離れに放れた羊狼

 カメラの中に広がる部屋はここの何倍も広く、代わりにあまり手入れはされていないように窺える。棚や机やクローゼットと言った最低限の家具はあるが特に何も置かれていない。何もかも空っぽなのに、ところどころ痛んでいるし埃も見える。小さな冷蔵庫は稼働しているが、中に入っているのは水が数本だけだ。

「……見たところ、芽々子が一人だけっぽいけど」

「三並先輩の土地に行ったら、離れの屋敷に通されたの。彼が生活している場所を母屋……という表現が適切かは分からないけど、そっちとは違うみたい。ここは参加者それぞれに与えられた個室で、勉強は一階の大広間でする予定なの」

「今は自由時間って感じなのか……」

「エアコンが個室にもあるの!? すご…まあ全然殺風景だけど涼しそうでいいじゃない。芽々子ちゃんには分かんないかもだけど」

 私達も勉強しましょと響希は飽くまでブレない姿勢。俺もそのつもりでこの家に来た。芽々子の視界については定点ライブカメラとでも考えた方が健全だろう。彼女は彼女で首なしのまま教科書を取り出すと、生首を俺の方に向けてじっとノートを見つめている。

「…………すっごい気になるんだけど。それに幾らお前でも、逆さじゃ文字は読めないだろ」

「他に読める文字から授業の脈絡を推測すればある程度は識別出来る。暗記が肝要な問題なのに、貴方は要領よく覚えようとして歯抜けの情報をさも上手くまとめたようにするのが好きみたい」

「うわ、言われて―の」

「……なんだかな。芽々子に指摘されると凄い恥ずかしく思えてくるよ。ごめんって」

「え、私は?」

 本当に学習に対するやる気がない訳ではないのだ。テストの点数が高い方が就職とか進学とか以前に面倒がない。一人暮らしを認めさせる為に奔走していた頃はとにかく無理やりにでも点数を上げるべくひたすら詰め込んだけど、それが叶ってからは御覧の通り、詰め込む物が勉強から労働に変わっただけ。


 ―――芽々子に寄生するのも違うしな。


 言えば多分、またお金はくれると思うけど。それを頼りに生計を立てるのはどうも生物として単純に惨めというか、有り体に言ってヒモというか。

「……ていうかあれだな。個室が与えられるって変だな。だって勉強しに来てるだけだろ。これじゃ宿泊するみたいじゃないか」

「そういえばそうね。泊まってもいいの?」

「希望者はいいらしいわね。離れはずっと空き家になってて誰も使ってないそうよ。まあ、それくらい広いスペースが用意されてないと殆ど一クラスの人数なんてとても収容出来ないけど。今回は新原君が頼んだ形……? だけど、普段は二年生を同じように屋敷へ呼んでるみたい。同級生は母屋の方で勉強していると聞いたわ」

「えこひいきって言いたいけど、そんな関わりもない一年生に場所を貸すだけ有情よね」

「泊まるって言ってもな、食事とか風呂とかは用意され……」

「る」

 ……有情どころか暇を持て余した大金持ちの類ではないだろうか。リソースをあまりに持て余しているからとにかく有効に使いたいとかそういう。じゃなきゃ大して絡みもない一学年下のクラスにそこまで親切にするとは思えない。幾らこの島の人口が少なくて、全員が親戚みたいなモノと言ってもだ。

「至れり尽くせりだな。そりゃ皆泊まるか。親の判断が心配なら家に一本入れればいいだけだし」

「アンタも、もしあっちに行ってたら泊まってる?」

 どうだろう。後ろめたい事情がなければ愚問だったが、雀子の件と言いそもそもこの体と言い、人に見せられない事情ばかり抱えるようになってしまった。日帰りなら誤魔化せるが、宿泊となると幾ら個室でも……芽々子の部屋の様子を見るに、風呂は確実に大浴場のような状態であると考えられる。

 泊まらないかな、とぼんやりした返答を送ると、響希は声の調子を上げ「そう」と言って後ろ手を突いた。既に返事はしたが、やっぱり行かないかもしれない。どう考えてもエアコンの効いた個室を与えられて俺が取る行動は睡眠だ。テスト期間だからって働くのをやめたら俺は死ぬ。

 そうだ、エアコンがあって当たり前だった環境の事を思い出した。眠くなるのだ。その場所があんまりにも気持ちよくて。

「―――そろそろ勉強再開しない? みんなが勉強してる姿を見たかったのは分かるけど、芽々子ちゃんが個室に居るだけだし」

「休憩のつもりもなかったけど、なんとなく流れで止めてたな」

 生首についてはもう、気にならなくなった。芽々子は変わらず会話出来るし、何より気になる事があったら響希が詳しく教えてくれるので疑問が苦にならない。少しは自分で考えろという意見も分かるが、考え方が合うのか教えられたことがすんなり吞み込めるので聞いた方が効率が良い。

「芽々子ちゃんは勉強の為というより教える為に来たんだから、もしかして今は暇なんじゃない?」

「急にどうしたんだよ」

「だから私達の所に二号ちゃんを寄越してきたんじゃないかなって不意に思ってね」

 二号ちゃん……?

「お察しの通りで、私に言わせるなら授業をきちんと聞いていればテストは簡単にパス出来るわ。だから二人の様子を見に来ている所。二人も教えられる人が居たら、幾ら天宮君でも高得点は獲れるでしょう」

「あーまあ高得点は有難いけどな。俺に狙えるかな……いつも最低限って感じだけど」

 親の抑圧がないので点数が悪かった所で生活に支障はない。ただ、高得点高順位を取れたら真紀さんがお祝いしてくれるのだ。そうなった回数は数えるくらいしかないけど、家に来てあの人が労ってくれるだけでも価値がある。

「絶対に取らせてあげるから安心なさい! やる気が出ないなら私がお父さんとお母さんに時給上げるように頼んだげるっ」

「あーそれは……確かにちょっとやる気出るかも」

 こんな状態だとお金を使う事もままならないという現実的な部分は一先ず考えない。置かれている状況が異常である認識くらいはまだ残っているつもりだ。

「じゃあ二人共、よろしくお願いします」

「任せなさいっ」

「最善は尽くすわ」




















 芽々子カメラを適度に見つつ、勉強は順調に進んだ。個室しか映っていない時はどうかと思ったが、大広間に移動してからは勉強を進めるクラスメイト達の様子が見えて、心なしか空気が賑やかになったのだ。

 響希と芽々子という、勉強に関しては真面目な二人に囲まれているからふざけようのない俺と比べると、勉強会とは名ばかりに喋ってばかりの奴も、携帯を見ている奴もいた。エアコンを知らない人間が一度文明に魅了されるともう、暫くは戻れまい。

 芽々子はクラスメイトの一人である翔流を教えている様だ。

「ほら、見てよ。アイツらあんまり真面目にやってないわ。これなら高順位だって現実的に狙えそうじゃない。やっぱり私ん家に来て正解だったわねっ」

「有難う。まあそういう奴らだってのは知ってたけどさ。でも流石にちょっと疲れた。真面目に勉強すると精神って削れるんだな」

「好きじゃないならそうよね。ちょっと待ってて。麦茶でも持ってくるわ。そうそう、向こうも遠慮なさそうだし、アンタもせっかくだからここに泊まる? そしたら一日中出来るけど!」

「……きょ、今日はやめとくよ。気になる事もあるし―――お前の家に泊まるなら、もっと純粋に遊びに行った時とかでありたいな。それ以前に親が許すのかって話もあるか」

「アンタなら大丈夫! おけ、今日は駄目ね。また誘うから覚悟してなさい♪」

 掌を振りながら響希が速やかに部屋を離れていく。階段を下りる音が聞こえてきた所で、首なし芽々子が俺の索条痕に触れた。

「……今更聞くようだけど、これは何?」

「本当に今更だな! むしろ俺は真っ先に聞かれるもんかと思ってたよ」

「響希さんが切り出さないから、なんとなく言及しづらくて。只事じゃないのは分かる。何があったの?」

「多分、浸渉の悪化してる女の子が家に転がり込んできたんだ。名前は雀千三夜子。知ってるか?」

 生首の方は目を伏せると、何か思い出したように瞬きして、机から俺の顔を見上げた。

「『サソイ゛ノ ミハ』かしら」

「なんて?」

「『サソイ゛ノ ミハ』」

「発音が分からない。何を言ってるんだ?」





「正確な発音をしたら呪われるわよ。だから、やめた方がいいの」

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