第14話 祭りに混ざりて

 熱が本気を出して地面を焦がしている。七月も終わろうとしている頃、春斗はしばらく見ない内に変わり果てた景色を目にして時の経過を感じていた。

 入院とは世界を眺める時間すらも切り取り白い部屋に張り付け密封する行為だったのだろうか。

 見慣れているはずなのに新しい、そんな世界を歩いていく、流れる景色を眺める、日に焼けた地面の香りは乾いていて、淡くもしっかりと塗られた空は分厚い。春斗は久々に広々とした生を感じていた。

 やがて目指していたカフェにたどり着いた。網の入ったガラスの張られた重い扉を開いて中へと入って行く。懐かしい景色は心を満たした。木目の壁や柱、入り口に置かれた金魚の絵が描かれた植木鉢、そこから伸びる細い木は小さな葉を大量に飾り付けて明日を生き抜く気力を溢れさせていた。

 真っ先に壮年のマスターに先客の存在とコーヒーの注文を告げて窓際のテーブルに腰掛ける。先客は春斗の姿を見るなり不満を声に滲ませながら言葉にする。

「早かったな。秋男は来ないんだとさ」

 声とは裏腹に軽い口調で話す目付きの悪い女性。

「春斗一人で来いってさ」

 目の下のくまはいつでも刻まれていて疲れしか知らないのだろうかと心配を口にするも、余計なお世話だ。の一言で片付けられてしまった。

 そんな先客、波佐見冬子は紫陽花の押し花の栞を本に挟んで閉じ、話を始める。

「あの時のドライブ以来少し付き合い悪くなってな」

 目的すら言わず心霊スポット巡りに付き合わせようと企んでいた秋男に毎回理由を訊ねようと告げた事で、心霊スポットに抱く冬子への想いなどその程度だと失望してしまったのだろうか。真面目な人物の事など秋男は見たくも無いのかも知れない。

「多分心霊スポットに連れてってくれない私はいらないんだろう。心配で止めようと思ってたんだが」

「秋男も酷いよな」

 如何に友だちだとは言ってみても許せることと許せない事があるのは当然のことだった。

「余計なお世話は私が言われるべき言葉だったのかも知れないな」

 自嘲気味に笑う冬子、春斗はこれまでの入院生活のことを思い出す。院内で見慣れた最も顔と言えば冬子を差し置いて他に挙げる候補などいないだろう。

「もしかしてよく俺の見舞いに来てくれたのって」

「暇なのもあっただろうな」

 軽く呟く彼女の想いに何度目かの微かな寂しさを感じるもすぐに放った次の言葉が本命だったのだと思い知らされた。

「でもな、正直に心配だった」

 やはり冬子は優しいのだ、見た目や名前から冬を思わせるような人物だがきっと常に暖冬なのだろう。

「愛想悪いからか仲のいい人なんて殆どいなかったし、そんな私に仲良く接してくれた春斗が事故に遭うだなんて」

「俺はもう大丈夫。それより冬子だよ。秋男と仲直りしなきゃ」

 喧嘩よりも後味の悪い別れとなってしまいそう。春斗としては絶対に迎えたくない幕の降ろし方だった。

 言葉にしてからの行動は早いもの。冬子の伸びない手を引いて歩き出す。



  ☆



 カフェの最寄り駅から電車で二駅、乗り換えてから三駅。降りてからの十数分と言う道のりを経てたどり着いたアパートの呼び鈴を鳴らす。それからの沈黙は二十秒程だろうか。流れる静寂を打ち破りながら開くドアから秋男の顔が覗く。

「冬子も一緒かよ、まあいい入った入った」

 冬子とのやり取りに対しては気にしていないのだろうか。秋男はSDカードを取り出し純粋な心持ちでニヤついていた。

「お宝映像見つけたからよ、早く観ようぜ」

 ノートパソコンを起動し、SDカードを差し込む。時間のかかる読み込みを経て画面に映された映像に二人はのめり込む。制服を着た女子たちが楽しそうに神社で話しながら歩いている映像だと知るや否や冬子は鋭い視線で睨み付けて冷たい声を広げる。

「それが目的かこの変態」

 冬子の言葉を受けて秋男は手を軽く振りながら完全に否定してみせた。

「ちげーよ。コイツらは高校の時の同級生だ」

 高校の時のだからと言っているものの、今も興味があるかも知れない。そんな言葉を浴びながら秋男は鼻で笑う。

「可愛い顔してるけどガキに用はねえ。大事なのはここからだ」

 楽しそうに歩く女子たちが大勢の人間の塊に混ざる。動きによって作られた流れに従って歩いていく。彼女たちはきょろきょろと辺りを見回しているのだろうか。回り続けるカメラ、回り続ける風景。人の流れにて遠ざかっていく木々の隙間にカメラに向かって睨み付けるセーラー服を着た少女が立っていた。

「ほら、コイツが本命。可愛いだろ」

 不自然な影がかかった女の青白い顔は整った形さえ褒める要素にすることを許さない不穏な気配を漂わせた不気味なもの。

「会えば殺してもらえるかもな」

 秋男の軽口は流して冬子はセーラー服を着た少女を睨み続け、数秒間黙り続ける。やがて振り返り秋男に確認を取る。

「あの制服、私たちが通っていた高校の昔のやつだ。確かスライドショーか何かで見たよな」

 その答えに満足したのか、秋男は妙に明るい笑みを浮かべながら一度大きく頷いた。



  ☆



 それから二日後、多くの人々が動き流れ行く神社に三人は立っていた。

 日頃は子どもが遊びに来るか老人方がベンチに座り休憩するか。その程度の役目を悠々と果たす狭い神社も祭りともなれば大勢の客が来るというわけでいつもの快適空間は失われていた。

「人混みが暑い」

「盆踊りじゃないが何か踊りもあるんだぜ」

 感想など聞き流して冬子に説明を付ける秋男。同じ高校とは言えどもこの地を全く知らないのなら必要であることは間違いないだろう。続けて忠告を一つ加える。

「何か見付けたら教えろよ。特に冬子。これは身を守る為でもあるんだぜ」

 冬子は無言で頷く。祭りに来ているだけとは言えその祭りを行う場所は神社という霊的な気配に充ちた場所。おまけに先日の映像から心霊の存在は確実なものだった。

 太鼓は叩かれ子どもたちが踊る。

「さあ来たぞ」

 マイクで拡散された声や音楽、太鼓の音に周囲の音を奪われる。それでも聞き逃すまいと冬子は必死に耳を澄ます。

「何か見付けたか」

「ちょっと探っただけだ。まだ何も」

 冬子はしばらく立ち止まり音をつかんでいたが、急にハッとした様子で眼を見開いて春斗の肩をつかんで少し遠くへと向かう。

「何か聴こえないか」

 春斗も倣って耳を澄ました。幾つもの人々の話し声は混ざり合い、風景の一部と化していた。蝉の鳴き声、たこ焼きを焼く音、そしてマイクに乗って流れる太鼓の音とともに辛うじて聴こえるうめき声。この場所の賑わいに不釣り合いな音だった。

「マズいって、絶対マズいって」

 そう言って秋男の元へ駆け寄るも、秋男は笑いながらポテトを食べていた。そんな秋男に冬子は真剣な眼差しを向けて言葉を届ける。

「太鼓に混じってうめき声が聴こえた」

 聞いた途端に妙に明るい顔をする秋男は幾つの心霊現象を目の当たりにしても変わることは無いのかも知れない。

「マジか」

「ああ、本当だ。逃げるぞ」

 しかし、秋男は首を激しく横に振った。

「バカだろ。心霊目的なのに聴かずに逃げれるかっての」

 そうして待っていた秋男だったが、太鼓の音はすでに止んでいて少しだけ落ち着いた音の中からうめき声を見つけることが出来ずにいた。

 置いた男が紙の箱を持ってステージに上がり、マイクを構えて辺りを見回した。この地区に住む人々を対象にしたくじ引き抽選会が始まるのだろう。

 男が話そうとしたその瞬間、スピーカーから甲高い音が響く。耳を刺す程に鋭利な音。それは止まる事を知らないようでいつまでも春斗の耳にこびりついていた。塞いでも無駄で、思わず目を細めてしまう。

 冬子は春斗に訊ねる。

「春斗聴こえるか」

 耳を塞ぐ春斗に代わって秋男が報告した。

「俺でも聴こえる」

 スピーカーから響くその声はどこか悲しそうで、苦しそうである。

「どうして……ど……うして…………」

 音の中に混ざる声はそれ以上聴き取れない。人々はみながやがやと騒ぎながら異変に喜び、或いは混乱を感じながら落ち着きを失う。

 冬子はステージ近くの木を見ていた。春斗と秋男もそれに倣ってその木を見つめる。正しくはその木のそば。

 セーラー服を着た青白い女が立っていて、コチラを睨み付けているのだ、明らかに春斗たちの方を睨みつけている。

 人々が甲高いノイズに驚いて視線を右往左往させている。辺りを落ち着きなく動いている視線の数々を一転に集めるように、一つの恨めしさを込めた声がはっきりと響き渡る。

「どうしてコロシタ」

 響いた声に人々は騒ぎ、恐怖する。逃げ出す人、叫ぶ人、一部こちらへよってくる人、皆が落ち着きを失い蠢いていた。

 ただ事ではない、手に負えることではないのだと察した三人は逃げることとした。

 神社に背を向けて、出来る限り遠くへと。



  ☆



「これで大丈夫だな」

 秋男はそう言いながら二人を見ながら後ろ歩きをしていた。如何に秋男であれども今回は危機を感じてしまったのだろう。挙動も声もいつもの様子を保てずに妙な歩き方をする秋男が横を通る人とぶつかる。

「すみませ、う、」

 言葉をかけようとした相手の姿を見つめて秋男は言葉を詰まらせた。他の二人もまた、言葉を湧き上がらせることが出来ない。

 そこを歩いていた異形はこう呟いていた。

「どうして……ど…………うし……て」

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