第19話

「……おいしいっ!」

「何、今更驚いてるの?あたしの料理だったらこの間、食べたじゃ無い」

 僕は唯の家に期末試験対策のために、数日泊まったことがある。

 あの時も彼女の料理を食べたが、正直あの時は味なんて分からなかった。

 なぜなら僕はあの時、唯の料理では無く彼女自身に気をとられていたからだ。

「うん、あの時もおいしかったよ!?」

「何か変な反応ね?あの時、あんた何を考えてたの?」

 唯にそう尋ねられて、僕は返事に困ってしまった。

 まさか、バカ正直に唯に気をとられていたなんて言うわけにも行くまい。

「えっ?何って……それは……」

「そう言えばあんた、最初は勉強にも集中できてなかったわよね?」

 期末の事で頭がいっぱいだったと言い逃れしようと思ったが、逃げ道を塞がれた。

 どうしよう?何て言い訳すれば、唯は納得するだろうか?

「そりゃ、女の子と二人っきりじゃ勉強も料理も頭に入らないよね?」

「お母さんっ!!何言ってんの!!?」

 僕が頭を総動員して上手い逃げ口上を考えていたら、お母さんにとどめを刺された。

 ニヤニヤ笑ってるしこの人は、一人息子の危機を楽しんではいないか?

「……あんた……」

「ちが……っ!」

 違うと否定しようとして、僕の脳裏をある出来事がよぎった。

 それはちょっと前に、恵麻から僕たちの仲を冷やかされた時の事だ。

 あの時、僕は恥ずかしさからムキになって否定して唯を傷つけた。

「……僕だって、男子なんだからさ……少しくらいは……」

 なんとかそれだけ絞り出した。それ以上は言葉が続かなかった。

 唯の顔を見たら、彼女の大きな目が普段よりも大きく見開かれていた。

「……あ……えっと……その……」

 唯も何か言おうとしていたが、上手く言語化できない様子だった。

 僕たちは顔が熱くなって、咄嗟に目をそらした。

「青春だねえ」

 その状況下で、お母さんだけが平然と食事を続けていた。

 それから僕も唯も、互いの顔を見ないようにしながら食事を続けた。

 もちろん、会話もほとんど交わされることは無かった。

「ごちそうさまっ!」

「……ごちそうさま」


 唯の料理は確かにおいしかった。

 しかし妙な雰囲気になってしまったせいで、それをじっくり楽しむ余裕は無かった。

「駆、唯ちゃんに宿題教えてもらったら?」

「え、宿題?ちゃんとやってるよ?」

 お母さんはいきなり、何を言ってるのだろうか?

 夏休みの宿題なんて、わざわざ唯に見てもらわなくても自分で出来る。

「そう?なんか昨日、AIに答えを教えてもらってなかった?」

「え!?お母さん、どうしてそれを……」

 昨日の事だ。僕は数学の問題が分からなくて、AIに少し頼った。

 バレてないと思ったのに、どうしてお母さんは知っているのだろうか?

「あんた、AIに教えてもらっても勉強にならないでしょ!?」

「そんな事、言ったって何か書かないといけないでしょ?」

 お母さんの話を聞いた唯は、眉をつり上げて僕を非難した。

 夏休みの宿題なんて、正しい答えを書いていれば誰も怒ったりしないのに。

「それじゃ勉強にならないじゃない!何のための宿題だと思ってるの!?」

「……」

 言い返せなかった。唯の主張は正しいし、それが夏休みの宿題の意義だからだ。

 しかし、夏休みの宿題をそんな風に考えている学生が世に何人居るだろうか?

「唯ちゃんに教えてもらった方が良いと思うな。夏休み明けに試験あるんでしょ?」

「……勉強を教えてください」

 お母さんの援護もあって、もはや僕には逃げ場は無かった。

 唯に勉強を教えてもらうのも、毎日じゃ無いだろうし今日くらい良いだろう。

「どこまで進めてるの?ちょっと、見せてご覧なさい」

「……はい」

 僕は、唯に半分引きずられるように自室へと向かった。

 って、ちょっと待って!僕の部屋、散らかってんですけど!?

「うんうん、やっぱり駆にはこれくらいガツンと言ってくれる人があってるね」

 お母さんは満足そうに独りごちてるし、僕を助けようとしてくれない。

 って言うか、お母さんはさっきから何を言ってるの?

「早く来なさいよ。あんたが来ないと勉強が始められないでしょ!?」

「ちょっと待ってよ!勝手に部屋に入らないで!!」

 僕は必死に唯を押しとどめた。

 あの散らかった部屋を見られたら、きっと余計に怒られる。

 って言うか、唯は勉強道具は持ってきてるのだろうか?


「宿題を見るって唯は勉強道具、持ってきてるの?」

「ええ、当然でしょ?抜かりは無いわ」

 唯は、さも当然のようにテキストやら筆記道具やらを持参していた。

 まるで、こうなる事があらかじめ分かっていたかのような用意周到さだ。

「さあ、さっさと部屋の扉を開けなさいな」

「……十分だけ待ってくれるかな?」

 僕の部屋は、唯に見せるにはほんのちょっとだけ散らかっていた。

 具体的には組み立ててる途中のプラモデルとか、読みかけの本とかだ。

「この状況で何言ってるの?さあ、早く空けなさい」

「ほんの少し!ほんの少しだけで良いから!!」

 僕は唯に懇願した。あんな部屋を唯に見られたら、何を言われるか。

 唯が帰るまで、ひたすら叱られ続ける羽目になってしまう。

「……三分間待ってやる」

「五分待って欲しかった」

 僕はそう言うと、部屋の扉をわずかに開けその隙間から部屋へ滑り込んだ。

 少しだけ開けたのは、唯に部屋の中を見られたくないからだ。

「……どこだ?どこから片付けよう!?」

 僕は自分の部屋をぐるりと見回し、自分のだらしなさを痛感した。

 誰だこんなに僕の部屋を散らかしたのは、と言いたいくらいだった。

「迷ってる暇は無い!手当たり次第に片付けよう!!」

 僕は、まずベッドの上の雑誌類から片付けることにした。

 これだけは絶対に片付けておかないと、どんな反応をされるか分からない。

「次!次はプラモを!!」

 雑誌をベッドの下に押し込んだ僕は、作りかけのプラモデルに飛びついた。

 唯に踏まれたりしたら、僕のアリエルグンダムは粉々だ。

「もう、二分経ったわよ?」

「え!?もう!!?」

 グンダムのプラモデルを本棚に置いたタイミングで、ドアの向こうから唯が言った。

 残り一分でこの部屋を片付けるなんて、絶対に不可能だ。

「延長とか出来ないの!?」

「悪いけど、あたし延長はしない主義なの」

 僕はダメ元で唯に頼んだが、彼女は聞き入れてはくれなかった。

 唯は良くも悪くも有言実行する人だ。やると言ったら必ずやる。

 それは幼い頃から、微塵も変わっていない。


「……海にもそのうち、本当に行ったりして」

 有言実行を貫いてきた唯が珍しく予定を変更したのが海だ。

 と言っても、事情が事情から当たり前なのだが……

「あと三十秒よ?」

「え!?その時計、あってる!!?」

 ほんの数秒、物思いにふけっていたのが命取りだった。

 僕は手に持ったマンガ類を、必死に本棚へと並べた。

 唯の侵入を阻止しようにも、僕の部屋には鍵が付いていないのだ。

「あってるわよ。あと、二十秒」

「早回ししてない!?マイチューブみたいに!」

 残り時間が二十秒しか無いのに、僕の部屋は半分も片付いていない。

 かろうじて、見られたら困るものだけはしまったが散らかってる事に変わりは無い。

「等倍よ。あと、十秒」

「……そんな!どうすればッ!?」

 もう、僕にはどうする事も出来なかった。

 時間が止まりでもしない限り、この状況は好転しない。

「三……二……一……」

「時よ止まれ!!」

 僕は思いつき、と言うか現実逃避で時間を止める試みをしてみた。

 唯がノリの良い人だったら、止まってくれるかも知れないと思ったのだ。

「ゼロ」

 しかし現実は、と言うか唯は非情だった。

 僕は散らかった部屋の真ん中で『不滅の刃』のマンガを抱えていた。

「開けるわよ?」

 そう言うや否や、唯は僕の部屋の扉をためらいなく開けた。

 僕の答えを待たないんだったら、訊く意味なかったんじゃ?

「……」

「……」

 僕と唯は、数秒間見つめ合っていた。

 皮肉な話だが、この瞬間は本当に時が止まったかのように感じられた。

「……今はこの件について触れるのは止めておいてあげる」

「今はって何?」

「後でキッチリ話をするって意味よ。勉強は下の部屋でやるわよ?」

 そう言うと唯は、ドアを開けたまま呆れたように階段へと歩き出した。

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