立ち漕ぎ
その日、行く宛もなく歩いていた私は、公園のブランコに座っている誰かを見つけた。
彼女は近くの中学校の制服を着ていた。
「こんな時間に、女の子がどうしたの?」
私は声をかけた。ふと何となく、彼女の雰囲気が脆く、崩れやすいもののように感じた。
「……あ」
彼女は青ざめて私の目を見て——すぐに逸らした。
「いや別に、怒る気はないよ? 実際、私もいい大人だけど、この辺をうろついてるからねぇ」
軽く笑って見せたが、彼女は何か言いたげに口を開きかけ——やめた。
「私でよければ、いくらでも話聞くよ?」
「……私、そんなふうに言って、本当に親身になってくれた大人にあったことがありません」
「そっかぁ。じゃあしばらく私もブランコ乗らせてよ」
どうやら、間髪入れずに相槌を打った私に呆気に取られた様子だったけれど、どうぞ、と言ってくれた。
「ブランコ乗るなんて何年ぶりだろう——君はよくここに来るの?」
「え、えぇ……まあ」
ブランコを漕がずに座ったままの彼女とは対照的に、私は構わずのんびり漕いでいる。
……普通に楽しい。
「……立ち漕ぎしてみて下さいよ」
不意に彼女が言ったので、やってみた。
「うひゃっ」
間抜けな声が出たのには訳がある。
子どもの頃乗った時よりもすごく高くて怖い!
ブランコには思い出補正がかかっていた……!?
「そんなことないですよー」
ようやく彼女が笑った。
「単純に、大人になって身長が伸びて、目線が高くなっただけですよ」
あ、そっか。中学生に思考力が負けている。
「……みんなみんな、ブランコに乗れば——無心になって、嫌なことも、辛いことも、一瞬でも忘れられるのに」
まるで彼女がそうしたことがあるかのような口ぶりだった。それでも——私はどうしても暗い話をさせたくなかった。
「さしずめ、『おとなもこどもも、おねーさんも』ってとこだね」
「……?」
「おっと。今の子には分からなかったかも……」
あの有名ゲーム二作目のキャッチコピーが伝わらなかった。
時代を感じる。
「……やっぱり、話していいですか。私のこと」
「いいよ。私は黙ってるからいくらでも言ってみ」
顔に笑みを浮かべた彼女は、自嘲的に話し始めた。
「私、親が……酷いんですよね。私のこと、怒鳴るし、殴るし。顔だけには殴らないんですよ。今、冬だから、腕とかも、めくらないと見えないからって」
「だから、本当は、学校行かないといけないんですけど、こんな感じでブランコ漕いでて、ずーっとさぼって……」
「友だちもいないし、行く意味」
「感じないし、お母さんは、私が、男の子なのに、私って言ったり、女の子の制服着たりして、汚いって」
「言ってて、お父さんは何にも言ってくれないし……」
そこでついに彼女は言葉を詰まらせて、泣き出してしまった。
だから、私は彼女に聞いてみることにした。
「君は、男の子なの?」
「いいえ。女です。生まれてからずっと……なのに、母は認めなかったんです。狂ったみたいに——いや、狂ってるんでしょう——私を男子として扱って」
なるほど……驚いた。
現実にそんなことをする親がいるものかと思っていたが。
「誰かに相談してない?」
「してません……できる訳ないです」
「そうだよね」
私は少し考えて、彼女に言った。
「死んだ方がマシな痛み」
「……え?」
「死んだ方がマシって思えるほどの痛み、感じてみたいって思う?」
「……それは……嫌ですね……」
当たり前。
「ほら、例えば、こんな風に?」
私は公園から出て、踏切の中に立つ。少しして、電車が来る警報が鳴り始める。
「な、何してるんですか? 電車……危ないですよ」
彼女はイマイチ分かっていないようだった。だから言った。
「いや、だってこうしたら家族に迷惑かけられるもん」
「……!」
彼女は驚いて——そこは正常だった——私の方に駆けてきて、私を踏切内から引っ張り出した。
「何するの? 自分が死にたいのはやり遂げたいのに、誰かの死は見逃せない?」
「……それは……」
意地悪な質問だった。私は彼女を追い詰めた。
「そういうところだよ。今、まだ世間は狭いから、何かあったら騒ぐけど、社会に——世界に出たら、そんな気持ちが吹き飛ぶくらい——好きにさせてくれないから」
大人になったら自由、って、そんなに考えないほうがいいよねぇ。
「だから、約束して? おばさんと、またこの公園で、ブランコで遊ぼう。今度は立ち漕ぎするからさ」
「はい……」
意味のわからないことを言って困らせてしまって申し訳なかったな、と思った。
「あ、そうだ。因みに、さっき言った死んだほうがマシな痛みっていうのは群発頭痛って言うんだけど。私頭痛持ちなんだよ——気を紛らわせるためにお散歩してた」
「……私も、偏頭痛があって。人が多すぎたりすると、ちょっと」
「あー。分かるかも」
アラサーと中学生が頭痛トークで盛り上がる公園……。
そんな取り止めもない話を暫く続けて、私はついに席——というか、ブランコを立った。
「じゃあね——そうだ、名前。教えてくれる?」
「あ……えと、私——
「蒼ちゃん。私が自分のことを『おばさん』って言った時、否定しないでくれて、ありがとう」
「……どういうことですか?」
「私は、男なんだよね。本来はおじさんなんだよ——引いた?」
「い、いいえっ。そんなふうに自分を——自分がなりたいものになれるのは、いいなって思いました」
優しい子だなと思った。
家族に反対されて無視してたら電車で死なれて。
私のせいだよ、みんなが私を睨んでるんだ。
でも、初めて会った、本当に偶然にあった女の子に背中を押された、そんな気がした。
「さっき、貴方は『大人になったら好きにさせてくれない』って言いましたけど——きっと悪いことばっかりじゃないって思って、安心しました」
「……今日、会えて良かったかもね」
私はそう呟いた。
「そうだ! これで本当に本当に最後。もし機会があったら、このゲーム、やってみてよ。レトロゲームだけど楽しいからさ」
「えっ? えぇっ!?」
私が渡したのは、ゲーム機とカセット3本。本当は売り払ってしまおうと持っていたものだった。
「おかーさんとおとーさんにバレないように、ねっ」
「あ、え……」
「あげるから! 感想聞かせてね」
「は、はいっ! あ、あの……おねーさんの名前はなんですか!?」
「私はね——」
私は貴方の学校の、スクールカウンセラーだから。
貴方はずっと暗い顔をしていたから、気にしてメモを渡したことがあったけど、結局来なかった。
「
本当に、偶然会えて良かった。
きっと私のエゴだけど、後悔しないで済んだ。
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