第4話「お姉様とスカート」

「級長も何とか言ってやってよ、あの日からサキちゃんずっとあんな調子なんだから!」

初夏の陽気が感じられるようになってきた五月の終わりごろ。いつもの蓮咲高女一年二組の教室では、峯子が文代の机にどんと手をついてなにやら抗議していた。

「そんなこと言われてもねぇ。あの時サッちゃんを見てた弘子ちゃんもだんまりだし」

頬杖をついた文代がそう言いながら遠くにいる弘子にちらっと目をやると、それに気づいた彼女は怯えたようにびくっと肩を震わせた。あの日。敏子と最後に会った日からサキはどこか上の空。 きちんとした受け答えこそできるのだが、それ以外は何か考え事をしてぼんやりしていることが多く、作業の手が止まって級長たち……主に峯子に注意されることもしばしば。

「あんなになっちゃってねぇ。敏子さんから何されたのかしら?」

峯子の隣に立っていたタヅ子は不思議そうに首をかしげた。

「さぁ? サッちゃん影響されやすい性質だから。別に大した事されてないと思うわ」

「だからと言って教練や作業の手が止まってるようじゃダメなのよ……」

峯子はがっくりと肩を落とし、机から手を離した。とそこにどこからか戻ってきたサキが現れる。どこから、といってもこんな時間に戻ってくるあたり、峯子たち三人にとってそれがどこなのかは分かりきったことだったが。文代が真っ先に声をかける。

「また敏子さんにお呼ばれされていたの?」

「うん、またいろいろあって……」

ヘラヘラと笑いながら輪に入ってくるサキ。

「最初はあんなに微妙そうな顔してたのに、すっかり取り込まれちゃってねえ」

文代は困り笑いしていた。

「そう? でもいろいろお世話になってさ、いい人だって判ったから」

「……でも、女学生としての活動に支障が出るのは良くありませんよ!」

峯子が我慢ならんとばかりに口を挟む。タヅ子は隣で苦笑い。

「ええ? 支障出てた……?」

「そういうところです‼」

まぁまぁとなだめるように後ずさりするサキと、それをこの時局にそんな考えでどうするだの距離を置けだの説教しながら追う怒り心頭の峯子。峯子が今にもとびかかりそうな雰囲気だったため、慌ててタヅ子が押さえた。

「でもねえサッちゃん、峯ちゃんのはさすがに言い過ぎだと思うけど……あんまり敏子さんに頼りきりじゃ良くないわ」

「……文ちゃんまでそんなこと言うの?」

「そうじゃなくて……ただ……」

文代はそこまで言って口を結ぶと、少し考えてから何でもない、といつものように笑ってごまかした。サキは一瞬その先が気になったが、始業時間も近かったため、すぐにその考えはかき消えた。


 数日後。峯子に怒られてからは無意識か否かは不明だが、物思いにふけることは無くなった。 しかし相変わらず敏子との交流は続いていた。再び下駄箱の手紙で敏子に呼び出されたサキ。なるべく早く来て欲しいとの事だったので、早々に弁当を平らげ彼女の元へと向かっていった。

「ま、ボーッとしなくなっただけ良しね」

と、サキの出ていった戸を眺めつつ峯子が言う。

「……いつまでああしている気なのかしら」

文代がボソッと呟いた。

「敏子さんが卒業するまでじゃないの」

「そう……」

言ったあとで文代は俯いて小さくため息をつく。

「珍しいわね、級長がため息なんて」

峯子が見慣れぬ文代の様子に目を丸くした。

「なんだかねぇ……。サッちゃんたら前は相談とか良くしてくれてたのに、最近はめっきりなのよ」

「まぁ……お姉様がいるものね」

「そうなんだけれど、今までずっと頼ってきてくれてたから……なんだか寂しくて」

文代は机に頬杖をして、再びため息をついた。

「もしかして、妬いてる?」

さっきまで黙って話を聞いていたタヅ子が、突然こう問いかけた。文代は慌てて首を横に振って否定する。

「いや、違う違う。そんなんじゃないのよ。ただ寂しいなーって思っただけ」

「そうなの?」

「そうよ、第一……年上のお姉様の方が頼れるのは当たり前だもの」

そう言っていつも通りにこやかに笑っている文代。その表情からは、本当に寂しいだけなのか、 それとも嘘をついているのか、タヅ子と峯子にはまったく読み取れなかった。


 一方その頃。サキはいつもの敏子との待ち合わせの場所にいた。最初から変わらない、校舎の影になるところ。

「サキちゃん! 書いた通りに早く来てくれて嬉しいわ!」

珍しく先に来ていた敏子に迎えられる。敏子は何故か小脇に風呂敷を挟んでいた。サキはそれが何か尋ねようとしたものの、それより先に敏子が口を開く。

「今日早く来てって言ったのはね、連れていきたいところがあるからなのよ」

「それはどこに……?」

「ふふ、ついてからのお楽しみよ」

敏子は口に人差し指を当てて悪戯っぽく笑い、くるっと背を向けて歩き出す。その後を慌ててついていくサキ。二人は明らかにサキが行ったことのない場所へと向かっていた。学校の敷地の端の方へと進んで行った後、敏子はぼうぼうに草が生い茂る場所の前でぴたりと止まる。

 とてもなにか素敵なものがある場所には見えない……とサキが敏子をチラリ、と見ると敏子は 笑って草むらの先を指さした。

「蓮……の葉っぱ?」

目を凝らしてよく見ると、そこには青々とした蓮の葉っぱが生い茂っているではないか。

「そうよサキちゃん。私あなたをここに連れてきたかったの。と言っても、思いついたのはつい 最近なんだけれどね!」

「でも、どうして?」

「あのね、ここって蓮咲高女って名前でしょ?」

「ですね」

「だから昔は蓮の池があったのよ。でも大東亜戦争が始まってからは、花を育てちゃいけなくなったの。だってお国のためには食べ物の方が大事ですものね。それでこの池も放っておかれるようになった……みたいなんだけれど……。蓮って生命力が強くて、ほったらかしにされても育つのよ。それで、私二年の時にたまたまこの池を見つけちゃってね。」

敏子は目を細めて懐かしそうに語る。

「それで、そこからはこっそり私だけの秘密の場所にしたのよ。でも今年は可愛いサキちゃんが 居るでしょう。だから早いとこ教えてあげようと思ったってわけ」

サキは相槌をうちながら敏子の話を聞いていた。

「でも、ちょっと花には早かったわね……。もう少しすると綺麗な花が咲くんだけど」

少し残念そうな敏子に、サキは少し考えてからそっと突き立てた小指を差し出す。

「じゃあ……そうだ、また蓮が咲いたら教えてくださいね! お姉様が言うんだったらきっと綺麗なはずですから!」

「……うん、もちろんよ! 指切りげんまんね!」

敏子はにっこり笑ってサキの小指に自身の小指を引っ掛けた。

「「指切りげんまん、うそついたら針千本のーます、ゆびきった!」」

互いの指を離したあと、なんだかおかしくなってしばらく声を上げて笑っていた二人だったが、 突如としてけたたましく警報のサイレンが鳴り響く。

「いけない、退避しないと……。あ……もう一つサキちゃんに渡したい物があったのよ」

「え? なんですか?」

敏子がずっと抱えていた風呂敷をサキの前に差し出す。何か布……のようだった。 サキは一瞬申し訳ないと断ろうとしたものの、警報で早く退避しなければならない状況だったため、断る間もなく受け取ってしまった。

「あ、ありがとうございます」

「ごめんね、中は帰ってからのお楽しみ! じゃあまた会いましょうね!」

「……はい、また会いましょう!」

二人は軽く手を振って別れを告げると、それぞれの場所へと急いで向かっていくのだった。

 その後。文代たちに風呂敷の事を尋ねられるも、意地でも帰るまで開けるまい……となんでもないよ!とかなり無理のある誤魔化し方をしたサキだった。


「ただいまー」

「おかえりサキ。あら? その風呂敷どうしたの?」

家に帰ると、玄関口で母親のトヨにも突っ込みを食らった。

「あ……えっと、お姉様にもらった」

「まったく、そういうのはお返しも出来ないし……申し訳ないからなるべく断りなさいって言ってるでしょう」

「ご、ごめん……急いでて……。断れなかった」

母の前では正直に言うしかない。トヨは呆れているようだった。

「しょうがないわねぇ……。それで、何を頂いたの?」

「まだ見てない……布っぽいけど」

「あらそうなの。じゃあ早く開けなさいな」

二人で茶の間に上がると、サキはトヨに急かされつつ風呂敷を開けた。すると、中から出てきたのは予想外のものだった。

「これって……」

「あらま……蓮女のスカートじゃないの……」

そこにあったのは蓮咲高女の制服、そのスカートだった。蓮咲高女は一本の太い白線がスカートの裾にそって入っているのが特徴で、その白線は千葉県内の少女たちの憧れであったのだ。サキは突然のことにわけも分からず困惑した。

「お姉様なんでこれを……」

「……サキ」

「はい」

「早めに返してらっしゃい」

トヨはいつもより低い声でこう発した。いくらなんでもこんな貴重なものは受け取れないと判断したのだろう。

「……はい」

こうなればもう逆らうことは不可能。サキは敏子に返すのと同時に、これを渡した真意を尋ねようと思った。とはいえこちらから手紙を出して会ったことは無い。どうすれば会えるだろうか。


「それで、手紙を出したら断られて会えなかったのね」

数日後。文代がこう言ったのはまたしても一年二組の教室。

「今日突然はなんだか申し訳ないから明日会えませんかって言ったんだけど、次の日下駄箱見たら忙しいからごめんなさいねって手紙が入ってて……次は六月以降かなって。やっぱり上級生は忙しそうだもんね」

サキはちょっと残念、という感じでこう言った。

「それにしてもスカート渡すなんてね、どういうわけなのかしら。」

峯子が腕を組んでこう続く。

「手紙で聞いてみたよ。そしたら私にはもう要らないからって帰ってきてさ」

「卒業まであとしばらくあるじゃないの」

文代がつっこみをいれる。

「不思議だよね」

「その間に勝ったらすぐ戻るはずでしょう? なぜ?」

峯子も不思議そうだ。サキも峯子も、そして文代もこの言葉の意図が掴めずにいた。

「かと言ってもう一回聞くのも野暮だし……」

「それもそうよね」

「まぁ、あと数ヶ月……」

隣で頬杖をつきつつ話を聞いていたタヅ子がふと口を開く……が、すぐに黙ってしまった。

「あと数ヶ月?」

「……なんでもないわ」

峯子が聞くも、タヅ子がその先を紡ぐことは無かった。


 その手紙のやり取りをしたきり、特にサキと敏子の間で新しく手紙を送り合うことなく時は過ぎゆく。そして気づけば六月であった。


――六月九日。蓮咲高女、学校工場にて

「この班だけ明日出勤なのねぇ」

伸びをしながら少女がぼやく。

「エッちゃん、滅多なこと言わないの。お国のためでしょう」

隣にいた敏子が「エッちゃん」を諌めた。

「敏ちゃん……ま、まぁそうね。部品の制作を早くしなくちゃ……頑張りましょうか」

敏子たちの班は急遽、翌日六月十日の出勤が決定した。なにやら飛行機の部品の制作を急ぐためだということだ。日曜日だと言うのに……と思いつつも、お国のためだからとそれを表に出すことはなく、そのまま二人はスタスタと誰もいない建物の中を歩いていった。


 そして、六月十日。サキたち一年生も、朝……八時からの作業のための登校が決まっていた。

「朝から曇りかぁ」

「でもこの後は晴れそうよ。雲が高いところにあるからって。お母さんが言ってたわ」

「そっか、雨降らないならよかった」

いつも通り文代と登校をするサキだったが、家を出て少ししたところで警報が鳴り響いた。

「あぁもう、警報! 一旦家に帰りましょう……」

「うん……ここんところ毎日だね」

急いで家に帰宅し、家族で庭の防空壕に潜る。爆撃の無いことを祈りつつ待機していると、少し遠くで数回爆発音のようなものが聞こえた。……どこかが爆撃をされているようだった。トヨがサキを守るように抱きしめる。サキはただ怯えて、爆撃が終わるのを待つことしか出来なかった。家がやられる恐怖と隣り合わせ。息を潜めて警報解除を待った。

――しばらくして、警報が解除された。サキはしばらく自宅で待機していたが、文代が迎えに来て学校へ向かおうとする。そこにトヨが声をかけた。

「文代ちゃん、来てもらったところ申し訳ないんだけれど、今日はやめた方がいいわ……」

「……」

文代とサキは顔を見合わせる。

「なんだか女学校がやられたって噂なのよ。それに時限爆弾もあるって話だし……」

女学校がやられた。その一言で二人の表情がこわばる。

「それならなおさら様子を見に行かなくちゃ……」

文代が級長としての責任感ゆえかこんなことを言った。

「文ちゃん、お母さんの言う通りにしとこうよ」

サキが文代の裾を引っ張る。

「……」

「文代ちゃん……行く途中でもしもの事があったら大変よ。今日は休みなさいな」

「……そうします」

文代は若干不服そうだったものの、二人はこの日、結局登校をしなかった。

 攻撃から半日も経つと、風の噂で様々な情報が入ってくる。まず、やられたのは女学校や師範学校の女子部、それらの近くや航空機工場近くの町。これまでに無い程の被害が出ているとの話もあった。また誰がやられた、怪我をしたという話もある。サキは学校のことが気がかりだった。校舎はどうなっているのか、また日曜とはいえ宿直の先生たちがいたはずだ。その先生たちの無事を願ってやまなかった。


 翌日。危険がないようによくよく注意して登校したサキと文代。学校に近づくにつれ町の被害は酷さを増していった。電柱が倒れ、電線はぶら下がっている。

「……なんてこと」

到着するとサキたちの校舎は半壊しており、敏子の働いていた学校工場……のあった控所は潰れて壊れていた。畑になっていた校庭には、大きな穴が幾つか空いていた。……いずれの被害も敵の爆弾によるものなのは言うまでもなかった。ふと見ると、校庭の端で、同級の女学生たちが何かを話していた。近づくと啜り泣く声が聞こえる。奥で顔を押さえて泣いている子がいた。

「ねぇ、どうしたの……?」

「あっ……金城さんと級長」

横で彼女を慰めていた少女がサキの問いかけに反応しこちらをみて名前を呼ぶと同時に、泣いている少女はわあっと声を出して更に激しく泣いた。

「根川(ねがわ)さん泣かないで……」

「弘子ちゃん……? 何があったの?」

泣いている少女は弘子だった。文代が尋ねても泣くばかりで話をしようとしない。

「上級生のお姉様が……亡くなったって先生が仰ってて……名前を知ってる人だったみたいだから……」

「……? 昨日は日曜のはずよね」

「それが、突然昨日の出勤が決まったらしくてね、そしたら……昨日の空襲で……」

そこまで言って少女は口をつぐんだ。

「ねぇ」

サキは先程から異様に寒気がしていた。交友の少ない弘子が知っているお姉様といえば、あの人しかいないではないか。まさか、あの人が?

「……それって、誰なの?」

震える声で、絞り出すように問う。一時の静寂が流れた。

「……丘部敏子おかべとしこさんと二宮ミツ子にのみやみつこさん……だって聞いてるわ」

「は……」

言われたくなかった名前が出てしまった。サキはしばらく何も考えられずに突っ立っていた。暗闇に投げ出されたような気分だった。現実味もなく、暗闇をゆらゆらと漂っていた。弘子の泣く声も、今は聞こえない。

「……ねぇ、冗談はやめてよ、悪い冗談だよ、おもしろくないよ」

「そ、そんな冗談好んで言うわけ……」

「嘘だ、嘘だって……」

言い終えて力なくへなへなと地べたに座り込んだサキの背中を文代がさする。

 あまりにも突然すぎる。この前……蓮を見せてくれると約束したではないか。これじゃ嘘つきだ。どうして? なぜ私のお姉様が?

「もしかして……あなたも知り合いだったの……?」

「そうよ……敏子さんと……」

恐る恐る尋ねる少女に、文代がサキの代わりに答えた。

 呼吸が荒くなる、何も考えられない。何が何だか分からない。ただ怖い。誰か冗談だと言ってくれ。サキは涙を流す気すら起こらなかった。頼りにしていた上級生、その突然の死がもたらしたものは、十二の少女にとってはあまりに凄まじい重荷であった……。


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