証拠保全の大原則

 エアコン。

 この島に来てからはそんな概念をすっかり忘れていた。空調に囚われているとここでは生きていけない。文明はあるが技術はないというか、中途半端に昔っぽくもないのが複雑だ。

 テレビを設置しないのは俺の単なる怠慢だが、エアコンはそもそも殆どの家に設置されていない。だからみんなこの夏の暑さにも原始的な対策だけで耐えられている。日陰、打ち水等、本島に居た頃はエアコン一つで解決していた所もあるし、最初は辛かった。

「凄い今更だけど、ここも空調あるんだよな。ていうかここだけなんか世界観が違う。研究所すぎる」

「その残骸ではあるけどね」

 今日は一切バイトを入れていないので、放課後は芽々子のラボでのんびりと休息を取っている。テストを言い訳に、暫くバイトは入れなくても怪しまれない筈だ。前はそれでもやってたけど、今は彼女からの前金があるから、お金が入用になっても問題ない。まだ手は付けていないが。

 『仮想性侵入藥』を使わなくても芽々子は何かしら機械を弄っている。用途すら不明な機械はまだしもパソコンを触って一体何をそこまで見る事があるのだろう。画面を遠目から見ても伝わらない。何かしらの観測データを見ている事だけだ。

「勉強するんだったらここでもいいんだよな…………」

「貴方がお望みならそれでもいいけど、響希さんの所で勉強するんじゃないの。空調目当てでここに籠るのはやめた方がいいわ。だって、息が詰まるから」

「それもそうだよな……お前はやっぱり屋敷に向かうのか? 何処にあるかも俺は知らないけど、勉強を教えに。多分仁太は、お前に教えてもらうの期待で誘ったんだぞ」

「三並先輩の所でしょう…………そうね、勉強だけなら一人で出来るけど、そういう目的ならお誘いに乗るつもり。貴方が響希さんの誘いに乗るつもりなら、私の方で断っておくけど」

 家に籠って一人で頑張るか、何故かこの研究所で勉強するか、響希のお世話になるか、見ず知らずの先輩の世話になるか。テスト勉強という点においてどれが最も効率が良いのか。


 ―――いや、楽しいか、だな。

 

「返事は俺からしておくよ。まだもう少しだけ考えたい。実際そのさ、興味はあるんだ。屋敷って……本当にそんな物あるんだよ、な。見た事ないから、好奇心で行きたい気持ちもあるんだ」

「分かった」

 バイトがなければここまでゆったりした時間を過ごせる。今まで自分がどんなに首を絞めていた事か、身に染みて反省させられている気分だ。こんな目に遭わなかったら今も似たような生活を続けていたのだろう。勉強なんてきっとする暇もなくて、今日はベッドの上で泥のように眠っていた事は想像に難くない。

「大人達は今回の一件でどんな風に動くんだろうな……俺は大人全員が怪しいとは思ってないけど、不穏な動きがあったのも確かだ。特に駐在所の警官は怪しいと思う。何か知ってる。公的機関だしな」

「かと居って問い詰める材料もないから、無茶はやめて。……そろそろ来ると思うけど、まだかしら」



「ごめんなさい。遅れたわっ」



「響希?」

 梯子を下りてきたのは、成り行きで協力者になってしまった響希だった。呼びつけられる人がそれくらいしか居ないから特段驚いたりしない。が、呼び出す目的は不明だ。話は何も聞いていない。

「アンタも居たんだ。用事はなさそうだけど、どうして私を呼び出したりしたの?」

「用件は主に二つ……だけど、最初は天宮君にやってもらいましょうか。バイトを抜いてくれたお陰で時間が出来て助かってるの。今のうちにやっておきたい事があるから、こっちに来てくれる」

 芽々子は折り畳んで壁に寄せてあった中折れの台を広げると、俺を手招きしてその場に寝転ぶように指示をする。今度はちゃんと四肢もあるし拘束もされない。ただ腕だけは固定させないといけないようだ。予防注射でもされるみたいに、抑えつけられる。だが手足が人形だからって万力で抑え込むのはどうかと思う。疑似神経は通っている筈では……

「な、何をするの?」

「仮にも協力者なら、響希さんにも色々説明しないといけないから。私と彼がどうしてあの怪異に勝てたのか。それを説明する為にも薬を使うけど……天宮君。ただ使うだけじゃ貴方の体に申し訳ないから、少し仕事をしてもらうわ。モニターは私と響希さんに任せて」

「…………俺は、何処に飛ばされる?」

「要素を言いましょう。私と響希さんの存在の排除を強く意識して。そして、貴方が柳木君の家で死体を見た時をイメージする」

「「え!?」」

 重なった声は響希のモノだ。事情を知っても知らなくても、芽々子が何をしたいか分からなかった。

「既に死体は掃除され、証拠となりうるものは全て処分されたでしょう。だけど、それが存在した事実までは覆せない。今度は叫ばないで、そのまま部屋を調べてもらいたいの。テスト前で申し訳ないけど、お願い」

「…………わ、分かった。あの死体の事なら、今も目に焼き付いてる! い、イメージは万全だ!」

 芽々子が青色の液体の入った注射器を取ると、俺の首筋に向けてゆっくりと針を刺していく。



「…………会話は出来ないけど、独り言は存分に言って。貴方の見てる景色は、こっちからモニター出来るから」





















「さて」

 彼を夢の中へ送り込むと、私は響希さんの方を見て、掌を見せつけた。驚いた様子はないけど、話は続ける。

「学校では腕を取り換えていたから気づかなかったかもしれないけど、私、普段はこんな手をしているの。球体関節の継ぎ目だらけ。こっちの方が動かしやすいから天宮君と二人の時は切り替えてる。私も人形なの」

「そ、それは……知ってたわ。初めてここに案内された時、コーヒーを淹れてる時が確か、そうだったし。芽々子ちゃんも訳あって手足が人形なの?」

「訳はあるけど、私の場合は全身が人形。性別は同じだし、疑うようなら今から体を調べてくれても構わないわ。そしてそれが、汗もかかないし排泄もない理由。当然だけど月経の方もない。人形だから」

「そ、そうなの? 私達、結構過ごしてるつもりだけど全然人形だって分からなかったわ…………い、一応確認していい? 一応。一応」

 服の中に手を入れて隅々まで触られた。

 でもそれで事実が変わる訳じゃない。私の体は作り物で、人間の少女っぽく作られているただの人形。それっぽさの為に胸の膨らみがあって、割れ目があって、髪があって、目があって。何もかも騙す為にある。

 今度は目を丸く見開いて、危ない物でも触ったように血の気を引かせている。ひょっとすると、天宮君は少し変わった人間だったのかも。自分が達磨にされた事に怒ってばかりで、私については特別恐怖も恐れもなかったように記憶してる。

「ほ、本当に人形…………泰斗は知ってんの?」

「ええ。でも彼は貴方に言わなかった。私との秘密を守ろうとしたからでもあるし、そんな事言われたら貴方がパニックになると踏まえての判断よ。わざわざカミングアウトしたのは、彼を恨んでほしくないから。そして貴方も体に痕跡が残っているから、バラしても問題ないと思ったから」

「…………うん。誰にも言わない。抑止力でしょ。何やってもあれは消えそうにないから私もずっと隠す事に決めたし、お互い様って事で気にしないようにしましょ。それよりも、私は泰斗に何をさせたいのかって話を聞きたいんだけど?」

「薬の説明、消しちゃった……めんどくさ―――分かりやすく説明出来たらいいけど、まずはパソコンのモニターを見て。あの日の夜を一緒に見返してみましょう」

「………? 柳の家にカメラなんてないのに、このアングルは何?」

「これは天宮君の視点ね。こっちから指示を出す事は出来ないけど、彼の声なら聞こえる筈。独り言を言ってくれたらいいけど…………」

 

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