後ろの正面 君の傍
「…………ふぅ」
もっともらしい理由でバイトを休むと、途端に朝のリズムが崩れてやる事がなくなった。落ち着く為に紅茶など用意してみたが、いつもやらない事をやると落ち着かない。普段ならまだ働いている時間だ。これがHR開始まで後三〇分を切ろうかという頃なら登校しても良かった。
―――真紀さん、来ないかな。
いつもはバイトがあるからあの人の相手も適当になっているというか、きてくれるのは有難いけど、何処かいい加減な節が自分でもあった。こういう時こそもっと親睦を深めたいけど……本来あの人は日中こそ眠っているべき人物。朝にやってくるのは大抵仕事終わりで無理をしているのだ。来ないなら来ないで、そこに不満を言う資格なんかない。
こういうシチュエーションを想定するならテレビを買うべきだったかもしれないが、これは一時的な欲求だろうと雑念を振り払った。テレビなんて見る暇は殆どない。学校生活とバイト、それが終われば泥のように眠るまでがワンセットだ。それに今は芽々子との協力関係もある。一日が二四時間である限りどう配分を変えてもテレビは見られそうもない。こんな風に時間が空きでもしない限り。
「…………」
する事がない苦痛、退屈の先にあるのは虚無だけだ。二度寝をしたい気持ちもあるが、引き換えとして確実に遅刻する未来が見える。これは薬とか無関係になんとなく分かった。
ここまでやる事がないともう普通に暫く外を出歩いていた方が気分転換にもなるだろうと外に出た。六時を超えてもまだ朝は朝だが、ポツポツと人の気配も増えてくる。犬の散歩に出るような人も居れば、ベランダに出て日光浴をしているだけの人間も居る。
「おはようございます!」
「あら、おはよう! 今日はバイトないの!」
「ないです! 休みました! 色々あったんで!」
今日の天気は晴れと、やや雲が多目か。風が仄かに拭いて気持ちが良い。陽射しが強くなるにつれて物足りなくなるが、朝ならこれでも十分だ。行く当てもなく気の向くままに。そうしてぶらぶらと放浪していると、見覚えのある自転車を家と家の隙間に発見した。
「あっ」
誰も盗んでいないが、それにしても忘れていた。そうだ、『三つ顔の濡れ男』から逃げる時に思い切って置いていったのだった。既に危機は去ったのだし、もうそろそろ回収しても大丈夫か。自転車は移動手段において大切だ。整備された道でないと使えない反面、人の生活圏であるなら基本的には何処も整備されているのであまり不便は覚えない。
響希から貰った物にも拘らず物を盗んでいるような罪悪感を覚えながら家の階段裏まで自転車を運んだ。戻るしかないか。また歩きに行くのもいいけど、自転車を運んだ直前だと微妙に気まずい。今度から少し考えておこう。思わず時間が空いてしまった時の潰し方。いつもいつも予定が詰まっているから、こういう事は想定していなかった。
自分の対応力に軽く反省をしつつ部屋に戻る。開いていた扉を閉めてさあ今度こそ何をするべきかと考えこもうとした直前―――振り返る。
―――扉、開けっぱなしだったか?
日常の行動は無意識に行われるから自分でも覚えていない。だけど扉を開けっぱなしにして外に出るなんて不用心ではないか。島民は少ないから殆ど全員が知り合いと言っても過言ではないが、それにしたって警戒心を感じない。自転車を見つけなかったら後三〇分は戻るつもりがなかった。
「…………もしかして、誰か居るのか?」
自室とは安全空間のつもりで過ごしている。誰か居るかもしれないという不安だけで、お化けとか無関係に緊張感が走った。誰が居ても怖い。この島に居る人は犯罪なんかしないという妄想は捨てろ。俺はもう一つの現実で、幾度となく殺されている。
「…………もし誰か居るんだったら、出来れば何もしないでくれ。訳あって俺の家を隠れ場所として何時間か使いたいって事なら別にそれでいい。食べ物も、まあ少しくらいは食べてもいい。お互い関わらないようにするべきだ。関わったら……きっと面倒くさいぞ」
居ないなら居ないで、構わない。虚空に対して独り言をぶつける危ない人間が短時間生まれただけだ。杞憂で済むならそれでいい。済まなかった時に手に負えないからこうしているだけだ。
「………………ただもし、困ってるって事だったら、その時は話してくれ。もしかしたら力になれるかもしれない。俺に出来る事なんてたかが知れてるけど…………どんなに馬鹿げてても、疑ったりしない」
張り詰めた空気を吸い込んで出す声は重苦しくて肺を疲弊させる。危機感からの行動も段々馬鹿らしくなってきた。目覚ましをかけて二度寝をした方がいいかもしれない。そうしよう。寝ようかどうか悩んでいる頃にはとっくに体がベッドに入っていた。
「…………一人暮らしって大変だなあ」
怖い思いをしても両親に頼れない。これをマザコンとかファザコンというなら好きにすればいいと思う。恐怖でハイになっていただけで、身体は死ぬ予感に満ちていた。とっくの昔にいっぱいいっぱいだったのだ。
「みんな、突然の事で戸惑ってると思うが、俊介は転校する事になった。栄子と恭介については先生がお見舞いに行くから、くれぐれも病室に立ち入らないようにな。命に別状はないが、あまり騒がしくしても二人が困るだろう」
「先生。でも俺ら、俊介と前日までバーベキューしてたんだぜ? 引っ越すのは変じゃね?」
「最後の思い出を作りたかったんだろう。実際、家財は全て移動済みだ。バーベキュー、最後には帰ってこなかったと聞いてるぞ。天宮、響希。お前達も探して見つからなかったんだろ? そういう事だ。きっと盛大にお別れなんかされるのが嫌で、こっそり出たんだろう」
案の定、そういう扱いになるのか。
そして、誰もその事を気に留めない。引っ越した事は嘆きつつも、本土の方が幸せな生活出来るだろうから仕方ないよねーと諦め気味だ。やっぱり俺みたいに一人暮らししたくてやってくる方がおかしくて、みんな本音は島から出たいのだろうか。
「お前たちは何処を探したんだ?」
「何処って言っても……」
「大した場所は探してません。海は危険だから、砂浜を少し歩いただけです。ね、泰斗。まさか引っ越す予定があるなんて夢にも思わなかったから、他の場所なんて探そうとも思ってなかったです」
「は、はい。バーベキューって言っても、夜に花火しましたけど、わざわざ一旦家に帰って持ち込んでますからね。途中で家に帰ったりしても不思議じゃないし、帰ったと仮定するなら仕方ないかなって。みんなも知ってるだろうけど、なんとなく主催者ってアイツだっただろ。雰囲気壊したくないからこっそりしてたって変じゃない」
口裏は合わせてある。栄子達の方は不明だが、視界が悪かったお陰で俺達の行動は幾らでも捏造出来る。先生もクラスメイトも疑う事はせず、HRは終わった。
―――いつになったら俺は、正直で居られるんだ。
嘘を重ねて軽傷で済むのはごく短い間だけだ。いつか取り返しのつかない最悪の瞬間で全てが瓦解する。そう信じているからこそ、嘘は可能なら吐きたくない。でも言ってしまうと―――死ぬ可能性がある。
一時限が始まるまでの僅かな隙間時間、クラスメイトがざわつく。内容は基本的にバーベキューの感想会であり、中にはあの一件で連絡先を好感した男女も居るようだ。
平和な日常。
娯楽が薄いからこそ、足る事を知る生活。
全てが犠牲の上に成り立っている事を知っている。あった席は一つ減り、今度は誰が減るのだろうなんて。
「おはよ~天宮! 昨日は楽しかったネ!」
百歌は俺の前の席の人物だ。授業が始まる隙間なら、俺か前の席の人とくらいしか話せまい。ただ前の席は栄子なのでつまり誰も居ない。
「ああ、楽しかったな…………でもその、それはどうかと思う」
「ん?」
ブラウスのボタンを胸で止めているせいで目線を落とすだけでT時の谷間と白いレースの下着が半ば以上見えている。たまらず目を逸らすと、視界外から百歌の楽しそうな声が聞こえてきた。
「おやおや? 天宮、何処見てたの~ぬっふっふ」
「………………」
「ん? どうしタ?」
窓に視線を取られている事に彼女も気づいたらしい。視線が合っても動かない。少し目を逸らしたからって、変わらない。
「あれは誰だ?」
「あれって?」
「スーツの男だよ。顔はあんま見えないけど。こっちを見てる」
「ん…………? 気のせいじゃない? なんとなく視線を投げただけだよ。大体スーツなんてこの島じゃ外の人間くらいしか着ないよネ!」
百歌は俺の顔を引き寄せると、人差し指を自分の唇に当ててから、それを俺の唇に当てた。
「そういうのは、全部気にしたら負け。無視しよ♪ あたしと話した方が……楽しいよ!」
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