第6話「たなばたさま(後編)」

 歩き始めてどれほど経っただろうか。サキ達三人は藤枝家へと到着した。母方の祖父の正太郎せいたろう、祖母のフサは金城家の無事を知って涙を流し喜んだ。煤だらけでボロボロの三人に駆け寄る。

「みんなよく無事で……。昨日千葉が燃えているのを見たときは本当に……もう駄目なんじゃないかと思ったよ……!」

「サキちゃんもトヨも啓蔵さんも……無事で何よりだ。渉くんと茂くんも不安がってたから、帰ってきたら喜ぶね」

正太郎の言葉通り、二人はトヨたちの姿を見るなり泣いて飛びついてきた。寂しがりの茂はもちろんのこと、渉も長男ゆえにいろいろと我慢していたのか、トヨの着物に顔をうずめてわんわん泣いた。

「そんなに泣かなくて大丈夫よ、ほら、お母さんちゃんと生きてるからね」

そんな二人の姿を見たトヨの頬には、何筋か涙がつたっていた。

「あれ……姉ちゃんは……?」

サキがその場にいないことに不安を感じた渉が尋ねる。

「あぁ! 奥で寝てるわよ」

トヨがそう言い終わらないうちに、渉はサキのいる部屋へと走っていった。茂も後を追う。

「……心配かけちゃったのね」

「当たり前だよ、あれだけのことがあれば……」

啓蔵とトヨはその後姿を見守っていた。


「姉ちゃんっ! 姉ちゃんってば!」

「何……? けいほう……?」

「違う! 俺だよ!」

疲れたせいもあって、ぐっすりと眠りについていたサキを渉は揺さぶって起こした。渉の存在に気づいたサキはがばっと飛び起きる。

「渉⁉ 茂も! そっか、私おばあちゃん家に来てて……」

「そうだよしっかりしてくれよ!」

渉は赤くはらした目を何度もこすり、時折ズルズルと鼻をすすっている。そんな兄を茂は心配そうに見ていた。

「ごめんねって。ちょっと疲れてたみたいだから」

「でも……心配だったんだぞ……!」

そう言って俯いた。大丈夫だからと笑うサキ。と、そこにトヨが現れる。

「みんな、お昼よ」

その声に、姉弟たちはいそいそと茶の間へ向かった。


到着してみると、少ないながらも全員分の食事があった。また伯母のキミ、そして従妹の昌夫まさお恭子きょうこがおり、サキ達の到着を待っていたようだった。

「あっ、サキ姉ちゃんだ!」

「サキお姉ちゃん!」

二人はサキの顔をみるなり嬉しそうな声をあげる。サキは黙ったまま微笑んで手を振った。

「早く席について。食べますよ」

キミに急かされ席に着く。食事はイモやら山菜等でかさ増しされているとはいえ、コメの量自体はほんの少し多くなった程度だ。

「「いただきます」」

サキはなんだか食欲がなかったので、流し込むようにして食べた。暖かくもなく、味付けもほぼないような食事だが、胃が膨れるだけありがたい。周囲も無言だった。ふいに昔、家族みんなで囲んだ食卓のことを思い出す。あのころは……毎日のご飯が楽しみで仕方なかった。お喋りもたくさんしたし、なによりたまに出て来るライスカレーが大好きで仕方なくて……あれはどんな味だったっけ? もう何も思い出せなかった。

――また食べられる日は来るのだろうか? いや、やめよう。虚しくなるだけだ。サキは残りを あっという間に食べてしまうと、ごちそうさまでした、と挨拶をしたうえで食器を下げ、そそくさと部屋を出ようとした。

「姉ちゃん、もうちょっと噛まないと腹膨れないぞ」

渉が心配そうに声をかける。

「……うん、ごめんね」

ただ謝るしかできなかった。そのまま早歩きでさっきの部屋へと戻り、敷いてあった布団に潜り込む。

「……」

級友たちの安否、これからのこと、そのほかのいろんなことが頭の中でぐちゃぐちゃになる。せめて、せめて今だけはすべてから逃げさせてほしいと思った。


そして翌日、七月八日。トヨと啓蔵は大八車を持って、自宅の焼け跡から家財道具を取り出しに行くことになった。サキは学校へと向かう。トヨには大丈夫なのかと聞かれたが、級友の安否が気になっての行動だった。

 学校についてみると、そこは周りと同じ、焼け野原だった。ただ一つ、小さな建物が残っている以外はなにもない。サキは少々遅く藤枝家を出たため、焼け跡にはすでにほかの生徒がおり、なにか作業をしているのが見えた。知っている顔はいないかと探す。と、良く見知った後姿が数名いるのが見えた。

「金城さん!」

こちらにいち早く気づいたのは担任の先生だった。その声に、同級生たちもサキの方を振り向く。 峯子もタヅ子もその中にいた。

「片倉先生……!」

急いでみんなのもとへと走る。

「よかった、無事だったのね! ……今は焼け跡の整理をしているところよ」

「あ、ありがとうございます……。私も準備して参加しますね」

荷物を皆が置いているところに一緒に置き、同級生たちに混じった。

「サキちゃん、無事でよかったわ。最初姿が見えなくて怖かったから……」

そっと峯子が耳打ちしてくる。

「うん、ありがとう……」

とサキは笑って返した。会話はこれきりで、この後は黙々と作業に集中した。焼け跡の整理をしていると、続々と七日の空襲で学校に投下された焼夷弾の殻が続々と見つかった。六角形の細長い円柱の筒で、長さは五十センチほど。この中に溶かしたゴムの油脂とガソリンが充満しており、地面に落ちるとこれが爆発。そして火災になるというわけだ。さらに爆発により油脂が飛散しさらに火災が広がるのである。この焼夷弾が三十本ほど集まった束が飛行機から投下され、空中でバラバラになりそれぞれ別の場所に落下する。これが多くの人を殺した。

 ……蓮咲高女の校長、青海修太郎あおみしゅうたろう先生もそのうちの一人だった。これは峯子たちが先生から聞いたのを又聞きした話だが、当時自宅にいた青海先生は、空襲警報を受け奉安殿の中の御真影を取り出し運ぶために登校。それを運ぶ途中で焼夷弾に直撃された……という話だった。火葬は今日行われたらしい。青海先生といえばサキが入学したての頃に助けてくれた先生ではないか。しかし、 サキはただ

「……悲しいね」

とひとこと言うだけだった。悲しくないわけではないのだが、どこかからっぽの気持ちで、あまり響いてこなかった。昨日や登校中みた黒焦げの人達……あまりにも多くの人の「死」を見てきたゆえ、感覚が麻痺してしまったのだろうか。考える余裕はなかった。ただ無心で作業をし続けた。

作業をしているうちに、あの蓮の池の近くへと来ていた。敏子と来たときはあんなに生い茂っていた草もすべて焼け、池には黒焦げの茎が数本、そして花になるかもしれなかった黒いものが数個浮いているばかりだった。


『じゃあ、また蓮が咲いたら教えてくださいね……! お姉様が言うんだったらきっと綺麗なはずですから!』

『うん、もちろんよ! 指切りげんまんね!』


 蓮は咲かなかった。みんな消えてしまった。お姉様も、校舎も、校長先生も。そして蓮の池も。跡形もなく破壊された思い出たちを前に、怒る元気もない。けれど、そんな感傷に浸っていられる時間などないに等しい。

「サキちゃーん! こっちにたくさん殻があるのよ! 手伝って!」

遠くから峯子の呼ぶ声がする。サキは無理やり自分を奮い立たせると、みんなのいる方へと駆けて行った。

 数時間後。放課だ。学校も町もめちゃくちゃ、さらにぽつぽつと欠員がいるために、以前は毎日の帰宅時に行っていた歩行隊はできなくなっていた。その欠員のなかに文代や弘子もいる。サキ達は彼女らの安否が気にかかっていた。特に文代は近くに住んでいることもあり、峯子やタヅ子は サキが安否を知っていると思っていたらしく、知らない、と告げたら顔を見合わせて不安そうな表情を浮かべていた。二人は千葉市街の外に住んでおり、直接罹災はしていなかったものの、市街地に住むサキと文代の事が気がかりだったのだと言う。


 その後、二人と別れたサキは親達との約束通り、我が家の跡ではなく藤枝家へと向かった。長い道のりを歩いて到着すると、トヨと啓蔵が焼け跡から戻ってきていた。

「サキ、おかえり」

「……ただいま」

なんだか疲れていたので、奥の部屋に言って一人になろうとするサキ。

「待って。ちょっと……話したいことがあるんだけれど、いい?」

その後姿を、トヨが慌てて呼び止めた。

「どうしたの……?」

「清崎さんのことなんだけれど……」

「文ちゃん? 文ちゃんと会えたの?」

文代が生きているのか。サキは反射的にそう解釈してしまった。

「文ちゃんは……文ちゃんは生きてるの⁉」

トヨに詰め寄るサキ。

「サキ」

「良かった生きてたんだ、また会えるんだ……! それで、今どこに……」

「サキ! 落ち着いて聞いてちょうだい……」

トヨはサキの肩に手を置いて座らせる。

「お母さんね、今日清崎さんちの人達に会ったわ。ハツさんと文代ちゃんは無事よ。ただ……」

文代の無事を知ってサキの顔がわずかに明るくなる。しかし、トヨは深刻そうな表情を崩さない まま深呼吸をしたのち、こう告げた。

「康子ちゃんが……亡くなってしまって……皆すごく落ち込んでいたわ。無理もないわね……」

「そうなんだ……」

康子はサキにも懐いていて、笑顔の可愛い子だった。そして何より末っ子として、家族みんなに可愛がられていた。特に文代が一番康子のことを可愛がっていたように思う。サキは康子のことで 心を痛めるのと同時に、文代の身を案じていた。

一週間と少し経った頃。サキが当時校舎の代わりとなっていた国民学校の教室に入ってみると、 文代の姿があるではないか。

「文ちゃん‼」

嬉しそうに文代のもとへ駆け寄って、彼女をぎゅっと抱きしめるサキ。

「あっ……サッちゃん。久しぶりね」

一方の文代は魂が抜けたようにぼーっとしていて、サキがそばにきて抱きしめるまで気づかないほど。久々に見る親友の顔は、なんだかやつれているように見えた。無理に口角をあげて 笑顔を作ると

「無事で何よりよ」

とだけ言った。明らかに以前の文代ではなかった。

「あ……えっと……うん……」

サキは敏子が亡くなった時の文代を思い出しつつ……しかしかつて彼女に言われたような……「仇を取ろう」という言葉をかける気にはどうしてもなれず、愛想笑いを浮かべながら逃げるように自分の席へと去った。

 今まで考えないようにしていた言葉の数々が浮かぶ。文代は……まだあの時の気持ちから変わっていないのだろうか。いざとなれば……いざ千葉に敵が上陸したら戦うつもりなのだろうか。でもその時は自分だって同じはずだ。でも……勝てるの? 今まで訓練したとおりにやれば敵を倒せる……いや、殺せるの? わからない。何もわからなかった。そもそも……日本が負けるなんて自分は何を考えているのだろう。でも、東京や大阪、それに千葉だってやられて、沖縄も取られている、果たして本当に……

「皆さん、おはようございます」

担任の片倉先生が入ってくるのと同時にサキの思考ははじけて消えた。……それより今日の教練は何だったか。そちらの方が重要になった。そうだ、私は立派な国民として、戦わなくてはならないんだ……そうだ、きっと間違いない……。


教練後。

「文ちゃん……良ければ途中までいっしょに帰ろうよ」

もう一度文代に声をかけてみた。

「声をかけてくれたのは嬉しいんだけど……帰る方向が違うんじゃないかしら」

「あっ……そっか、ごめん、忘れてた……私何言ってるんだろうね……」

馬鹿な間違いをしてしまった。もう空襲前とは家が違うのだ。互いの帰る方向は正反対だった。

「それじゃ……じゃあね、サッちゃん」

文代はそのまま向こうを向いて去っていく。

「じゃあね……」

サキも自らの寝る場所へと帰るべく足を踏み出す。すたすたと早足で歩きつつ、この状況を何とかしないと、文ちゃんを励まさないと……と考えを巡らせていた。


 そのころ。日本が連合国より出されたポツダム宣言を黙殺した、という報道が出たころ。周囲の大人たちの間では本土決戦もいよいよだと噂になっていた。千葉から上陸する可能性が一番高いとされており、訓練も盛んに行われている。学校では着々と学徒隊編成の準備が進んでいた。八月には学徒隊の編成を行うらしい。……サキがこれらのことから目を背けていられる時間もあとわずかになってきていた。必死で押さえつけているのもいつまでもつかはわからない。いまだに得体のしれない恐怖だった。

 一方で、あれ以来サキとぎこちない関係が続いている文代は、日を追うごとに教練に気合が入り、どこか殺気立っているようにも見えた。以前の朗らかで頼れる級長は、もういない。そこにいるのは……まさに「小さい兵隊」だった。

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