第20話
「……最初から一階で勉強しようって言えば良かった……」
僕はやるせない気持ちになった、持っていた漫画本を床にたたきつけた。
僕のこの五分間の奮闘は、全く何の意味も無かったのだ。
「……ハァ~ッ……」
テキストやシャープペンシル、消しゴムを持つと僕は部屋を後にした。
腐っていても仕方が無い。僕はそう思うことにした。
「落ち込んでるのも嫌だけど、元気すぎるのもちょっとなぁ……」
僕の家に来た唯は、以前の彼女と同じに見える。
口やかましく僕にあれしろこれしろと言い、尻を叩いてくる。
そんな彼女を見ていると、安心すると同時に鬱陶しく思ってしまう。
「何してるの!?早く来なさいよ!!」
「今、行くよ!!」
一階から、唯の元気な声が響いてきた。
僕は急いで階段を駆け下りると、リビングへと駆け込んだ。
「今更部屋の掃除なんかしても、もう遅いわよ?」
「違うよ。ただ、ちょっと考えてただけだよ」
僕はリビングに置かれたテーブルに、唯を挟む形で着いた。
テーブルの上には、もう既に彼女の勉強道具が綺麗に並べられていた。
「考えてた?何を?」
「唯が急に元気になったなって」
僕は思いきってさっきから感じていた事を、唯にぶつけてみた。
数週間前に、彼女は泣きながら一人にしてくれと僕に言ってきたのだ。
「ああ、そういう事か。一人で居ても、余計に考えちゃうからここに来たの」
「無理してるって事?」
僕はてっきり、彼女の中で問題が解決したからここへ来たのだと思っていた。
しかし唯の口ぶりを見る限りでは、彼女の中ではまだ終わっていない様子だ。
「多少、無理にでも元気を出さないと余計に暗くなるでしょ?」
「気分転換みたいなもの?」
僕が聞く限りでは、彼女は気持ちを切り替えたくてここへ来たようだ。
何かやっていれば、落ち込んだ気持ちが少しは晴れるかも知れない。
「まあ、それもあるわね。さて、あんたの宿題を見せてご覧なさい」
「え?まだ、訊きたい事が……」
「問答無用。さっさと出しなさい」
唯は、まるで恐喝する時みたいな文句を言い出した。
「……これ、なんだけど……」
僕は観念して、唯に終わっている分の宿題を見せた。
さっきお母さんが、AIに頼って終わらせたと暴露した宿題だ。
「え?たったこれだけ?」
「だってまだ、夏休み始まってそんなに経ってないし……」
夏休みが始まって、十日くらいしか経過していない。
このペースで進めば、夏休み最終日には十分間に合うと思うのだが?
「あんた何、言ってんの?他にも宿題が出されてるじゃ無い!?」
「読書感想文のこと?あれくらい、すぐに終わるでしょ?」
うちの高校の夏休みの宿題には、読書感想文がある。
学校が指定した図書を読み、その感想を書くのだ。
「英文読解があるじゃ無い!?あれ、今から始めないと間に合わないわよ!?」
「え?英文……読解……?」
僕は聞き慣れぬ単語を耳にし、プリントを確認した。
まず、大きく分けて五つの問題集がある。そして、その下に読書感想文がある。
「ほら、ここに書いてあるじゃない」
「……あれ?」
僕は見落としていた、読書感想文の下に英文読解の文字があるのだ。
その下には『※図書は高校生らしい内容のものとする』と書いてあった。
「まさかあんた、全然気がついてなかったの?」
「唯、高校生らしい内容の本って、スパーダマンじゃ無いよね?」
僕はダメ元で、アメリカンコミックの名を出してみた。
スパーダマンだったら、読破する自信がある。
「ダメに決まってるでしょ!?ブルーゴブリンとの戦いでも書く気!!?」
「唯って結構スパーダマンの事、知ってるんだね?」
まあ、スパーダマンは何回か映画化したからね。
サブカルに鈍い唯が知ってても、おかしくは無いか。
「そんな事、言ってる場合じゃ無いでしょ!?何を読む気なのよ!!?」
「……何が良いかな?僕、あんまり英語得意じゃないし……」
自慢では無いが、僕は英語が大の苦手だ。ちなみに、歴史はもっと苦手だ。
あんな年号と名前だけ教えられて、何を学習しろというのだろうか?
「仕方ないわね?明日、あたしが一緒に本選びに付き合ってあげるわよ」
「え、明日?」
彼女の提案は随分、急な話だなと思った。明日だなんて。
「あたし、明日も暇だからあんたに付き合ってあげるわ」
「……そう?」
なんだか強引に押し切られた気もするが、助けてくれるのはありがたい。
僕は素直に、彼女の助力を受けることにした。
「寝坊するんじゃ無いわよ?」
「遅刻なんてしたこと、一度も無いじゃないか」
僕は唯との待ち合わせに遅刻した事なんて、一回としてない。
もっとも、僕が待ち合わせ場所に着く頃には唯が既に到着しているのだが……
「仕方ないわね。じゃあ、他の単元から片付けるわよ?」
「ちゃんと今日の分、終わらせたのに……」
僕としては、ちゃんとスケジュール通りに宿題を済ませているつもりだ。
確かに英文読解は見落としていたが、それでもなんとかなると思っている。
「終わってないわよ!遅れてるわよ!!」
「本当に?」
信じられない気分だった。僕は完璧なスケジュールを組んでいるつもりだ。
この計画の一体どこに、不備があるというのだろうか?
「あんたこれ毎日、必ず勉強するつもりで計画立ててるでしょ!?」
「え?ダメなの?」
僕の立てた計画は、全ての宿題を均等に分配して終わらせる計画だ。
そうすれば、無理なく宿題を終わらせられると考えたのだ。
「勉強しない日だってあるでしょ!?体調を崩す事だって考えられるし」
「でも、それも均等にしちゃえば……」
例え二、三日の遅れが出てもそれも残った日にちで均等にしてしまえば問題ない。
そう言おうと、僕は思った。
「夏休みの終わり頃にそうなったら、あんたどうするの!?」
「あっ!そっか」
僕の計画が有効になるのは、日数に余裕があるときだけだ。
唯が言うように、夏休みが数日しか残ってなかったらどうも出来ない。
「こう言うのは、少し余裕を持って終わるように計画を立てるものなのよ」
「……高校に入ったら、計画的に宿題を終わらせようと思ってたのに……」
中学までの僕は、夏休みが終盤に入ってからしか頑張らなかった。
そのせいで、仕事中のお母さんに頼み込んで手伝ってもらっていた。
「まあ、そうしようって気持ちは大事だと思うわよ?」
唯はそんな僕の気持ちを察してか、一応フォローしてくれた。
僕たちは、と言うよりも僕は唯の指導の下で宿題に取りかかった。
唯は自分で言ったとおり、余裕を持ったスケジュールで宿題を片付けている。
「……」
「……あの、唯?」
僕は唯に監視されながら宿題に取りかかったわけだが、集中できなかった。
部屋の中は静かだし、暑すぎず寒すぎない室温で快適だった。
「何かしら?」
「ずっと見つめられてると、やりにくいんだけど?」
だが、唯がテーブルに肘をついて僕の勉強を監視していた。
しかも、座る位置を僕の対面から隣へと移していた。
「見とかないと、あんたサボるでしょ?」
「サボったりしないよ。ちゃんと勉強するよ」
こんなに近くで監視されながら勉強するなんて、僕には出来ない。
気が散って仕方が無いのだ。
「……スマホ貸して」
「え?スマホ?」
唯は不意に、僕にスマホを出すように要求してきた。
彼女は何のために、僕のスマホを必要としているのだろうか?
「あんた、あたしが居なくなったらスマホで遊ぶでしょ?」
「遊ばないよ!ちゃんと勉強するよ」
どうやら唯は、席を外してくれるようだ。
しかし、自分が席を外したら僕がスマホをいじり出すと考えているらしい。
「ふぅん。まあ、良いわ」
そう言うと、唯は席を立ちダイニングへと歩いて行った。
僕は望み通り、一人で勉強する事が出来る。
「何だったんだろう。やけに素直だったけど……」
普段の唯だったら、僕の抗議を聞き入れずに自分の意見を押し通す。
その唯が、今日は僕の意見を別人のように聞き入れているのが不気味だった。
「まあ、良いや。とにかく勉強しなくっちゃ」
唯の素直さが気になったが、今はそれよりも宿題に集中しなくてはいけない。
僕は問題集に書かれた問いの数々に、目を落とした。
「え~っと、この問題は……」
勉強を開始してしばらくして、僕は社会科の問題で躓いていた。
分からない部分があったから僕はスマホを取り出し、少し調べ物をすることにした。
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