第8話「おもいで」

 九月に入って学校がはじまり、まず変わったのは級長と副級長だった。副級長は高梨優子たかなしゆうこというお下げの気弱そうな少女で、級長は桐谷淑子きりたによしこ、終戦の日に文代を止めた少女だ。前副級長の峯子は副級長と呼ばれて間違って反応したり、また同級生たちに副級長と間違って呼ばれてしまうこともしばしばで、なんだか不服そうだった。……文代の方はあれ以来周りを拒絶しているような振る舞いをしており、誰も話しかけられない。また、戦争が終わったとはいえ校舎も焼けてなくなり、することと言えば焼け跡の片付け作業、学校農園で食糧を得るための作業……といったことを行っていた。

 そんなある日の放課後のこと。峯子やタヅ子と談笑していると、副級長の優子が走ってやって来た。

「副きゅう……じゃなくて笹原さん……たち、お話してるところ悪いんだけどちょっといい?」

「……副級長はあなたなんだからね、しっかりしてちょうだいよ」

また峯子が呼び間違えられている。間違えられた当人は慣れっこのようだったが呆れ顔だ。

「あ……ごめんね」

「それで話って何?」

「そうそう、片倉先生が金城さんを探してたんだけど、金城さんは……」

「金城……なら私だけど」

「あっ、良かった! じゃあちょっとついてきてくれるかな」

優子は嬉しそうに微笑む。先生のもとまでサキを案内してくれるようだ。

「わ、わかった……あ、ふたりは先に帰ってていいよ」

二人は足早に去っていった。

「サキが呼ばれるなんて……何かしら」

タヅ子がその背中を見守りつつぼやく。峯子も不思議そうだ。

「さぁ? 特に最近何か起こしたわけでもないし……」

「不思議ね」

「まぁ、そんなこともあるでしょう……また後で聞けばいいわ。私たちもそろそろ帰りましょう」

「それもそうね」

峯子とタヅ子はそう言って帰る支度をすべく、その場を去った。


 一方の優子とサキは、先生のもとへ向かっていた。

「片倉先生からお呼び出しなんて、私なにかしちゃったのかな……」

「ううん、そうじゃないみたい。誰か学校に来て金城さんを呼んでくれって言ったらしいの」

「そうなの? 誰かな」

「うーん、それは分からない……」

そんな話をしているうちに、片倉の姿が見えてくる。隣には和服にモンペ姿の婦人が立っていた。彼女がサキを呼び出したのだろうか。

「先生、金城さんを呼んできました!」

「高梨さんありがとう。あなたはもう戻っていいわよ」

「わかりました。金城さん、じゃあまたね」

「またね。……それで先生、お話って何ですか?」

そう言われると片倉は、横の婦人の方を向いた。そして婦人が口を開く。

「あなたが金城サキさん?」

「……は、はい」

「私、丘部ミヤと言います。娘が……お世話になったようですわね……」

「……!」

丘部と聞いてハッとする。彼女は……ミヤはどうやら敏子の母のようだった。

「急に呼び出したりしてごめんなさいね……。あなたがどこに住んでいるのか全く分からなかったものだから」 

「い、いえ……大丈夫です……けど、どうして私を……?」

「……話したいことがあってね。突然で申し訳ないんだけど、良ければ……今度あなたに私の家へ来てほしいのよ。」

「えっと……」

サキは少々返事に迷った。だが……サキには返さないといけないものがあることをすぐに思い出す。そうとなれば答えは一つだった。

「……わかりました、行きます」


 数日後。サキは学校まで迎えに来たミヤに連れられ、丘部家の建物まで向かっていた。大切なものを持って。二人は無言で歩き続ける。

「ここよ」

それなりに長い道のりを終え、大きな屋敷の前にやってきた。どうやら空襲でも焼け残った建物のようだ。表札には「丘部」の文字がある。

「どうぞ上がって」

「お、お邪魔します」

玄関も広く立派。そのまま長い廊下を通り、これまた広めの和室に通される。大きい机を挟んで 座布団が二つ置かれていた。ミヤに促されるまま席に着く。そしてミヤが傍にいたお手伝いさんらしき女性に、茶を持ってくるよう言いつける。程なくしてお茶と、さらにどこから手に入れたのか茶菓子が用意された。

「お、お菓子まで……⁉ ありがとうございます……!」

「お構いなく。ところで……最近の女学校はどうなのかしら? 校舎も焼けてしまわれたけれど……」

「あ……ええと、最近はずっと焼け跡の整理とか、農作業とかをしています」

「まぁ、そうなの……ご苦労様です」

 こんな感じに、通されて少しの間は最近の学校生活に関する話題等の雑談をしていたが、あまり盛り上がらない。ミヤもそれをすぐに理解したのか、

「……こんな話ばかりしていても仕方ないわよね。もっと大切な……話があるもの……」

 少しの沈黙の後、サキが一番気になっていた話が彼女の口から震える声で出てきた。

「敏子のことなんだけれど……単刀直入に言うわね。どうしても……あなたにお礼が言いたかった」

「……!」

「なぜって思うでしょう……実は……生前の敏子からあなたの話を少しだけ聞いていたの。あの子が入学した年に大東亜戦争が始まったでしょう。前から暗かったのがさらに暗い世の中になって我慢ばかりの日々で……あの子も……ほんとは可愛いお洋服とか、少女向けの小説が大好きだったの。でもお国のためと思って頑張って我慢してたんでしょう、どこか表情も暗くて。でもあなたと出会ってから……どんどん明るくなっていってね。嬉しそうにその話をするのよ」

ミヤは遠くを見ながら懐かしそうに目を細める。

「サキさん……我慢ばかりだったあの子の最後の日々を……彩ってくれてありがとうね」

そういって一礼をするミヤ。彼女の頬には何筋もの涙が伝っていた。

「ごめんなさいね……あの子の話をするとどうしても……」

「いえ……謝らないでください……」

サキが思い出す敏子の顔は、どれも笑っていた。彼女は会うたびに全身から喜びを溢れ出させていた。その裏にどんな感情を隠していたのか。

「敏子は……大好きなお洒落もできなくて、憧れの制服も着られなくなって、機械に囲まれる日々の中で……あなたに夢を見出したのでしょうね……」

「……」

今となっては敏子の真意は分からない。けれど、ミヤの言うことが本当だとするなら……敏子の 希望になれていたのなら……サキはなんだか救われたような気がした。

「……私も、ミヤさんに返さないといけないものがあるんです」

そう言ってサキが風呂敷包みからあるものを取り出す。

「これって……」

あの日敏子からもらった、蓮咲高女のスカートであった。空襲の日も、前もってサキはスカートを持ち出し用のリュックに入れていたため、焼けずに残ったのだ。

「……はい。貴重なものですし、本当はもっと早く……直接敏子さんにお返ししたかったのですが……あんなことがあって返せなくて」

「道理で制服のスカートだけないと思っていたのよ。あなたが持っていたのね……」

ミヤは思いもよらない形で見つかったわが子の形見にそっと手を置き、そして愛おしそうに見つめる。しかし次に彼女が発した一言は、予想だにしないものだった。

「でも……これは受け取れないわ」

「な……なぜ?」

「だって……あの子が渡したんでしょう? あげる、って言って」

「そうですけど、貴重ですし……今は私よりご家族が持っているべきだと思って」

「あのねサキちゃん」

ミヤは諭すような口調でサキに話しかける。

「敏子はあなたが持っているべきだ、と思ってあなたに渡したのだから……これはあなたが持っているべきじゃないかしら?」

「そうなんでしょうか……?」

「ええ。あの子だって返されてもきっと受け取らなかったはずよ……そういう子だったから。とにかく、これはあなたが持っていなさい」

そういわれてしまうとサキはこれ以上、何としてでも返そうという気にはならなかった。


「それに……私たちには敏子との思い出の詰まったものはたくさんあるけれど、あなたにはそれしかないのだからね。大切に持っていて」

「わかりました……あ、ありがとう……ございます……」

「……こちらこそ」

そう言って彼女は微笑んだ。

「ほんとはもっと短く済ませるつもりだったのに……私ったら長話で。長くなっちゃってごめんなさいね。最後に……良ければ敏子にお線香をあげてくれると嬉しいのだけれど……」

「……お願いします」

サキはまた別の部屋へと案内された。天井近く、先祖代々……らしい老人たちの写真の一番端に、セーラー服姿の敏子の写真が飾られている。白黒写真の中の、サキが知っているより少しばかり 幼い顔の彼女は、うっすらと優しい笑みを浮かべていた。サキはぼんやりと写真を見つめていたが、すぐにハッとして仏壇の前に座る。今度はその前に置かれていた作業服姿の敏子と目が合った。上を見れば敏子のものと思われる素朴な位牌が立っている。こちらの彼女もやはり、壁の写真と同じような笑みを浮かべている。横からそっとミヤが蝋燭に火をつけた。サキはすぐさま感謝を告げると、線香を折り、その火で炙る。そして香炉に立てると、そっと手を合わせた。心の中で敏子に 深く感謝しながら。もう敏子がそれに対して何か言ってくれることも、微笑みかけてくれることもない。でもサキは……ここへ来て、ようやく彼女の死を受け入れられたような、そんな気がした。

 ミヤに礼を言って丘部家を去った後、自宅へと帰ると母にスカートのことを尋ねられた。が、サキがミヤの話をするとなんだか寂しそうに……そう、とだけ言った。サキは箪笥の一番奥に、「大切な思い出」を丁寧にたたんで入れておいた。


 季節は移ろう。十月に入るとかつての青年学校の校舎を使わせてもらえることになった。とはいえほかの学校も同じ校舎を使っていて、授業は教室を三分割。生徒たちは内容がごちゃごちゃにならないよう必死だった。また場所も足りず交代での授業で、まだまだ昔のようにはいかなかった。それでも勉強できる、ということが生徒たちには何よりもうれしいことだった。

 そんなある日の放課後のこと。午前で授業も終わったということで、みな早く昼食を食べようと帰路につき始めていた。皆に合わせて帰ろうとしたサキと峯子を、タヅ子が呼び止める。

「おふたりさん、いいものがあるの。ちょっとこっち来てくれない?」

「どうしたの?」

「いいものって?なにか……変なものじゃないでしょうね」

「峯子ったらやぁね、そんなものじゃないわよ……」

そう言ってタヅ子はそれぞれに一つずつ、ボロボロの小袋を差し出した。峯子は早速外側から中身の感触を確かめる。するとその正体に気づき、表情がぱあっと明るくなる。

「これって! く……んぐぐ……」

「……馬鹿、声が大きい!」

タヅ子が慌てて峯子の口を押さえ、小声で注意した。

「ご、ごめんなさい、ついうっかり」

「タヅちゃんこれって……」

「……栗よ、家でとれたの」

周囲にばれないよう教室の隅に固まり、小声ででやり取りする。

「……せっかくだからおすそ分け」

「こんな時に……いいの?」

「うちだけじゃ多いからね……」

「……タヅちゃんありがとう!」

「感謝するわ……ありがとう」

「あとね、サキにはこれも」

タヅ子はもう一つ小袋を取り出した。

「?……これは?」

「……文代の分」

「文ちゃんの……どうして?」

「文代とあなたが仲直りするきっかけにならないかしらって。まぁ……こんな贈り物であの子が すぐ元通りになるとも思えないけれど……」

「……そうね」

「でも……時間が解決するのを待つだけじゃダメだと思うの、ほら、私にサキがやってくれたみたいにね」

サキはあの時のことを思い出した。そうだ、あの時も行動して状況を変えたじゃないか。あの時とは解決すべき問題の難易度が違うとはいえ……まずは行動しなくては。

「そうだね……なにかやってみないと。前みたいに」

「私こんな案しか思い浮かばなかったけど、許してね」

「う、ううん! こちらこそ……もう駄目かなって勝手に諦めちゃってたから……ごめん」

文代とは……もう前みたいに仲良くなれない、とどこかあきらめている自分がいた。少し希望が見えた気がする。

「いいの……じゃ、また明日ね」

「うん、また明日」

「さようなら、サキちゃん、応援してるわ」

三人は別れ別れになった。


 サキは学校からまっすぐ文代の家に向かう。前の家があった場所には、いつの間にかバラック小屋が立てられていた。入り口には「清崎」と書かれた板が打ち付けられている。ここが文代の家であることは間違いない。

「おじゃまします……」

敷地内に入る。人の気配はない。文代は、母はまだ帰っていないのだろうか。そっと、戸を開ける。

「文ちゃん? ……あれ、いないのかな……」

やはり誰もいない。文代はまだ帰っていなかったのだろうか。……と思ったが、文代のカバンが 落ちていることに気がついた。どうやら一回帰ってきているようだ。じゃあ、どこに行ったのだろう? ふいに、部屋の中央に置かれている裏返しにされた紙が目に入る。珍しい、几帳面な清崎家の人がこんなところに物を置くなんて。なんとなく気になって拾い上げてしまった。めくると、表側にはびっしりと文字が書かれている。文代の筆跡のようだ。サキはそれに目を通し……たかと思うと、しばらく硬直したのち、手紙を床に投げ捨て、勢いよく戸を開け家を後にした。

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