コンクリート

立川てつお

コンクリート

 昔々あるところに、不死身の男がいた。男は罪を犯し、生きたまま土に埋められた。

 男にしてみれば生き埋めなどなんてことはなかった。しかし男は、反省するふりでもしておいた方が良いだろうと思い、生き埋めにした人々が死ぬまでは大人しく土の中に潜っていることにした。

 外に出たら何をしようか。まずは美味いものでも食って、草原で昼寝でもして、新しい人々と世間話でもするのが良い。男は次の生活を夢想し、長い眠りについた。

 男は、念の為、念の為と、もういくつも眠りを重ね、短く目を覚ましたその度に、新しい生活に思いを馳せた。自分を知るすべての人間が死んだ世界で、どんな人間と親しくなり、どんな人間を妻に迎え、どんな子をもうけるのか。何で食っていくのがいいだろうか。そうだ、商人にしよう。生来人と話すの好きな性だから、商人をやるのがいい。それで、お得意様となった徳人の娘を妻にめとるのだ。

 いやしかし。商人にでもなってしまったら、あまりの忙しさに、草むらでのんべんだらりと昼寝の一つでもする時間など、なくなってしまうのではないか。男は、草の匂い、そしてその上を吹き抜けるそよ風の柔らかさを愛していた。そうだ、詩人になろう。草むらに寝転び、自然の声に耳を傾け、時折人々に詩を伝え楽しませる、愛すべき詩人になるのがいい。男はそう考えて、再び目を閉じた。男の期待は、眠りを重ねれば重ねるほどに大きく膨らんでいった。

 それからもう何眠りかした後、もうそろそろ頃合いだろうと、男は地上に上ることにした。上に向かって土を堀り分け、明るい太陽の光を目指し、上へ上へと上っていった。

 しかし、男の予想していなかった事態が起こった。掘り進める途中で、硬い何かにぶつかったのだ。

 壁。それも、とても分厚い壁。男がぶつかったのは、巨大な分厚い壁のようだった。

 壁。どこまで行っても壁。壁。壁。壁。

 冷や汗が流れる。俺は閉じ込められたのではないか。こんな暗い場所で、一生孤独に過ごすなど、そんなのは絶対にごめんだ。どうにかしてここから出なければ。男はがむしゃらに上へと掘り進めようとした。しかし、そうすればするほどに、自分の指からは血が滲み、爪も皮膚も削れていくだけだった。

 右へ、左へ、掘り進めては、上に手をやって、壁に阻まれて。男は無我夢中で掘り進めた。しかし、どこまで行っても、壁が途切れることはなかった。

 男は気が狂ってしまうのではないかと思った。泰然と佇む、冷たく圧倒的な壁に、とめどなく怒りが湧いた。男は怒りのままに壁を殴ろうとしたが、腕にまとわりつく土のためにそれも叶わなかった。罵詈雑言をぶつけようとしたが、土だらけのこの空間では、息を吸うことすらままならなかった。

 男は今度こそ本当に絶望した。人は。太陽は。草むらは。あれだけ夢見た生活は、もうどうやっても手に入らないのか。嫌だ。心の底から、嫌だと思った。男は叫んだ。しかし、壁は否応なく男を拒否した。男はひどく後悔した。何を?罪を犯したことを?「寝過ごした」ことを?わからない。男は土の中でひとしきり暴れたのち、疲れ果てて再び眠りについた。

 その後は地獄のようだった。僅かな睡眠から目覚め、次こそはと期待しながら土を掘り、壁に阻まれる。また眠り、次の次こそはと再び土を掘っても、案の定壁に阻まれる。小さな期待と大きな失望を繰り返した男は、次第に疲れ果て、期待することを恐れるようになり、ついには何も感じないように努めるようになった。そして、本当に何も感じなくなっていった。

 あれだけ熱望していた、人との会話も草木の匂いも、もはやどうでも良くなっていた。いつしか、眠りから目覚めても、上に向かっていこうなどとは毛ほども考えなくなっていた。男は、今では少しの夢想もすることない。ただ寝て、起きて、寝て。それだけの日々を送っていた。退屈などという感情が湧き上がってきてしまい、それにひどく押しつぶされそうな時は、ただ疲れさせることだけを目的に、無心に暴れ、無理矢理にでも自身を疲弊させて、意識を飛ばすように眠りにつく。その繰り返しだった。

 それから、男の主観的にも、客観的にも、気の遠くなるほどの膨大な年月が過ぎたある日だった。その日、男は、空の方向が明るいのに気がついた。ひょっとしたらもうずっと明るかったのかもしれないが、男はその時に気がついた。

 男はふと、上に進んでみようかと思った。しかしすぐに、またあの巨大な壁に阻まれて失望することを恐れ、その考えを打ち消した。それでもなお空の方向は明るく感じられたので、男は「どうせまたあの忌々しい壁が邪魔するに違いない」と悪態をつきながら、上へ上へと手を伸ばし始めた。意外なことに、あの壁には、いつまでも到達する気配がなかった。

 男はなお、期待せずに掘り進めていった。するとある地点で、ぽこっと、腕が土の外へ抜けるのを感じた。夢に見た地上!男は無我夢中で体をうねらせた。早く!早く!外に!

 しかし、男の見た地上の風景は、男の知るそれとは全く異なっていた。

 空は巨大な分厚い灰色の雲に覆われ、そこらじゅうを冷たく濁った空気が充している。そこは、自分が不死身でなければ耐えられなかったのではないかと思うくらいに寒い。男は歩き回ったが、そこには人一人どころか、虫の一匹すらいないようだった。草や木の気配などはどこにもなかった。

 男は地面に座り込んだ。商人をする生活。詩人をする生活。親しくなるはずだった人々。草木の匂い。男は空に向かって叫んだ。声はそのまま、どこへ響くこともなく虚空へと吸い込まれていった。

 男は寝転がった。それから眠りにつこうとし、これまで散々眠り尽くしたことで、最早眠れない体になったことを悟り、立ち上がった。

 男はとぼとぼと歩き出した。それからまた、男の新しい生活がはじまった。

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コンクリート 立川てつお @ttachikawa

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