ep10-3 それはほんの小さな歪み……

「じゃあまた明日」


「うん、それじゃ」


 分かれ道、短い挨拶を交わし美幸に手を振りあたしは家へと帰るべく歩き出した。


 確かな満足感と高揚感、そんなものを胸に抱きつつしばらく歩いたころ、住宅街の片隅の人気のない路地裏から見覚えのある人物が姿を現した。


 何やら周囲を警戒したようにキョロキョロしている赤毛ツインテールの様子が気になったあたしは思わず声をかける。


「キョーコ、あんた何やってんの、こんなところで?」


 ビクッと体を震わせ、キョーコがこちらに振り向く。


「ああ、センパイですかぁ、ビックリさせないでくださいよぅ」


「普通に声かけただけでしょ、それよりやけにこそこそして、何やってたわけ?」


「いや、別に何もしてませんよぉ、ただ、ちょっとぉ」


 キョーコは何かを誤魔化すように笑みを浮かべる。


「怪しいわね……あんたまさかまた悪さでもしてるんじゃないでしょうね?」


 あたしは訝しげに尋ねるが彼女は首を横に振る。


「そんなわけないじゃないですかぁ、アントリューズの『お仕事』でもないのに、悪さなんてしませんよぉ」


「ふ~ん、じゃあこんなところで何を……」


 首を傾げるあたしだったけど、その時ふとある事に気づき、ははあんと頷く。


「なんだ、近くのイタリアンレストランで食事をしてきたのね、別に隠す必要ないのに」


「へ? イタリアン、レストラン……?」


 とぼけた様子で言ってくるキョーコにあたしは誤魔化しは効かないぞと言わんばかりに、彼女の制服と口元を順番に指差しながら指摘する。


「服と口元に赤いのが付いてるわよ、それ特製のミートソースでしょ? 知ってるのよあたしは、ここの近くに美味しいって評判の隠れ家的イタリアンレストランがあることをね。あんた、そこで食事をしてきたんでしょ?」


 あたしの言葉にキョーコはハッとした表情を浮かべると、慌てて口元を拭いながら、


「バレちゃいましたかぁ、実はそうなんですよぉ。特製のミートソースがたっぷりと掛かったのを食べてきたんですよぉ。とーってもんでぇ、センパイに言ったら羨ましがられちゃうんじゃないかと黙ってたんですがねぇ……」


 と、悪びれもせず言う。


「あのねぇ、人を食い意地が張ってるみたいに言わないでくれる? ま、確かに美味しいものを食べるのは好きだけど」


「へぇ~そうなんですかぁ。じゃあ今度一緒に行きましょうよぉ。センパイとならきっと楽しいと思うんでぇ~」


 キョーコはニコニコしながら言うがあたしは思わず顔を顰めてしまった。


「食事くらいなら、付き合わないこともないんだけど……あくまでも食事だけなら、ね。ただあんたとどっか行くと、最終的にはホテルかなんかに連れて行かれそうだからね。あんたと二人っきりで食事とか、なんか嫌」


「そんなぁ~ひどいですよぉ~」


 キョーコが不満げに頬を膨らませる。


 そんな彼女の態度にあたしは思わずため息を吐いてしまうのだった。


「はぁ……まったくもう……」


「あの、センパイ。キョーコもう行ってもいいですかぁ? キョーコこれからしなきゃならないことがあるんですよぉ」


 会話が途切れたのを見計らって、キョーコがそう尋ねてくる。


 そう言えばあたしも帰るとこだったんだっけ。つい話し込んじゃったわ。


 それにしてもちょっと意外、こいつの事だから家までついて来るとか言い出すかもと思ったんだけど自分から別れを切り出すなんて……。


 何か大事な用事でもあるんだろうけど、あたしには関係ない話か、人のプライベートの事を気にしてても仕方ないし。


 そんなことを考えつつも、あたしは、


「ああ、ごめんごめん、引き留めちゃって。いいわよ、行っても」


 と返した。


「はぁい! それじゃあセンパイ、また明日ぁ~」


 手を降り駆けていくキョーコを見送ると、あたしはなんとなく彼女が出てきた路地裏を覗いてみる。


 ……別に何もないわね……。考え過ぎか。


 あたしの推測通り、そしてあの子の言った通り、近くのレストランで食事をしてきただけだろう。


 あたしはそう結論付け、家路を急ぐのだった。


 しかしそれにしても『また明日』かぁ……これはキョーコの奴明日もうちのクラスに来そうな予感がするわね……。


 またクラスメイトに変な目で見られなきゃいいけど……せめて人前だけでもあたしに対するアピールは控えて欲しいわ、ほんと。


**********


 翌日からのあたしは極めて精神的に安定していた。


 昨日の『アミーガ』でのひと時によって美幸との友情を再確認できたことで、あたしの心には温かな気持ちが満ちていたのだ。


「おはよ~、美幸」


あかりちゃん、おはよう」


 なんて、もはやお馴染みとなっている灯と美幸の朝のやり取りを見ても、あたしは微笑ましく感じるだけで済んでいた。


「昨日は放課後どこ行ってたの?」


「う~ん? ふふ、ナ・イ・ショ♡」


 問いかける灯に美幸はそう言いながら人差し指を口元に持っていくと、少し離れたところを歩くあたしへと視線をやり、一つウインクをしてみせる。


「こればっかりは灯ちゃんでも教えられないんだ~」


 ほほ、ほほほほ、おーっほっほっほっほっほっほっ! 見た、聞いた!?


 美幸はあたしとの時間を、灯にすら秘密にするほど大切にしてくれているのよ!


「え~、気になるなぁ? もしかして、前に言ってた『秘密の友達』関連?」


「さぁ~どうでしょう? それより、早く行かないと遅刻しちゃうよ~」


「あ、ほんとだ! もうこんな時間!? 急がなきゃ!」と灯は美幸に促されるまま慌てて駆け出していく。


 そんな二人の様子をあたしは後ろから眺めつつ思わず頬を緩めてしまうのだった。


 ああ、なんていい朝なのかしら……。




「相田」「はい」「赤羽根」「ほーい」「井上」「は~い」「上原」


 ホームルームが始まり、出席確認がされていくが、すぐに中断される。


 何故なら、呼びかけられた上原真理奈の名前に反応がなかったからだ。


「ん? おい、上原はいないのか?」


「上原さんなら来てないみたいですけど」


 キョロキョロと教室を見回しながら問いかける担任に、一人の生徒がそう答える。


「ふむ、遅刻か……サボりか……連絡は受けていないが、体調不良による欠席か……。まあいいだろう、では出席確認を続けるぞ」


 さしたる興味も示した様子もなく、担任は出席確認を再開する。


 真理奈の奴はいない、か。ふふ、どうやら今日のあたしはツイてるようね、あの嫌味な顔を見ずに済むなんて。


 あはっ、出来ればもう二度と学校に来ないでくれればいいのよ、指原とかいう子みたいにどっかに失踪でもしてさ。


 冗談めかして心の中で呟いた言葉が、まさか現実のものになってしまうだなんて、この時のあたしは思ってもいなかった……。


**********


「真理奈がいなくなって一週間、一体どこ行っちゃったんだろうねぇ、美幸はなんか知ってる? 親友でしょ」


「さぁ……。わたしは何にも聞いてないけど……、親友って言ってもお互いのプライベートについてはあんまり立ち入らないようにしてたし……」


「そっかぁ」


「真理奈はただの家出でしょ? 聞いた話じゃ両親の元に、毎日のように『心配するな』『探すな』『大事おおごとにすれば余計帰りたくなくなるわよ』ってメールが送られてきてるんだって、それに電話もあったらしいわ。だから警察とかにも届けず、学校側も内密にしてるみたいよ」


「ふ~ん、なんか、指原さんのケースと似てるね。確かあの二人って同じ部活の先輩後輩だったんだっけ、もしかしたら今一緒にいたりして」


「ありえるかもね」


「それよりカレシの家かもよぉ? って、真理奈カレシとかいなかったっけ?」


 クラスのそこらで、交わされるそんな会話。誰も本気で心配している様子はない。


 唯一、僅かに心配げな表情を浮かべる美幸に、たとえ表向きの親友相手にでも優しいのね、とあたしは感心していた。


「最近失踪が流行ってるんですかねぇ? まあ、上原さんは三年生で色々とあったんでしょうしぃ、レーカ以上に失踪してもおかしくなかったのかも知れませんけどぉ」


 そんなあたしに、相も変わらず体を密着させつつ、キョーコが言ってくる。


 こいつときたら、学年が違うにもかかわらず休み時間や自由時間には我が物顔であたしの教室へとやってきてはこうしてあたしにくっついてくるのだ。


 もうあたしも慣れたもので、ある程度されるがままにすることで、逆に暴走しないよう制御している。


 譲歩するべき部分は譲歩してやる、しかし一線だけは越えさせない、それがこの猛獣の躾け方なのだ。


「そうね」


 言っちゃ悪いが真理奈はあたしより馬鹿である。馬鹿のくせにあたしですら危うい海明かいめい大付属女子を受けようとしているらしく、そのことで両親と揉めていたようだし、それも含めて失踪理由なんて片手じゃ数えきれないくらいあるだろう。


 だからあたしは極めて冷淡な口調で答えた、そもそもあいつのことは大嫌いだし、二度と会いたくもない。


「それにしてもぉ、よかったですねぇ、、キョーコやセンパイの事をバカ女とか言ったり、嫌な人でしたもんねぇ」


 ニヤニヤと笑うキョーコだが、あたしは「コラ」とその額を軽く叩く。


「あいた、何するんですかぁ?」


 わざとらしく涙目になって見せるキョーコにあたしは一つため息を吐くと、


「そういうことはね、思ってても大っぴらに言うもんじゃあないの、正直あたしも同じ気持ちだけどね、誰が聞いてるかもわかんないし、たとえ表面上でもいい子でいるのが身のためよ」


 と注意する。


 するとキョーコは「はぁい、センパイがそう言うなら努力しますぅ」と素直に返事を返してきたのであたしは再びため息を吐くのだった。


 まったく、本当にわかってるのかしらね……この子ときたら油断も隙もないわ……。


 それにしても、真理奈の奴ほんとどこ行っちゃったんだろ?


 って、おかしいな、あたしなんで大嫌いなあいつの事考えてるわけ?


 ただ、もう二度とあの憎たらしい顔に会えない気がして、それがちょっと寂しいなんて思ったりしてるあたしがいた。


 なーんてね、どうせあのバカの事だもん、そのうちしれっとした顔で戻ってくるに決まってるわ。


「センパァイ、センパイってぇ、ツンデレですねぇ」


「はぁ? 何言ってんのよ、あんた」


 そんなあたしの内心を見透かしたかのようにキョーコが言ってくる。


 あたしは思わず顔を顰めるが、彼女は気にした様子もなく続ける。


「だってぇ、センパイってキョーコのことを嫌がってるそぶりを見せつつ、なんだかんだ構ってくれるしぃ、上原さんの事もいなくなってちょーっと寂しいって顔してるじゃないですかぁ」


「あ、あのねぇ、あんたに構うのは後輩だから仕方なくだし、真理奈の事は、そう、あれでもあいつこのクラスで唯一あたしと同じ小学校だったのよ。だから、その……同郷意識みたいなのが、ちょっとあっただけよ」


 実のところ美幸を除けばあたしという人間を最も理解し構っていたのは真理奈だったとも言える、他の連中は本当に空気のようにしかあたしを扱っていなかったし。


 認めたくないが、あいつはあたしにとってライバルのような存在だったのだ。


「ふ~ん?」


 とキョーコは意味ありげな笑みを浮かべる。


「何よ、その目は……」


「べっつにぃ? あは♡ センパイってぇ可愛いですねぇ♡ そう言うところ、キョーコは本当に大好きなんですぅ♡」


 くぅっ、こいつってばよく恥ずかしげもなくそんなことを……まずい、顔が熱くなってくる……このままじゃ本当に、かも……。


 そんなことを考えつつ熱をなんとか振り払うべく顔を上げたあたしだったのだけど、ふと、クラスメイト達の視線がこちらに集まっていることに気が付いた。


 あたしが顔を上げたことに気づき、みんな慌てて視線を逸らすのだけどひそひそと何やら話し出す。


 ああもう最悪! これでまたミョーな噂が立っちゃうじゃない!


 結局真理奈がいてもいなくても、あたしには安息の日々はやってこないってことなのかしら……。


 机に突っ伏し頭を抱えるあたしの横では、小悪魔がクスクスと笑っていた――

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