第10話:「友情の絆を紡ぐ日」

 土曜日の朝、美月は早めに目覚めた。窓から差し込む柔らかな光が、和室の畳に優しい影を落としている。美月は深呼吸をし、今日の予定を心の中で確認した。郊外にあるサナトリウムに、親友の沙奈絵さなえを見舞う日だ。


「今日は、沙奈絵に会える日」


 美月は静かに呟いた。彼女の声には、期待と少しの緊張が滲んでいた。


 起き上がった美月は、いつも以上に丁寧に身支度を整え始めた。まず、天然由来成分のみを使用したスキンケア用品で肌を整える。昨日作った保湿クリームを顔全体にやさしく塗り広げ、しっとりとした感触を楽しむ。化粧は最小限に留め、素肌の美しさを引き立てるように、ほんのりとしたチークと、唇に塗った淡いピンク色のリップクリームだけにした。


 髪は、自然な風合いを生かしたゆるやかなハーフアップスタイル。後ろで軽くまとめ、残りの髪を肩に流した。耳元には、沙奈絵からプレゼントされた小さな水晶のピアスを付けた。


 服装は、優しい印象の淡いブルーのワンピースを選んだ。上質なコットン素材で、肌触りが柔らかく、体の線を優しく包み込む。首元には、白い小花の刺繍が施されている。これは、美月が手作りで加えたもので、沙奈絵の好きな花をモチーフにしていた。


「沙奈絵の笑顔が見られますように」


 美月は、そう心の中で祈りながら、鏡に映る自分の姿を確認した。


 朝食は、軽めのグリーンスムージーと全粒粉のトースト。美月は、「心身ともに健康であることが、大切な人を支える力になる」と考えている。食事を終えると、美月は小さなバスケットに手作りのクッキーと、昨日摘んだハーブで作ったティーバッグを詰めた。


「沙奈絵も、きっと喜んでくれるはず」


 美月は、そう思いながら、静かに家を出た。


 サナトリウムまでの道のりは、美月にとって静かな瞑想の時間だった。電車の窓から見える景色が、都会の喧騒から徐々に緑豊かな郊外へと変わっていく。美月は、その変化を楽しみながら、沙奈絵との思い出を心の中で振り返っていた。


 学生時代から親友だった沙奈絵。いつも明るく、周りを元気にしてくれる存在だった。そんな沙奈絵が病気で入院してからもう長い時間が過ぎていた。美月は、定期的に見舞いに行くことを自分の使命のように感じていた。


 サナトリウムに到着すると、美月は深呼吸をして心を落ち着かせた。受付で手続きを済ませ、沙奈絵の病室へと向かう。廊下を歩きながら、美月は自然と背筋を伸ばした。


「こんにちは、沙奈絵」


 美月は、静かにドアをノックしてから部屋に入った。


 病室内は、意外なほど明るく、温かな雰囲気に包まれていた。窓際には沙奈絵が好きな観葉植物が置かれ、壁には美月が以前贈った風景画が飾られていた。そして、ベッドに横たわる沙奈絵の顔に、優しい笑顔が浮かんでいた。


「美月、来てくれたのね。ありがとう」


 沙奈絵の声は弱々しかったが、その目は生き生きと輝いていた。

 美月は沙奈絵のベッドサイドに腰掛け、持参したバスケットを開けた。


「今日は、手作りのクッキーとハーブティーを持ってきたわ。一緒に楽しみましょう」


 沙奈絵の顔が、さらに明るくなる。


「美月ったら、いつもこんな素敵なものを……本当にありがとう」


 美月は、ゆっくりとクッキーを沙奈絵の口元に運んだ。

 沙奈絵は、その味わいに目を細めた。


「おいしい。美月の手作りってやっぱり特別ね」


 その言葉に、美月は静かに微笑んだ。


 病室の窓から差し込む柔らかな陽光が、美月と沙奈絵の間に静かな温もりを与えていた。美月は、持参したハーブティーを二人分のカップに注ぎ、その香りが部屋中に広がるのを感じながら、ゆっくりと話し始めた。


「沙奈絵、最近ね、コミュニティセンターでボランティア活動を始めたの」


 美月の声は、優しさに満ちていた。


「高齢者向けのヨガクラスのお手伝いをしているんだけど、みんなの笑顔を見ていると、私も元気をもらえるの」


 沙奈絵は、弱々しくも興味深そうに頷いた。

 その目には、かすかな輝きが宿っていた。

 美月は続けた。


「それと、最近は手作り化粧品の実験にも夢中なの。自然の恵みを使って、肌に優しいものを作るの。ローズウォーターを作ったときの香りったら、まるで庭いっぱいのバラに囲まれているような気分だったわ」


 沙奈絵の表情が、少し明るくなった。


「美月らしいわね。いつも自然と一緒に生きている……」


 美月は嬉しそうに微笑んだ。


「そうなの。それと、最近は音楽の時間も大切にしているの。フルートを始めたんだけど、音を奏でるたびに、心が洗われるような気がするの」


 美月は、フルートを吹く時の感覚を思い出しながら、目を細めた。


「最初は、うまく音が出なくて悩んだんだけど、少しずつ上達していく過程が本当に楽しいの。音楽って、心を癒してくれるだけじゃなくて、自分自身と向き合う機会も与えてくれるのね」


 沙奈絵は、懐かしそうな表情を浮かべた。


「私も昔、ピアノを弾いていたわ。音楽の持つ力は本当に素晴らしいわよね」


 美月は、沙奈絵の言葉に深く頷いた。


「そうよね。音楽は言葉を超えて、心と心をつなぐものだと思う」


 そして美月は、最近始めた瞑想の話を始めた。


「そして、毎日少しずつ瞑想の時間も持つようにしているの。最初は、じっと座っているだけで落ち着かなかったんだけど、続けていくうちに、自分の内側の声に耳を傾けられるようになってきたの」


 美月は、瞑想中に感じる静寂と平安を思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「瞑想していると、まるで自分の心の中に広大な宇宙があるような感覚になるの。そこには、日々の喧騒から離れた、深い静けさがあるの」


 沙奈絵は、美月の言葉に聞き入りながら、自分もその静寂の中にいるかのように目を閉じた。


「美月、あなたの話を聞いているだけで、私も心が落ち着くわ」


 美月は、沙奈絵の手をそっと握った。


「沙奈絵、私の話がそんな風に感じてもらえて嬉しいわ。これからも、いろんな経験をしたら、必ず報告に来るからね」


 二人は、言葉にならない何かを共有するように、しばらくの間黙って見つめ合った。その瞬間、病室の空気が、より温かく、より穏やかになったように感じられた。


 沙奈絵は、時折質問を投げかけながら、美月の話に熱心に耳を傾けた。その eyes には、美月の言葉を通して外の世界を垣間見ているかのような輝きがあった。


 時間が過ぎるのも忘れて、二人は穏やかな会話を楽しんだ。その時間は、まるで永遠に続くかのように、静かで豊かな瞬間だった。


 やがて話題は自然と、二人の共通の親友だった紗良さらのことに移っていった。紗良が不慮の事故で亡くなってから5年が経っていた。


「紗良のこと、よく覚えているわ」


 沙奈絵が静かに語り始めた。


「あの子の笑顔は、本当に周りを明るくしてくれたわね」


 美月も、懐かしそうに頷いた。


「そうね。紗良は、私たちに生きることの喜びを教えてくれたわ」


 病室の窓から差し込む午後の柔らかな光が、美月と沙奈絵の間に静かな温もりを与えていた。二人の目は、遠い過去を見つめるように、どこか遠くを見ていた。紗良の名前が口に上るや否や、部屋の空気が一瞬で変わったかのようだった。


「覚えてる? 紗良が初めて私たちに話しかけてきた日のこと」


 美月が静かに口を開いた。


 沙奈絵の目が、懐かしさで潤んだ。


「ええ、もちろん。あの日、図書館で私たち二人が必死に参考書を探していたら、突然紗良が現れて……」


「そう、『二人とも真面目そうだから、きっと私の探してる本のことも知ってるよね?』って」


 美月は、紗良の声を真似ながら、微笑んだ。

 沙奈絵も、つられて微笑んだ。


「あの時の紗良ったら、まるで昔からの友達みたいに自然に話しかけてきて。でも、そのおかげで私たち三人、すぐに親友になれたわね」


 美月は頷き、懐かしそうに続けた。


「紗良には、人と人をつなぐ不思議な力があったわ。彼女がいると、どんな場所でも明るくなって、みんなが自然と笑顔になった」


 二人は、学生時代の思い出を次々と語り合った。図書館での長時間の勉強会、カフェでのおしゃべり、文化祭の準備で徹夜をした夜。それぞれの記憶が、まるでモザイクのピースのように組み合わさり、鮮やかな青春の一幅の絵を描き出していった。


「卒業旅行のこと、覚えてる?」


 沙奈絵が、少し力強い口調で言った。

 美月の目が輝いた。


「ええ、もちろん。あの時の紗良ったら、地図を読み間違えて、私たちを全然違う場所に連れて行ってしまって」


 沙奈絵は、くすりと笑った。


「そうそう。でも、おかげで素敵な湖に出会えたわね。あの湖畔で見た夕日は、今でも忘れられないわ」

「紗良はね、『人生最高の失敗だった!』って大笑いしてたわよね」


 美月は、紗良の明るい笑い声を思い出しながら言った。

 沙奈絵の目に、一筋の涙が光った。


「紗良は、どんな時も前向きだったわね。失敗さえも、素晴らしい思い出に変えてしまう力があった」


 美月は、沙奈絵の手をそっと握った。二人の間に、言葉にならない共感が流れた。


「そして、あの日……」


 美月の声が、少し震えた。

 沙奈絵は、美月の手をぎゅっと握り返した。


「ええ、私たち三人で最後に会った日ね」


 美月は、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


「あの日、紗良は何か予感していたのかしら。いつもより静かで、でも、とても穏やかだった」

「そうね」


 沙奈絵は、目を閉じて思い出すように言った。


「紗良は、私たち二人の手を取って、『二人とも、これからもずっと幸せでいてね』って言ったわ」


 美月は、その言葉を思い出し、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


「まるで、別れを告げるみたいだった……」


 沙奈絵は、美月の言葉に深くうなずいた。


「でも、紗良らしかったわ。最後まで、私たちのことを思ってくれて」


 二人は、しばらくの間沈黙した。その沈黙は、悲しみに満ちていたが、同時に温かな思い出にも満ちていた。紗良の笑顔、紗良の言葉、紗良の存在。それらが、二人の心の中で、まるで光のように輝いていた。


「紗良は、私たちに大切なことを教えてくれたわ」


 美月が、静かに言った。


「今を精一杯生きること、周りの人を大切にすること、そして、どんな時も希望を持ち続けること」


 沙奈絵は、涙ぐみながらも微笑んだ。


「そうね。紗良は今でも、私たちを見守ってくれているような気がするわ」


 美月も、目に涙を浮かべながら頷いた。


「ええ、きっとそうよ。だから私たちは、紗良の分まで、精一杯生きていかなきゃね」


 二人は、互いの手を握り合ったまま、窓の外を見つめた。夕暮れ時の優しい光が、病室を柔らかく包み込んでいた。その光の中に、紗良の笑顔が浮かんでいるような気がした。

 悲しみと懐かしさ、そして温かな思い出が交錯する中、美月と沙奈絵の心の中で、紗良との絆は、時を超えてますます強くなっていった。そして、その絆が二人に、これからも前を向いて歩んでいく勇気を与えているのだった。


 そしてしばらくの沈黙の後、沙奈絵が静かに口を開いた。


「ねえ、美月」

「なに? 沙奈絵」


「あたしね、死んでも紗良のいるとこに行けるならそれでもいいなって最近思うんだ」

「沙奈絵……」


 美月の声が、少し震えた。


「誤解しないでね。死にたいって言ってるわけじゃないのよ。ただ死んでも紗良がいるとこに行けるならすごく安心だな、って最近思うの」


 美月は、沙奈絵の手をそっと握った。


「そうね……本当にそうね……」


 二人は、しばらくの間、静かに手を握り合っていた。窓の外では、小鳥がさえずり、優しい風が木々を揺らしていた。


「でも、沙奈絵」


 美月が静かに話し始めた。


「私たちは、今この瞬間を生きているのよ。紗良も、きっとそれを望んでいるはず」


 沙奈絵は、少し考え込むように目を閉じた。そして、ゆっくりと頷いた。


「そうね。わかってる……。今を大切に生きることが、紗良への一番の贈り物かもしれないわ」


 美月は、沙奈絵の言葉に深く頷いた。


 面会時間が終わりに近づき、美月は立ち上がった。「また来るわ」と言って、美月は沙奈絵の手を優しく握った。


 病室を出た美月は、深く息を吐いた。胸の中に、温かさと切なさが入り混じっている。


 美月はサナトリウムを後にし、次の目的地へと向かった。郊外の森の奥にある霊園。そこには紗良のお墓があった。


 霊園に着いた美月は、静かに歩を進めた。木々の間から差し込む陽光が、美月の頬を優しく撫でる。紗良のお墓の前に立つと、美月は丁寧にお墓を掃除し始めた。


 掃除を終えた後、美月は線香を立て、静かに手を合わせた。


「紗良、今日も沙奈絵に会ってきたわ。二人でたくさんあなたのことを話したの」


 夕暮れ時の霊園は、静寂に包まれていた。美月は、紗良の墓石の前にそっと膝をつき、持参した花を丁寧に供えた。淡いピンクの桜の花びらが、墓石の冷たい表面に優しく寄り添う。美月は、その様子を見つめながら、心の中で紗良に語りかけ始めた。


「相変わらず、あなたの笑顔を思い出すだけで、沙奈絵ったら目が輝くのよ」


 美月は、静かに目を閉じた。

 心の中で、紗良の笑顔が鮮やかによみがえる。

 その笑顔は、いつも周りの人を明るく照らす太陽のようだった。


「私たち、あなたのことをたくさん話したわ。覚えてる? 大学の図書館で初めて出会った日のこと。あなたが、突然私たちに話しかけてきたあの日」


 美月の口元に、懐かしい微笑みがこぼれる。


「あの時、あなたは私たちの人生に、まるで春の訪れのように現れたのよ」


 そよ風が吹き、美月の髪を優しく揺らす。その風に乗って、紗良の声が聞こえてくるような気がした。


「沙奈絵ね、今日はとても穏やかだったわ。あなたの話をしている時、彼女の目に光があったの。まるで、あなたが側にいるように」


 美月は、胸の奥に温かいものが広がるのを感じた。


「あなたは今でも、私たちを結びつけてくれているのね」


 美月は、ゆっくりと目を開けた。墓石に刻まれた紗良の名前を、優しく指でなぞる。


「紗良、あなたがいなくなってから、もう5年が経ったのよ。でも、あなたの存在は、まるで空気のように、変わらずいつも私たちの周りにあるの」


 夕日が地平線に沈みかけ、辺りは柔らかな薄明かりに包まれていく。美月は、その光景に紗良の温かさを感じた。


「紗良、あなたはいつも私たちに教えてくれたわね。今を大切に生きること、周りの人を愛すること、そして、どんな時も希望を持ち続けることを」


 美月の声に、深い愛情が滲んでいた。


「私たち、あなたの教えを胸に、これからも前を向いて歩んでいくわ」


 美月は、墓石に手を当てた。その冷たさの中に、不思議な温もりを感じる。


「紗良、これからも私たちを見守っていてね。あなたの分まで、精一杯生きていくから」


 風が再び吹き、美月の周りで桜の花びらが舞い上がった。その瞬間、美月の心に紗良の声が響いたような気がした。


(大丈夫、私はいつもあなたたちと一緒よ)


 美月は、静かに立ち上がった。夕暮れの空が、紗良の優しさのように美月を包み込む。美月は、最後に墓石に深々と頭を下げた。


「また来るわ、紗良」


 美月の足取りは軽く、心は穏やかだった。紗良との対話は、美月に新たな勇気と希望を与えてくれた。美月は、紗良の存在を心に刻みながら、静かに霊園を後にした。


 夕暮れの空が、美月の背中を優しく包み込む。そこには、紗良の温かな微笑みが浮かんでいるようだった。美月の心の中で、紗良との絆は、時を超えてますます強くなっていった。そして、その絆が美月に、これからも前を向いて歩んでいく力を与えているのだった。


「私たち、これからもあなたの分まで、精一杯生きていくわ。見守っていてね」


 美月は、そう言って静かに目を閉じた。心の中に、紗良の笑顔が浮かぶ。


 帰り道、美月は静かに歩を進めた。今日の出来事が、美月の心に深い余韻を残している。


 家に戻った美月は、和綴じのノートを取り出し、今日の体験を記録し始めた。


「今日の気づき:人生は、出会いと別れの繰り返し。でも、大切な人との絆は、時間や距離を超えて存在し続ける。今を生きること、そして思い出を大切にすることが、私たちにできる最高の贈り物なのかもしれない」


 美月は、そう書き記した。そして、窓際に置いてある小さな写真立てを見つめた。そこには、美月、沙奈絵、紗良の3人で撮った笑顔の写真が飾られていた。


「明日からも、今日という一日を大切に生きていこう」


 美月の心に、そんな決意が芽生えた。友人との絆が、美月の日常に新たな意味を与えようとしていた。

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