第15話 塾

 秋男の家の中、一つの大きな箱に映像が映されていた。秋男、春斗、冬子の三人はテレビの映像を見つめている。それぞれが異なる想いを持って見つめる映像。

 光と動きの塊が演出しているそれは心霊番組。以前秋男が投稿しようと張り切って学校に忍び込んだ事を春斗は思い出していた。秋男がいたずらの延長線上で輝く想いを抱きながら入り込む様を撮ったあの映像は到底番組に採用されるものではないようなものとなり結局ボツになってしまった。

 その映像を投稿する予定だった番組。その番組では今、江戸時代の霊だとか歴史上の怨念だと声と文字で大袈裟に語ってゲストたちを和服の霊の存在の力で怯えさせていた。

「和服の霊とかぶっちゃけ不自然じゃね」

 テレビの前で呟いたのは秋男。日頃から心霊や怪奇現象を愉しみながら触れているためか、その企画の全てを小馬鹿にしたような目で見ていた。

 冬子はつまらなそうに画面を眺める秋男の言葉に異を唱える。

「その時代の霊だから当たり前だ」

 言葉は続けられる。

「自分の内の常識に縛られるなよ。例えばスカートをはいた女子高生の霊。当たり前だと思うだろ」

 春斗は頷き、秋男は鼻で笑う。当然だろ、という悪態すらついていた。

「これからは制服のズボンとスカートの選択の自由化を進めて行こうって声が上がってる」

「で、どうした」

 そこまで考えなしで言葉を引き出す姿、茶髪と組み合わせの茶色の上目遣いは完全に冷め切った感情を演出していた。圧すら感じさせた。

「完全に選べるようになってから数十年後、今の時代に没した女子高生の霊たちが出た時だ」

 この時点で秋男の目は揺らぐ。春斗は息を飲んで二人の会話の開始地点にすら思考の及ばなかった己をひっそりと恥じていた。

「常識に囚われた者はみな、こう言うだろう」

 次の言葉が先ほどの秋男の発言がいかに愚かなものかはっきりと表していた。

「女子が全員スカートなのはおかしい、とな」

 秋男はそれを聞いて特に感心を見せるわけでもなければ反論する事もなくただ話題を別のものへと切り替えるだけだった。

「女子高生つったら火事で燃えた塾知ってるか」

 それは数年前の事。ある通りに目立つ姿で建っていた大きな学習塾があった。金を払って勉強を教わるその場所がある日突然燃え上がり、何名もの塾講生が死んだのだということ。

 火事の被害者の数だけ涙や無念の嘆きが生まれ落ちる。そんな姿が報道されていたあの日の事を思い出しては感情隠しの得意げな表情を浮かべながら続けた。

「お前らは無くなったと思ってるだろうけどな、実はそこ、残ってんだ」

 冬子は分かりやすいため息をついて諦めを示した。後の言葉は聞くまでもなく想像がついたのだから。



  ☆



 車は夜道を走る。すぐ正面の地面を頼りない光で照らして進む。闇を上手く通り抜けることなく遠くは照らせない光。

「心霊スポット反対派なのによく車出してくれたね」

 春斗の問いに冬子は淡々と答える。

「どうせ秋男は春斗引っ張ってでも連れて行くし」

 大人しい呟きはスピーカーから流れる男性アイドルの甘い歌声に掻き消されて後ろにまでは届かないようで。秋男は怪しい笑顔を浮かべながら塩を持っていた。

「おい春斗、何持ってっか確認しといてくれ」

 春斗は冬子の隣で鞄を開き持ち物を探る。

 出て来たものは水分補給用のルイボスティーに黒々とした輝く数珠に大きな懐中電灯、そしてマッチ。

「なんでマッチが」

 春斗は想像した。塾の霊たちに囲まれた秋男が得意げな表情を浮かべる様を。トランクにでも積んでいるかも知れない灯油をまき散らして「この塾もう一度燃やしてやるぜ。お前らもう一回焼けちまいな、焼肉パーティだぜ」といった言葉と共に火を点けたマッチをその床に放つ姿を。

「秋男もしかして塾燃やす気じゃ」

「面白そうだがそれじゃ俺らも断末魔の残り香とやらの仲間入りだぜ」

 冬子は表情を変えないまま訊ねた。

「何でそんなもの持ってきた」

 その答えは単純明快だった。

「懐中電灯が壊れた時のためだ」

 頼りない明かり、車のライトの比にならない程の頼りなさ。それを代用品にしようとした秋男の愚かさに冬子は盛大なため息をついた。しかしながら代案など持ち合わせているはずもなく、果ての手段として頼るほかない事に絶望を抱く。

 暗い街を走り続けていた車は止まり、三人の身を吐き出すような様でドアが開かれた。

「着いたぞ」

 恐らく青のビニールシートが被せてあるのだろう。シートは汚れて埃かぶってシワだらけで所々が破れている。新品だった頃の面影は無くなりそれでもこの場所に留まり足掻く姿はあまりにも無様。

 三人はシートの下の方をめくって廃墟化した塾へと忍び込んでいく。

 時の流れが置いて行ってしまった煤だらけの塾を冬子は見渡していた。過去に燃えた人々の姿は今もなおここで息づいているのだろうか。あまりにも大きな悲しみは刻まれて無念は顔を覗かせる。

 そんな冬子の想いなど知らず気付かず、秋男は底抜けに明るい表情をしている。懐中電灯の明かり一つで丸分かりだった。

「暗いな。窓の外からの光がお化けに見えるぜ」

 能天気な声につられるように春斗は窓を見た。外に張られているはずのビニールシートは裂けて街灯がこちらへと丸い光を差し込む姿が顕になっていて、確かに霊の頭にも見えた。

 そんな間の抜けた会話の中で冬子だけは意識を集中させて辺りの空気の張り詰めを感じていた。

「断末魔の残り香が」

 ふと移した視線の先に一人の少年が立っていた。焦げた廊下、煤だらけの壁、それは少年の影を思わせる暗黒。一人きりの霊がただひたすら憎悪を込めた視線で秋男を睨み付けていた。

「なんだ、何もして来ねえのか。消えろ」

 そう言って秋男は立方体の岩塩を掴み少年に投げつけた。塩は放物線を描き、闇の中を進み少年に当たる。岩のようなものの行く末、塩の来る末を見届けた少年は岩塩が当たった事を理解した途端、頭から溶けて消えて行ってしまう。

「効いてんな」

 調子に乗った秋男はそのまま走り出した。

「待てバカ」

 そう叫び呼び止めようとするも秋男の心には冬子の声など届きいていない。もはやはしゃぎ遊び回る小学生のようだった。

 秋男は走って教室のドアを開けて叫んだ。

「先手必勝悪霊退散」

 霊の注目を集めながら岩塩を種のように撒いていく。雑に投げて撒いていく。小さい者大きい者、ふくよかな者やせ細った者。様々な生徒の霊たちがいたがその全てが消えたり引っ込んだり、次から次へといなくなっていく。しかし、それでも霊たちは湯水のように湧いてくる。果たしてどれだけの数が潜んでいるのだろうか。

「キリがねえな」

 そう言って秋男は外へ出てドアを閉める。即座に振り返り冬子に向かって叫びを上げる。

「霊がたくさん出たぞ」

「逃げろ、下手に立ち向かうな」

「塩ありゃ楽勝。ナメクジみてえに溶けて行きやがったぜ」

 そう言って岩塩の入った袋を持ち上げた秋男はその軽さに大いに驚いた。

「残り少ねえじゃねえか」

 持ち物は有限で、霊も有限。しかしながら積年の集合や噂の力もあったのかも知れない。一人で対処出来る数ではなかった。結局ここで彼が取る事の出来る行動などただ一つしか残されてはいなかった。

「逃げるぞ」

 三人は駆け出した。視界の悪いその場所、見えて来る者は次から次へとドアを開いて出てくる幽霊たち、先ほどまでの余裕は嘘のように消え去っていた。実は大ピンチだったのだ。

 三人は出口へと戻ってきた。

「よし」

 しかし、出口を塞ぐように立つ少女がいた。その少女は三人を目だけで射殺そうとしているのか、これまでの幽霊たちの比にならない濃い怨みの笑みを浮かべていた。そんな表情があまりにも重たくて直視していられない。

 秋男は怖気付くことなく霊に対して岩塩を放り投げた。順調に進んで無事に少女の霊に当たる。

 しかし、それはなにか知らないのだろうか、少女は痛みの一つたりとも訴えることなくより一層憎い様子を見せて顔をくしゃくしゃにねじ曲げる。

 秋男は次から次へと塩を投げるも少女にはただの物体にしか映っていないのか、避けもしなければ叫びもせず、ただゆっくりと近付いてくる。やがて持っていた塩を全て使い切るものの、全てが効果を現わさないという結果をつかんで終わってしまった。

 打ちひしがれてうな垂れる秋男を横目に春斗は後ろを振り返る。そこにいたのは生徒たち。数十人にも及ぶ思春期の無念の塊が追ってきていた。


 地獄へ引きずり込まれる。


 そんなことを思いながら怯える春斗。そんな無駄な時の費やしなど見向きもしない彼ら。右からは大軍、左からは少女がそれぞれの無念を感染させようと胸に病みを抱きながら近付いてくる。

 冬子は鋭い瞳である所を凝視しながら強い声を以て意見を噴く。

「ふたりとも、窓を割って逃げるぞ」

 窓に思い切り懐中電灯を叩き付ける冬子。窓は衝撃を受けて無事ではいられなかったもののまだら模様が入っただけのこと。懐中電灯で懸命に窓を叩く冬子から秋男は懐中電灯を奪い取って殴りつけるようにありったけの力で窓を叩く。ようやく割れた窓から三人は身を乗り出してそのまま外へと飛び出した。春斗は逃げ際に人々の怨嗟の声を聞いて耳を塞ぎたくなるような恐怖を抱きながら走っていた。



  ☆



「なんだよあれ」

 雑草の生えた道路に立って肩で息をする汗まみれの秋男のその一言に冬子は推測を披露する。

「元々古事記でイザナギが黄泉から戻ってきた時に海水で清めたから塩には清めの効果があると言われてる」

 春斗は初めて耳にした知識に聞き入り言葉を出せずにいた。

「それがいつしか塩で浄化するということだけが知識として伝わって行って」

 それが春斗や秋男の姿。つまるところこの二人も既に失われた意味の被害者でしかないのだという事。

「やがてそれすら知らない人が現れた。さっきの女子高生だな」

 結果的に唖然としている二人に構うことなく冬子は次の言葉で全てを括った。

「まさに常識に囚われるなってことだな」

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