第2話  家庭教師とオムライス

“ピンポーン”



 滅多に鳴らない玄関チャイムが鳴った。レ〇ナは布団の中で寝返りを打っただけだった。目は覚めていた。平日の昼、レ〇ナは不登校で家で寝ていたのだ。


“ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン”


 根負けしたレ〇ナは、パジャマに少し大きめのカーディガンを羽織って玄関のドアを開けた。そこには、30代の半ばか後半くらいの痩せマッチョが立っていた。白いジャケットにデニムパンツ、インナーは白のタンクトップでネックレスを身に付けていた。身長は高くない。170センチくらいだろう。髪型はオールバックで、全体的にシャープな雰囲気だった。シャープな印象を、眼鏡が中和していた。


「レ〇ナさん?」

「そうですけど、あなたは誰ですか?」

「僕? 僕は崔梨遙。レ〇ナさんの家庭教師や」

「家庭教師? そんなの頼んでいないと思いますけど」

「うん、頼まれてないよ。いや、一応、頼まれたことになるんかな? まあ、レ〇ナさんの親には頼まれてへんわ」

「話が全く飲み込めないんですけど」

「まあ、不登校になってるって聞いたから来たんや」

「私、学校には行きたくありません」

「うん、ええんとちゃうか? 学校なんか、行きたくない人は行かなくてもええねん」

「私を学校に連れて行くんじゃないんですか?」

「うん、無理強いはせえへん。っていうか、中に入れてくれ」

「え! 中に?」

「うん、ちょっとくらいええやろ?」


 悪人には見えなかったので、レ〇ナは崔を家の中に入れた。


「レ〇ナさんの部屋で話そう」

「こっちです」


「ここか、ほな、ちょっと寝転ぶで」

「あなた、何しに来たんですか?」

「話をしにきたんや。それから、僕やからええけど、簡単に男を家に入れたらアカンで」

「わかってますよ!」

「あー!」

「なんですか?」

「手首に“ためらい傷”がいっぱいやんか」

「だから、なんなんですか?」

「これを見てや」


 崔が左手の腕時計をはずした。薄くなっているが、幾つかの切り傷があった。


「ためらい傷っていうけど、そりゃあ、ためらうよな-! だって、“死にたい”わけやないからなぁ。“生きていたくない”だけやからなぁ。“死にたい”と“生きていたくない”は似てるけど大違いやもんなぁ」

「そうですね。そう、そう、そうなんです」

「活き活きしていないから、生きていないというわけでもないんやで」

「はあ……」

「生きていくのがツライから、死んだ方がマシなように思うけどな。それはちゃうで。“生きていたくない”時に死ぬのはアカン。本当に“死にたい”と思った時に死ぬのは仕方が無いかもしれへんけど。それに、活き活きしていなくても、生きてるだけで立派なんや、生きてるだけで偉いんや。な、そう思うようにせなアカンで」

「はあ……」

「僕がそうやった。死にたいわけじゃなくて、生きているのがツライ時期が長かったわ。でも生き抜いたで」

「私は生きていてもいいんでしょうか?」

「当たり前やんか。レ〇ナさんは将来、ビッグな歌手になるんやで。未来のファンのために生きないとアカンよ。ほんで、今の苦しみが歌手になった時に活かされるから」

「そうですね、私には歌がありましたね。え! 私、歌手になれるんですか? 知らせてくださってありがとうございます。あ、お腹空いてないですか?」

「あ、何か作ってくれる?」

「何がいいですか?」

「オムライス」

「オムライスですか……」

「どうしたの?」

「この前、親がオムライスを作ってくれたんですけど、食べなかったら捨てられちゃって、なんか、食べなくて悪いことをしたかなぁって罪悪感が湧いてるんです」

「オムライスもレ〇ナさんみたいなかわいい子に食べてほしかったやろなぁ。オムライスの気持ちも考えたらなアカンで。うーん……そやなぁ、ほな、仕事から疲れて帰って来る親に、オムライスを作っておいてあげたら?」

「喜んでくれるでしょうか?」

「うん、きっと喜んでくれるわ」

「じゃあ、崔さんの分から作りますね」

「あ、ごめん。タイムオーバーやわ。僕、もう帰らないとアカン」

「え! 急過ぎませんか?」

「しょうがない、僕が今ここにいることが奇跡なんや。ええか、生きろよ! 歌手になれるんやから。将来歌手になれると思ったら耐えられるやろ? ほな、また!」


 崔は光の粒となって消えて行った。


 レ〇ナは親の分と自分の分のオムライスを作った。少しして、久しぶりに歌を口ずさんでいる自分に、レ〇ナは気付いた。レ〇ナは、少しだけ明るくなれたような気がした。



「これで良かったですか?」


「ああ、多分、大丈夫だ。これでレ〇ナは無事に歌手の道に進むだろう。レ〇ナはデリケートで敏感だ。時々、歌手への道が危うくなったらこうやって見守らないといけない。歌手になれば、歌で多くの人を幸せに出来る女性だから大切だ」

「ほな、僕は?」

「予定通り、人界に行っていいぞ、崔」

「はい」


 天国に行くほど良いこともせず、地獄に行くほど悪いこともしなかった者が死後に行く所、そこが人界だ。


 崔はもう死んでいたのだ。人界に行く前に、10年前の、15歳のレ〇ナを元気づける役目を与えられたのだった。



 最後に、レ〇ナに会えて良かったと崔は思った。崔はレ〇ナの大ファンだったのだ。崔は気分良く人界の門をくぐった。今回会ったレ〇ナが今の大人の姿なら愛を伝えたかったが、15歳では口説けない。それなら、今度生まれ変わったらレ〇ナと結ばれますように……。







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