第12話「時を紡ぐ手」

 プロジェクト開始から3ヶ月が経ち、古民家の再生は着々と進んでいた。この日、美月は特別な期待を胸に秘めて目覚めた。今日は、古民家の襖や障子の張り替えを行う日だったのだ。


 朝の柔らかな光が差し込む中、美月は丁寧に身支度を整えた。今日の装いは、和紙を扱う繊細な作業に適した、シンプルで機能的なものを選んだ。上質な生成りの麻のシャツに、濃紺の綿のもんぺを合わせる。髪は、作業の邪魔にならないようにきっちりとまとめ上げ、手作りの藍染めの手ぬぐいで額の汗を拭えるようにした。


 化粧は最小限に留め、自家製のローズウォーターで肌を整えた後、ほんのりとした透明感のあるBBクリームを薄く塗るだけにした。唇は、蜜蝋を使った自作のリップクリームで潤いを与えた。鏡に映る自分の姿を確認すると、美月は満足げに微笑んだ。


「さあ、新しい出会いの日の始まりです」


 美月は小さく呟き、古民家へと向かった。


 現場に到着すると、美月はまず和紙の準備に取り掛かった。優子が用意してくれた和紙は、地元の職人が手漉きで作ったものだった。その質感に触れると、美月は思わず息を呑んだ。


「なんて美しい紙なのでしょう」


 美月の声に、優子が近づいてきた。


「そうですね。この和紙には、職人の魂が込められているんです。今日は、この紙を使って、古民家に新しい息吹を吹き込みましょう」


 美月は深く頷いた。和紙を丁寧に広げながら、美月は不思議な感覚に包まれた。この紙を通して、古い時代と新しい時代が繋がっていくような気がしたのだ。


 作業が始まると、美月は高度な集中力を発揮した。襖に和紙を張る作業は、思った以上に繊細で難しかった。紙の繊維の向きを整え、糊の量を調整し、気泡が入らないよう慎重に貼っていく。その作業の中で、美月は和紙の持つ不思議な力を感じ取っていった。


 昼頃、美月は一旦作業の手を止め、張り替えた襖を眺めた。和紙を通して柔らかく漏れる光が、部屋全体を優しく包み込んでいる。その光景に、美月は深い感動を覚えた。


「美月さん」


 優子が声をかけてきた。


「先日発見した古い襖の絵のことなんですが、あれをどうするか決まりましたか?」


 美月は、しばし考え込んだ。そして、ふと閃いたように顔を上げた。


「優子さん、あの絵を現代的な技術で保存しつつ、新しい和紙に転写することはできないでしょうか?」


 優子の目が輝いた。


「それは面白いアイデアですね。古い記憶を新しい形で残すということですか」


 美月は熱心に説明を続けた。


「はい。デジタル技術で絵を保存し、その画像を特殊なインクで和紙に転写する。そうすることで、古い絵の魂を残しつつ、新しい和紙の質感と融合させることができるのではないでしょうか」


 優子は深く頷いた。


「なるほど、早速、専門家に相談してみましょう」


 午後の作業は、さらに熱が入った。美月は、古い襖の絵をデジタルカメラで丁寧に撮影し、パソコンに取り込んだ。画像処理ソフトを使って、絵の輪郭を鮮明にし、色彩を復元していく。その作業は、まるで時間を超えて過去の絵師と対話しているかのようだった。


 夕方近く、ついに転写作業が始まった。特殊なインクを使って、処理した画像を新しい和紙に転写していく。その瞬間、美月は息を呑んだ。古い絵の魂が、新しい和紙の上で蘇っていくのを目の当たりにしたのだ。


「美月さん、見てください」


 優子が感動した声で言った。


「これは単なる修復ではありません。過去と現在が融合した、新しい芸術作品の誕生です」


 美月は、深く頷いた。この瞬間、美月は自分が単なるボランティアではなく、時代を超えた創造の営みに参加していることを強く実感した。


 作業の終わりに近づき、美月と優子は完成した襖を一緒に眺めていた。柔らかな夕陽の光が、新しく生まれ変わった襖を通して部屋全体を温かく包み込んでいた。


「美月さん」


 優子が静かに語りかけた。


「あなたの感性が、この家に新しい命を吹き込んでくれました」


 美月は、その言葉に深く感動した。しかし、同時に何か物足りなさも感じていた。


「ありがとうございます、優子さん。でも……」


 美月は少し躊躇いながら続けた。


「何か、まだ足りないものがあるような気がするんです」


 優子は、美月の言葉に興味を示した。


「それは、どんなことですか?」


 美月は、しばらく考えてから答えた。


「この家には、長い歴史があります。その歴史を、もっと直接的に感じられるものがあればいいのかもしれません」


 優子は、美月の言葉に深く頷いた。「なるほど。確かに、そうかもしれませんね」


 二人は、しばらくの間黙って考え込んだ。そして、美月がふと思いついたように言った。


「優子さん、この家に住んでいた人々の写真や、古い生活用品などは残っていないのでしょうか?」


 優子の目が輝いた。


「そうですね! 確か、納戸に古い箱があったはずです。そこに何か残っているかもしれません」


 二人は急いで納戸へ向かった。そこで見つけた古い木箱の中には、古びた写真アルバムや、使い込まれた茶碗、子供の頃の絵日記などが入っていた。


 美月は、それらを一つ一つ丁寧に取り出しながら、感慨深げに眺めた。


「これらを、家の中に展示するのはどうでしょうか。現代的なデザインの中に、過去の記憶を織り込むように」


 優子は、美月のアイデアに強く賛同した。


「いいですね。これで、この家は単なる建物ではなく、世代を超えた物語を持つ空間になりますね」


 美月は、優子の言葉に深く頷いた。そして、二人は夕暮れ時の古民家の中で、これらの宝物をどのように展示するか、熱心に話し合い始めた。その姿は、まるで過去と現在を結ぶ架け橋のようだった。


 家に戻った美月は、和綴じのノートを取り出した。今日の体験を記録しながら、美月は自分自身の内なる変化にも気づいていた。このプロジェクトは、美月の感性を研ぎ澄まし、新たな表現の可能性を開いていたのだ。


「今日の気づき:過去の記憶を大切にしながら、新しい価値を創造すること。それは、古民家の再生だけでなく、私たち一人一人の生き方にも通じるのかもしれない」


 美月は、そう書き記した。窓の外では、夕暮れの空が美しく染まっていた。美月は深呼吸をし、明日への期待を胸に、静かに目を閉じた。古民家再生プロジェクトは、美月の中に新たな可能性の種を蒔いていくのだった。


(※作者注:展開が冗長すぎたので第13話から第15話までを欠番とさせていただきます。ご容赦ください。 2024/08/24記)

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