4‐⑬ 猫と精霊と神の糸

 とある作家の作品に『蜘蛛の糸』という物語がある。

 一人の罪人が地獄に落ちることから話は始まり、それを見ていたお釈迦様が一本の蜘蛛の糸を垂らし男の魂に救いを与えるといったものだ。

 物語では、男の『己だけが助かろう』とする浅ましさから結局糸は切れてしまうのだが、大切なのはこの糸には『魂を救い上げる力』があるということ。

 もし僕がこの糸を作ることが出来れば、あの子を助けられるかもしれない。僕はこれに賭けるしか無かった。


「お願い、成功してっ! 『祝福』!!」


 僕はシルクスパイダーの糸に全力で祝福を掛けた。

 作中、いくら神が垂らしたものとはいえ、ただの蜘蛛糸に魂を引っ張る力があるとは思えない。確実に神の力が込められている筈。そうであって欲しい。そうでなくては困る。

 では込めれば良いじゃないかと思うわけだが、僕には神力を込める方法が分からなかった。先輩神様のピアちゃんも分からない様子。そこで『祝福』を使ってみた。

 祝福は一時的に神の加護を込めるスキル、ならば祝福を掛けたものには神力が込められている筈だと考えたからだ。


 神力が流し込まれる度、膨張するように明滅を繰り返すシルクスパイダーの糸。

 意識を失いそうなほど神力の込められたそれは、目を凝らさなければ見えない程透明で薄く銀色の輝きを放っていた。


「綺麗だ・・・」


 まるでダイヤモンドがそのまま糸になったかのような美しさがあった。

 きっとこの糸を使えば 神様のレシピ本は反応する。お願いだからあって欲しい。

 僕は目の前でページの捲れていくレシピ本を見ながら祈った。


「──っ! あったっ!! あったよっ、ピアちゃんっ! ミミちゃんっ! これであの子を助けられるっ!」


 僕が欲しかったアイテムは、やはり通常の物とは違うのだろう。開かれたページの中で神々しく文字が輝いていた。


「良かったのっ! おねーちゃん、早くその子を出してあげるのっ!」

「がぅっがぅっ!」

「うん、いくよっ! 『神様のレシピ本』、オートモード発動!」


 僕は爛々と輝く文字に触れ、そのアイテム名を叫んだ。


「作成『カンダタの糸』!!」


 僕の声に反応し動き出すレシピ本。手元にあった銀糸は宙に浮きぱらぱらと解けていく。

 そして糸はそのままのように捻じれ伸びていく、どうやら今回は編むわけでは無いようだ。

 糸はツゥーっと伸び紡がれ、最後に強く光ると束になって僕の手の中に落ちてきた。


「ととっ、これで完成か・・・って、これ何だっ!?」


 出来上がった糸は違和感の塊だった。

 まず存在感が驚くほど希薄で、こうして持っていても何処にあるか分からなくなりそうだった。

 そして重さが無い。出来上がった糸束はそれなりの大きさだ、ここまで重さを感じないなんてことは有り得ない。

 そして何より、触れている感触がない。柔らかいのか、ザラザラしているのか、そういった手触りが全く分からなかった。


「有るようで無い、これが神の糸・・・」

「おねーちゃん、急ぐのっ!」


 ピアちゃんの声にハッとした、糸に意識を持っていかれていたようだ。


 「ミミちゃん、飛べる君はアラミスと空から牽制をお願い、無理しちゃダメだよ? そしてピアちゃんは僕と一緒に引っ張るよ」

「分かったのっ!」

「がうっ!」


 ◇


 もうどれ程の間、私は此処にいるんだろう。

 静かな村の女達が歌う仕事歌から生まれた精霊である私は、日々人の営みに紛れては共に歌い、僅かながら癒しを施しながら過ごしていた。


 そんなある日、黒い服を着た男達が村にやってきた。

 夏の虫が鳴いているこんな時期に、足の先まですっぽりと隠れた大きなローブを着た人達。

 村ではまず見掛けない変な恰好に私は興味を引かれた。


 普段過ごしていて気付いたけれど、人間に私の姿は見えないらしい。

 その為私は、何の警戒もせず興味の赴くまま男達に近寄った──近寄ってしまった。

 一番前の他とは少し違う格好をした男の手を見ると、小さな黒い虫みたいなものが居るのが見える。

 よく見るとそれは、人の口がいっぱい付いた蛇の様な生き物で──。


 私が覚えているのはそこ迄だった。気付いたら透明な箱みたいなものに人の口が付いた虫と一緒に入れられて、そこからは狭い中を逃げ回る日々。頑張ったけどちょっとづつ食べられて、痛くて、怖くて。

 あぁ、私もうこのまま居なくなっちゃうんだなって思ったら涙が出てきて、そして凄く女神リアム──マーマに会いたくなった。

 マーマはみんなの為に大地に命を還した、その事は生まれた時から知っている。

 だから会えない事も知っている、でも最後に一度だけでも良いから・・・。


 小さな虫のように這いつくばって消えるのを待つしかなかった私の耳に、別の男の声が聞こえた。


「そこの精霊は大した力を持ってはいないんでしょう? ならばただ殺すのも勿体ない、手前の検体に使わせていただきましょう」

「別のエサがあるのなら、こちらとしても構わん。好きにすると良い」

「ははは、ありがとう御座います。さて、歌の精霊ですか。手前の人造神研究の役に立ちますかね・・・」


 それから私はずっとここに居る。

 汚くて、息苦しくて、体中が痛くなる場所。ぬるぬるした糸が体中に絡まり無理矢理唄わされる歌わされる場所。

 唄わないと痛い事をされる、でも唄うと糸が体と喉を締め上げてくる。糸は肉に食い込み、体中に細くて長い針が沢山刺さっている感覚。更に、外は見えないけど私の唄の力が良くない事に使われているのも何となく分かっていた。


 痛い、苦しい、悲しい、私の唄で悪い事をしないで。どれだけお願いしても、私の祈りは届かなかった。


 毎日痛い思いをするのなら、願いが届かないなら、せめて私を殺して欲しい。そう考える日々が続いたある日──マーマの気配を感じた。

 マーマとは何となく違う、でもマーマと同じ神気が近くにあるのを感じた。


「・・・マーマ? マーマ、どこ? マーマ、わたし、いたいよぉ。うわぁぁぁぁん、まーまぁぁぁ」


 マーマが近くにいる、それが分っただけで嬉しかった。マーマは私を見捨てたわけじゃなかった。

 枯れたと思っていた涙で、再び視界が滲む。

 こんな所もう嫌だっ、マーマの所へ行きたい、そしたらマーマに抱き締めて貰うんだ、よく頑張ったねって誉めて貰うんだ、撫でて貰うんだ。

 でもネバネバした糸が絡まって、手が少し動く程度で体が動かせなかった。

 どうしたら良いんだろう、分からなくてまた涙が出てくる。糸から抜ける方法を探して周囲に目を凝らしていると、顔のすぐ前に見えないくらい細い糸が垂れているのが見えた。


「ぎんいろ、きらきら、きれい。マーマ?」


 いつの間にあったんだろうだろうか、その細い糸は銀色の優しい光でぼんやりと輝き、そこにマーマの神気を感じた。

 触っても良いのだろうか、不安になるほど細くて切れてしまいそうだ。でもこれに掴まればマーマに会える気がした。

 私はその頼りない糸を両手で掴む、すると不思議な事に糸は切れる様子もなく私の体を持ち上げるのだった。


『大丈夫、安心して。僕がこれから一生守ってあげる──今まで、よく頑張ったね』

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