕はスマホを閉じると、夏祭りに着ていく服を選び始めた。
アニメキャラクターの台詞がプリントされたシャツを着ていくわけにも行くまい。
「これは……ないな。こっちは……ちょっと古いかな」
僕はタンスから次々と夏服を引っ張り出し、脇に置いていった。
しかし、なかなかデートに着ていくにふさわしい服は出てこない。
「何でこんな時のための服が一着もないかな?」
僕はタンスのレパートリーに、一人で文句を言っていた。
タンスから出てくるのは、くたびれた服かアニメ系の服ばかりだ。
「こんなの着て行ったら……」
僕は唯の隣に並んだ自分の姿を想像してみた。
お化粧も髪のセットもバッチリ決まった唯の隣の並ぶ、冴えない男。
「見て、あの二人。アレでカップルなのかな?」
「マジで?あの娘、なんであんなのと付き合ってるの?」
「もっとマシな男なんて、いくらでも居るでしょうに……」
唯に注がれる、周囲の哀れみを含んだ視線。
彼女自身は、気にしなくて良いと言うかも知れない。
だが、僕のせいで彼女が恥をかいているのは明白だった。
「……何とかしよう!!」
僕は立ち上がると、行動を開始した。
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