8/4

 昨日は長岡花火だったなあと思っていたらいつの間にか8/3も終わっていた。驚きである、だらだらベットの上でスマホをいじっていただけで、本当に無為な時間が流れてしまった。

 僕は花火を見て桜を思い出した。桜は散り際が美しい、桜は散るから美しいと言う人がいる。僕自身もそれには同意である。やはり春という季節にだけ味わえるから桜を見ることを楽しめるのだと思う。勿論花火は楽しめた。ただ、音を置き去りにして一瞬咲いては消えていく花火を見てどこか寂しくなってしまった。ただそれだけ。僕は花火に没頭できなかった。「見る」のを妨げたのは、スマホで記録に残そうと動画を撮っていたからだろうか?どうもそれだけでは無い気がするのである。画面越しではなく、ちゃんと直接見ても少し寂しさを感じるだけだった。

刹那的なものには確かに目が惹かれる。海より川に惹き込まれる理由と同じであろう。いつ見てもそこにあるものの安心感の偉大さに気付く前に、二度と同じ姿を現すことのない新鮮さを心を留めようとしてしまうんだろう。だから、僕は来年もどこかで態々桜や花火を見に行こうとするだろう。深く心を入れ込む前に消え去るから、もう一回が欲しくなる。

 僕が一生かけて見ていたいものは何だろう?

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