蛇蝎の眩暈

「は、離してくれ……!これが本当に話し合いだって思うのか!?」

 尻尾が俺の体を締め上げている。体を動かそうにも、動かす度に締め付けが強くなるので早々に抵抗を諦めた。先端を使わなくても凶器は凶器だ。

「抵抗しないのは良い事だと思う。ボクも君を殺したくないし。話を聞くって言ってくれたのは君だけだった、嬉しかったんだよ。へへ、でも賢明なのはそうだけど、ちょっと諦めが早すぎない? 不満を感じるならもうちょっと暴れるものかと思ってたよ」

「この部屋が狭くて、俺がお前の存在に気づかなかった時点で大捷は決まってた。人間の体にこんなでかい尻尾がついてるなんて不公平だ。俺に勝ち目なんてないよ」

「その割には、落ち着いてるね?」

「……あんまり喜ばしい事じゃないんだけど、全身が動かせない状況には見覚えがあってな。だから落ち着いてるように見えるだけだ。ただ、それはそれとして痛い…………! 俺は叫びたくないけど、ぎぐ、うぉ……!」

 ミシミシミシと体が内側から崩れていく音が聞こえる。これが祇園でなかった事に驚きだ。実際にそんな音を鳴らしているのは骨というより皮膚の摩擦かもしれないが、もう少し力を籠められるだけで少なくとも両腕の骨は折れる。

「…………叫びたくないって、そっか。じゃあ放してあげる」

 咬合力とも呼びたくなるような締め付けが一瞬でゼロになって、同時に体から力が抜けた。へたってその場に崩れ落ちると、少女も一緒になって屈んで視線を合わせた。

「ボクがわざと口を封じなかったって気づいてたんだ?」

「話し合い……したいんだろ。はあ…………でもこんなのは話し合いじゃないから……解放してくれてよかった」

 締め付けられて止まっていた血液がどっと体に流れてくる。血の気を文字通り失っていた。体は痺れて暫く思い通りに動く事はないだろう。

「ま、まず、えっと。ごめん。話をなんも聞いてなかった。何で俺の所に来たんだ?」

「ボク、ちょっと事情があって隠れないといけないの。今まで何軒も尋ねたんだけど、結構バレちゃってさ。別に殺しはしてないけど、もうそろそろ場所を決めないと八方ふさがりになっちゃうっ。君さ、ボクの存在までは行かなくても、何かが居る前提で話をしようとしただろ。だからこの家なら大丈夫そうかなって思ったんだ」

 人が死んでないのは間違いないだろう。死んだらそいつは引っ越したとみなされて皆から忘れられる。だが決して油断はしてはいけない。拘束を解かれただけで俺の周囲には尻尾が蠢いている。

 改めて眼帯の少女を見つめると、彼女は下手に出るような甘い声を出して首を傾げた。

「隠れるのが最善とも思わないけど、でもボクにはこれくらいしか出来ない。テストが終わるくらいまででいいからさ。お願いします! ボクを助けると思って▔╲︿_/!」

「…………」

 敵意はない。ここを交渉の場とするなら立場は向こうの方が上だ。今まで殺さなかっただけで次も殺さない保証はない。最悪俺を殺せばここは使いたい放題だ。そう考えたが、テストの事を知っていた。事前に予定のある人間を殺すのはリスクが高い。

 ここは薬によって移動した世界ではないから死んだら死んだままであろう。響希か芽々子が様子を見に来る可能性が非常に高く、これ以上隠れる場所がないと思っているなら条件は五分か。


 ―――変な話だよな。


 初手で達磨にされた経験があるせいで、こういう時も想定よりは冷静で居られる。感謝するような出来事でもないのに、あれはあまりに強烈な出来事だった。

「名前は?」

雀千三夜子じゃくちみやこ! 雀子じゃこって呼んでもいいよ_/」

「そっか。じゃあ雀子。えっと、テスト期間だけでいいならここに隠れてていい。ただその……色々質問させてくれ」

「うん! 何?」

「この尻尾はしまえないのか?」

「無理! ボクだってしまえるならしまいたいよ。着られる服にも限りがあるなんて不便だし。あ、もしかして部屋が荒らされるって思ってる? それなら大丈夫、結構動かすのは練習したから、むしろ僕は隠れながらでも君のお世話が出来るくらいには動かせるよ!」

「この尻尾は生まれつきか?」

「まさか! でも生まれつきだった方が悩まなかったのかな▔﹀。ていうかこの尻尾のせいでボクもこんな事しなきゃいけないんだよ。出来ればボクも普通の女の子で居たかったさ」

 瞳の陰りに、一片の諦観を見た。それはまるで演技の綻び、振り返れば全てが空元気ではないかという疑問が確信に変わった。雀子の手をよく見ると、黒い手袋をしている。だが体に対して手があまりに歪に膨らんでおり、歪んでいるように見えた。

「―――ちょっといいか?」

「え? あ、ちょっと!」

 手袋を強引に外すと、そこに見えたのは五指がそれぞれ二股に割けてハサミのように変質した醜悪な手。尻尾も含めれば、少女は体の三割程がサソリに代わっていた。

「…………見た」

 雀子は泣き出しそうな顔になって、露わになった手を背中に隠す。

「見せたくなかったのに! 何で見たの!」

「誰の仕業だ」

「へ?」




「誰の仕業だって聞いてんだ! お前のその体は! 誰のせいでそうなった!」




 

















生まれつきではなく、尻尾を忌避しており、身体の一部までもが変形している。有り得た世界で響希に起きた変化は今でも目に焼き付いている。醜悪な皺だらけの怪物手前になって発狂していた彼女に、俺は近づけなかった。

 勿論そこは仮想現実の話であり、ここじゃない。だが今でもずっと、心に残っている。そうすべきじゃなかったと悔いている。幾ら醜くても、大切な友達だから。

 雀子の変化も同じように怪異からの干渉につき浸渉が深くなる事でそうなったのではないかという仮説が、俺に彼女を押し倒させた。あれだけの多節を持った尻尾なら、身体を抑えられても反撃出来ただろう。

「…………何で、それを知ってるの?」

 だけどしなかった。今度こそ拒絶しなかったから。手袋の外れた指に指を重ねて、触れた皮膚が切れた端から出血しても離さなかったから。

「怪異の事なんて、誰も知らないと思ってたのに……」

「お前は本当にたまたま俺の所に来たのか? そうじゃない方が自然なくらい、俺は首を突っ込んでるんだ」

「た、たまたまだよ。ボクはこの島の事何にも知らないし……この服も、ただ奪っただけだし」

「…………聞きたい事が沢山ある。でも俺より詳しい人が近くにいた方が有益そうだ。条件が変わった。雀子。テスト期間までと言わずに暫く俺の傍に居てもいいぞ。何かから逃げてるんだろ。ここは隠れ蓑にしてくれていい。人間じゃない奴を隠したのは初めてじゃないからな」

「……ホント?」

「今日はもういいけど、後でお前が逃げてる奴の話とか色々聞かせてほしいな。お前が手遅れにならないように頑張ってみる。今度こそ手遅れにならないように」

「な、なんか話がうまく行き過ぎじゃない? ボク、なんかした? 流石に都合よすぎて疑っちゃうけど……」

「怪異の事知ってるんだろ?」

「うん」

「三つ顔の濡れ男、知ってるか?」

「知ってるけど……ボク関係ないよ」

「関係なくてもいいんだ。知ってるだけで…………逃げたい見つかりたくないって話なら、俺がお前を守る。その、なんだ」

 雀子の手から指を話すと、服を袖まで捲って球体関節の腕を見せつけた。

「俺もお前と同じで非人間だ。話が出来すぎてると思うなら、これで信じてくれ」

 雀子はきょとんとした顔のまま静止。青黒く澄んだ瞳がぎゅっと大きくなると、まじまじ俺の腕を見つめて、握った。

「本物の血じゃなかったの?」

「本物は本物だと思う。痛いし……まあでも痛くて仕方ないなら腕を外せばいいんだ」

 関節を引っ張って腕を抜くと、皮膚にじんわり広がっていた鋭い痛みが消えてなくなる。最近体の着脱に恐怖を覚えなくなってきた自分にいっそ笑いが込み上げてくるも、何とか平静を保って救急箱を取りに行った。

「腕がなくなると平衡感覚が狂うけど、そっちの尻尾よりはマシだろうな。じゃあ俺は腕を直したら早速出かけるから、なんか適当に過ごしてて構わないよ。娯楽がないのは申し訳ない。帰りになんか買ってくる」

 作り物の腕に応急処置なんて馬鹿げているが、こうでもしないといつまでも出血するやばい奴の完成だ。薬を探していて思ったが、直接引っこ抜いたくらいで出血が止まるならやはりこれは本物の血ではないのでは……

「ま、待って君。ねえ!」

「…………首に巻きつくのはやめてくれ。流石に死ぬ」

「な、名前を聞かせてよ。ボクの名前も聞いたんだし」

「俺は天宮泰斗。別に好きに呼んでくれ。年齢とかも気にしなくていいよ。そういう上下関係の中に生きてないし」

「ボクは気にする。年上の人は敬わなきゃ。だから君の事は先輩って呼ばせてもらうね。暫くの間、不束者ですがよろしくお願いしますせ▁︿╱んぱい!」

「せめて名前で呼んでくれよ」

「名前で呼ぶと敬ってる感じがしないもの。君は恐らく十四歳以上だからこういう風に呼ばなきゃ。くくく、良かった、一番最後に良い人に出会えて! 有難う先輩! ボクの救世主様!」





「そこまで褒めちぎると逆に嫌味だからそろそろやめろ! 後そろそろ首から尻尾を離してくれ!」

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

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