噂ノ実は眠らない
「…………それさ、何で知ってんの?」
「知らないから聞きたいの」
「知ってたら、何処で私がそれと遭遇したか分かるでしょ︿╱。その名前を知ってるのに場所を聞きたがるのは妙だって思うな」
「俺はその詳細を知らないんだけど、二人で勝手に話を進めないでくれ。まずそれは何なんだ? 正式名称は?」
「いうべきではないから、幾ら天宮君の頼みでも聞けないわ。でも概要は……そうね。牛の首は分かる?」
「牛の首は、牛の首だろ。牛にはちゃんと頭部があるからそりゃ首がある」
「……牛の首は世にも恐ろしい怪談と言われていてね、聞いた人は近いうちに死んでしまう程怖いとされる怪談なの。それで、あまりに人が死ぬから作者はもう話す事をやめた……というバックボーンがある」
「ん?」
「実際は存在しないとされているわ。中身がない事が中身というか、内容なんて無いの」
「内容がないよう!」
「………………」
「ごめん、調子乗った」
「怖すぎて誰も知らないって所が肝で、それが全てとされているのが牛の首。思わせぶりな要素ばかり並べて怖がらせるというのが牛の首だけど、サソイ゛ノ ミハは本物。三つ顔の濡れ男のようにこれ自体に実体がある訳じゃない。どちらかと言えば呪いの言葉ね」
「ボク、そこまでは知らないよ。ていうか変じゃない? ボクは確かに遭遇したけど、実体がないの?」
「それは通常とは違い相互認識の仕方が違う。真実の名前を知った時のみ完了する。分かりやすく言うと、サソイ゛ノ ミハについて完全に知らないと影響は起きないって訳ね」
「名前を知ったら呪われるって訳か。だから俺に教えたがらない」
それにしても発音しづらい偽名だとは思う。文字列として奇妙が過ぎるあまり、これ自体が危ないワードだと言われたら十分信じられる。いやでも、危険から遠ざかるという意味ではその方が正しいのだろうか。
「呪われたら、どうなるかは私にも予想がつかない。雀千三夜子さんが何を見たのかまでは本人から聞かない事にはどうしようもないわね」
「単に疑問なんだけど、そこまで知ってて貴方はどうしてボクみたいになってないの?」
芽々子に体があれば、きっと鷹揚に手を広げていただろう。俺にはその幻覚がありありと見えている。
「私の体のどこに、侵す場所があるの?」
「芽々子の体は全身が人形だ。浸渉ってのが生身に起きるなら、こいつには起きないよ」
「…………そっか」
理屈は分からないが、感覚は理解出来る。迷信を信じるも信じないも、人には恐怖がある。お化けが嫌いだったり蛇が嫌いだったり蜘蛛が嫌いだったり。だが無機物には恐怖がない。石畳が恐怖のあまり壊れたとか、そんな話は存在しない。確か芽々子は心が弱っている時程浸渉は進むと言っていた。
あんなに世話焼きで、優しくて、穏やかな芽々子が自虐のように『感情がない』と言っているのは―――そこに起因しているのだろう。
「ボクは……知りたくて知ったんじゃないんだ。抵抗出来ない内にその名前を教えられたんだよ。知ってるかってね。当然知らなかったけど、その名前を知ってからボクの周りを何かが這いずるようになった。朝も昼も夜もそいつは近くをうろうろしてる。ボクを食べようとしてるんだ! あの場所が何処だったかなんて分からないけど逃げなかったらきっといつか入ってくる! だから逃げ出したんだ。実際……先輩のお家には来てないし……」
「病気とかじゃないんだな。こういうのって精神疾患みたいに、逃げても逃げてもやってくると思ってたよ」
「怪異は怪異だから、実体がなくても存在は確かにあるわ。でも、そう。閉じ込められてた場所で聞かされたのね」
「あ、そうだ芽々子。俺、話を聞いてて思ったんだけど、雀子がいた場所って、みんながいるあの屋敷じゃないのか?」
「三並先輩の屋敷の事ね…………確かに、可能性はあるかしら。調べてみる必要がありそう。そいつも私の体の一部を持っていると思うから」
「ふぇ? どういう事?」
「俺もあんまり分かってないけど、とにかく事件が起きるようならそいつが芽々子の本来の体を持ってるらしい。雀子をそんな風にしたやつが持ってるんだとするなら、俺はやっぱりそいつを倒さなきゃいけない。テスト勉強だけしたかったけどな…………でもしょうがない」
雀子の手を手袋越しに握って、安心させるようにもう片方の手を重ねた。
「困ってるんだろ。そんな姿になってさ。どっちにしろやらなきゃいけない相手なら倒すよ。だから雀子、暫く協力してくれ。お前が完全に怪物になる前に助けるって約束する」
「先輩…………せんぱい!」
「うおわ!」
体つきから言って雀子の体重はそれほどない。だがその巨大な尻尾まで含めれば話は別だ。抱き着いてきた体を受け止めきれずに床に押し潰される。涙もろいのか、雀子はわんわん泣きながら俺の胸を擦っていた。
「ボク、ボク生まれてからそこまでされた事ない…………! ありがと、ぐす。ほんとにありがと︹▁! 正直不安だったの、いつあれがボクを見つけるか分からないから。ありがと……………ありがと…………」
「お、重い…………め、芽々子! 助けてくれ!」
「生首に無茶言わないで」
そうだった!
「とりあえず……勉強の必要がない私が行動するわ。天宮君は必要が生まれた時だけ行動して、後は勉強ね。不自然な行動はそれだけ目を付けられるから」
「冷静に作戦を練ってないで重い…………! 重いから離れて……!」
「生首に無茶言わないで」
botと化した芽々子に助けを求める方が間違っているらしい。怪異なんかよりも、まず遥か年下の女の子に圧殺されてしまうかもしれない。嬉しい悲鳴なんて思わないでほしい、骨が軋んでいる。折れた肋骨が骨に刺さってもなんら不思議ではない。
「先輩! てへへ……先輩!」
「ぐあああああああ…………!」
「お前まさかテスト期間なのに働いたのか? 学校でマッサージしてくれなんて初めて聞いたぞ」
「いや重いものに潰されてな…………すまん仁太。お前しか頼れない」
「別に休み時間は暇だからいいけどよ。働くなよ。俺が言うのも変だけどお前もテストは楽勝じゃないタイプなんだからさ」
こういう時に怪しまれないのは人望か、それともクラスメイトが一人暮らしをしんどいと考えているのか。外野からも茶化し気味に「大丈夫か?」との声が届く。倉庫番でもさせられていたのだと勝手に想像してくれるなら十分だが、この痛みは夜な夜な続いた。
「家賃幾らなんだよ。俺ん家来るか? 別にお前一人くらい居てもいいぜ」
「いや……あの部屋は真紀さんに紹介された場所だから、そういう事するとメンツが……それに、お前が傍に居たら真紀さんが遊びに来ないだろ」
「真紀さんな~そこばっかりは羨ましいよ。あの人すっげえ美人なのに夜型の生活だから全然会えねえんだよな。でもお前の生活しんどすぎて変わろうって気は全くしねえ。どうせ仕事から帰ったら寝てばかりなんだろ。何も美味しい思いをしてなさそうだ」
クラスメイトの中では比較的付き合いの深い男友達だけあって俺の解像度が高い。確かに芽々子の秘密を知るまではそんな暮らしだった。だがそれも今は遠い昔―――のようだ。あの暮らしが戻るならと思わない日はない。
でも後悔はしないと決めている。
不可抗力の出会いも秘密も選択も、最後に決めたのは自分だ。進むも地獄で戻るも地獄。どちらも同じ地獄なら、せめて自分が選びたい。地獄を歩く為の動機なら、不純であっても構わない。死にたくないでも、変わった後輩が出来たからでも。
『事情も深く知らないのに最善を尽くすその姿勢は、貴方の美点よ。私に感情があったなら、ときめていたかもね』
芽々子に格好つける事が出来たからでも。
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