ep4-2 マリス様からの指令

「あー嫌だ嫌だ、なんで塾なんて行かなくちゃならないんだろう……どーせ行ったって成績なんて上がりゃしないのに……」


 美幸と別れ、家に戻ったあたしは着替えもせず塾に持っていく鞄の準備をしながら愚痴を零していた。


 しかし、いくら文句を言ってみたところで行かないという選択はあたしには許されていない。


 あたしの両親はあたしをどうしても、海明かいめい大付属女子という超難関校に合格させたいらしいのだ。


 だからあたしは両親の言いつけに従い、毎日必死になって勉強しているというわけだが、正直辛い……。


 そもそも、あたしには無理だっていうのに……。


「はあ……行きたくないなぁ……」


 思わずため息が出る、でもいかないわけにはいかない、行かなければ両親が悲しむからだ。


 実のところあたしの両親はそこまで厳しいというわけではない、頭ごなしに怒鳴りつけたりはしてこないし、手なんて絶対にあげたりしない。


 代わりにあたしが勉強をさぼったり、成績が上がらない様を見せると、酷く落ち込み時には涙すら流すのだ。


 ハッキリ言ってこれは普通に怒られるのの何倍も心に来る、なので絶対にさぼれないのである。


 行かなくちゃいけないという思いと、行きたくないという思いが頭の中をグルグルと駆け巡る中、あたしは本来ならものの5分で片付くはずの準備をだらだらだらだらと続けていた。


 その時だ、部屋の窓がコンコンと叩かれる音が耳に飛び込んできた。


 見ると、こいつもあたしの頭痛の種であるところのクソ妖精クリッターがニコニコと笑いながら手を振っていた。


「……何よ?」


 窓を開けると、そいつは待ってましたとばかりに身を乗り出してきた。


「マリスからの呼び出しクリ、マジカルブリス対策について梨乃と話し合いたいそうクリ」


 呼び出し……? 塾よりはマシだし、応じなければどんな制裁が待ってるかわからないから行きたいところだけど……。


「無理……あたしこれから塾なの……」


「サボればいいクリ」


 あっけらかんと言い放つクリッターにあたしはイラっと来て怒鳴り返す。


「出来るわけないでしょ! あたしはねぇ、これでも家では“いい子”で通ってるのよ!」


「なら親にばれないようにすればいいクリ。イリュージョンの魔法を使ってキミの分身を塾に行かせるクリ、そうすればキミは自由の身になれるクリ」


 軽い口調で言ってくるクリッターにあたしは目を見開く。


「そ、そんなことも出来んの、あたし……?」


「魔法の力は凄いクリ。さあさ、これで気にするものはなくなったクリ、早くマリスの元へ行くクリ」


「……わかった、じゃ、行きましょう」


 あたしは頭をくしゃくしゃと掻くと、ズルして塾を休むことへのほんの少しの罪悪感を振り払い、家を後にするのだった。



「ところでクリッター、一つ疑問なんだけど、なんであんたマリス様を呼び捨てにしてんの?」


 アントリューズ本部ビルに向かう道すがら、あたしはなんとなく気になり尋ねてみる。


 いくらクリッターが傍若無人で礼儀知らずとはいえ、総帥を呼び捨ては流石にまずいだろうと思ったのだ。


 すると、クリッターは事も無げにこう言った。


「そりゃあ、僕とマリスが同格だからクリ」


「ど、同格!? マリス様とあんたが……?」


 あたしは驚きのあまり絶句してしまった。この小さなもふもふがマリス様と同格だって? そんな馬鹿なことがあってたまるか……!


「アントリューズは僕とマリスが起ち上げた組織クリ。だから同格。マリスと僕は上司部下の関係じゃなくて、いわば共同経営者みたいなものクリね」


「う、嘘ぉ!?」


 衝撃の事実に、今度こそあたしは言葉を失ってしまった。


「ま、だからと言って僕に様づけする必要はないクリよ。僕は堅苦しいのは嫌いだし」


 よ、よかった……正直こいつに様づけなんてしたくない。


 マリス様には言われなくても自然に様づけしたくなる得体のしれない魅力――闇のカリスマとでも言おうか、そんなものを感じるんだけど、こいつはなんか違うのよね……。


 なんというか、一緒にいると妙にイライラするというか、生理的に受け付けない感じがする。


「た、助かるわ……」


 引きつった笑いを浮かべるあたしにクリッターは、天使のような、しかし悪意しか感じられない笑みを向けてくるのだった……。



 数十分後、あたしとクリッターはアントリューズ本部ビルの前にたどり着いていた。


 相変わらず大きなビルだ……何度見ても圧倒されてしまう。


 しかし、あたしは頭を軽く振ると堂々とビルへと入って行き、受付に向かう。


「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか?」


 尋ねてくる受付のお姉さん――これがロボットだなんて信じられない――にあたしはクリッターから教わった言葉を口にする。


混沌カオス……世界を混沌こんとんの海に沈めるために来ました」


「ワード確認……生体情報照合……浦城梨乃――暗黒魔女マギーオプファーと認識いたしました。ようこそ、アントリューズへ」


 恭しく頭を下げると、受付のお姉さんは何事もなかったかのように通常業務に戻って行った。


 う~ん、本当にできちゃった……なんていうか、いいな、こういうの凄くカッコいい……。いかにも秘密結社って感じでさ……。


 って、ああ、またあたしってば悪の組織にときめきを覚えちゃってる……ダメだ、ダメなんだから……。


 そんなことを自分に言い聞かせていると、クリッターが話しかけてきた。


「ふふ、なかなか決まってたクリよ? 今みたいにすれば、僕と一緒じゃなくてもいつでもここに自由に出入りできるクリ」


「あ、ありがとう……じゃなくて、褒めても何も出ないからね?」


 照れ隠しにそっぽを向きながら言うと、クリッターはクスリと笑った。


「わかってるクリ、さあ、マリスの所に行くクリよ」


「ええ」


 頷くと、あたしはエレベーターに向かって歩き出した。



「さて、それでは早速話を始めましょうか」


 最上階に位置する総帥室、その一つ手前の円卓の間へとやって来たあたしに投げかけられたのは、向こう側で椅子にも腰掛けずに待っていたマリス様のそんな一言だった。


 ドキィッ!! と、あたしはあまりの驚きに心臓が飛び出しそうになった。


 だって……マリス様はてっきり総帥室で待っているものだと思っていたんだもの。


 まさかこんなところで待ち構えていたとは思いもしなかったのである。


 考えてみればマジカルブリス対策の話し合いなのだから、ここを使うのは当たり前だったのだけども……。


「どうしました? ささ、席に着いてください」


 相変わらずの微笑を顔を浮かべたまま、マリス様があたしに促す。


 うう、穏やかな口調なのに相変わらず凄い迫力……とてもあたしと同年代の小娘とは思えない……。


 いや、見た目がそうなだけで同年代と決まったわけではなくむしろあたしや他の人より長く生きている可能性の方が高いのだけど……。


 ともかくあたしはおっかなびっくり手近な椅子に腰かけ、ちょうど卓を挟んで対面に座ったマリス様と向かい合う形になる。


「さて、梨乃ちゃん。あなたは昨日さくじつ初めての出撃、実戦を経験しました、しかし、結果は惨憺さんたんたるものでしたね」


「も、申し訳ありません……」


 あたしは昨夜のマジカルブリスとの戦いで見せた醜態と、その後のマリス様のお仕置きを思い出し身を震わせながら頭を卓にこすりつけんばかりの勢いで謝った。


「謝る必要はありません。悪いのは、いきなり実戦に向かわせるという判断ミスを犯した私なのですから」


 優しく微笑みながらそう言ってくれるマリス様。


 その言葉が嬉しくて思わず涙が出そうになるが、ぐっと堪える。


 ここで泣いたりしたらますます情けないじゃないか……! あたしが涙ぐんでいる間にも話は続く。


「しかし、このままではいけません。そこであなたには今からある事をしてもらいます」


「ある事……ですか?」


 聞き返すあたしにマリスさまはゆっくりと頷くと話を続ける。


「それは訓練、これから毎日放課後はここへ赴き、地下訓練場にて木偶兵士相手に戦い方、魔法の効率的な使い方を習得してもらいます」


「ま、毎日……ですか……」


 あたしは思わず呻き声を漏らしてしまう。


 学校で疲れた後にさらに特訓とか……正直勘弁して欲しいというのが本音だ。


 だが、あたしの表情を見て何かを察したのか、マリス様はクスリと微笑む。


「ふふ、なあに……くだらない塾での勉強などよりよっぽど楽で楽しい事ですよ」


「え、いや、それは……」


「それに、特訓と言ってもそんなにきついものではないでしょう? あくまでもあなたが強くなり、そして私の役に立てるようになるために行うのですから」


 確かにその通りだ。


 強くなるために、役に立つために、やらなきゃいけないことなんだ……。


 それにマリス様の言う通り、塾よりは圧倒的に楽しそうかもしれない……木偶兵士ならいくらぶっ潰しても問題ないし……。


「……わかりました、頑張ります!」


 決意を込めて頷くあたしに、マリス様は満足そうに微笑んだ。


「訓練の合間に、いかにしてマジカルブリスを倒すかについても考えてください。あなたが敗北してしまった理由の一つとして、あなたは彼女を抹殺――つまり殺害することを嫌がっているというものがあります。殺害という方法を取らずにブリスの心を折り正義を行えなくする手段を見出すことが出来れば、あなたの罪悪感も少しは和らぐかもしれませんよ?」


「……はい」


 そう返事をすると、あたしは俯いてしまう。


 たしかにその通りなのだ。


 実際、あたしのマジカルブリスへの憎悪は高まる一方なのだが、それでも殺したいかと問われれば答えはノーなのである。


 悪の組織の一員となったからと言って、人間としての倫理観を失ったわけじゃないし、元々あたしは魔法少女好き、あの子を消し去ってしまうのは本意ではないのだ。


 マリス様はそんなあたしの気持ちを見抜いておられたのだ、やっぱりこの人はあたしの事をよく理解してくださっているんだと思うと嬉しくなった。


「さて、では早速今日のメニューを始めてもらいたいのですが、その前に何か質問はありますか?」


 問いかけられ、あたしは逡巡する。そして、どうしても気になったことを訊いてみることにした。


「あ、あの……マジカルブリスなんですけど……組織にとっては、邪魔な存在、なんですよね?」


「そうですね、彼女の存在は我らアントリューズにとっては目の上のたんこぶのようなものです」


「な、ならどうして、あたしに彼女との戦いを任せるんですか? アントリューズにはあたしより強いだろう四天王の皆さんもいますし……マリス様ご自身だって……」


「コラッ! 梨乃はマリスに戦えと言う気かクリ?」


 不意に、それまで黙っていたクリッターが口を挟む。


「そ、そんなつもりじゃ……ただ、その方が効率的かなって思っただけで……あ、すみません、マリス様に意見するなんて……!」


 慌てて頭を下げるあたしだったが、マリス様は特に気にした様子もなくニコニコとしている。


「いいえ、構いませんよ。むしろ感心しています。よくそのことに気づきましたね。梨乃ちゃんの洞察力はなかなかのものですよ。私や四天王がマジカルブリスと戦わない――戦えないのには理由があります、説明しましょう」


 そう言うとマリス様は指をパチンと打ち鳴らす、するとどういう仕掛けか、卓の中心に世界地図が映し出された。


「私たちの目的は世界征服。もうちょっと具体的に言うと既存のシステムを破壊し、私たちにとってより良い世界に作り上げることにあります」


「より良い世界……」


が自由に気兼ねなく生きられる世界です。あなたのように社会に馴染めず虐げられた者でも、受け入れられる素晴らしい世界ですね」


「す、すごい……」


 あたしは感動していた。


 この暗黒結社の目的が世界征服だということは聞いていたけど、そのためにどんな事をしているのかまでは聞いていなかったからだ。


 まさか世界を作り替えるだなんて、そんなことまで考えていたなんて……。


 世界征服なんて馬鹿馬鹿しいとか、子供じみた妄想とか、かつてそんなことを考えていた自分を殴ってやりたい。


 このお方は凡人であるあたしなんかとは比べ物にならないくらい崇高で偉大な思想の持ち主なのだ。


「それで先ほどの話ですけど、私や四天王はその“本来の目的”で忙しいのですよ」


 マリス様の言葉に合わせ、モニターの中の世界地図に複数の光点が灯る。


 なるほど、四天王の皆さんは今はあの光点の位置、それぞれの担当地域でをしているというわけなのか……。


「そこでマジカルブリス――敵対者と戦うための専用メンバーが必要だったというわけです」


「それで僕が人材を探してるときに、梨乃と出会ったクリ。梨乃を見た瞬間僕はビビッと来たクリ、梨乃こそマジカルブリスを倒す者になるべくして生まれた逸材だと確信したんだクリ!」


「そうだったんですね……」


 マリス様を補足するように続けたクリッターの説明を聞き、あたしは納得する。


「というわけであなたを選んだのです、不満ですか?」


「い、いえ! そんなことはありません! 光栄です!!」


 あたしは必死に首を横に振る。


 不満なんてとんでもない! このつまらない陰キャ女にこんな重要な役目を与えてくださったマリス様には感謝しかないくらいだ……!


「ま、四天王が全員協力して掛かれるのなら、マジカルブリスなど問題にならないはずなのですが……彼らはいかんせ非常に仲が悪いですからね……協力など夢のまた夢でしょうね……まったく困ったものです」


 やれやれといった様子で首を振るマリス様の姿に、思わず苦笑してしまう。


「特にアクアが酷いクリ。あいつ男が大嫌いで絶対協力したがらないどころか、作戦会議のために同じ部屋にいるだけで不機嫌になるんだクリ。もうほんと最悪なんだクリ……」


 クリッターも頭を抱えて溜息をつく。


 ああ、なんとなくわかる気がする、うすうす感じてたけど、あの人女の子至上主義というか……男は死ねってタイプっぽいもんなあ……。


「梨乃は女でよかったクリね。もしかしたら頼めば色々よくしてくれるかもクリよ?」


 ニヤニヤしながら言うクリッターの言葉に、あたしは顔を赤らめつつも引きつらせる。


「い、いやそれはちょっと遠慮したいというか……」


 あたしにはそっちの気はないし、気を許したが最後とんでもないことまでされてしまいそうな気がして怖いし……。


「さあさあ、余計な雑談はここまでです。訓練を開始してください。クリちゃん、梨乃ちゃんをトレーニングルームに案内してあげてください」


「わかったクリ、梨乃、行くクリよ」


「ええ、それじゃマリス様、失礼します」


 あたしはなんとなくびしっと敬礼などをしてみる。


 それを見てマリス様はクスクスと笑っていた。



「梨乃ちゃん、なんだか最近いきいきしてるね? 何かいいことでもあったの?」


 あたしが特訓を開始してから数日後、放課後にいつものように美幸と『アミーガ』で砂糖とミルクたっぷりのコーヒーをすすっていると、ふいに彼女がそんな事を尋ねてきた。


「ん? そう? そう見える?」


 なんて曖昧な言葉を返すあたしだったが、実際ここ最近のあたしは充実していた。


 訓練はそれなりにキツいが、自分の実力がめきめきと上がっているのがわかるため、やりがいがある。


 分身を行かせるという形で塾からも解放されたので、ストレスの種もなくなったしね。


 そして、ここ最近であたしが一番楽しんでいるのは、マジカルブリスを倒すための手段を考える時間だった。


 どうやってあの子を痛い目に遭わせてやろうか、心を折ってやろうか、そんなことをいろいろ考えそれを脳内でシミュレートし絶望し泣き叫ぶあの子の姿を想像するだけでゾクゾクするのだ。


 ちなみにマジカルブリス対策の手段を考えるとき、あたしが参考資料として使っているのは、意外にもあの魔法少女アニメプチピュアであった。


 プチピュアは作中では何度も追い詰められ心を折られそうになる場面がある。


 もちろん最後には勝ってしまうのだけど、それは奇跡が起こったとか、敵が油断し手を緩めたからなどの理由が大半なのだ。


 つまり、奇跡なんてない現実なら参考にした作戦が成功するかもしれないし、あたしが変に油断して隙を見せるような真似さえしなければ、あの子は絶対に勝てないはずなのだ!


 そして、実はプチピュア関係で参考にしているものがもう一つ……それのおかげでマジカルブリスを痛めつけるためのいい作戦が出来上がったところなのだ、テンションが上がるのも当然というものだろう。


「うん! なんかすっごくキラキラしてて輝いてるって感じ」


 とはいえそんなふうに言ってくる美幸にはこんなことを言えるわけがないんだけどね……。


 あたしは適当に笑ってごまかしながら、コーヒーカップに口をつけた。


「いいねぇ、青春だねぇ、アンタたち」


 マスターの藤香さんが楽しそうに笑う声を聞きながら、あたしはニヤリと笑みを浮かべる。


 ふふ、見てなさいよマジカルブリス……近いうちにぎゃふんと言わせてやるんだから……!


 ああ、あたし、かんっぜんに悪の組織の一員になってるわこれ……。

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