蠍もどくの冥護を受ける

 いよいよテスト期間が始まる。授業はいつも通りだが、テストが終わるまで部活動は中断される。非常に短い間になるだろうが、クラスでしか絡みがなかったような人間とも帰路で出会う事も増えるだろう。

「でもクラスの奴殆ど参加ってマジか? 流石にエアコン飢えすぎだろ」

「おう、それでも部屋が余るってんで隣のクラスの奴らも参加するぞ! 参加しないのはお前と響希とあともう一人……まあアイツは一生港の倉庫番してるから無理だろうな。響希も店あるし。は? 何でお前参加しないんだよ!」

「俺は…………せっかく一人暮らしを始めてこのクソ暑いのに慣れてきたのにエアコンなんか覚えたらこれから辛いのは確定だからな。どうしても無理なら真紀さんの所で涼ませてもらうよ」

「変わってんなー」

「変わってない奴は一人暮らししたくてこの島に来ないだろ」

 仁太は俺とよく話すから、知り合いが一人減るのは都合が悪いのだろう。名残惜しそうにはしつつも、俺の判断を覆すような真似はしない。親しき仲にも礼儀ありというが、彼はその辺りの線引きを割と弁えている。

「まあしゃーないか。都合ついたら別にいつでも来てくれていいからな。俺はいつでもお前の事を待ってるぜ!」

「お前ん家に行く話をしてるのか? 何でお前が家主を差し置いてその辺りをどうにか出来るんだよ。絶対門前払いされるじゃねえか」

 もし行くなら俺が直接事情を話すから、とその厚意は断っておく。知らない先輩と話すのは少し緊張するが、そんなのはこの島に来てからずっとやってきた事だ。知らない大人、知らない学生、知らない子供。未知の環境にやってきたのだから当然である。

「んじゃあ、俺らはもう行くぜ。泊まり込みって訳でもないから行くなら早い方がいい。じゃあな!」

 仁太は最高のエアコンを求めて風のように去っていった。遠い昔という程でもないけど、エアコンがあったら人は駄目になる。だらしないとかそういう意味ではなく、身体の覚える気温感覚がそれありきになってより暑さに弱くなるのだ。外に出ただけで暑く、歩くだけで暑く、授業を受けているだけでもはや蒸発する。それはこの島で生活するつもりなら健全ではないだろう。

 誰かが死ねば引っ越した扱いになって、その扱いに対して疑いすら起きないのはそういう不便を皆が心から受け入れている―――のではなく、ある種諦めているのだろう。その不便に耐えかねて引っ越したのは仕方ない事だと、暗黙の共通認識の中で納得しているのだ。

「泰斗。じゃあ後でね。裏口開けとくから」

「おっけ」

 昇降口から出た後、学校の端に設置されている駐輪場に寄ってもらった自転車に足を掛ける。これもエアコンの中毒性には程遠いが文明の利便だ。何より一々景色を気に掛けずに済む。校門から出ると、周りの事など気にしないように努めてペダルを漕ぎだした。


 ―――気にしない、気にしない。


 スーツ姿の男が俺を見ている。それも一人、二人? 分からない。出来るだけ顔を見ないようにしている。ただあまりにも異常な回数、視界の端に映る。三つ顔の濡れ男の一件で目をつけられているのだろうか。だがそのつもりならそんな遠巻きに観察するんじゃなくて直接確保するか殺せばいいだろう。仮想性侵入藥のお陰でそのつもりなら最初からそうしてくる事は分かっている。なら、あれは一体?

 色々と考えたい所だが、自分から探すのはなんとなく駄目な気がして、意識しないようにするのがせめてもの抵抗となった。自転車はその為に必要な文明だ。速度が速く余所見なんかしたら事故るから集中していられる。家にも早く帰れるし、何より風切る速さの気持ちよさと言ったらエアコンにも負けたりしない……風はぬるいけど。

 自転車を停めて無事家に着いた。玄関のかぎを開けようとポケットをまさぐって鍵を開けようとしていると…………カチャン。





 ひとりでに、内側から鍵が開いた。





「――――――!」

 借りている部屋は安いのもあるが、鍵を閉めるかしっかり力を入れて押し込まないと風が吹かなくても勝手に開いていくような安い扉だ。俺はきちんと鍵を閉めて登校した。間違いない。だけど今はどうだ。鍵が開いている。

「…………」

 人間、本当に驚いた時は声が出ない。それは別に、声が出ている時は冷静という訳でもないが。ただ思ってもないような事が起きると、反応より先に動揺してしまうだけで。

「え、え?」

 あり得ない。蝶番が翻ってゆっくりと開いていくがそこには誰も居ない。鍵を開けたならそこには人が居て然るべきだ。慌てて中に逃げ込むような足音も聞こえなかった。この部屋の防音性はたかが知れている。扉の前に立てば、嫌でも音は聞こえるのに。

 自分の部屋に入るだけなのにここまで慎重になる必要が何処にあるだろう。一歩、一歩。足音を可能な限り殺して、殺して、殺して。後ほんの少し進めば、一番奥にあるベッドまで視界が届くようになる。それで真実は明らかになる。



「やっほ_︿。お邪魔してまーす」



 スーツの下から男物のワイシャツを裾まで出しているが、人のベッド寝転がっている失礼な存在は傍から見ても間違いなく少女だった。短く結んだ髪と、その矮躯が確信させる。

 ズボンはところどころ破れていて何だかみすぼらしく思えるが、特筆すべきはそんな事じゃない。少女の臀部から伸びた五メートルを超える巨大な蠍の尻尾だ。七〇を超える細かい節が柔軟な動きを可能にしている。先端はナイフのように鋭く、金属光沢が窺えた。基部は膨らんでいるのに、先は突起というより筒を形作るように刃が縦に並んでおり、どの方向からでも切断行為を可能としていた。

「………………」

 長いだけならまだ良かったが、異様な太さが俺から声を失わせ続けている。その横幅は俺の腕より太く、しかもそれがベッド全体に寝転がっているのだ。イヤホンを無造作に投げ捨てているのとは訳が違う。命の危険を感じたところで既に手遅れ。背中を向けたらその瞬間に刺されそうだ。

 少女が顔をこちらに向けてニコっと笑った。左目に眼帯をしている事に気づいたのはその時だ。

「………………」

「あれ? 喋れなくなったの? くっくっく、そんな訳ないか。ボクはね、別に君に危害を加えようとは思ってないの。ただちょっと話をしたくてさ」

 足が一歩後ろに遠のいて逃走を図ったその瞬間、尻尾の先端が霧のように消えたかと思うと素早く俺の足を払って転倒させる。次の瞬間、身体をぐるぐる巻きにされて一切の身動きを封じられた。

「ボクは話をしたいんだってのに。ほら、話をしようって言ったろ? ボク困ってるんだ。ずっと部屋に潜伏しようかと思ったけど、暫くテスト勉強でここを空けるんだろ。訳あってさ、隠れてないといけないんだ。隠れて意味があるかは分からないけど……だから、お願い! 誰も居ないって明らかになってる部屋は捜索の手も及ばないから! お_︿ね╱﹀╲/╲︿_/︺╲▁︹が╱︹_/﹀_︿╱▔いっ」

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