出会い

 事件発生から七十二時間が経過した今、これに関するニュースが全国で放送されていた。しかし、未だに事件が解決する見通しは立っていない。ただわかったことが二つある。一つは目メールや電話アプリは問題なく使えるということ。二つ目はアプリの再インストールは可能だということだ。まあそれも数秒経てば、また消えてしまうのだが。


「ウイルスの類か……それとも……」


 ため息がひとつ漏れる。こんな少ない情報じゃ何もできない。デスクの上で手を組みながら項垂れていたとき、柳田に「中山先輩」と声をかけられた。


「おう、どうかしたか?」


 俺の返事が気に食わなかったのか、柳田は肩を竦めた。


「どうかしたか、じゃないですよ。ここ数日間ずっと調査の連続で、ろくなもの食べてないですよね? そんなんじゃ体壊しますよ。というわけで、ご飯食べに行きましょう!」

「腹減ってるなら一人で行ってこい。俺はまだやることがあるからな」

 

 そんな俺の言葉をフル無視して、柳田は署に響き渡るほど大きな声で「中山先輩とご飯失礼しまーす!」なんて呑気に言ってやがる。


「腹が減っては戦ができぬ! さぁ、行きますよ」


 その勢いに負け、思わず笑みが零れた。確かに昨日から頭を働かせすぎてパンクしかけている。ここは柳田の言う通り、昼飯を食べに行くのもいいのかもしれない。


「よしっ、じゃあ行くか! 今日は俺の奢りだ」

「まじですか!? ありがとうございます!」


 たったそれだけのことを満面の笑みを浮かべて喜ぶもんだから、可愛がりがいがある。


 俺たちは署を出たあと、近くにある行きつけの花宮定食屋に足を運んだ。昼時を少し過ぎているからか、客足が疎らに感じる。

 いつもと同じ唐揚げ定食を注文して料理が運ばれてくるのを待っていたとき、ふと店の隅に設置されてるテレビに目がいった。


「また自殺か」


 今現在放送されているニュースでは昨夜起こった女子高校生の自殺について取り上げていた。三日間でこういう類のニュースを見たのはこれで四度目だ。

 柳田も深刻そうな顔でテレビを見ている。


「例の事件が起きてから心做しか多い気がします」

「ああ、でも俺の予想じゃこの先もっと増えるぞ」


 用意された水を一気に飲み干し、これからの話に備え喉を潤す。


「確かにSNSを通して人は人を殺す。だけど逆に、SNSを通して救われていた命もあるはずだ。それを心の拠り所に生きてきた人達が少なからずいるからな。心の拠り所が消えた今、自分は孤独だと思い命を絶つ人が必ず増える。前にネットは安全地帯だって言ったの覚えてるか?」

「はい、もちろん」


 柳田は俺の問いかけに大きく頷く。その目は真剣そのものだ。


「それには二通りの意味がある。誰が使うかによって意味合いが変わってくるんだ。ある人が使えば傷を癒すための場に。またある人が使えば傷をつくりだすための場に。この世の全てには表と裏がある。それをよく頭に叩き込んどけよ」


 話を捲し立てながら、自分のこめかみ辺りをを軽くぽんぽんと叩いて大事な部分を強調する。すると柳田はメモ帳を取り出し、なにやらペンを走らせ始めた。内容をちらっと見ると、俺が今言ったことが一言一句違わず、そのまま書かれていた。


「現場で俺が話す度、なにか書いてるなとは思っていたが……もしかしてそれか?」

「はい! 大事なことは全てメモを取るようにしています」


 まさかと思い聞いてみたが、そのまさかだった。小さなメモ帳にびっしりと並べられた文字は正直読めたもんじゃない。

 それでも今尚、柳田はペンを走らせていた。その生真面目な性格に若干顔を引きつらせる。


「まあ、いいけどな……頭でも覚えられるようにしろよ」

「心得てます」


 そんなことを話していると、女将の花宮さんが唐揚げ定食を二つ運んで来てくれた。


「お待たせしました。常連さんだからね、唐揚げ二個ずつサービスしといたよ」

「ありがとうございます」


 花宮さんの物腰柔らかさにつられて、こっちまも自然と笑顔になっていく。


「そういえば柚ちゃんはお元気ですか?」


 お客が少ないこともあり、世間話をした流れで柳田が花宮さんにそんなことを訊いた。

 柚ちゃんには何度かここに食べに来たときに、接客してもらったことがある。しっかり者という言葉がぴったりの笑顔がよく似合う子だった。

 しかし最近はぱたりと姿を見ることがなくなって、俺も柳田も心配をしていたところだ。


「実は色々あって、あの子しばらくの間塞ぎ込んでたのよ。でも最近は友達と集まって何かしてるみたい。元気になってくれたようで一安心だわ」


 頬に手を添えながらニッコリと笑うその顔は、女将から一転して娘を想う母親になっていた。


「それはよかったです」


 俺たちの間に穏やかな空気が流れはじめたとき、花宮さんが突然ぱんぱんと手を叩いた。


「さぁさぁ話はここまでにして、ご飯が冷める前に食べてちょうだい。お客様に不味い料理を食べさせるわけにはいかないんだからね」


 そう言い残して料理場へと戻っていく花宮さん。その後ろ姿を見て俺と柳田は感嘆の息を漏らす。流石としか言いようのない切り替えの早さだ。

 花宮さんの言う通り冷めないうちにと、唐揚げを口に運んでいく。あまりの美味しさに俺たちは黙々と食べ続け、ものの十分で完食してしまった。これ以上居座っても迷惑だろうと思い、手早く会計を済ませる。


「ご馳走様でした。また来ます」


 軽い挨拶を済ませてから暖簾をくぐり抜けたそのとき、自分より三、四回り小柄な人にぶつかってしまった。

 

「あ、柚ちゃん」


 ぶつかった相手が誰かを確認するより先に背後からひょこっと顔を出した柳田がその子の名前を呼んだ。

 その声に反応し、跳ねるように顔を上げた柚ちゃんの目は大きく見開かれていた。ただ、それは見間違いだったんじゃないかと思うほど一瞬で、もう一度見たときには既にいつもの笑みが浮かべられていた。


「中山さんに柳田さん。お二人とも、お久しぶりです」

「久しぶりだな。ぶつかってすまん。怪我とかないか?」

「ないです。むしろピンピンしてますよ」


 柚ちゃんはそう言いながら、拳を控えめに掲げてみせた。それを聞いてホッと胸を撫で下ろす。もし怪我でもさせていたら花宮さんに合わせる顔がなくなってしまっていた。


「中山先輩がごめんね。僕からきつく言っておくよ」


 おどけながら話す柳田の横腹を小突くと、みっともないくらい大袈裟に痛がった。横にいる柚ちゃんはそれを面白がってクスクスと笑っている。


「ほんとに全然大丈夫です。なんともありません」


 笑顔を向けてくれる柚ちゃんに返事をしようとしたとき、遠くから「柚!」という声と足音が聞こえてきた。

 その女の子はツインテールを揺らしながら柚ちゃんに駆け寄り、抱きつく。


「遅くなってごめんね!」

「私も今帰ってきたところだから大丈夫だよ。それより他のみんなはどうしたの?」

「ああ、それならもうちょっとで来るはず」


 その会話の数分後、少し遅れて女の子物のキーホルダーがジャラジャラとついているスクールバックと大量の紙袋を抱えた男の子二人が走ってきた。額から大量の汗が吹き出ているその子たちは、肩で息をしていて傍から見てもすごく疲れているのがわかる。

 三十度を超える暑さのなか走ってきたんだろう。そうなるのも無理はない。

 女の子は柚ちゃんから離れ、その男の子たちの元へ歩き始める。お疲れ様の一言くらいかけてやるのかと思っていると、二人の目の前で腰に手を立て仁王立ちをした。


「あんたたち遅すぎ! どこで道草食ってたの?」

「そ、そんな……酷いよ。荷物を全部僕たちに押し付けたのは遥さんなのに……」

「そうだぜ。自分は身軽でいいよな。荷物ひとつ持ってないんだから」


 そんな反論を諸共せず、遥と呼ばれた女の子は呆れたように肩を竦める。


「だからモテないのよ。頼みごとの一つや二つ聞いてこその男でしょ?」

 

 俺はそんな掛け合いを呆然と眺めることしか出来ない。柳田も隣で「完全に尻に敷かれてる」なんてことを呟いていた。それを聞いて、いつの時代もこの構図は変わらないのかとひとり納得する。


「まあまあ、落ち着いてよ。中山さんたちが困ってるでしょ?」


 この事態を収集しようと柚ちゃんが声をあげた。遥という女の子はそれに心底どうでも良さそうな反応を見せる。


「中山? 誰よそれ」

「この人たちだよ。刑事さんなの」


 柚ちゃんが『刑事』というワードを出した途端、男の子の一人が肩を小さくビクつかせたように見えた。俺はその子に話しかけようと足を一歩前に踏み出す。しかし、タイミング悪く柚ちゃんに自己紹介をするように頼まれてしまって、仕方なく踏み出した足を元に戻した。

 四人の視線が一気に集まる。学生に注目されることなんて滅多にないことだから、なんだか不思議な感じだ。


「俺が中山で、こっちが……」

「後輩の柳田です。初めまして。君たちの名前も訊いていいかな?」


 自然な流れで名前を訊く柳田に、心の中でよくやった、と親指を立てる。事情聴取をするときの俺は、三割増で眼光が鋭くなっていると柳田に言われるくらいだ。あのまま俺が訊いていたら怖がらせていたかもしれない。

 三人は顔を見合わせたあと、女の子から順に自己紹介をし始めた。


「天満遥よ、高二」


 柚ちゃんと親しげに話していた姿からは考えられないほど冷めた口調に苦笑いを零しながら、次の子へと視線を移す。


「えっと、次は僕ですね……北川廉です。高校一年です。よ、よろしくお願いします」


 鞄で顔を隠しながら話しているこの子は、さっき肩をビクつかせていた張本人だ。もともと人見知りなのが喋り方からも伺える。


「俺は後藤颯馬っす。遥や柚と同じ高校二年! おねがいしゃす」


 颯馬くんは廉くんとは真逆で誰とでもすぐ打ち解けられる性格なんだろう。そういう意味ではうちの柳田と気が合いそうだ。

 

「じゃあ私も便乗して……花宮柚です。改めてお願いします」


 三人の個性が全面的に出た自己紹介を最後に柚ちゃんが綺麗に締めくくる。

 気が強い遥ちゃんに、内気な廉くん、フレンドリーな颯馬くん、それにしっかり者の柚ちゃん。バラバラに思えるこの四人は、意外とバランスの取れた関係なのかもしれない。


「ねぇ、刑事のおじさん。もう用は済んだでしょ? ほら、みんな早く行くよ」


 俺が仕事癖でつい四人の関係性について整理していたとき、遥ちゃんは一刻でも早くこの場から離れたそうに柚ちゃんの腕を引っ張っていた。


「先輩、僕たち何かやっちゃいましたかね?」


 柳田が誰にも聞こえないように俺に耳打ちをしてくる。そんなこと俺が知るわけないだろ、という意味合いも込めて首を横に振った。重苦しい空気が周囲を支配する。

 そんななか口を開いたのは、他でもない遥ちゃんだった。


「別にあなたたちが何かしたわけじゃないから。ただ…… 刑事とか警察とか、そういう人たちが嫌いなの」


 逆光でその表情をはっきりと見ることは叶わない。けれど、そこには確かに俺たちに対する憎しみのようなものがあった。

 遥ちゃんは背を向け、ひとり歩き出す。廉くんと颯馬くんは一瞬だけこっちに視線をやったが何も言わず、その後を追った。


「ごめんなさい」


 ただひとり残った柚ちゃんもバツが悪そうに下を向き言葉を放ったあと、走り去ってしまった。

 蝉が不協和音を奏でる。今までだって刑事というだけで人に嫌われたことは何度もあった。今回だってきっと似たようなものだ。そう頭ではわかっているのに、何故か胸騒ぎがした。


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安全地帯消滅 杏月澪 @aduki_003

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