第11話:「時を紡ぐ家」

 初夏の柔らかな日差しが、美月の部屋の障子を通して淡い光の模様を畳の上に描いていた。美月は目覚めると同時に、今日から始まる古民家再生プロジェクトへの期待に胸を躍らせた。起き上がった彼女は、深呼吸をしながら、朝の清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 身支度を整える美月の動作には、いつもの優雅さがあった。今日の装いは、古民家での作業に適した、シンプルで機能的なものを選ぶ。上質な綿素材のオフホワイトのシャツに、深みのあるインディゴブルーの麻のパンツを合わせた。髪は、邪魔にならないようにゆるく一つに束ね、祖母から譲り受けた木製のかんざしで留めた。


 化粧は、素肌の美しさを引き立てる程度の最小限に留める。自作のローズウォーターで肌を整えたあと、ほんのりとしたピンク色のチークを頬に載せ、唇には無色のリップクリームを塗るだけ。鏡に映る自分の姿を確認すると、美月は満足げに微笑んだ。


「さあ、今日も素敵な一日になりますように」


 美月は小さく呟き、古民家再生プロジェクトの現場へと向かった。


 プロジェクトの現場に到着した美月は、一瞬たじろいだ。目の前に広がる古民家は、想像以上に荒廃していた。屋根の一部が崩れ落ち、壁には大きな亀裂が走っている。庭は雑草が生い茂り、かつての美しさを想像するのも難しいほどだった。


 しかし、その荒廃した姿の中にも、美月は不思議な魅力を感じた。風雨に耐えてきた梁の力強さ、時を重ねた木肌の深い色合い、そして今にも語り出しそうな古い襖の佇まい。それらは、この家が長い年月をかけて紡いできた物語を静かに語りかけているようだった。


「美月さん、よく来てくれました」


 プロジェクトリーダーの中村優子さんが、美月に声をかけた。中村さんは、地域の歴史保存に熱心な建築家で、このプロジェクトの中心人物だった。


「はい、よろしくお願いします」


 美月は丁寧にお辞儀をしながら答えた。


「まずは、家の中を見て回りましょう。この家の魂を感じ取ってください」


 中村さんに導かれ、美月は慎重に家の中に足を踏み入れた。床板のきしむ音が、何か秘密を告げようとしているかのようだった。


 室内は、想像以上に広かった。薄暗い空間に、わずかな光が差し込み、埃っぽい空気の中に浮かぶ小さな塵が、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 美月は、一つ一つの部屋をゆっくりと見て回った。かつては華やかだったであろう座敷、家族の団欒の場だったに違いない居間、そして静寂に包まれた茶室。それぞれの空間が、かつてそこで暮らした人々の息遣いを今も留めているかのようだった。


「この家には、たくさんの思い出が詰まっているのですね」


 美月は、感慨深げに呟いた。


「そうなんです。だからこそ、私たちはこの家を単に修復するのではなく、その歴史と記憶を大切にしながら、現代に蘇らせたいんです」


 中村さんの言葉に、美月は深く頷いた。


 見学を終えた後、美月は他のボランティアたちと共に、まずは庭の整備から作業を始めることになった。長い間放置されていた庭は、雑草が生い茂り、かつての姿を想像するのも難しいほどだった。


 美月は、丁寧に雑草を抜きながら、この庭にかつてどんな花が咲き、どんな木々が茂っていたのかを想像した。作業を進めるうちに、苔むした石や、朽ちかけた灯籠が姿を現し始めた。それらは、かつてこの庭が日本庭園として美しく整えられていたことを物語っていた。


 その日の作業を終え、美月は充実感に満ちた表情で家路についた。古民家の再生は、単なる建物の修復ではなく、そこに刻まれた歴史と記憶を現代に蘇らせる作業なのだと、美月は強く実感していた。


 家に戻った美月は、和綴じのノートを取り出し、今日の体験を丁寧に記録し始めた。


「今日の気づき:古いものの中には、時を超えた美しさと知恵が宿っている。それを理解し、現代に活かすことが、私たちの役割なのかもしれない」


 美月は、そう書き記した。そして、窓際に置いてある小さな盆栽を見つめながら、新たなアイデアが芽生えるのを感じた。


「この古民家の庭に、日本の伝統的な盆栽の技術を活かした空間を作れないだろうか」


 美月の心に、そんな思いが芽生えた。古民家再生プロジェクトが、美月の創造力に火を付け、新たな可能性を開いていくのだった。



 翌朝、美月は早めに目覚めた。朝日が障子を通して柔らかな光を部屋に投げかけ、新しい一日の始まりを告げていた。美月は深呼吸をし、昨日の古民家での体験を思い返しながら、今日の準備を始めた。


 今日の装いは、昨日よりもさらに作業に適したものを選ぶ。上質な綿素材のベージュのTシャツに、丈夫な生地の紺色のワークパンツを合わせた。髪は、しっかりとまとめて後ろで低めに結び、額に垂れる前髪は、手作りのリネンのヘアバンドですっきりとまとめた。


 化粧は最小限に留め、自作のハーブ入り日焼け止めクリームを丁寧に塗った。これは、庭仕事での紫外線対策と、ハーブの香りでリフレッシュする効果を兼ねたものだ。


 朝食は、自家製の玄米おにぎりと味噌汁。「自然の恵みに感謝すること」を常に心がけている美月は、一口一口を味わいながら、今日の活動への期待を胸に膨らませた。


 古民家に到着すると、すでに数人のボランティアたちが作業を始めていた。美月は、中村さんに挨拶をした後、昨日の続きである庭の整備に取り掛かった。


 作業を進める中で、美月は庭の奥にある小さな池を発見した。長年の放置で、泥に埋もれかけていたその池は、かつては美しい水面を湛えていたに違いない。


「この池を復活させれば、庭全体の雰囲気が大きく変わりそうですね」


 美月は、中村さんに提案した。


「そうですね。でも、現代の生活様式に合わせるなら、池は必要ないかもしれません」


 中村さんは、少し迷いがちに答えた。


 美月は、しばし考え込んだ。確かに、池の管理は手間がかかる。しかし、日本庭園における水の重要性を考えると、この池を失うのは大きな損失に思えた。


「でも、この池には大切な役割があると思うんです」


 美月は、静かに、しかし確信を持って語り始めた。


「日本庭園において、水は生命の源を象徴します。そして、水面に映る景色は、目に見える世界と見えない世界をつなぐ境界線の役割を果たす。この池を現代的にアレンジすれば、古きよき日本の庭園の精神を、現代の生活に溶け込ませることができるのではないでしょうか」


 美月の言葉に、中村さんは深く頷いた。


「美月さんの言う通りですね。では、この池を中心に、庭のデザインを考えていきましょう」


 その日の午後、美月は池の周辺の整備に集中した。泥を掻き出し、周囲の石を洗い、少しずつ池の形が現れてきた。作業は重労働だったが、美月は心地よい充実感を覚えていた。


 夕方近く、池の底から何か固いものが出てきた。慎重に掘り出してみると、それは古い石灯籠の一部だった。


「なんて素敵な発見なんでしょう!」


 美月の声に、周りのボランティアたちも集まってきた。苔むした石灯籠の部分は、長い年月を物語るかのような風合いを持っていた。


「これを使って、池の傍らに小さな灯りの空間を作れそうですね」


 美月のアイデアに、みんなが賛同した。古いものを活かしながら、新しい価値を創造する。それこそが、この再生プロジェクトの本質だと、美月は改めて感じた。


 作業を終えて家路につく頃、美月の心は新しいアイデアで満ちていた。古民家の歴史を尊重しつつ、現代の生活に溶け込む方法。それは、美月自身の生き方とも重なるものだった。


 家に戻った美月は、シャワーで一日の汗を流した後、窓際に置いた小さな盆栽の前に座った。盆栽の姿に、今日発見した池と石灯籠のイメージを重ね合わせる。


「小さな世界の中に、大きな自然の摂理が宿っている……」


 美月は、そっと盆栽の葉に触れながら呟いた。その瞬間、古民家の庭と自分の部屋、過去と現在、自然と人工。それらが美月の中で不思議なハーモニーを奏で始めた。


 美月は、和綴じのノートを取り出し、今日の体験と湧き上がったアイデアを丁寧に書き記していった。筆を走らせながら、美月は古民家プロジェクトが自分にもたらす変化を感じていた。それは、過去と現在を結ぶ架け橋となり、新たな可能性を開いていくものだった。


 窓の外では、夕暮れの空が美しく染まっていた。美月は深呼吸をし、明日への期待を胸に、静かに目を閉じた。古民家再生プロジェクトは、美月の内なる創造性を呼び覚まし、新たな成長の扉を開いていくのだった。

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