婚約破棄? それより君は一体誰だ?

歩芽川ゆい

 

「グラングスト公爵家のフェルメッツァ嬢、あなたとモルビド王子の婚約は、破棄されます!」




 コンエネルジーア王国の、王城で主催のデビュタント前の令息・令嬢を集めた舞踏会。


 プレデビュタント的な意味合いも持つこの舞踏会には、それぞれの両親も壁際に集まって、子供たちを見守りながら社交をしていた。


 そんな中で、いきなり会場のど真ん中で大きな女性の声が響き渡った。


 思わず会場はシンと静まるし、生演奏を奏でていた弦楽隊も、演奏を続けていいものか迷って極小な音量での演奏になってしまった。


 


 声の主をと見れば、ひとりの令嬢が、令嬢にあるまじきことに、モルビド王子と呼ばれた令息と腕を組んで、その上で向かいの令嬢に指を突き付けて、口を大きく逆三角形に笑みを浮かべていた。




 正面に対しているフェルメッツァ嬢は、その艶やかなダークブルーの髪を綺麗に結い上げて、そこに黄色の花をちりばめている。ドレスはその髪の色に合わせたのか、淡いブルーを基調に、金糸で細かい刺繍が上品に施されている。膨らみ過ぎないAラインドレスは、彼女のスタイルの良さを損なうことなく見せている。


 フェルメッツァ嬢は口元をさっと扇を広げて隠したが、その目には疑問詞が浮かんでいるのが、誰が見ても明らかだった。




「ちょっと! 聞いているの!?」




 あまりに彼女の反応が薄いからか、モルビド王子にしがみついている令嬢は、再び大きな声を出した。


 しかしフェルメッツァは何も言わない。令嬢は訝し気な顔をした後に、急に破顔した。




「ああそうか! 破棄されると予想していたのね? だから言葉もないのね!」




 王子にしがみついている反対の手で、顎に手の甲を添えて、オホホホと勝ち誇ったように笑った令嬢は、その手も王子の腕に回して、王子の顔を下から目を輝かせて覗き込んだ。




「モルビド様! フェルメッツァ様も分かってくださいました! これで私たち、結婚できますわね!」




 モルビド王子は、この国の王位継承権第3位の王子だ。継承権はあるが、すでに第1位の姉が次の王に決まっているので、モルビドは将来その補佐に回ることになっている。もちろん継承権を持つから上の2人に何かがあったら、モルビドが王になる可能性もあるが、上の二人よりは気楽な立場にいる。




 そのモルビドはダークブルーを基調とした王族専用の制服を着用している。そのくすんだブロンドヘアーは会場の光を受けて、鈍く輝いている。胸には黄色い花が飾られている。


 彼はゆっくりと青い瞳を自分の手にしがみついている令嬢に向けた。それに令嬢は喜色を浮かべる。




「ね、モルビド様、今ここで、私たちの婚約を発表してくださいな!」


「ふむ。なかなか面白い話だけどね」




 そこでモルビドは少し大き目なその低音な声で言葉を切り、そっとその腕を外させた。令嬢は解かれた腕を不思議そうに見て、もう一度モルビドを見上げた。




「婚約破棄などという話は、私は全く知らないのだけれども、それ以前に、君は誰だ?」


「……へっ?」




モルビドのこの言葉に、その場にいた全員が吹き出した。フェルメッツァさえ、顔こそ扇でかくしているが、肩の震えは隠せていない。




言われた令嬢はあんぐりと口をあけて目をパチパチさせながらモルビドを見上げた。


それににこりと笑顔でモルビドが続ける。




「私は君に会った事がない。少なくとも記憶にない。だからまずは名乗ってもらえるかな?」




クスクスと笑い声があがっているが、言われた令嬢はそれどころではない。明らかにうろたえて、両手をギュッと握って胸の前に揃え、目を潤ませながらも何とか答えた。




「何をおっしゃっているのです、モルビドさま、インティモです! アベリメント名誉男爵家のインティモです!」


「アベリメント名誉男爵……ああ、護岸工事で業績をあげて、名誉男爵を、叙勲した大手の建設業者だな。名誉男爵のお陰で川の氾濫が治まって大変に感謝している。叙勲の際に謁見の間で挨拶はうけたな。しかし貴女には会った事もないが?」


「モルビド様! ああモルビド様! そんな意地悪をおっしゃらないで! 私たちはあの時に一目で恋に落ち、真実の愛に目覚めたのではありませんか!!」




インティモは胸の前で手を握って、モルビドに涙目で訴える。周りは笑いを収め、静かに成り行きを見守っている。




「会った事もない貴女と恋には落ちないし、私の真実の愛はフェルメッツァ嬢に捧げているが?」


「あの時、確かに私と見つめあったではありませんか! この女の前だからって、そんな風に取り繕わなくて良いんですよ!」


「見つめあった? 貴女があの場にいたのか? ……ああそういえば名誉男爵の後ろに誰か居たかもしれないな」


「それが私です! お父様の後ろに控えていて、お父様が私をモルビド様に紹介して、それでモルビド様と目が合って!」


「そうだったかな。名誉男爵とは確かに挨拶を交わしたけど、その時に貴女と話をした記憶はないよ? 私は貴女に何を話したかな?」


「その時には何も話していませんけれど! 確かに私たちは熱く見つめあって、恋に落ちたじゃあ、ありませんか!!」


「裏庭の池にでもどぼんと落ちて、鯉と見つめあったのではないのかな?」




モルビドの言葉に、皆がまた一斉に吹き出した。それをインティモの金切り声が搔き消す。




「ひ、ひどいわーーー! その後もお茶会に何度も招待してくださって、その度に熱く見つめあったし、乗馬大会では馬上から手を振ってくださったではありませんか! 今日だって私を探して会場内を見回していたでしょう!?」


「その全てで、私と直接声を交わした事はないよね?」


「ないですけど!! 会話なんてなくても、モルビド様のお声は聞こえてきましたし、私の思いも伝わっていたでしょう!?」


「残念ながら全く伝わってないよ」


「どうしてそんな酷い事をいうの!? そんな仮面みたいな笑顔を浮かべてばかりいる女より、私の方が可愛いでしょう!?」


「貴女は確かに可愛らしいけれど、私はフェルメッツァ嬢の方が全てにおいて好きだな」


「その女の前だからって、心にも無いことを言わなくて良いんですよ! 今日だって私に助けてって、目で訴えてきたじゃありませんか!」


「失礼もその辺にしなさい。もしかしたら君と目が合ったかもしれないけれど、会場の様子を確かめていただけだと思うな」


「そんなことないわ! ちゃんと目が合ったもの!」




モルビドは大きなため息をついた。周りもつられてため息をつく。さざ波のようにため息の音が広がっていった。




「君とは話にならないな。アベリメント名誉男爵はいませんか?」


「こ、こちらに!!」




人混みの後ろから慌てて出てきたのは、呼ばれたアベリメント名誉男爵だ。青い顔で、髪も乱している。




「殿下、申し訳ございません、会場外に待機しておりまして、娘が騒ぎを起こしていると連絡を受けて、急いで参りました!」




確かに使用人用の扉が少し前に開いて、誰かが入ってきたのをモルビドは目の端で確認していた。




「アベリメント名誉男爵、貴女の娘が私と何度も会っていると言っているのだが、私にはその記憶がない」


「申し訳ございません! 娘は私に付いて来ただけです!


その際にご挨拶させて頂いた事がありましたが、それだけですぐに場を離れております」




父親は大汗をながしながら上半身を45度に倒したまま言った。それにモルビドはうなずく。




「私もそのように記憶しているのだが、令嬢は違うようだ」


「私どもも、娘から殿下との話を聞きまして、何度も勘違いではないかと諌めたのですが。何せ多感な年頃なものですし、元々妄想癖もありまして、はい」


「はい、じゃないだろう? 妄想癖があるというのなら、あなた方がしっかりと見ていてくれなければ困る。そもそもその妄想とは?」


「娘が少し前から言い出したのですが、娘はこの世界のひろいんとやらで、だからコーリャクタイショーと恋に落ちるのだと」


「ひろいんとやらと、だから、以降がつながってないと思うのだが……」


「つながってるわ! 私はこの世界のひろいんなのだから、皆に愛されるの! でもこの世界は一夫一婦制だから、攻略対象を1人に絞らないといけないの! だからモルビド様に決めたの!」


「全然、わからないよ」


「インティモ、止めなさい! 不敬だぞ!」


「あらお父様、私には不敬とか適応されないわ! だって」




「「ひろいんだもの」」




インティモの言葉とモルビドの声が重なった。


それにインティモは目を輝かせる。




「やっぱりモルビド様は分かってくれますよね!!」


「さっぱりわからないよ。先を予想して言ってみただけだ。いや、1つ分かったな。君は人の話を全く聞かずに自分の世界にとじ込もっているということが」


「だってここは私の世界だもの! 私の思い通りに何でも進むんだもの! だからモルビド様、結婚しましょう!」


「婚約もせずに?」


「ああ! 婚約してくれるのね! やっぱりあなたも私を愛してるのね!!」




インティモは笑顔全開でその場で踊り出した。1人で簡単なステップを踏み、くるりと回る。プリンセスラインのドレスがフワリと広がった。ひとしきり踊るとインティモはモルビドの正面に立ち、高揚した顔で言った。




「これで私たち、婚約者同士ね!」




モルビドは王子スマイルを崩さずに言った。




「インティモ嬢、ならば貴女との婚約とやらを破棄しよう」


「えっ??」


「貴女との婚約とやらを破棄して、私はフェルメッツァ嬢と結婚する」


「ちょ、ちょっと、何をいっているの?」




インティモが思わず片手をモルビドに差し出すと、モルビドはその手が触れないところまで下がった。




「貴女は婚約者にはふさわしくない。だから私はフェルメッツァ嬢を婚約者とし、近く結婚する」


「え、そんなバカな。だってあなたは攻略対象で、私はヒロインで」




「これまでの私とフェルメッツァ嬢への数々の無礼を考えると、縛り首か、爵位剥奪のうえ国外追放、が適法なのだが、どちらがいい?」


「それ、フェルメッツァが受ける罰でしょう!? 私じゃないわ!」


「フェルメッツァ嬢はなにもしていないのだから、罰など受けるはずがない。罰を受けるのは、ありもしない婚約を破棄された貴女だよ」


「ありもしない婚約……」


「そう。貴女とは、話もしたことがないし、私は貴女を認識もしていない。貴女が妄想でそう思い込んでいるだけだ」


「婚約してない……、認識してない……思い込んだ……」




インティモが呆然とモルビドを見上げる。モルビドも周囲も、ようやく現実を認識したようだと胸をなでおろした。


モルビドは優しく、しかし決然として言った。




「どうやら貴女は心の病のようだ。病に冒されているものを処刑することはふさわしくない。アベリメント名誉男爵、インティモ嬢を厳重に監視のうえ、現実が認識できるようになるまでは社交界への参加を禁じる。特に我々が参加している行事には近付けさせないこと。やぶったら、名誉男爵の称号を剥奪する」




アベリメント名誉男爵はそれまで娘をどう扱ってよいのか分からずに右往左往していたが、モルビドのその言葉に姿勢を正し、腰を直角におっての礼をとった。




「ご寛大な判断をありがとうございます!」


「きちんと治療してあげなさい」


「はっ!!」




家をとり潰されても当然な無礼を働いたというのに、処罰なしとはなんと寛大な、と周囲が感心している中で、モルビドはフェルメッツァに向き直った。




「お待たせしたね、一人にして悪かった」


「大丈夫ですわ。興味深く見せて頂いていましたもの」




フェルメッツァがスッと右手を差し出すと、モルビドはその手をかるく跪いて恭しく受け、その甲に唇をよせた。




「少し位焼きもちを焼いてくれたとかはないの?」


「あんな女に体を触らせているのは不快でしたけど、貴方は浮気をする人ではないし、何より信じておりますから」


「……ありがとう」




 モルビドはフェルメッツァの指に唇を寄せ、姿勢を戻した。そのモルビドにフェルメッツァが寄り添うように近づく。互いに見つめあうその表情は、幸せそのもので。




「なんで、私はヒロインなのに、どうして!」


「インティモ、止めないか!」




 アベリメント名誉男爵に引きずられて行くインティモが、大声を上げる。




「だって、だって!! 思い込んだなんて、そんな事……あ、もしかして! これが私がプレイしなかった隠しルートてこと? ああどうしよう、私、正規ルートしかプレイしてないのよね!」


「何を言っているんだお前は! いい加減にしなさい!」


「お父様、これが隠しルートだとしても、最後にヒロインが勝つのはお約束なのよ! だから絶対に私がモルビドさまと結婚するの! って、ちょっと待って、お父様、どこへいくのぉぉぉぉぉぉ」


 最後は父親に殆ど担がれるようにして会場から出て行ったインティモ。その絶叫だけがしばらく響いていた。


 彼らが去ると、会場には一瞬静寂が降りたが、すぐに弦楽隊が小さく演奏を始め、周りの人々もそれでゆっくりと動き出した。




 モルビドはフェルメッツァの手を取りエスコートをしながら進み、反対の手を軽く上げて、少しだけ声を張り上げた。




「よくわからない出来事でお騒がせしたね。どうかここからは心行くまで舞踏会を楽しんでほしい。さあ、みんな、踊ろう」




 その合図で弦楽隊が大きな音でワルツを奏で、令息令嬢たちが手に手を取って踊り始めた。


 もちろん踊りながらの会話は、先ほどの出来事だし、周りで見ている両親たちもその話題で持ち切りだけれど、表面的には穏やかな舞踏会が再開した。




 モルビドもフェルメッツァの手を取り踊り始める。軽やかで優雅なステップで周りを魅了しながら。




「いつもの殿下狙いの令嬢とは一線を画した、ちょっと変わった令嬢でしたわね」


「ちょっとどころではないと思うよ。思い込みの激しい令嬢は何人も見ているけれど、あそこまで話の通じない令嬢は初めてだったね」


「いきなりの発言でしたものね」


「誰の許可も取らないで名誉男爵令嬢がしゃべり始める時点で、あり得ないよね。やはりどこか患っているのかな」


「あとで良いお医者様を紹介して差し上げましょう」


 少なくともこの国では、自分よりも地位が上の者に対して、自分から発言をしてはいけないというマナーがある。発言したければ跪いて「恐れながら発言をお許しいただけますか」などと最低限でも伺いを立てるべきで、厳密に言えば、王族であるモルビドには、話しかけられていない彼女ではそれすら不敬である。


 モルビドに伺いを立てずに話しかけられるのは、家族とフェルメッツァくらいのものだ。


「あの令嬢の言っていた、ひろいんとかコーリャクタイショーとか、カクシルートとか、一体どこの国の言葉かしら」

「聞いたことないよね。今度調べてみようか」

「面白そうですわね」


 二人は軽やかにターンを決め、また手に手を取る。


「コーリャクタイショーが何だかは分からないけれど、僕にはあなたよりも気になる人なんていないし、あなたよりも好意を持つ人もいない」

「あら、何ですの、いきなり」

「僕は何があってもその手を離さないからね。あなたがどうしても離したいと言うのなら、考慮はするけれど……」

「わたくしにも殿下しかいませんわ。ですから、この手を離したりはいたしませんよ。殿下を欲しいという人がいたって、絶対に渡しませんから」

「嬉しいよ、ありがとう」


 その体を引き寄せた時に、モルビドはフェルメッツァの髪に軽く唇を当てた。


 その感触にふふ、と幸せそうに笑うフェルメッツァ。


 このふたりの間には誰も割り込めない、とそこの場にいた全員が思うほどに、幸せそうな二人の姿だった。






 その後、インティモは即座にアベリメント名誉男爵によって実家に連れて行かれた。その広い屋敷と広大な庭を持つ敷地からは絶対に出ないように、特別に雇った護衛が1日中監視をすることになる。


 しかしインティモは「モルビドさまの元に戻る!」と令嬢らしからぬ行動力を発揮して、どうにか屋敷から抜け出そうと躍起になっていた。部屋の入口に護衛が付けば、3階の自室の窓から抜け出そうと、シーツを裂いてロープを作って窓からぶら下がり、2階より降りた、というところで力尽きて落下し、腰を痛めた。

 父親はため息をつきながら、窓の下にも護衛を配置した。昼間は抜け出さないから夜の番をしてもらっていたが、それを逆手にとって昼間、堂々と窓からぶら下がり、また2階まで降りたところで落ちた。

 今度はとっさに腰をかばおうとしたらしく足から落ち、片足を単純骨折した。こんな程度でよかったですね、と王宮から紹介された医師がため息をつきながら治療にあたった。


 その際の医者の説得の甲斐があってか、ぶら下がる奇行はおさまったようだが、ひろいんだとかコーリャクタイショーとか言うのはおさまらず、




「隠しルートの攻略法ってなんなのよぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅ!」




 という叫びが、毎日敷地内に響き渡り、そのたびに名誉男爵と医師、使用人全員がため息をついたという。

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婚約破棄? それより君は一体誰だ? 歩芽川ゆい @pomekawa

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