瞳景の中に皆が居る

 思えば何度もこのお店にバイトとして入った事はあるが、上の居住階にはまるで足を踏み入れた事がなかった。友人宅へ遊びに行った経験がない訳じゃない。ただこの島だとバイト漬けになっていたからその機会がなかっただけだ。後は単純に、響希が異性だからこういう機会がないと自分から行きたくはない。建前がないと足を運べない程度には、互いの性別について意識はしている。

「そういえばアンタが来たのって初めてよね。どう、感想とかある?」

「綺麗に片付けられてるな、とは思う」

 響希の部屋は壁紙にも傷一つなく、本棚からベッドまで綺麗に整頓されている模範的な様相を呈していた。綺麗すぎると生活感がないなんて言いたい所だが、ベッドの上に乗せられたぬいぐるみがそれを否定する。棚の中の本も学校関連の教材に混ざって漫画のスペースがあり、果たしてこれを生活感と言わずして何と呼ぼうか。もしかしたらクローゼットの中はだらしないという可能性はあるかもしれないが、開けるべきではない。もしかしたら下着とか入ってるかもしれないし。

 首を抑えながら空いた座布団の上に座り込む。直前まで首を絞められていると、自由である事に疑問を覚えるらしい。呼吸が自由である事の何が不満なのか。

「俺の部屋は一人暮らしってだけあって根本的にはあんまり整頓されてない……俺が許せる範囲ならいいからな。もしお前が来たら汚いって思うだろ」

「アンタ最近までバイト漬けだったのに汚くなる要素なんかないでしょ。部屋は見た事ないけど、帰って寝るだけの生活してる人がどう部屋を汚くするのよ。私はほら、綺麗にしてないと怒られるし、ていうか汚いと勝手に掃除されるのが一番嫌なんだけど!」

「まあ……綺麗にするって一口で言っても違うもんな」

 見た目を整えるという意味なら同じだが、整理整頓とは自分が分かりやすい、理解している場所に物を置く事だ。知らない人にあれこれ物を置かれたらいざ探すとき何処が何処にあるのか分からなくなってしまう。

 そういう経験は俺にもある。それも一人暮らしを望みたくなった理由の一つでもある。とにかく俺は干渉されるのが嫌いで、自分の事なのに重い通りにならないのが嫌いで―――それは今でも、変わらないけど。

「教科書持ってきた?」

「流石にな」

「範囲は覚えてる?」

「………………ああ」

「うん、その間は絶対覚えてない! バイトばっかりして頭がおかしくなってるのよアンタは。はぁ~ほんと仕方ないわね。じゃあ私が範囲教えるから最初からやって行きましょうか」

 響希は左腕の包帯を外すと、怪異に侵されていた痕跡を露わにして手を置いた。本人は何も言わないが、これが消えない限り彼女が好きで肩を出すような服は着られなくなってしまった。オシャレに関心があるなら辛いデメリットだ。恐らく部屋着の白いキャミソールも、相手が事情を知らないと上に何か羽織らないといけない筈だ。この暑い季節にそれは、地味だけど堪える。エアコンはない。

「今更なんだけど、他の奴を誘ったりはしたのか?」

「何で誘うのよ。私に厚着させたい訳? この痕を見せられるような人が他にいないんだから呼ぶ訳ないでしょ……って言いたかったけど」

「呼んだのか?」

「遅刻してるみたい。その理由も大体分かってるからいいわ…………私の方も、ごめん。スルーしようかと思ったけど無理。首の索条痕みたいなのは何?」

 

 ―――索条痕?


 鏡を見せてもらうと、あからさまに縊首という他ない圧迫の痕跡がくっきり残っていた。バレなければいいと思っていたけど、これは逆の立場でも気になるし、俺が触れないなら猶更事情があるように見える。

「あーこれは……テストとは関係ないし、休憩してる時にでも話そう。大丈夫だ。命の危険はないから」

「本当……? まあ学習意欲があるのはいい事ね。テスト勉強の体で遊んでるだけってのは……楽しいかもしんないけど、やっぱテストで地獄見るし」

 二人の間で暗黙の了解が交わされ、テスト勉強が始まった。勉強はそれほど好きではないが、教科書の上には怪異もなければ死すらない。平穏な時間がようやく帰ってきたのだ。色々話したい事はあるが、全て学校には関係ない事。息が詰まるような勉強も、より息が詰まるような体験をしているともはや息抜きではないかと錯覚させられる。

「年代ってどう覚えるのがいいんだ? 語呂合わせか?」

「暗記。もしくは自分でなんか印象深い出来事を覚えておくとか。テスト範囲だけど丸々年表が出た事ってあったかしら。なかったと思うけど……主要な所だけ覚えときなさいよ。ほら、ノート」

「ノート…………すまん、字が汚すぎる。ミミズがのたくったようだ」

「アンタの字でしょうが!」

 響希にノートをひったくられる。彼女は俺の滅茶苦茶な板書を見て目を丸くノートを突き返した。

「きったな! アンタってもっと字が綺麗な筈でしょ!? バイトでほら、契約書書いた時はここまでじゃなかったのにっ」

「バイト漬けだとな……その時だけ読める板書をしがちなんだよ。だから芽々子のノートを前は良く借りてた。アイツのノートは正確すぎるからな」

「バイト入れすぎじゃない? 一人暮らしは何かとお金がかかるって言うけど、流石にでしょ。あんなボロ部屋借りといて常にカツカツなんて思えないけど」

 実家暮らしの奴には分かるまい。

 相手が響希でなかったら諸々兼ねて嫌味を言っていただろうが、彼女には別に伝えても、問題なさそうだ。

「…………いや、実はな」




「私が協力の前金を払ったから、お金がないなんて考えられないわね」




 きぃと扉を開けて入ってきたのは意外な―――条件を改めて考慮すればそれ以外にあり得ないのだが―――客、芽々子だった。普段と違う所があるとすれば髪を二つ縛りにしてツインテールになっている所か。そんなイメージは全くなく、心なしか見た目以上に幼い印象を持った。

「芽々子……お前、エアコンに負けた筈じゃ!」

「言い方に問題があるみたい。私は勉強を教える為に行っただけ。それに人形の体は暑さを感じないわ。髪は……分かりやすいから縛ってるだけ。これで識別できるでしょ」

「そう。私もびっくりしたんだけど、芽々子ちゃんって二人目が居たのね! 最初に遭遇した時は本当にびっくりしたっていうか……意味が分からなかったけど。人形なら、同一人物が居ても不思議じゃないわよね」

 芽々子は俺達の間に正座で座ると、教科書を取り出しつつ俺に目線を投げた。

「それで、本当にどうして使わないの?」

「生活リズムが変わったら怪しまれると思ったからだよ。俺もそろそろ、芽々子を狙ってる謎の勢力の存在は感じ取ってきた。だからだ。ていうか俺の事なんて些細な問題だろ。何でこっちにも来たんだ? 俺には響希って先生が居るから今回は大丈夫だったんだけど」

 


「皆が何処で勉強してるのか、見たくない?」



 扇風機の音だけが暫し、何の趣もなく流れ続ける。温い風に当てられながら二人で顔を見合わせ、最終的には良く分からないという結論を導き出した。

「見たいとか見たくないの前に、何?」

「お前がカメラを持ってきて、撮影してるみたいな話か?」

「まあ、その通りね」

 そういうと、芽々子は自分の首を外して机の上に置く。幾ら人形でもこれには彼女もぎょっとして机の下に膝をぶつけてしまう。「いたたた……」という声を尻目に芽々子は首の断面から生えたカメラを指さした。



「このカメラは向こうに居る私の視界に繋がってる。もし何か気になる事があれば言ってね。移動するから」



 喋るのは、外れた生首の方らしい。



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