第2話「謎の手紙」
静かで穏やかな春の日。金城サキは戦慄していた。この前の泥んこ事件からあまり日数も経っていないのに、下駄箱に入っているこれはなんだ、新たな事件の火種なんじゃないか。こんな思考が頭の中でぐるぐるしている。
「まいったな……」
「火種」というのは手紙のことであった。これを入れたのが誰なのかは分からない。何かを破ったような紙で作られた便箋に入れられている。ちんちくりんの自分にはありえない、と思っていたがもし男子からだったら……。下駄箱まで侵入して入れたなんて考えにくいけど。男女七つにして席を同じくせず、交際なんて以ての外なこの世の中、今度こそダメかもしれない。
「サッちゃんどうしたの? 早く行きましょうよ」
隣にいた文代が不思議そうに声をかけ、その直後でサキの手元にある物体の存在に気づいてあっ、と声をあげた。サキも思わずあっ、と声をあげて後ろにそれを隠す。
「これは、えーと、別に変なものじゃないよ、ただね……」
視線が泳いでいる。慌てているときの癖みたいなものだった。
「下駄箱に入ってたの?」
「……え、えーと……そうだよ」
「まぁまぁ落ち着いて……。とりあえず中を確認してみたらどうかしら」
サキに対して文代は冷静。この冷静さに何度も助けられたことか。
「そ、そうしてみる……」
封筒を開けてみる。特に封はされていなかったためにすんなりと開き、中には封筒と同じ紙で作られたであろう便箋が出てきた。広げると、そのごわごわした紙にはあまりにも不釣り合いな達筆で、美しい言葉の列が綴られており、内容を要約すると「貴女をお見掛けして、是非仲良くなりたいと思った。今度会えないだろうか」とのこと。
「
サキは内容がうまく呑み込めず手紙としばらくにらめっこしていたが、文代の声で現実へと引き戻される。
「手紙のやり取りをするのは聞いていたけれど、まさかサッちゃんに来るなんてね……」
サキの様子に若干口元を緩ませながら彼女はこう発した。
「え、そうなの? 全然知らなかったな……」
「あら知らなかった? 有名な話よ。まぁ、私もあんまり詳しくは知らないんだけれど」
「それで、この……敏子さん?って人は何の用があるんだろうね? 会って欲しいとは書いてあるけど」
「さぁ? お友達になって手紙をやりとりしたいんじゃなくて?」
二人で顔を見合せていると、突如後ろから声がかかった。
「あの! そ、それ、え、エス……じゃないですか⁉」
「わっ! びっくりした……」
振り向くと、同学年と思われる少女が前のめりになって立っている。
「文ちゃん、えす……?って何?」
文代も首をかしげている。
「え、エスは、上級生のお姉さまと下級生が特別仲良しになる関係のことですよ、えと、由来、由来はあの、忘れましたけど……ああ、でもとっても素敵なんです、まさか目の前でその手紙を見られるなんて思ってもみませんでしたよ羨ましい……」
後ろの少女は興奮しているのか、畳みかけるように早口でしゃべり続けたのち、ハッと我に返り、
「あ、ああっ! すみませんでした‼ 喋りすぎちゃった、あ、では、また‼ さよなら‼」
一礼し、逃げるようにドタドタ音を立てながら走り去ってしまった。
「ちょっと待って! それだけじゃよくわからないよ!」
「
「……」
一瞬の静寂。
「あの、なんで名前覚えてるの?」
「だって級長ですもの、組の子の名前は全員覚えているわよ」
得意げに笑いながら自らの記憶力を自慢する文代の様子に、サキは先程の少女、弘子を追いかける気もなんだか失せてしまった。
――昼休み。
「結局来ちゃった……」
敏子という上級生からの手紙に書いてあった通り、学校の敷地の端の方、校舎の影になるところにある、人気の少ない場所でぼんやり待っていた。あの後、改めて「エス」の意味を聞き出そうとしたが弘子はやたら上手にサキを避け続け、文代も「さっき弘子ちゃんが言った通りじゃないの? 私に聞かれても困るわ」と言うわで結局よく分からないまま。そして文代に せっかくだから行きなさいよ、と言われるがままに来てしまった。
「暇だ……」
せっかくの空き時間、本来なら文代や峯子とお喋りに興じる筈なのに。さっきまでやっていた指遊びも飽きた。ざわざわという葉のそよぐ音の中に、女学生たちの微かなおしゃべりの声が聞こえる。あーあ、私は一人ここで何をやっているのだろうか。そんなことを考え溜息をついた、その時。
「サキちゃん……サキちゃんでしょう? 待たせてごめんなさいね!」
目の前に上級生とおぼしき、お下げ髪の少女が立っていた。
「そうですけど……。あなたは……敏子さん?」
「正解! 名前を憶えていてくれるなんて嬉しいわ!」
そう言ってサキの手を取る。名前なんて、彼女のカーキー色の工員服に縫い付けられた身元票を見ればわかることだ。
「それで……時間が無いから早速本題に入るんだけど、来てくれたってことは……私とその…… 姉妹になってくれる気があるってことよね……?」
「あの、姉妹ってつまり……エスってことですか?」
「あら知ってるのね! ええ、そうよ。」
敏子は若干頬を赤らめ、照れくさそうにこちらを期待のこもったまなざしで見つめている。 さっきエス、という単語を自らの口から出してしまった以上、とてもそれがどういう存在なのかよく分かっていない、なんて言える状況ではなかった。少なくともサキにとっては。どう返事すればいいのか……サキはうつむいて目線をあちらこちらに忙しく動かしつつ、どうすべきか必死で考えていた。
「ねぇ、どうしたの……?」
ぱっと顔をあげてみると手を握ったままの敏子が、サキの沈黙の長さのせいか、不安げな表情を浮かべている。
「えっと……、こういうの初めてだから……どうお答えしていいかわからないんです。嫌だとかそういうのではないんですけれど……」
「なんだ、そうだったの! それならそこまで不安がることないわ!」
敏子の顔が一気に華やぐ。
「そうよね、一年生だものね、でも大丈夫よ! これから困ったことがあったらなんでも相談してくれていいから!」
「あの、敏子さん」
「これからはお姉様って呼んでちょうだい! これからよろしくねサキちゃん!」
何を勘違いしたのか彼女は嬉しそうに握っていた手をさらに強く握った。サキがどう対応すべきかと困っていると、それに気が付かない敏子はさらに次の言葉を発する。
「私はそろそろ時間だから戻らなくちゃいけないんだけれど……今日は会えてよかった! じゃあね!」
そして、サキが口を開く間もないうちにサキの手を離すと大きな建物の方へと走り去ってしまった。
「行っちゃった……」
しばらく呆然と立ち尽くしていたが、サキの方もそろそろ午後が始まる時間だ。ひとまず早く戻らねば、と教室へさっさと帰……ろうとしたとき、遠くに見覚えのある人影が見えた。
「弘子ちゃん……」
こちらに気づいた弘子はすかさず逃げようとするが、運悪く躓いて思い切り転んでしまった。サキは逃がさんとばかりに弘子のもとへ駆け寄る。
「ちょっと、どうしてここにいるの?」
弘子は倒れたまま、一度深くため息をついた後、こう発した。
「手紙のことが気になって覗きに来ちゃいまして……」
「……なんで場所が?」
「聞き耳立ててました」
ずっと自分たちを避けていたのにいつ聞き耳を立てていたのか。
「でも……敏子さん、あの人はいいお姉様ですね。明るくて、頼りになりそうで」
「はぁ」
「それにとっても雰囲気が素敵です、運がいいですよあなた! ああ羨ましい‼」
「……早く帰らないと怒られるよ」
延々と敏子を褒め続ける弘子の話をサキは適当に聞き流し、無理やり彼女を立たせると、引きずるようにして急いで教室まで向かうのだった。
「あらサッちゃん、弘子ちゃんも。遅かったわね」
「二人共、もうすぐ午後になるから早く準備してちょうだい」
教室に帰ると文代と峯子がいそいそと、珍しく行われる午後の授業の準備をしていた。
「うん」
「そういえば、敏子さんとはどうだった?」
ふと文代が尋ねる。
「それが……」
「すごいですよ! 金城さんと敏子お姉様で
弘子がサキの言葉に余計な情報を被せてくる。それも満面の笑みで。
「本当なのサッちゃん?」
「えーと……なんて言ったらいいのか……」
一旦は否定しようとしたものの……サキの脳裏に嬉しそうな敏子の顔がよぎると、どうしても次に会うとき姉妹のお誘いを改めて断っている自分の姿は浮かんでこなかった。
「そういうことになっちゃったみたい」
サキは若干苦笑いしつつ答える。
「なるほどね」
「その……エス?はよく分からないけどあまりのめりこまないようにしてよ」
文代はただ微笑むだけ、峯子はいつも通り説教を挟む。
「あの、金城さんもお手紙とか送るんですか⁉」
「うーんと……」
「みんな、先生がいらっしゃるから早く席について」
授業の開始とそれを伝える文代の言葉に会話は途切れた。その後、サキは頭を切り替えて勉強に集中しようとした。が、やっぱり敏子のことが気になるのだった。
その夜。一旦は眠りについた一家を叩き起した警報も解除され、ふたたび寝床に戻ることが出来た頃。別の部屋の弟たちや祖父は、祖父のいびきが聞こえているあたり既に寝たようだったが、 サキは色んなことが頭をぐるぐるして、なんだか眠れなかった。
「サキ、早く寝ないと。明日だって早いんだから……」
隣の娘がまだ寝ていないことに気づいたトヨがそっと声をかける。
「うん……。でも気になることがあって」
「あぁ、悩むと眠れなくなるわよねぇサキって。今日はどうしたの?」
「それが……」
サキは今日のことを母に説明した。敏子のこと、そして彼女と成り行きでエスの関係になってしまったこと……などなど。
「エス……あ、そういえばお母さんの友達もやってたわよ、女学生時代にね。私には縁がなかったけど……。いいじゃない、せっかく誘われたんでしょう? それとも……嫌な人なの? 敏子さんは」
「う、ううん! とっても優しそうな人だよ」
「なら、どうして?」
「だって怖いよ。突然誘われて、相手の勘違いでこんなことになって、文ちゃんに相談したかったけど話す時間なかったし……かといって断る勇気があるわけでもない……」
「それもそうだわ。でもねサキ、嫌ならきちんと嫌って言わないとだめ。後々自分が苦しむのよ。」
「……うん」
「ま、明日になったら
「……そうする」
サキは母親に誘われるまま布団に入る。母の温もりを感じながら、気づけば深い眠りに落ちていた。
翌日。サキ達一年生、そして二年生は、学校の所有する学校農場に向かっての作業だった。サキは昨日のことを文代に相談したかったのだが、当然おしゃべりができる空気ではない。なので一人でいろいろと考えつつ、作業に励んでいた。昨日母親には自分で考えろ、と言われたが、敏子のことを考えると頭がぐるぐるして、どうしても一人で考えをまとめることができなかった。早く お昼にならないかな、なんて考えているうちに時は過ぎ、もうそろそろお昼……という時間である。今日は午前で終わりだ。
「……では、時間になったので本日の作業はここまで!」
引率の教師がこう発すると同時に、女学生たちはいつも通り、帰るための準備をして教師の元へ向かう。サキも置いていた荷物を回収して遅れないようについて行こうする。と、目の前を歩いていた少女が何かを落とした。たぷんと音を立てて落ちたそれは水筒だ。サキは足元に転がってきたそれを思わず拾い上げると、落とし主に声を掛ける。
「ねぇ。これ落としたよ」
「……あら、ありがとう」
声に振り向いた落とし主は、セーラーの良く似合う、ふわふわした癖っ毛の少女だった。彼女はにこやかに礼を言って振り向いたのだが……
「!」
サキの顔を見るやいなや、彼女の顔から笑顔が消える。眉間には皺が刻まれ、明らかに機嫌が悪くなったようだ。彼女は黙ってサキの手から水筒を奪い取るようにして取ると、そのままスタスタと去っていってしまった。
「え……?」
突然の出来事に、サキは訳が分からなかった。特に相手に何か悪いことをしたという覚えもない。でもドジな自分の事だから、気づかないうちに何かしてしまったのかも……。なんて思考で頭が埋まり、気づけば文代が自分を呼ぶ声がしていた。慌てて皆に混ざる。どうしてこうも面倒そうな事になってしまうのだろう……。また、サキの悩み事がひとつ増えたのだった。
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