岐れずのギフト
それについて聞く前に響希が戻ってきてしまったのでこの話はまた今度。テスト勉強とこれはまた別の話だ。何よりこの一件で俺の命がかかっているなら話は別だが、三夜子とは無事交渉が成立した。襲われる心配は恐らくない。
「はいこれ、冷やしてて良かったわね」
「有難う……向こうは冷蔵庫からご自由にって感じか」
「経済力が違うわね。後は気前? 幾ら仲良しでも自由に冷蔵庫漁らせるとかありえないし」
「誰も使ってないんだからいいんだろ。離れだしな……この家って本当に何処にあるんだ? あまりにもでかいなら幾ら立ち寄る理由がなくても遠くから見えそうなもんだけど。俺の家は低い場所にあるからそこから見えなかったとしてもだろ」
「森に囲まれている住居だけが全てではないのよ。まがりなりにも整備されてる道があって、そこを進めば屋敷はある。闇雲に進んだら勿論迷うだけだから招待がない時に無理やり行くべきではないわね」
森を挟んで存在するなら、見た事がないのは納得だ。俺の生活圏にはどうあがいても触れていない。自分の視界の中に存在しないならそれは存在しないという考え方は意識しない限り一般的な認知である。
「ふぅ…………」
麦茶を少し呷って、一息。こんな広い家に住める事なんてないだろうな等と呑気な事を考えていると、響希が自分のカップに氷を追加しながら思い出したように呟いた。
「なんか、変よね」
「何が」
「誰も使ってないって話なんでしょ? 埃とか汚れとか誰も使ってないのは確かにそうなんだけど、その割には冷蔵庫も稼働してるんでしょ? 見た感じ型が古いようにも思えないし、本当に誰も使ってなかったの?」
「…………」
「それに個室に風呂がなかったわよね。って事は公衆浴場じゃないけど、お風呂場があるんじゃないの? その掃除は? 予めしてあったの? 確か、仁太が交渉したって流れなんじゃないの? 同じクラスの人は本来の家なんでしょ。離れ使ってもいいよってのは急遽決まった事なんじゃないの?」
「考えすぎだろ。辻褄が合わないからってそれが嘘とも限らないし、俺達は現場に居合わせてないんだから空白のやり取りについては想像出来ないんだ」
「いいえ、言いたい事は分かるわ。私も思うところはあったの。手入れ自体はそう不思議な話じゃない。車もそうだけど、幾ら使わないからって手入れを怠るとよりコストがかかるような目に遭うの。なんだけど……」
カメラの中の芽々子が適当に席を外すと、家の外に出てぐるりと反対側へ廻る。焼却炉が併設されており、まだ稼働してはいないが近くには幾つもゴミ袋が溜まっていた。
「生活ゴミなのよこれ。誰も使ってないのにこれが生まれるのはおかしいわね」
「焼却炉は……鍵がかかってるのね。そっか、誰も使ってないなら使う必要がないし、使う必要がないなら施錠するか」
じゃあ誰か生活してるんじゃないか、と単純に言うのは構わない。それだと今度は無駄に嘘を吐いた事が不自然だ。その部分が嘘でも本当でも勉強会をしたいだけの人間には関係ない。無関係な場所の嘘には、何かしら事情があるとみるべきだ。
「安楽椅子探偵になった気分だ。現地に居るのは芽々子なのにな」
「そんな探偵様に数学の問題出していい?」
「ふむ。見せてみたまえ」
数式を見て確信。教科書をぱらぱらとめくって、該当ページを確認。自信に満ちた声音を叩きつける。
「初歩さ」
…………………
「初歩なら答えなさいよ!」
「無理。さっきまでやってなかったし」
「しかも彼は安楽椅子探偵とは程遠いような気がしたけど」
向こうの事は気になったが、こちらはきちんとした学習が売りの勉強会だ。呪縛から逃れる事叶わず、流れのままに今度は数学が始まった。こちらの板書は字が汚いとか要点が抜けているとか以前に俺がまるで先生の発言を理解出来なかった事を早々に見透かされて恥ずかしい思いをした。
理解出来ないものを上手くまとめる。こんな難しい事はない。
「これが芽々子ちゃんのノートだけでよくもまあ無事で済んでたわね」
「テスト範囲って言っても何から何まで出題される訳じゃないんだけど、芽々子のノートって大抵外さないんだよな。情報の取捨選択が上手いんだよ」
「それは貴方がこの島の外から来た人間だからよ。長い間暮らしてれば、先生の性質くらい分かる。捻りを加えてくるのかストレートなのか……それさえ分かってれば全く見当違いの部分を重点的にやっていたなんてミスはしない」
この言い分である。ここで暮らすようになってから排斥を受けた事は一切ないが、どうしてもこういう話になってくると自分が外様の人間である事を理解させられる。
「ほら、後もう一時間くらい頑張ってみましょ。それで今日の所は勘弁するから」
「なあ、直前に詰め込むのって駄目かな」
「それで高得点獲れるの?」
………………。
勉強会の初日は午後八時くらいに終了した。久しぶりにここまで勉強した気もするし、よく考えなくても朝から夕方まで学校に居るのだから真面目に授業を受けていればなんて事のない時間だったろうとも思った。
にも拘らず疲れるのは密度の問題だろうか。
「おつかれ~。はあ。私も教えてたら疲れちゃった。喋りすぎたかしら」
「芽々子の方はもう完全にお開きの流れだったのにな」
カメラはまた個室に戻っている。横目で流れを見ていただけだが、早々に飽きて次々と解散していったのは印象的だった。音声は通っていないので詳細な流れは分からない。だけど多分、みんな何処かの部屋に集まって遊んでいるのだろう。芽々子はその誘いを断って部屋に戻ってきたのだ。
「お前は何で誘いを断ったんだ?」
「私は勉強を教えてるだけで遊んでる訳じゃないの。今日はもう寝るつもりで戻ってきた。後は……どちらの私も同じ私が思考して発言しているから、同時に誰かと会話するような状況は肉声にラグが生じて不自然になりやすいわ。個室に戻った方が二人と集中して話せる」
「と言っても俺はもう帰るけど」
「本当は泊まってほしいんだけど……コホン。二号ちゃんはどうするの? これって自分でくっつけられる? 私がくっつけてあげよっか?」
「このままで大丈夫。天宮君が頭部だけ家に持ち帰ってくれないかしら」
芽々子は澄ました顔でとんでもない事を―――人形なので表情は変わらないが―――言い出した。
「何を言ってるんだお前は」
「響希さんは学力に問題ないようだし、このまま協力者として私に協力してほしいの。それに頭部は必要ないから、天宮君が引き取って。そっちに用事があるから」
「自分が人形だからって滅茶苦茶でしょ……はあ、テストの後は危険なお仕事ね。分かった分かった。じゃあもう帰る?」
響希は立って大きく伸びをすると、扉を開けて俺に退室を促す。帰るのはいいが、鞄に頭部を入れるのは……相手が人形でも抵抗がある。でもやらないと。理由には概ね察しがついている。生首とは、この世で最も安全であり、無抵抗の証明だ。
「悪い。窮屈かもしれないけど頑張ってくれ」
「我慢するわ」
階段を下りて家の裏口にまでやってくる。横に立つ響希の顔にはやや寂しさのような哀愁が感じられた。
「……また来るって」
「うん。待ってる」
裏口を抜けようとすると、手を掴まれたので振り返る。
「……なんだ?」
「…………今日はありがとね。そ、それだけ」
裏口が逃げるように閉じて、鍵が閉まる音がする。鞄を空けて芽々子を探すと、彼女は「ぷは」とわざとらしい声を上げて瞬きをした。
「後は私を家に持って帰るだけね」
「失敗したら尻尾で貫かれて死ぬぞ」
「生首の相手にそこまでするような警戒心の強い相手なら貴方は死んでる。話し合ってみましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます