生を隠すなら死の中に
さて、俺と雀子は和解したが、彼女は他の人間の来訪を絶対に歓迎していない。まずは俺が話し合いの土台を作り、警戒心を解いた上でどうにかこうにか芽々子と話してもいい空気を作ろう。
「また鞄の中に押し込まれるのね。あちこち体が痛くなりそう」
「体は向こうだろ! ……あ、それとも感覚が繋がってるのか?」
「ご想像にお任せするわ……一人で本当に大丈夫?」
「どう考えても死にかけてたけど、一度和解したんだ。俺が何とかするよ……実をいうと薬を使いたいけど、こんなしょうもない事に使う訳にはいかないだろ。今、薬はどれくらいあるんだ?」
「一応作製中だから、それが終われば四つね。濫用は勿論禁止。貴方が使いたくないというならその方がいいけど……」
芽々子は目を瞑って、会話を遮るように口を噤んだ。余計な事を言うべきではないという配慮? 俺を信じてくれているなら、それが一番嬉しい。いや、それは……生首を渡してきた時点でありありと感じられるか。
胴体がない、というのはほぼ無条件降伏だ。相手が服を脱いで両手を上げているよりも遥かに何も出来ない。体が人形だから大して関心がないとも言うが、俺は……そういうのとは無関係に、芽々子を見ると緊張してくるようになった。
秘密を知ってから? いや…………詳しい時期なんて一々覚えていない。でもなんだ。あれだ。国津守芽々子に格好悪い所を見せたくないという気持ちがある。俺にはずっと、信頼を置いてほしいというか。この気持ちをどう言い表すべきかは分からないけど。
「…………ふぅ~…………」
鞄を閉めると、赤錆だらけの階段を上って扉の前に立った。妙に張り詰めた空気は果たして俺が勝手に感じているだけだろうか。鍵を取り出して中に入ろうとすると、程なく勝手に鍵が開いてしまった。また中から開けたのだろう。あの尻尾を使えばそれくらい造作もない。
「……ただいま」
気を引き締めて玄関から足を踏み入れると、絡まったコンセントのような尻尾が下駄箱前でくるくると動き回り、それに足を取られている内に奥から後ろ歩きのまま雀子が姿を現した。
「おかえりなさい、先輩!」
エプロンを服の上から着た蠍の少女は、溌剌とした元気を見せつけるように声を上げ、俺の帰宅を歓迎した。
「……何してるんだ?」
「せめてものお礼に、先輩のお世話しようかなと思ったの! 君は机の所で座ってて。こう見えてもボク、料理には自信があるんだよね︹╱﹀。だから座ってて。へへ」
居候の謙虚さかと思えば、尻尾に殺傷能力がある為に選択権がない。微妙な力関係を思い知らされつつ机に座ろうとさらに中へ入ると、尻尾が持っていた鞄を没収し、ベッドの傍まで移動させられた。
「あっ…………」
芽々子には問題ないだろうけど。気を取り直して座ると、雀子は躊躇いなく冷蔵庫を開けて食材を取り出し、何やら鍋をかきまわしている。中身は見ていないが匂いからしてカレーだろう。ルーなんて元々もっていないから何処かで調達したのか。
「俺、ここに居ていい代わりにメイドさんになれとは言ってないけど」
「ボクの気遣いだって。それにしても先輩、一人暮らしなんだね。凝った料理は出来そうになくて少し残念。あ、それが不満なんじゃないよ。ボクを匿ってくれたのはここだけなんだから」
「…………料理自体は出来るけど、いつもいつも働いててさ。誰かが来てくれないとそういう機会にも恵まれないんだ。悪かったよ」
「え? 学生なんじゃないの?」
「バイトはするだろ……って、ああ。知らない人も居るんだな。俺は外から来た人間だから一人暮らしなんだ。家賃とか光熱費とか諸々の支払いの為に働かざるを得ない。手つかずの金があったらそれは別の事情だ」
「へ~。先輩はそんな年でもう一人暮らしなんて選んだんだ。凄いね。だから部屋も散らかってるし、冷蔵庫の中も整理されてないと」
「勝手に転がり込んできた奴ががたがた言うなよ。俺はお前の為に部屋を用意してないんだから」
「うん、分かってるっ。へへ、それがいいんだよね。ボクの為じゃないってのが一目瞭然だから、安心出来ると思ったんだし!」
警戒心はない。そういう話し合いをしたから。だけど芽々子を介入させようとすると変わってくるだろうから、言葉選びは慎重に。雀子の鼻歌を聞きながらのんびり切り出し方を考えていると、調理が終了して二人分の皿が机に運ばれてきた。俺の分は器用に尻尾が横方向に丸まって掌のような安定感で運ばれながら机の上に置かれた。
「野菜が多かったから、ちょっとヘルシーっぽいよ」
「…………料理、好きなのか?」
「うん、大好き。ボクが誰かの為に一番何が出来るかって言われたらこれだと思う。尻尾は凄く邪魔だけど、作業を並行出来るんだったら有難いよね!」
スプーンでルーとご飯の境界線を掬って一口。辛さとしては中辛か、俺は特別辛いモノが好きという訳じゃないが、カレーに関しては辛い方が美味しいとも思っている。ただ問題は辛さが決して美味しさに直結している訳ではなくて、無駄に辛いだけで美味しい訳じゃないカレーも存在するというか、それだったら非常に困ったが。
「美味しい…………」
「良かった╱﹀▔╲! ボクの腕前も全然落ちてないみたい。うんうん、まだまだ舌は正確みたい。ここまでおかしくなっちゃったらいよいよ、生きがいを喪うからね」
「本当に美味しいよ。腹ペコだったのもあるかもしれないけど、こんなに美味しい料理は久しぶりに食べた気もする」
発言に偽りはない。食事をしながら芽々子についてまずは反応を窺う算段だったのに、気づけば一言も喋る事もなく黙々と食事を勧めてしまった。辛い方が辛さを緩和する為にも次の一口を運んでしまうというか、それがまた美味しいというか。語彙力なんて期待するな、ただ美味しいから俺は食べている。水は互いに食事をしながらだが、尻尾が勝手に注いでくれた。
「御馳走様。本当に美味しかった」
「見れば分かるっ。先輩が喜んでくれてボクも嬉しいな。ただ隠れさせてもらうだけじゃ不義理だし、これくらいはしないとね。ボクに出来る事があったら何でも言ってよ。あまりにも都合が悪くなかったらするからさ!」
「…………じゃ、じゃあ一つ。俺はお前から話を聞きたいんだけど、残念ながら俺は外の人間だ。さっきも言ったように話を聞いたところでそれを何かに繋げる事は出来ない。だからそれが出来る人と話してほしい。都合が悪いかな」
雀子の瞳は―――今更気づくようで悪いが、変わっている。見開いている時は生気を感じるのに、少し伏し目になるだけで光が消えて、死人のようだ。今、正にその死人に見つめられ、疑問について訝しまれている。
「その人は、普通の人間?」
「いや、十割人間じゃない。俺達と同じ事情を抱えてる」
「まだそんな人が居るんだ! 先輩の頼みだし聞いてあげたいけど、その人が人間じゃない証拠は出せる? 疑う訳じゃないけど、ボクも切迫してるから―――」
立ち上がって鞄を手に取ると、中身を取り出すように手を突っ込んで、無造作に机の上に彼女を置いた。
「これが、証拠だ」
「初めまして雀千三夜子さん。彼のクラスメイトで人形を担当させてもらっている国津守芽々子です。私の怪物の証明に、生首だけでは不安かしら」
雀子は目を真ん丸に広げて驚いたようにのけぞると、尻尾で首を絡めとって至近距離から芽々子と見つめ合う。また加減を知らない尻尾が無意識に締め付けて彼女の頭部から顔にかけてヒビを入れたが、人形故に痛みを知らず、知らない故に意に介さない。
「先輩が人の生首持ってきたかと思っちゃった。本当に人形だ」
「御覧の通り抵抗は不可能よ。貴方に限らず、その気に限れば天宮君にだって破壊出来る。だから心配しないで話を聞かせて頂戴。私も貴方の味方だから」
「雀子。芽々子は人形だから痛みが分からない。そろそろ頭部が粉砕しそうだからこっちに戻してくれ」
無感で無痛。だが生には執着を見せる。そんな矛盾が彼女の人間性を辛うじて担保している。尻尾が芽々子の頭部を机に下ろすと、役目を失ったように床に放り投げられるように広がった。
「分かった。ボクから何が聞きたいの?」
「貴方はここに来るまでに何処に居たのか」
「深夜に逃げだしたから良く分からないんだ。無我夢中に走って、気づいたら町の中に居たの。森の中を走ってたと思う。あそこが何処かは分からないけど、人間が生活出来るスペースはあったよ。ボクはその、地下に閉じ込められてた。両手両足と、尻尾を鎖で繋がれてね」
「逃げ出す時はどうやったの?」
「特別きっかけがあった訳じゃ……う╲/╲︿ん。あったようななかったような。曖昧なんだけど。尻尾の拘束が外れてた時があったんだよね。尻尾さえ動けば、ボクは大丈夫だからさ。暇な時はずっと動かしてたし」
………………?
「貴方が拘束されていた場所に、誰か他に居たかしら」
「声はしたから居たと思うな。でもボクは自分が逃げるのに精一杯だったから探してないよ。幾らこの尻尾が強くても、銃には勝てない。沢山部屋があった……と思う。部屋に閉じ込められてる時は外の足音ばっかり聞いてたから何十人も居たのは間違いないね」
「……芽々子。この話って」
「最後に、もう一つだけ」
「『サソイ゛ノ ミハ』とは何処で接触したの?」
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