第17話

「……どうしよう。今更消すのも変だし……」

 一瞬、慌ててレインを消そうかとも考えたがもう遅かった。

 なぜならレインには『既読』の文字が表示されているからだ。

「……何て言おう?やっぱり無しにして、とも言えないし……」

 僕があれこれと言い訳を考えていたら、唯からレインが返ってきた。

 レインには、料理してたと表示されている。

「返事が来ちゃったよ。どうやって会話を続けよう……」

 僕は頭脳を総動員して、唯との話題を考えた。

 今度の休みにどっか行こう?嫌、違うだろ!

 夏休み、楽しみだね?嫌、今絶対にしたらいけない話題だろ!

「あんたは何してたの?」

「え?僕が何してたかって?僕は、宿題してたけど?」

 僕が必死に話題を考えていたら、唯の方から話を振られてしまった。

 しかし今の僕は、机に向かって宿題をしているだけだ。

「今日は悪かったわね。落ち着いたらちゃんと説明するから」

「いや、無理に説明しなくても大丈夫だよ?言いたくない事もあると思うし」

 唯は、昼間に僕を拒絶した事を謝ってきた。

 僕は元気づけようと思ってたのに、謝らせてどうすんだ?

「それじゃダメなの。ちゃんとあんたにも知って欲しいから」

「それって、僕にも関係ある事なの?」

 僕は、唯が無理をして自分を奮い立たせようとしているように感じられた。

 傷ついた彼女に、これ以上嫌なことを思い出して欲しくなかった。

「そうよ。あんたとあたしに関係あるの」

「じゃあ、唯が説明したくなったら教えてね?いつでも良いからね?」

 僕には、そう返すだけで精一杯だった。

 唯の意思は堅い。彼女はすると言ったら本当に実行する人なのだ。

「ありがとう。落ち着くまで少しだけ待ってて」

「焦らなくて良いよ。気持ちの整理がつくまで待ってるから」

 僕はお母さんに言われた通り、唯を待つことにした。

 それが彼女のために今、僕に出来る事ならそれをやりきろうと思う。

「恵麻さんからは何か聞いた?」

「恵麻とはやりとりしてないよ」

 お母さんは、恵麻とは距離を置いた方が良いとアドバイスした。

 唯を大切に思うなら、恵麻にはあまり関わらない方が良いと。


「そう、分かったわ。また明日ね」

「うん。また明日」

 そう表示されて、レインのやりとりは終わった。

 僕はその画面を、お母さんが呼ぶまでただただじっと見つめていた。

「……何か僕に出来る事は無いのかな?」

 夕飯を終えシャワーを浴びながら、僕は唯の心を軽くする方法を考えていた。

 しかし残念ながら僕にしてあげられる事など、たかが知れていた。

「誰かがそばに居てくれるって、それだけで気が楽になるからね」

 お母さんが言っていた言葉が、僕の脳内で再生された。

 そうは言っても、僕は本当に唯の力になれているのだろうか?

「……自分がじっとして居られないだけなんだろうなぁ」

 僕は、自分自身が焦っている事に気がついた。

 お母さんも唯自信も「待って欲しい」と言っているのに、僕は急かそうとしている。

「二、三日様子を見るしか無いよなぁ……」

 僕はシャワーを止めると、バスマットから立ち上がった。

 今の唯に何かしてあげる事は、出来ないかも知れない。

 だが唯が立ち直った後なら、何かしてあげられる事もあるかも知れない。

「一番辛いのは唯なのに、僕が落ち込んでてどうするよ?」

 僕は唯に何も手を貸せずに、見ているだけな現状に無力感を抱いていた。

 中学時代とは違い、自分の力では何も解決できない事に苛立ちを感じていた。

「唯がいつでも僕に頼れるように、僕がしゃんとしなくっちゃ!!」

 僕は全身に付いた泡を洗い流すと、脱衣場の扉を勢いよく開けた。

「駆、気合い入れるのは良いけどもうちょっと小さい声で独り言を言いなさいね?」

「お、お母さん!?」

 僕が脱衣場への扉を開けると、そこには歯ブラシを咥えたお母さんが立っていた。

 全裸の僕を、お母さんは全く動じることなく見ている。

「……キャァァァアアア!!!」

「ちょっと!ご近所迷惑でしょ!!?」

 僕は恥ずかしさのあまり、近所に響くようなボリュームで奇声を発した。

 裸を見られたのもある。しかし、独り言を聞かれたのが一番恥ずかしかった。

「早く出て行ってよ!!」

「……はいはい」

 お母さんは、興味なさげに脱衣場から出て行った。

 僕の顔が熱いのは、シャワーで温まったせいか恥ずかしいのか分からなかった。


 翌朝、僕は唯の後ろ姿を見かけたので軽く声をかけた。

「唯、おはよう」

「……ああ、おはよう」

 僕の方を振り向いた唯は、少し元気が無かった。

 やっぱり昨日、何かショックな事を恵麻に言われたのだろう。

「夏休みまで、あと数日だね?」

「そうね」

 僕は、唯の隣に寄りそうように並んで歩いた。

 なんだかそうしないと、彼女が急に倒れそうな気がした。

「……海には……あたし行けないかも知れない」

「うん、こんな気分で行ってもね?」

 いくら鈍くても、僕だってこんな時に海に行こうなんて考えない。

 特に、海に行けば恵麻と強制的に会う事にもなる。

「あんたは行っても良いのよ?」

「唯が行かないなら、僕も行かないよ」

 唯が落ち込んでるのに海を楽しめるほど、僕は自己中心的な男じゃ無い。

 別に海に行くのが目的じゃ無い。楽しい思い出を作るのが目的だ。

「恵麻さんとは行かないの?」

「僕は恵麻より、唯を優先したいんだ」

 つい最近まで気づかなかったが、僕の気持ちは恵麻から唯に移っていた。

 それなのに、唯を放置してどうして恵麻と海に行けるだろうか?

「……そう。あんたはちゃんと選べたのね?」

「え?今、何か言った?」

 僕の気のせいじゃ無かったら、唯は今『選べた』と口にした。

 選ぶとは唯を選んだと言う意味だろうか?

「何でも無いわ。気にしないで」

「そう?唯がそう言うなら……」

 今の唯に、追い打ちをかけるような真似はしたくない。

 本人が何でも無いというなら、これ以上は触れて欲しくないのだろう。

「変に気を遣わなくたって良いのよ?」

「遣うに決まってるじゃ無いか。変なこと、言わないでよ」

「……」

 僕たちは、そんなやりとりをしながら駅へと向かった。

 不思議なことだが、学校に着くまで恵麻に一度も会わなかった。


「駆、お前眉間にしわなんか寄せてどうしたんだ?」

「良太か。何でも無いよ」

 難しい顔をする僕を気遣ってか、良太が声をかけてきた。

 僕がこんな顔をするのは、他でもない唯の事を考えているからだ。

「何でも無いヤツがそんな顔するわけ無いだろう?言ってみろよ」

「……」

 僕は良太の澄みきった目を見ながら、しばし考えていた。

 この件を良太に話しても、本当に良いのだろうか?

「どうせアレだろ?大坪の事で悩んでるんだろ?」

「……まあ、そうなんだけどね……」

 良太は昨日、恵麻が唯に何かを言う場面を目撃している。

 だから僕が唯の事で悩んでいるのを、察することが出来たのだろう。

「歯切れが悪いやつだな。もっと、スッキリした言い方したらどうだ?」

「スッキリした言い方……僕も白黒ハッキリさせたいんだけどね……」

 良太の気遣いは嬉しい。しかし、僕も何が何なのか良くわかっていない。

 状況もハッキリしていないのに、それを良太に話しても良いのだろうか?

「そう言えば、今日は大坪の黒髪の方がやけに早く登校してきたぞ?」

「え?恵麻が?」

 そう言えば、今日はまだ恵麻と一度も会っていない。

 彼女は何のために、いつもより早くに登校してきたのだろうか?

「ああ、お前ら三人ともいつも一緒に来るから変だなって思ったんだ」

「恵麻は一人で来て、何してたの?」

 恵麻が一人で登校していたなんて、今まで知らなかった。

 唯からも聞かなかったし、本人からも何も伝えられていない。

「さあな、俺もずっと見てた訳じゃ無いからな」

「……日直だったとか?」

 この学校では、昔ながらの日直制度が続いている。

 日直になった生徒は、いつもより早めに登校して準備をする。

「だったら、お前が知ってるはずだろ?」

「だよね?」

 仮に恵麻が今日、日直だったとしてもなぜそれを僕たちに言わないのか?

 下手をしたら、僕たちは心配して恵麻を探したりする羽目になる。

「やっぱり、昨日の事が関係してるんじゃ無いのか?」

「そう考えるのが、妥当だよね?」

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