第3話  オムライス

 耕平は、その日、エアコンをガンガンかけて部屋をギンギンに冷やしながら惰眠を貪っていた。学校は夏休み。その日はバイトも休みだった。大学入学とともに、この街に引っ越して来たのは去年の4月。耕平は大学2年生だ。1年近く付き合った恋人とは、1ヶ月くらい前に別れていた。その日、耕平は目が覚めてもベッドから出ようとはしなかった。恋人と別れてから、耕平は時間を持て余すことが多くなった。だから、眠る。余計なことを考えずにすむように。



 ピンポーン。


 玄関チャイムが鳴った。


「どうせ、新聞の勧誘だろう」


 ピンポーン。


「どうせ宗教の勧誘だろう」


 ピンポーン。


「どうせ……ちっ、仕方ないか」


 耕平はベッドから出た。8畳の1Kだ。数歩でドアまで辿り着く。耕平は玄関のドアを開けた。


「ん?」


 誰もいない。キョロキョロと見回しても、誰もいない。


「なんや、イタズラかいな」


 ドアを閉めようとしたら、声がした。


「イタズラじゃないぞ」


やはり、誰もいない。


「もっと下だ」


下を見た。驚いた。耕平のへそくらいまでの大きさの雪だるまがいた。しかも、耕平は雪だるまと目が合ってしまった。耕平は目眩がした。


「これは夢や。もしくは幻覚と幻聴や。原因は、多分、ストレスや」

「夢でも幻覚でも幻聴でもないぞ。現実から目をそらすな」

「って、夢だということにしてくれや、それが親切ってものやろう?」

「ダメだ。せっかく来たのに夢で終わらされたら、私の立場が無いじゃないか」

「で、お前は何しに来たんや?」

「そんなことよりも、中に入れてくれ、外は暑い」


 雪だるまは、ピョンピョン跳ねながら部屋に入って行った。


「おお、だいぶん涼しいな。冷蔵庫、開けても良いか?」

「好きにせえや」

「お、アイスクリームだ、いただいていいか?」

「どうぞ。ジュースも飲んでええで」

「それは、ありがたい。いただくぞ」

「って、お前の通った跡、水浸しやないか」

「仕方が無いだろう、幾らエアコンで涼しいと言っても、私が溶ける温度なのだから。そうそう、私が溶ける前に、君にはやってもらわないといけないことがある」

「なんや? 僕は何をしたらええんや?」

「思い出してほしい!」

「思い出す? 何を?」

「それを思い出すのが君の役目だ」

「そんなこと言われてもなぁ……」

「しかし、君の環境適応能力はたいしたものだな」

「え、どういうこと?」

「君は、もう私の存在を受け入れている。普通の人間ならパニックになっているぞ」

「そうか、そんなことはどうでもええけど、何を思いだしたらええんやろか?」


 耕平はベッドに寝転んだ。


「言っておくが、この問題には制限時間があるぞ。のんびりされては困るんだ」

「制限時間って、どのくらいあるんや?」

「私が溶け終わるまでだ」

「数時間で解けるんとちゃうか?」

「だろうな」

「おいおい、冷蔵庫の中に入ってしまえ」

「無茶を言うな」

「雪だるま? 雪? 雪? ……」

「ヒントは、オムライスだ」


 耕平は、いつの間にか眠ってしまった。耕平は夢を見た。正確に言うと、それは夢ではなく遠い記憶だった。


 あれは、小学5年生だったか、6年生だったか。


 子供が作るにしては、大きな雪だるま。あの女の子と2人で作ったっけ。あの女の子は、結菜。僕は結菜が大好きだった。


「出来たでー!」

「ほんまに出来た、めっちゃ大きい」

「こんなに雪が積もることって滅多に無いからなぁ」

「ほら、目をつけたから、雪だるまさんがこっちを見てるで」

「ほな、雪だるまの前で言おか」

「何を言うの?」

「これ」


 幼き日の耕平は、ポケットから指輪を1つ取りだした。


「これ、あげる」

「あ、指輪や。なんで? なんで指輪なん?」

「結婚指輪や。結菜ちゃん、大人になったら僕と結婚してくれ」

「結婚指輪?」

「その指輪はおもちゃやけど、大人になったらちゃんとした指輪をあげるから」

「私、こうちゃんのお嫁さんになりたい」

「ほな、この雪だるまの前で誓おうや。僕達は、絶対に結婚するって」

「うん、この雪だるまさんが証人やね」

「雪だるまさん、ちゃんと僕達を見守ってやぁ」

「雪だるま様、見守ってください」

「帰ったら飯やな。僕の親は共働きでおらんから、どこか外へ食べに行くけど、来る?」

「アカン、外食ばっかりやったらアカンよ。私が作ってあげるからね」

「また、オムライスか? 確かに結菜の得意料理で美味しいけど、オムライスばっかりってどうなんやろ?」

「さあ、スーパーに行こう!」


 景色が暗転した。今度は、病室が見えた。大人になった結菜が、真っ青な顔で寝ている。側で肩を落としている夫婦のことは知っている。記憶より歳はとっているが、結菜の両親だ。小学生の時は、よく結菜の家に遊びに行ったから知っている。


“おいおい、どういうことやねん!?”


 耕平は、そこで目を覚ました。雪だるまは、冷蔵庫の前で半分以上溶けかかっている。原型をとどめていない。


「おい、雪だるま! 結菜が危ないんやろ? なんとかしてくれや」

「……」

「アカンか……遅かったか」

「……いや、間に合った」

「僕はどうすればええんや?」

「電話して、故郷へ帰れ」


 耕平は、結菜の携帯に電話した。かろうじて、電話番号だけは知っておいて良かった。耕平と結菜は中学から周囲の目を(特に耕平が)意識して徐々に疎遠になり、同じ高校だったが、高校ではほとんど話さなくなっていた。


「もしもし」

「結菜? 耕平やけど」

「あ、耕平君? 久しぶり。私、結菜のお母さん、私のことおぼえてる?」

「はい、おぼえています。結菜は元気なんですか?」

「それが……交通事故に遭ってしまって、意識不明なの」

「僕、スグにそっちへ行きます。どこの病院ですか?」

「〇〇病院の204号室」

「これから支度してスグに行きます!」


 耕平は、慌ててリュックに荷物を詰め込んで、故郷に帰る用意をした。必要な物は向こうで買うことにして、軽い荷物で家を出る。家を出るときには、雪だるまはほとんど水たまりになっていた。


 病室に入った耕平は、結菜の手を握った。無反応な結菜。結菜の指に、あの時のおもちゃの指輪が光っていた。耕平は、涙を流した。



「夢みたい」

「本当に、良かったなぁ」


 耕平と結菜は公園のベンチに座っていた。あれから、結菜は意識を取り戻し、奇跡的に何一つ後遺症も無く退院することが出来た。そして、季節は冬になっていた。耕平は、年末年始を故郷で過ごすために、また故郷に帰ってきていた。


「こうちゃんが私の名前を呼ぶの、ちゃんと聞こえてたで」

「涙声やったから、なんか恥ずかしいな」

「恥ずかしがらんでもええやんか、私、嬉しかったんやで。今日、またオムライスを作ってあげるからね」

「お! 結菜のオムライス、久しぶりやなぁ。楽しみやわ」

「私のオムライスを作る腕も上達したんやで。オムライスはこうちゃんの1番の大好物やもんね」

「うん、オムライスも、結菜に作ってもらえて、しかもオムライスが大好きな僕に食べられたら幸せやと思うで」

「何それ?」

「オムライス視点」

「それ、オムライスの気持ち? 変わったことを考えるんやね」

「あ、そうそう、結菜に確認したかったんやけど、ここら辺やったっけ?」

「何の話?」

「あの雪だるまを作ったところ」

「あ、うん、ここら辺やったと思う」

「じゃあ、これ」

「何?……うわ、指輪や!」

「今度はおもちゃとちゃうで。約束通り、ちゃんとした指輪や」

「ありがとう」

「結菜、僕が就職して社会人になったら結婚しような」

「うん!」

「あ……」

「雪やね……」

「積もるかな?」

「積もったら、また雪だるまを作ろうね」

「うん、それから……」



 それからまた、雪だるまの前で愛を誓うよ。そして、結菜の得意料理のオムライスを、これからも食べ続けるんだ。







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