第3話「仲直り作戦」

 あれから少しばかり経ち、五月に入った。相変わらず例の水筒少女……もとい東雲タヅ子しののめたづこはサキ達を良く思っていないらしい。廊下ですれ違い、目が合っただけで嫌な顔をされる。一回文代と峯子に相談し、何とかしてもらおうとしたものの、タヅ子がやたら棘のある物言いをしたせいで峯子が激怒。文代が即座になだめ大事には至らなかったが、和解には失敗した。嫌う理由を文代が尋ねても、タヅ子はそっぽを向いて相手にしてくれなかった……のが昨日の話。正直なところ、サキはまたタヅ子と顔を合わせるのが憂鬱だ。とはいえ結構な頻度で熱を出したりなんだりしている我が身、そのくらいのことで休んでは全体に迷惑がかかる。というわけで下駄箱を開けば白い紙切れ、敏子からであろう。あれから敏子とは文通をしたりちょくちょく会ったりしていたが、その度に敏子があんまり嬉しそうな顔をするものだから、「やっぱり、次から会うのやめます」なんて言えるわけがなかった。また今日のお昼の予定が埋まる。隣の文代は紙を見ただけで「敏子さんね」なんて言い出す始末だ。サキは手紙を折り目通りにさっと折りたたむと、適当にカバンに入れた。と、サキの頭の中に突然一つの名案が浮かび上がる。

「そうだ! いいこと思いついちゃった……!」

「なにを?」

「なんでも相談してっていってたもんね……、悪かないよね」

「だから何を思いついたのよ?」

「東雲さんと仲直りできるかもしれない方法!」

なぜもっと早く思いつかなかったのだろうか。サキは昼が来るのを初めて待ち遠しく思った。心做しか午前の竹槍訓練もいつもに増して調子よく出来た……気がする。


「んーと、その東雲さんって人と仲が悪くて困っているのね?」

「それであってると思います」

思いついた案とは、敏子に相談を持ちかけることであった。

「でもねぇ、あなたのこと嫌っている人と無理に仲良くする必要はないのよ?」

「それはそうなんですけれど……でもなんで私たちに意地悪するのかだけでも知りたいんです、 やめてもらわなくちゃ」

敏子はしばらく考えたのち、

「……難しい問題だわ。今の短い時間だけで考えるのは私も難しいから、よく考えた上で近々お手紙にして渡すのでもいい?」

「も、もちろん! ありがとうございます」

「可愛いあなたの為ならこれくらいはしなくっちゃね」

そう言って微笑む敏子。せっかく会うのだから、という思いで相談することを決めたものの、これまでの軟派な様子から、内心サキは敏子にあまり期待してはいなかった。だが、今までに見たことがないような真剣な表情で考えてくれる敏子を見ると、疑って申し訳なかったなという気持ちにさせられた。


 数日後の五月八日。あれから毎日下駄箱を覗いていたが、敏子も考えるのに時間がかかるのか、なかなか来なかった。でも、敏子が考えてくれているという事実だけで、タヅ子に嫌な顔をされてもなんとか耐えられる。そして今日も空。午前中は一、二年生で学校農園に行き、食糧増産に務めた。

……そして、あれが起こったのは午後の事だった。自宅に帰って母の手伝いをしている最中に、 警報が発令された。翌日聞こえてきた話によると、どうやら市内にある航空機の工場やその近くの街が機銃掃射でやられたらしかった。工場で働いていた上級生たちに被害はなかったものの、工場の人に被害が出たそうだ。また女学校の先生にも敵の飛行機を目撃した人がいた。それまではさほど被害のなかった千葉市でそのような出来事があったこと。これは金城家、特にトヨにとっては衝撃的な出来事であった。

「渉と茂を私の実家に疎開させましょう。まだ……そうした方が空襲は防げるはずです」

啓蔵とトヨでよく話し合った後、最終的にこう決断が下った。トヨの実家は千葉市にほど近い、しかし田舎な場所だ。本当なら東北等に疎開させられれば……とトヨは考えたのだが、縁故もなく、それは無理な話だった。程なくして、啓蔵の引率の元、二人が実家へと向けて出発する日がやってきた。

「行ってまいります」

「行ってまいります……」

「行ってらっしゃい、身体には気をつけてね」

渉の方はきちんと気をつけをし、表情も親を心配させまいという気持ちからなのか、平然とした様子を保っていた。一方で茂は家族、特に母と別れるのが寂しいのか、ずっと俯いていた。

「ほらしょげるな、田舎に行ったら食べ物だってあるかもしれないぞ」

「うん……」

渉が茂をこんな調子で励ましつつ、二人は家を去った。

「早く勝って、ふたりが帰って来られるといいね」

サキにとっては普段こそ煩くて喧しい弟たちだったが、いざ居なくなるとなるとやっぱり寂しい。

「そうね……」

隣で見送るトヨも同じ、いやサキ以上の寂しさを抱えている……ように見えた。


翌日。

「……それでね、案外寂しいもんだなぁって」

サキと文代は今日も今日とて登校日である。いつもの通学路を二人で歩いていた。

「そうよね……サッちゃん寂しがりなところあるから。でも勝つまでの辛抱よ。ほら、欲しがりません勝つまでは!って言うもの」 

「だよね! あ、ところで康子やすこちゃんは疎開……しないの?」

康子というのは文代の妹である。

「うちは両親ともここで生まれ育ってるから、その予定はないと思うわ」

「そっか」

「それに康子は身体が強くないし、サッちゃんと同じで寂しがりですからね。私がいないとダメなのよ」

「ちょっと! 私いつもべったりしてないでしょ⁉」

「そぉ?」

「文ちゃんたら! もう!」

「あはは、冗談よ」

文代は悪戯っぽく笑っている。彼女からしてみればどっちも似たようなものだった。そして どちらも大切な存在であった。


「お、今日は手紙来てる!」

学校について下駄箱の扉を開けると、普段より少し大きめの封筒が目に付いた。

「あぁ、あのタヅちゃんと仲直りする方法の」

「そうそう」

サキは待ちきれないとばかりにビリビリと封を切った。そして文代と頭をくっつけて手紙を読んだ。


――サキちゃん。

 お手紙を出すのが遅くなってしまってごめんなさいね。私あれから色々考えていたの。それこそずっとよ。勿論、工場では真面目にやっていたけれどね。

 それで本題に入ると、仲直りの為には何故彼女が怒っているのか、貴女たちを嫌うのか、ということをはっきりさせることが必要だと私は思うのよ。彼女に聞いてご覧なさい。でも責め立てるような聞き方は駄目よ。素直に何故そういうことをするのって言えばいいの。あと、相手の言い分はきちんと聞くこと。そして最後に、貴女が自分で相手に伝えること。きっかけを作ったのは貴女自身ですもの。

 また進展があったら教えて頂戴ね。この手紙がお役に立てれば嬉しく思います。 かしこ。

丘部敏子


「理由をはっきりさせる、か」

「サッちゃん、教えていただいたからには早く実践しなきゃよ」

文代がすかさず提言する。

「そう……だよね。早く東雲さんに伝えないと」

「人がいない時間がいいわね、明日の朝なんてどう? タヅちゃんいつも早く登校してるみたいだし」

「うん、そうしてみる。なにか……適当に手紙書いてお昼のうちに下駄箱に入れとこうか」

「それがいいと思うわ」

この後サキはタヅ子にばれないよう、こっそり手紙を書いて下駄箱に忍ばせた。



「で、お仲間もなしに私を呼び出して一体何する気なの?」

朝のさわやかな雰囲気の校舎裏。それとはあまりにも不釣り合いな重苦しい雰囲気がサキとタヅ子、二人の周りを覆っていた。

「ち、違うよ。ただ……」

「ただ何? 誰かと思って来てみれば……朝の貴重な時間をあなたなんかに割いてる暇はないのよ」

タヅ子は無理やりに呼び出されて怒っているのか、いつも以上に高圧的な態度だった。

「はぁ……もう帰ってもいい?」

もう呆れたと言ったふうにため息をついて、踵を返そうとするタヅ子。

「待って!」

思わずサキはタヅ子の腕を掴む。

「いつも、いつもなんでそんな意地悪ばかり……‼ 私がなにかしたのなら教えてよ、そしたら直せる所は直せるし……黙ってたんじゃ謝りようがないよ……!」

言ったあとでしまったと思った。敏子の手紙には相手を責めるな、と書いてあったから。どうしよう、その一言で頭が埋め尽くされる。

「……気に食わない」

タヅ子はサキの手を振りほどき、振り返って正面からサキを見据えた。

「気に食わないのよ。級長と副級長、そしてこの二人と仲良くしてるあなたが!」

「……」

タヅ子の剣幕に、サキは黙るしか無かった。

「いつも明るくて楽しそうで、入学試験でも一番二番! 級長ってだけで人から褒められて、先生にも気に入られて……! 私だって……級長や副級長になりたかった、なりたかったのよ……! それにあなたも……ちっともあの子たちに嫉妬してるようには見えなかった。それが嫌だった……!」

タヅ子の目は涙で潤みはじめていた。

「……笑いなさいよ。情けないでしょ、こんな理由であなた達に嫌な顔して意地悪して! ……あなたが謝ることなんてひとつもない。あなたに話してみてよく分かった。全部私の嫉妬よ……。 ほら、もうどこかいって。もうこれ以上話しても悲しくなるだけだわ」

こう言い終えたあとで、タヅ子はボロボロと泣きだし、しゃがみこんでしまった。文代や峯子に嫉妬するなんて考えたこともなかったサキは、タヅ子の発言に衝撃を受けるのと同時に、諸々の原因が分かりスッキリとした気持ちもあった。さらに重々しくなった雰囲気の中、サキが口を開く。

「ねぇ、東雲さん……いやタヅ子ちゃん」

「……何よ」

タヅ子がこちらを怪訝な顔で見上げた。

「私たち……友達になろう! あっ、私だけじゃなくて峯ちゃんや文ちゃんとも……!」

「⁉」

彼女の目が大きく見開かれる。

「あなた……何言ってるの? 私は散々あなた達に意地悪してきたのよ? そんな相手と友達になりたいなんてどうかしてるわ……」

「でも……友達になったら級長とか副級長とか、そういうくくりで見なくなると思うの!」

サキはニコッと微笑んでみせる。そしてこの案は即興で考えた割には名案ではないかとひっそり 思っていた。

「あなたも変わってるわね。……ほっとけばいいのに」

「泣いてるのに放っておけないよ」

「……」

サキが差し出した手を取って立ち上がるタヅ子。

「ごめんなさい。私酷い勘違いをしてたみたいね。あなたがこんなに……優しい人だなんて」

「いやっ、そんなことないよ! これは……文ちゃんならどうするかなって考えて……出てきた答えだし」

「きっと級長……清崎さんも優しい人なんでしょうね。でも今回答えを出したのはあなたよ。優しいじゃないの。こんな私に友達になろうだなんて」

「そっか、そうだね」

「早く二人にも謝らないと」

タヅ子は教室の方面を見上げて言った。

「きっと大丈夫、うまくいくって」

「……ありがとうね」

泣き止んで、赤くはれた目のまま彼女は微笑んでいた。それはサキが初めて見る心からの笑顔だった。


「もう泣かないで! 大丈夫だから」

「そうよ、もう怒ってないわ。それにもうすぐ先生がいらっしゃるんだから、泣いてる人がいたらびっくりされるわよ」

始業前の教室、その端では、俯いてひたすらに泣いているタヅ子を慰める文代と峯子、そしてサキの姿があった。

「なんで……? なんでそんなに簡単に許してくれるのよ……」

「そりゃね、こんなにちゃんと謝ってくれたなら許すのが筋ってものだわ」

文代はニッコリと笑った。後ろから峯子も続く。

「級長の言う通りよ。許さないって言ったところで何にもならないもの」

「そう……そうよね……」

タヅ子は俯いていた顔をあげて三人を見渡すと、

「みんなありがとう……本当に」

と微笑んだ。

「……素直に謝れたあなただって優しいわよ」

「笹原さん……」

二人のやり取りを眺めていたら、文代がそっと耳打ちしてきた。

「……上手くいってよかったわね、サッちゃん」

「……敏子お姉様にもお礼言わないと」

サキも耳打ちし返す。サキは無事タヅ子とみんなが仲良くなれたことに喜びを感じるのと同時に、敏子に早く報告したい、という気持ちも生まれていた。



「それで……タヅ子ちゃんとはなんとかうまくいったんです」

「まぁ! 良かった」

数日後。校舎裏の適当な場所に並んで腰掛け、敏子に色々と報告するサキ。

「どれもこれもお姉様のおかげで……本当にありがとうございます」

「なぁに言ってるの、確かに私はちょっと助けたかもしれないけどね、サキちゃんが頑張らなかったらタヅ子さんも分かってくれなかったはずだわ。あなたが自力で頑張ったから結果がついてきたのよ」

敏子はサキの頭を撫で、こう言った。

「タヅ子ちゃんにも同じこと言われました……」

「サキちゃんはもっと自信を持ちなさいよ、偉い子なんだから」

「そ、そうでしょうか……」

すると、敏子はそう言って自信なさげに目をそらすサキの頬に両手をやり、くいっと持ち上げ、 じっと目を見つめる。

「あっ、あの」

「ほら、しゃんとして! そんな顔しないの、あなたはすごいんだからね!」

敏子の吸い込まれそうな瞳に、サキはなぜか顔が熱くなるのを感じた。

「あ……ありがとう……ございます……」

頭がぼんやりする。

「よし……いい子ね!」

敏子はニッコリと微笑んでいた。

「それじゃ……私はもう帰るわね、また会いましょ!」

敏子はそっとサキの顔から手を離すと、校舎裏に消えていった。サキはしばらくぼーっと座っていたが、やがて自分も午後の作業をしなくてはならないことを思い出し、ふらつきながらも立ち上がった。と同時に、少し先に人影を見つけた。顔を真っ赤にしたその人は……

「弘子ちゃん……」

「あの……いやこれは違うんですよ、みんな忙しそうだから私が来ただけで……」

「見てたの⁉ また見に来たの⁉」

「ほんとに今回は違うんです‼ だからその顔はやめてください!」

「絶対に皆には言わないでね⁉」

「わかってますって‼」

この日は時間ギリギリまで一方的にこんなセリフをひたすら浴びせかけ、始業に……遅れた。弘子曰く、この時ほど必死なサキを見たことは無い、とのことだ。

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