日常トワイライト
一先ず、調べたい事は終わったようだ。テスト前になんて物を調べさせてくれるんだと文句の一つも言いたくなるが、芽々子の顔が嬉しそうに見えたのでそういった不満は全て消えてしまった。何だろう、人形だから、表情が変わるなんてないのに。
「……私は、こんな事で副作用が戻るとは思えないけど」
「いやその…………薬とか関係なしに死体見て気分悪いから、目の保養にと」
芽々子に、膝枕をされている。
当然響希が帰った後だ。親が心配するからと言って彼女は帰らざるを得なかった。見計らった様にこんな申し出をしたのは―――
「目の保養? さっきまでうつ伏せで私の腿の間を見ていた気がするけど」
「それは、ち、違う。何か。気にするなよ! に、人形は感情がないんだろ! だったらいいじゃないか、少しくらい…………み、み、見惚れても」
―――――――顔に出さないだけで、疲れたのだ。
俺の一人暮らしは、大変だけど充実していた。大変だからこそ充実していた。それ以上は何も求めなかったし、苦労して親を説得した甲斐があったとも思う。頑張って手に入れた暮らしなら、そこにどんな苦難が待っていても耐えられる。干渉されない自由と引き換えなら、そのくらいの責任は全うするつもりだった。
でもこれは違う。明らかにそれを逸脱している。死ぬ事も死体を見る事も確かに慣れてしまった。失禁したり錯乱したりする程じゃない。でも、存在するだけで性器を吸い取られるように疲れる。
「私に見惚れる…………? 人形なのに?」
「人形だからこそ、美しいって事もある。そ、それにさ。例えば響希とかじろじろ見てたら絶対何か言われるだろ。可愛いって思っててもさ。素直に伝えるのも恥ずかしいし……で、でもお前は気にしてないんだろ。だから……いいじゃないか」
「―――そういう考え方なの。私に何か出来る事はある?」
「え?」
意外な申し出に、間抜けな顔をしたと思う。仰向けなのでそれを隠す猶予はない。芽々子はきょとんと首を傾げて、瞳を動かした。
「いつもはしないような行動、目の保養、言葉につっかえる感じ。貴方は疲れていると見たわ。私に出来る事があれば……テストも近いし、やってあげようかなって」
「…………い、意外だ。芽々子がそんな世話焼きだったなんて。世話焼きなのは知ってるけど」
「貴方が居ないと私は死んでいたのだし、これくらいはね」
響希が帰ると、ここは二人だけの秘密基地に等しい。ああそうだ。今なら言語化出来る。本当に恥ずかしいけど。滅茶苦茶恥ずかしいけど。
俺は芽々子に、甘えたいんだ。
同じ年のクラスメイトに何故そう思うのか俺にも分からない。百歌や響希には思った事もないし、これから考える事もないだろう。だけど芽々子にはどうしてか、甘えても大丈夫だと考える自分が居た。
顔色一つ変えずに淡々と頼ってくれる彼女が……?
俺の事をヒーローだと賞賛してくれた彼女が……?
「な、撫でてほしい……………………かも」
「分かった」
球体関節の指が頭に触れる。人形である事は確かだが、そこには確かに人肌の温もりがあった。目を閉じようかと思ったけど、俺の頭を撫でる彼女の顔があんまりにも美しくて、そんな行動すら忘れてしまう。
「………………天宮君は、私の事をどう思っているの?」
「お、恩人…………ああいや、そこまで恩はないか。元々無理やり引き込まれたし」
「恨んでる?」
「恨んでも……ない。生活は変わっちゃったけど、お前は俺に良くしてくれるし…………正直な所、分からないが正解なんだよな。けど、そんな悪くは思ってない……よ」
「…………それは、変わってるわ。恨んでないって所が特にね。私にバラバラにされたのに、おかしいわ。そんなの」
「バラバラにされたけど、その後俺に薬を打ち続けただろ。あれはお前にとって致命的だった筈だ。でも、お前は、俺の要望を優先して薬を使った。あんな無意味な打ち方を……」
「必要だった。それだけ」
芽々子は後悔しない。自分の生き方を、そして自分の判断を。それが俺とは大きく違う。あまりにも違った。一人暮らしを望んだ俺をクラスメイトは自立心があるとかいうけど、そうじゃない。俺はただ、自由が欲しくて。
「………………俺さ、沢山後悔してるんだよ。別に重大な事件があるとかじゃないんだ。細かい判断を色々後悔してる。親に色々口出されて判断を変えたり、相手に同情しちゃって判断を委ねちゃったり。自分を貫くのが絶対に正しいとは言わないけど…………胸を張れた事がないんだ」
「それが教育という物よ。ルールとは型。型の中にハマる限りは守られる。子供を守ってほしいから教育する。私も全ての選択を正しいとは思わないけど。でも人生は一度きりだから。せめて後悔はしたくないでしょう。薬が使えたとしても、身体が存在する場所は一つだけなんだから」
一人暮らしが辛い事を承知の上で、それでも離れたかったのはそれが理由だ。人生に責任を持ちたかった。責任を持てれば、後悔しない選択が出来ると思っていた。それは今まで通りの生活が約束されるなら間違っていなかったけど、そうじゃない。
結局しんどくなって、甘える人が欲しくなった。
自分は人形だから気にしない。芽々子は鈍感な風にそう言うけど、俺にとっては悪魔の囁きに等しく、今はそれに乗ってしまった。ほんの少し拒絶してくれたら身を引き締められるのに、髪を撫でられても彼女は気にも留めていない。
「…………間違えたら、俺もお前も死ぬ事が。今の俺には辛い。毒親ってんじゃないけど、結構言われてたんだ。考えが安易だとか浅いとか、間違ってるとか考え直せとか、違うとか。かと思えば人に聞くなとか自分で考えろとか。自分が合ってる気がしない。いつもいつも。お前にこんな事言うのは…………正解を、教えてくれるんじゃないかって」
「それは非常に難しい事ね。でも、一つだけ。私が生きている限り、貴方に救われている。私が生きてる事が正しいのかは分からない。でも私は、生きてて良かったと思ってる」
芽々子は俺の顔を少し抱き寄せると、耳元でか細く囁いた。
「有難う。この島に来てくれて。その選択を間違いだとは言わせないわ。きっと、私が居る限りはね」
自立しなければならないという想い、常に付きまとうバイトの日程。俺は自分が思っているよりも気を張っていたのかもしれないし、何より見積もりが甘かった。あんな無防備に甘えたのは人生初めての事だ。
正気に戻ったら凄く恥ずかしかったけど、芽々子は飽くまで人形スタンスを崩さない。『貴方がしたいならしてもいい』と言わんばかりに澄ましている。その無関心・無防備・無頓着さこそ俺の警戒心を下げていると何故気づかないのだろう。
「…………こんな事なら、もっと別の形で仲良くなっておきたかったな」
あんな出会い方ではない。あれは人と知り合う中で最も最悪な方法だ。自分の家について冷静にシャワーを浴びて出した結論がそれである。
「テストなあ…………テストって場合じゃないよなあ。でもバックレたら怪しまれるの確定だしなあ…………」
いやいや、気を取り直すべきだ。濡れ男を退治した今、暫く騒動はないと見た。響希との勉強に集中しよう。もしかしたらその、俺は自分でも女性に免疫がないと思っているので、集中出来ないかもしれないが。
「……………………」
やめよう。
窓から外を見ようと思ったけど、嫌な予感がした。何という訳でもないが、何かあったら気になってテストに身が入らない。自分の中で区切りをつけるべく、俺は携帯を手に取って、メッセージを送った。
『おやすみ』
『おやすみなさい。いい夢を(-_-)zzz』
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