第7話「ラジオ」

 八月に入った。このごろ、サキ達一、二年生はある神社の近くの農園で作業していた。警報が出れば神社の境内に避難し、空き時間があれば……なぜかは分からないが授業を受けられた。先生たちも生徒たちも、授業を受けている間はなんだか生き生きとしていた。教科は様々あったが、サキは国語が一番好きだった。

 そんなある日のこと。サキが作業のため農園に入ると、向こうからすごい勢いで走ってくる人影がある。

「ひ……弘子ちゃん⁉」

なんと、空襲の翌日から姿を現さなかった弘子がいるではないか。

「金城さん‼ 会えてよかったです!」

弘子は嬉しそうにサキをきつく抱きしめる。

「私、金城さんと級長が街に住んでるって知ってたので心配してたんですけれど……二人とも無事でよかった!」

「私は弘子ちゃんが心配だったよ……」

どうやら文代の無事は知っているらしい。歩行隊で同方向にいたこともあり、弘子の家の場所を知っていたサキは弘子のことも心配していたのだった。

「いやぁ、家族は無事だったんですけど家が丸焼けになっちゃって縁故もなくて……。でも仮の家が見つかったので登校したんですよ、やっぱり皆さんともお会いしたいですし」

「大変だったね……」

「まぁ、いろいろ大変でしたけど……でも私生きてるので! 生きてたらきっと何とかなる!ってお母さんも言ってて。今回はたくさん亡くなった人がいたけど……生きてる私たちはその人たちの分まで生きていかないととも言われましたし、だから絶望しちゃダメなんです…… あっ、また話しすぎちゃった」

弘子はまたやっちゃった、ときまり悪そうにした。

「いや……そんなことないよ。弘子ちゃんの言うとおりだね……」

「金城さん……」

「弘子ちゃん、私頑張るよ」

サキは弘子の目をじっと見つめて言った。弘子もその目を見つめ返した。

「……ええ」

弘子の言葉は、サキの心にじん、としみわたっていた。

「……そういえばなんだけど、最近作業の合間に授業があってね。先生たちすごく面白い話してくれるんだ! 今日は何だったかな……」

「そうなんですね! 楽しみ! 私、前は算術とか好きだったんですが……あるといいな」

二人は授業を楽しみに、作業の輪へと加わっていった。


 間もなくして広島に新型爆弾が投下されたことが報道される。市民の間になにか……なにかただならぬことが迫っているという危機感があった。八日には学徒隊の結成式が行われ、いよいよ本土決戦という雰囲気だった。つづいて長崎にも新型爆弾が投下される。次はどこに投下されるのか……という話もあった。

 唯一の楽しみだった授業もなくなり、皆もう後には引けぬと腹をくくり教練を行った。中でも文代は熱心だった。妹と父の仇を取らなくては、と考えているようだった。一方のサキは自分でも驚くほど冷静だった。最後まで絶望しない、希望を持って生き抜かなければならない……そう考えていた。以前の恐怖はどうしたのだろう。自分でもわからなかった。

 敵は、いやアメリカはいつ上陸してくるんだろうと考えているうちに……


「きょう正午に重大放送」

 十五日の午前。こんな号外が配布される。サキはその放送を学校で聴くことになった。この日は校舎の焼け跡に全校生徒が集結する。学校ではその話題で持ち切り。どうやら陛下が自ら行われるらしい。いよいよ決戦なのだろうか……皆そう考えているようだった。

 そして……いよいよ正午。校庭に全校生徒、教員が集結した。暑い日だった。アナウンサーが起立を促したのち、君が代が流れる。その後……陛下の声が流れ始めた。雑音が混じり、また人も多いため良く聞こえない。どんな放送なのだろう……サキは皆に合わせて俯きながらそんなことを考えていた。陛下の声が流れ終わった後、再び君が代が流れ始める。どうやら決戦の話ではなさそうだ。

「……」

その後、先程読まれたものを再度アナウンサーが読んでいた。ザーッ……という音に交じり、太平を開かん……という言葉が聞こえた。その瞬間、サキの脳裏に負け、という文字が浮かんだ。負けたんだ。戦争終わったんだ……。それまで張っていた緊張の糸がプツンと切れたような、そんな 感覚だった。不思議と悔しい、悲しい、という気持ちはなかった。ただ、もう空襲ないんだ、死ななくていいんだ、戦わなくていいんだ。そんな気持ちだった。放送が終わっても、しばらく誰も喋らなかった。誰も泣かなかった。蝉の声だけが、広い校庭に響いていた。


 ひとまず解散となり、みな黙って帰っていく。サキも帰ろうとしたとき、一人立ち尽くしている文代の姿を見つけた。

「……文ちゃん」

「……」

声をかけても反応がない。

「文ちゃん……? どうし……っ!」

こう言い終わらないうちに、バチッというととともにサキの頬に衝撃が走る。気づけばその衝撃で地べたに倒れていた。見ると文代は今まで見たこともないような恐ろしい形相で立っていた。文代はサキの胸ぐらをつかみ、勢いよく引き寄せる。

「なんで……? なんでそんな嬉しそうな顔してるのよ……!」

「う、嬉しそうな顔なんか……」

「嘘つかないで! あなただって敏子さんの仇があるじゃないの! 最後まで闘おうとしてたん じゃないの⁉ なのに……その顔は何⁉ 私は今まで非国民と友達だったわけ⁉」

確かに文代の言う通り、サキは戦争に負けて闘わなくて良くなったことが嬉しかったのかもしれない。返す言葉が見つからない。

「……」

「なんとか言ってよ! サッちゃんは根性無しだったの……⁉」

「ちょっと! やめてよ級長……!」

胸ぐらを掴んだままサキを揺さぶる文代を、いつのまにか駆け寄ってきていた峯子が宥めようとする。

「うるさい! あっちいってて!」

しかし文代は峯子のことも思い切り突き飛ばしたのだった。

「はは……サッちゃんがそんな人だったなんて。一緒に最期まで戦える人だと思ってたのに……!」

文代は気が動転しているようだった。何も言わないサキをひたすら罵倒し続けた。突き飛ばされた峯子の方は、尻もちを着いた体勢のまま文代の変貌ぶりに呆然としていた。

「お国のためじゃなかったの? そのためにみんなで頑張ってたのに……サッちゃんはこっそり 悪いこと考えてたの? いい加減にしてよ!」

そう言って手を振り上げる文代の手を、誰かがパッ、とつかんで止めた。

「やめなさい」

見ると見覚えのあるおかっぱの女学生がいた。

淑子よしこちゃん、はなして! これは私とサッちゃんの問題なの!」

腕を捩って逃れようとする文代だが、淑子と呼ばれた彼女は一向にはなす気配がない。

「……落ち着いて。みんな見てるわよ」

ハッとして文代が周囲を見渡すと、いつの間にか人だかりができていた。中には当然同級生たちもおり、なにやらひそひそと囁きあう声も聞こえる。タヅ子の顔も見えた。彼女もまた、サキや峯子と同様に困惑しているようだった。

「どうして……どうしてなの⁉ みんなだって仇を取りたい人がいるでしょう⁉ ここで諦めろって言うの⁉ まだ私は負けなんて認めない……!」

半ば半狂乱で周囲に呼びかける文代。……しかし、誰からも同意の声は聞こえてこなかった。

「……級長、悔しいのは私もそうだけれど……陛下が戦いを終わらせるとおっしゃったのよ。それに逆らうのは間違っているわ」

淑子にこう言われた文代は、力が抜けたように前向きに倒れこむ。

「お父さん……康子……うう……っ……ああ……あっ……‼」

地面に顔を伏せ、ざめざめと泣き始めた。その様子にサキは思わず立ち上がると、以前文代にしてもらっていたように背中をさすろうとする。

「や……やめて……! 触らないで……」

文代はサキをジッと睨むと手を払いのけた。

「……そっとしといてあげなさいよ、今は気が滅入ってるだろうから」

淑子がそっと耳打ちした。

「……うん」

サキは気まずい空気の中、文代を置いて家に行くことにした。サキの様子を見ていたからか、励ましてやろうとする人は誰も現れなかった。峯子もそうだった。また文代もそれを望んでいなかった。真夏の日差しのもと、一人でただ泣き続けていた。


 サキが藤枝家に帰ると、啓蔵とトヨが荷造りをしているようだった。そして茂が珍しく一人でいた。

「ただいま。みんな何してるの?」

「ああ、サキ。おかえり。戦争も終わって家に帰らなくちゃいけねえからよ、それで荷造りしてたんだ」

「えっ、急だね……」

「おばあちゃんはもっといていいよ、って言ってくれていたんだけど……キミさんが自分たちの食べ物が減るから、なるべく早く出て行ってくれってね。それでおばあちゃんと喧嘩したの」

伯母のキミは、以前から金城家が藤枝家に住むことに難色を示していた。今回の終戦で疎開という大義名分が消え、一家を追い出すよい機会だと思ったのかもしれない。

「まず家を建ててからだがな」

「キミさんの言い分もごもっともだったわ……こっちは食料も全然持ってないし、食べさせても らってばかりだったもの。おばあちゃんも最後は言いくるめられちゃってね」

トヨがそう言ってため息をつく。確かに空襲で焼け出された自分たちは、ずっと藤枝家の食料を分けてもらっていた。

「早いとこ大工に頼まねえとな。他の奴に取られちまう」

啓蔵が笑う。

「……わかってます。ところでサキ、学校はどうなったの?」

「それが、明日行ったらそのあとはしばらく休みだって。九月まで」

「そう……渉たちと同じね。お疲れ様」

「渉は今どこにいるの?」

「渉はさっきのラジオを聞いて嘘だ!って大泣きしちゃって。今は奥の部屋にいるわ」

渉も文代のように真面目な軍国少年だったから、敗戦と聞いて衝撃を受けるのも無理はないだろう……。

「……そっか」

「兄ちゃん、負けたから鬼畜米英が上陸してきてみんなどこかに連れてかれるって、「どれい」にされちゃうって言いだすんだ」

今まで黙って話を聞いていた茂が近づいてきて、不安そうな顔でこう言う。

「お母さんはアメリカもそんなことしない、大丈夫だって言うんだけど兄ちゃんは母ちゃんのバカ!って泣いちゃった。姉ちゃんはどっちがほんとだと思う?」

「……」

サキは黙って首を傾げた。アメリカが鬼畜だという話は今までさんざん聞かされてきた。負けたら恐ろしいことになるという話も。

「何言ってるの。一般人にそんなことしたって得しないでしょう……アメリカも馬鹿じゃないんだから……」

「そうなのかなぁ」

「そうよ。だから大丈夫。何も心配いらないわ」

トヨは茂の頭をなでて笑った。

「そりゃあ、不安になっちまうのも分かるが……トヨの言う通りだ。奴隷になんかされねえよ」

啓蔵もトヨに同調する。

「さぁて、渉を慰めてくるか」

彼はそう言って立ち上がると、奥の部屋へと向かっていった。サキは母と弟、どちらの言い分も何となくわかるような気がした。あの時はもう死ななくていいと思ったものの、アメリカが人々に何をするかはまだ分からない。でも母の話も納得がいく。サキはきっと無事だ、大丈夫だ、と信じることしか出来なかった。

 また父親であるいさむのこともサキは気にしていた。出征していた彼は帰ってくるのだろうか。サキは無事を願うことしか出来ない。


 十数日後。金城家は元の家の場所へと帰ってきていた。結局大工は見つからず、近所の人達に話を聞くなどして協力してもらいつつ、藤枝家から貰ってきた材木等々を使い、自分たちでバラック……と呼ばれる小屋を立てた。雨漏りもするわ部屋も少ないわで、焼ける前の家とは当然比べ物にならないが、仕方の無い事だった。

 ご近所さんたちもポツポツと家を建て、一帯はあっという間にバラックの町が出来ていた。清崎家も家を建てたらしいことがトヨ伝いで聞こえてきたが、あの一件があったせいで文代とは結局、八月中一回も会うことは無かった。このことを誰に相談してもそっとしておくべきだ、無理に励ますと良くないと言うだけで、解決の糸口は見えてこないのだった。


 そして九月の二日。アメリカの戦艦の上で降伏文書への調印が行われた。……長い長い戦争が、とうとう本当に終わりを告げたのだ。「進駐軍」が近々上陸してくるらしい。千葉にもやってくるだろうか。県からの回覧板には「進駐軍が来ても動じず接するように」と言ったことが書いてあった。また「特に女性は隙を見せるな」とも書いてある。

「私は子供だから大丈夫かな?」

とサキが言ったら

「……一応気をつけとけ」

と啓蔵に言われた。どうやら子供だからと言って安心してもいられないらしい。何故だろう。サキにはよく分からなかった。

 そして、九月も五日がすぎた頃。学校が再開することになる。

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