第5話「たなばたさま(前編)」

 あの日から二日が経った。敏子の話を聞いて衝撃のあまりか体調を崩したサキは、少しばかり 休みを貰っていた。正直、何も手につかない。布団に寝てぼーっと天井を眺め、警報が出れば壕に潜り込む。そんな二日間だった。食事だけはトヨに無理矢理でもと食べさせられていたが。

 その朝のこと。用を足すためにフラフラと寝かされている部屋から便所まで向かっていたサキ。茶の間の前を通りかかると、トヨと啓蔵が深刻そうに新聞を読んでいるのが見えた。

「……何読んでるの」

ふと気になってしまったサキは、トヨと啓蔵の間に割り込んで新聞をのぞき込む。

「お、お前は見るな!」

啓蔵が慌てて制止するも遅かった。

「……」

――それは三日前の空襲で犠牲になったり、また怪我をしたりした女学生たちを国のための尊い 犠牲だと表彰し、褒め称える記事だったのだ。

 狼狽える啓蔵とトヨ。反対に、サキは二人の予想とは違って特に表情を変えることはなく、二人に背を向けて歩き、黙って戸を勢いよく閉めると部屋を出ていった。

「ああ、なんてこと……」

「困ったな……まさかサキに見られるとは……。こんな所で見るんじゃなかったよ……」

二人はしばらくサキが出ていった戸を眺めていた。

 用を済ませたサキはいてもたってもいられず、駆け足で布団へと潜り込む。先程の新聞記事は、嫌でも三日前の敏子の訃報を知らされた時のことを思い出させた。

 名誉の死。その言葉が頭の中に浮かぶ。今までだって近所の人が戦死したとき、名誉の戦死だと自分だって言ったではないか。敏子だって、お国のために銃後とはいえ立派に戦った。そして散った。同じ、同じはずなのに。いずれ自分だって続きたいと以前は言ったはずなのに。この気持ちはなんなのだ。何故こんなにも不安なのだろう。怖いのだろう。

 サキは訳が分からなかった。この今抱えている気持ちの正体が全く掴めなかった。ただ、布団の中で震えていた。 ふと、あれっきり箪笥に仕舞い込んだままのスカートのことを思い出す。返す 機会を失ったそれだけが、サキの知っている敏子お姉様だった。敏子は果たしてこの結果を喜んでいるのだろうか? 表彰されて幸せだろうか? いくら記憶の中のお姉様に尋ねても、彼女はただ 微笑むばかり。……永久に答えが出ることの無い話だった。




 そのさらに数日後。文代が作業と教練を終えて、妹の康子と共に金城家へ見舞いにやってきた。

「サッちゃん、元気だして。敏子さんのこと、残念だったけど……こんな時局だからこそ仇を取るくらいの気持ちでいましょう……」

「うん……」

「私のお父さんが戦死された時も、最初……実はすごく悲しかったけど、お父さんの言ってた家族を宜しく、って言葉を思い出したら元気が出たの」

文代はサキを励ますべく、身振り手振りを交えながら子供に語りかけるような様子で話す。文代の父親は軍人で、既に戦死していた。

「それに私たちもお父さんの仇を取らなくちゃだし……何のために今教練をしているのって話よ。兄さんたちだって軍人になるための勉強をしているのだし、私や康子だってできることをやっていかないと」

「……」

サキは黙って頷いていたが、何故か自分が仇をとっている姿、戦っている姿を想像出来なかった。それどころか仇、という言葉が出る度によく分からない不安に襲われた。

「サキお姉ちゃん、大丈夫?」

そんなサキの様子を見てか、康子がサキの手を優しく握った。

「う、うん。大丈夫」

無理矢理笑顔を作る。

「そっか。私もお姉ちゃんも心配してるから、早く元気だして!」

「ありがとう……」

それを聞いた康子はにいっと微笑んだ。おかっぱの頭が揺れる。そんな康子の頭を文代はわしわしと撫でた。くすぐったいと康子は笑う。その後も十数分文代の励ましは続き、

「……とにかくサッちゃん、早く良くなってね。みんな待ってるから」

この言葉を最後に、文代と康子のふたりは帰宅していった。文代が言っていたことなのだから、 励ましの内容は正しいことなのだろうと思う反面、言葉の節々に違和感を感じていたのもまた事実。これまでは、文代が間違ってるなんて思ったことは無かったのに。サキの中に、今までと明らかに違う何らかの感情が芽生え始めていた。


 その翌々日。長い休みを終えて、万全では無いものの少しずつ体調が回復してきたサキは、久々に登校することとなった。既にその頃は夏服の期間で、サキも文代も近所の卒業生から貰った蓮女の白いセーラー服を着ていた。だが白では敵機に目立つ……のでは無いかという不安から、夏服を暗い色に染めている者もいた。峯子もその一人だった。

「サキちゃん……! 元気になったみたいで何よりよ。また色々頑張りましょうね」

「ひとまず良かった……。あんまり無理しないでね」

峯子もタヅ子もサキの体調不良を心配していたらしく、サキの姿を見かけるや否や駆け寄ってきて、励ましの言葉をかけた。

「二人とも、ありがとうね」

 また、あの日サキが敏子の死を知るきっかけを作った弘子も、今にも泣きそうな顔で心配していると声をかけてきた。弘子も相当衝撃だったろうに、とサキはなんだか申し訳なく思った。その日からは早速農作業やら教練やらに参加した。休んでしまった分を取り戻したい、というのはもちろんだったが、作業に集中することでこの前感じた新たな感情や不安な気持ち、怖い気持ちを全部封じ込めてしまいたいから……というのもあった。担任の片倉先生は無理をしなくともよいですよ、と言ってくれていたが、作業をしているほうがかえって気が紛れてよいのだった。

 毎日級友たちと接するうちに、サキはだんだんと元気を取り戻していく。もう、あの違和感の 正体は考えないことにした。お国のため。その言葉がすべてと思い、サキは自分の気持ちに自身も気づかないうちに重く重く蓋をしていたのだった。相変わらず少ない食事、増えてきた夜間の警報による睡眠不足……みんな疲れ果てていた。そういった要因も、サキの中に生まれた小さな芽を潰すには十分すぎるものだった。


 そして、七月六日の夜。午後九時頃のことだった。早めに寝床についていた金城家三人の寝耳に、警戒警報のサイレンが響いた。

「また……?」

「ほら、退避だ」

いつも通り、庭の防空壕に避難する。サキは眠気のあまり、サイレンが鳴り響く中トヨにもたれかかって眠りについていた。そうしているうちに警戒警報は1時間ほどで解除された。ラジオからは甲府の方が空襲されているとの情報が流れていた。

「戻るわよ」

「はぁい……」

今日は甲府か。サキは欠伸をしながら寝床へ戻る。ひとまず今日はちゃんと眠れそうだ、と思いつつもいつでも逃げられるよう一階の床の上にごろ寝して、あっという間に寝入っていた。


「……サキ」

「……サキ、サキ‼ 空襲警報よ! 起きて‼」

 深夜、日付が変わったころだっただろうか。サキはトヨの叫び声と激しい揺さぶりで目を覚ました。外では空襲警報のサイレンがこれでもかとばかりに鳴り響いている。

「けい……ほう……?」

「そうよ空襲警報よ、ほら早く起きて!」

サキが嫌々ながらも体を起こした瞬間。外がピカッと光り、部屋が昼間のように明るくなった。 照明弾だ。続いて焼夷弾の落ちる音がする。

「……今晩は千葉だ」

啓蔵はそう呟いて立ち上がると、トヨとサキを振り向き、

「お前ら逃げるぞ」

と言って準備を始めた。サキはとっさに尋ねる。

「庭に逃げるの?」

「それじゃ蒸し焼きになる! 外だ。早く!」

三人は急いで準備をする。あらかじめ床下の防空壕には家財道具等を入れてあった。啓蔵がふたを閉める。また重要なものは各自リュックへと詰めていた。サキはいつもの救急カバンとそのリュックを持ち、寝間着の代わりにすぐ逃げられるよう着ていたモンペとブラウス姿に防空頭巾を被った。3人が家の外へと出ると、すでに火の手が回っている家もあり、多くの人が外へ出て逃げまどっていた。普段は消防団の人がメガホンで怒鳴っていたのだが、この日は一人もおらず、ただ焼夷弾の落ちる音がするだけ。

「お義父さん、どこへ逃げるんです⁉」

トヨは焦って啓蔵の指示を仰いだ。頼れる男性は啓蔵しかいなかったのだ。

「……こっちだ!」

少し考えたのち、啓蔵は逃げる先を指さす。考える余裕もないサキとトヨは、必死で啓蔵の後をついていった。逃げ出して少ししたころ、頭の後ろの方でゴーッと列車のような音がする。それに気づいた啓蔵が、二人をすぐ近くにあった防空壕へと引っ張った。すでに中には十人ほど人がおり、サキ達が入った直後、ものすごい爆音が後ろで鳴り、思わず振り向いて見上げてみると、低空で飛ぶ敵の飛行機の一部が見えた。機銃掃射だろうか。慌てて戸を閉める。ただ事ではない。壕の中に入っていた近所のおばさんは、なにか家に用があったのか、慌てて壕を出ていった。壕の中の人は、啓蔵を除いた全員が女性と子供だ。大きな音がするたびに震え、目と耳を塞いでうつぶせになって耐えていた。少しして、外の様子が気になったサキは入口の戸をそっと開けてみる。見ると知り合いの家の大きな木が火事のために揺れているではないか。入ってくる空気も熱い。……このまま じゃ焼け死ぬ。サキの直感がそう告げていた。

「に、逃げなきゃ……」

「……今なんて言った?」

「こ、ここから……ここから逃げよう! みなさん、ここから逃げましょう‼」

必死だった。火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、気づけばサキはこう叫んでいた。

「そとが、外が焼けてる、ここにいたら死んじゃう……!」

死ぬのは嫌だ!と心が叫んでいた。啓蔵とトヨは黙って頷くと戸を開け壕の外へと出る。その時 すでにカチカチ、ピュー、ピューと音を立てて大量の焼夷弾が続々と落ちて来ていた。周りは火の海。トヨの提案で防空頭巾を防火用水の水につけ、軽く絞ってかぶった。あとから複数人が出てきたが、焼夷弾が落ちすぐに別れ別れになった。

「裏道、そっちを通って逃げよう」

ひたすら啓蔵について逃げていく。通りかかった軍人さんの家では、必死に水で焼夷弾を消そうとしている女性たちがいた。サキ達一家は申し訳なく思いながらも、立ち止まっていては焼夷弾に当たりかねないとその横を通り過ぎていった。そして三人は逃げるうちに千葉駅へとたどりつく。 上からはまだ焼夷弾が落ちていたし、周りからは燃え広がった火が迫る。逃げ道がなくなり、今度こそダメか……と思って覚悟するが、ふと啓蔵が千葉駅に大きな防空壕があったことを思い出す。そこへ退避させてもらい、ひたすら待っているうちに少し落ち着いた……と啓蔵が判断したため駅の防空壕を出た。そこから近くの酒屋の前を通り、陸橋の下まで行くと、既に周辺には何百人の人。ここは満杯だと考え、そのさらに先の田園地帯で落ち着くことにした。そこにも既に何人か人がいたが。

 一晩のうちに何度も死を覚悟した。それこそ今生きているということが信じられないほどだ。ただ茫然と突っ立っていると、警防団の人たちが火傷を負った人たちをみな戸板に乗せ、しっかりしろ、と声をかけながら何人も運んできた。あっという間に広い場所が何百人もの怪我人で埋まった。三人にその人たちの心配をする余裕はなく、ただただ、見つめるばかりだった。そこにメガホンで避難の方はこちらへ!と怒鳴る声が聞こえ、ハッとした啓蔵は二人を連れ、慌ててそちらへと向かう。金城家はそこで夜を越すこととなった。とはいえまだ安全と言える状況ではなく、眠ることはとてもじゃないができなかった。

 早朝。家の様子を見なくては、と三人は家へと歩き出す。と、そこに大雨。雨具の用意など当然ないので、近くにあった一枚の焼けトタンで雨をしのいだ。何だか、空が泣く気力もない自分たちの代弁をしてくれているように感じた。道には大小さまざまの黒い……人型の塊が多く転がって いる。それらが何だったのは考えたくもないことだ。とくに近所のお寺の境内は凄まじい様子で、見るとたくさん……井戸の周りで亡くなっていた。啓蔵が言うに……酷い火傷をし、苦しくて水を求めたんじゃないか……、ということだった。昨日までの町が、一面焼け野原で何もなくなって いた。えらく見通しが良い。この様子では自分たちの家が残っていないことはほぼ確実だ。サキは下を向いて、遺体をよけて歩いていた。時折よろけて転びそうになりながらも、なんとか二人の後をついていった。

 周囲に何も手掛かりがなく、どこが家なんだと探し回っているうちに、トヨがあっ、と声をあげる。

「どうしたトヨ」

「お義父さん、あれよ!」

焼け跡のなかに、家の素焼きの釜が落ちていた。使っていたときできた傷があったことから、トヨはうちの釜だと判断したのだった。その場所を見てみると、確かに金城家で使っていた茶碗のかけらやらなんやらが落ちている。まだ熱気の残る釜を開けてみると、昨日の晩トヨがといだままにしていた米が、所々焦げながらも炊き上がっている。それを見たトヨは適当に手をモンペではたくと、焦げている箇所を除いておにぎりを作り始めた。啓蔵は唾をのんで見守っていた。サキは二人から少し離れた場所でリュックを背もたれにして地面に座る。

「サキ、こっちにおいで。ご飯があるのよ」

サキはご飯と聞き、重い体を急いで起こしてトヨたちのもとへ駆け寄る。三人は無言で出来上がったおにぎりを食べた。煤で体中が汚れ、そんな手で触ったのでちょっと黒っぽくなっていた。おいしかったことに間違いはない。しかしそんな言葉を言う余裕はなく、ひとつ噛むごとにサキは自身が生きているということを実感するのみだった。

 おにぎりを食べ終わると、啓蔵が昨日逃げる前に重く蓋をしておいた防空壕の跡を探す。まだ若干熱の残っている蓋を開けると、むわっという熱気とともに、中に家財道具が残っているのが見える。啓蔵はそれを確認すると再びふたを重く閉め、見えないように土をかぶせた。

「おじいちゃん、これからどうするの?」

「……そうだな、まずは藤枝ふじえださんの家にいくか」

 一家は話し合ったのち、寝る場所を確保するのと、またトヨの実家である藤枝家の人達、そしてそこに疎開させている渉と茂への報告も兼ねて、藤枝家へと行くことになった。疲れて傷ついた体を休める間もなく、一家は長い道のりを歩き出したのだった。

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